Re:魔王なんですが実は、隣にいます。

夕凪 春

はじまりの章

プロローグ:出会い

 けたたましい断末魔が遠巻きから聞こえる。それは間違うことなく彼の者の進軍を意味するものだ。そう、機は熟した。

 ――その時がついにやってきたのだ。


「お嬢……いえ、魔王様。奴が、奴が来ます!」

「まあまあ落ち着け、そう騒ぐでない。くくく、ようやく来おったか……!」


 ここは魔王城、玉座の間。

 私は魔王の娘として育てられた魔族。それは人間とは常に対立している種族なのだという。私達は悪いものだとされていると先代パパからは教えられた。

 ただ私にはそれがよくわからない。人と私達は別に仲良くしてもいいのではないかとも思っている。

 もっとも魔王としての体裁を保たないとならないのもわかる。魔王とはすべての魔族を率いる長なのだから、よってこれは仕方のないこと。私達はどこまでも憎悪の対象であるべきなのだ。闇の存在こそが光が光として輝く所以ゆえん。私の意思の立ち入る隙間などないことも理解はしている。

 そして私は別段悪いことをしているつもりはないし、勇者を返り討ちにしたいわけでもない。

 ――この城で大人しく封印されるのを待っているだけだ。


 老朽化が大分進んでいる扉が重々しい音と共に開く。

 ――ザッザッザッ

 軽やかには聞こえるものの、同時に重みを感じるその歩みをこちらへと近づけてくる者のその名を呼べ――!


「魔王……! 覚悟しろ!」

「……来たか『勇者』よ。矮小なる人間風情が……我ら魔族に逆らった事を後悔し、此処に朽ち果てるが良い!」


 代々伝わる口上を噛まないように気をつけて紡いでいく。これは空でスラスラと言えるようにかなり練習をさせられた。そして実際に誰かの前で言うとなると結構恥ずかしいなと今痛感をしている。


「我が名は魔王……っ!?」


 両手で剣を構え、真っ直ぐに私を睨みつける燃えるような赤色せきしょくの双眸に私は固まった。

 ――何かがおかしい。

 あの勇者を見ていると心臓が高鳴り、顔が熱くなり、呼吸ができない。これは何かの術だろうか? 流れる汗はかつてない量に思え、どうにもあちこちへと私の視線は落ち着いてくれそうにない。


「(魔王様、如何なされましたか?)」

「(……次に何を言うか忘れてしまった。どうするべきか?)」

「(ええっ!? と、とりあえず何か威厳のある感じでここは一つ決めましょう。いいですね、とにかく彼奴を圧倒するのです!)」


 近くにいた配下と相談して気を落ち着かせる。そうだ、忘れていたぞ深呼吸だ。

 ふふん、勇者よ待たせたな。この輪廻をここで、他でもないこの場で終わらせようではないか!


「あーその……貴様、運がよかったね! 何かもう眠いわ。だからきょ、今日の所はここまでにしといてやってもいいかもしれない!」

「「ま、魔王様!?」」


 配下の者達がざわざわとしている。あの勇者も構えはそのままに動きが止まっている。

 この場の全員が恐らく私を見ていた。


「と、とにかく今日はダメだって! 無理だから! いいから早く、帰れかえれ!」


***


「ど、どうしよう……」


 どうしてこの様なことになった?


 ううむ……一つの可能性としてではあるが……もしかして? もしかしてだがこれは一目惚れというものなのではないのか!?

 ……いや、しかし、あり得るのか……? 魔族を束ねる魔王たるこの私がだぞ。それは決してないとは思うが、まさかまさかな。

 ああダメだ、さっきの恥ずかしいセリフとか思い出すだけで顔が熱い。

 と言うか何? 『矮小なる人間風情』って。やめろ思い出すなあわわわわわ!


 しばらく考えを巡らせてはみたものの、この気持ちの正体が今ひとつよく分からない。

 と、とにかく。今は彼とだけは戦いたくない。それだけは確かだと言えるものだ。

 ――そうだ、一度ここを空けてみるのはどうだろう?

 魔王を継承する前はよく人の街などにも行っていた……ああそうだ、これは気晴らしの類である。断じて逃げではない。気持ちを切り替えるのは大事。リフレッシュは重要だと確かに先代もそう言っていたはず。いや、否定しようのないお墨付きだ!

 ひとまずはここを魔法で鍵でもしておけば誰も入れないだろう。


 偶然彼と会えてお話なんかできたりして……あっつ。この城熱すぎないか、氷を持て、氷を!


「おい、誰かおらぬか! ……おーい!」


 私の声だけが虚しく城を木霊している。

 誰もいないのか? まあいい。いつものように口うるさく言われないしむしろ好都合だ。


 私は瞬時に人間へと変化へんげしてみせる。以前はたしかこんな格好だったはずだと、鏡に映った自分の姿を見て頷く。これなら誰も私が魔王とはよもや思うまいよ。

 ――あの方の姿を思い返す。贅沢は言わない、もう一度だけでいいから逢いたい。


 こうして私は魔王城から飛び出していく。


 この時の私には世界を巻き込む、あんな事態になるなんて欠片も想像することはできなかった。

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