その日から、俺と神楽坂の親交は始まった。

 実をいうと、俺は神楽坂の存在そのものは図書館の出来事の以前から気がついていた。それは彼女の個性的な一人称のこともあったが、それよりもクラスの中で神楽坂が纏っている独特の異質性が俺の注意を引き付けていた。

 こいつは特別だ。他の連中とは違う――だから、このちょっとした悪戯いたずらによって彼女が俺との接触を試みてきたことは、俺もまたそんな彼女の眼鏡に適う人間と認められた証拠のように俺には思われた。

 神楽坂は図書委員を務めていることから判る通り、俺など及びもつかないほどの読書家だった。俺と彼女の出会いのきっかけとなったミステリ小説はもとより、純文学、SF、怪奇小説、伝奇小説、人文書、哲学書、宗教書、心理学書などありとあらゆる書物を濫読する本の虫だった。

 そのため博覧強記といえるほど知識も豊富で、俺の知らないような本の世界をたくさん知っていた。

 彼女は自分でも結構な蔵書を持っているようで、いつも鞄の中にたくさんの本を抱えていた。そのため彼女の鞄を持とうとすると、その重さに驚かされることになった。

 神楽坂は自分の読んだ本の内容をよく俺に語った。神楽坂の解説は饒舌で聞きやすく、俺が興味を持つような話をたくさんしてくれた。

「つまり、集団と集団とのあいだの境界線上にある第三項というのは、常に両義性を帯びた存在なんだよ。彼らは世界と世界の仲介者メディアであり、それゆえに特別な、聖なる存在なんだ。それが共同体の中で正の意味を持つとき、彼らは神や王、あるいは折口信夫のいう〈マレビト〉として捉えられ、負の意味を持つときは、妖怪だとか異人として捉えられた。宗教学者オットーによれば、こうした聖なるものとの邂逅こそが、宗教体験の源泉といえるのだということだよ」

 記憶の中の俺たちは、いつもこのような益体もない話をしていた。

 放課後の無人の教室、汗と埃と、木造の床に引かれた油のきつい臭いに包まれながら、俺たちは机に腰かけて熱心に議論を続けていた。

 むろん知識の面で神楽坂に及ぶべくもない俺は、もっぱら聞き手に回ることのほうが多かった。俺はまるで世界文学の名著を読むかのように、神楽坂の言葉を深く噛み締めて聞いた。

 当時の俺は、神楽坂の口から出る言葉のひとつひとつが俺という人間の存在価値を高めてくれる言葉なのだということを信じていたのだ。

「その第三項ってのは、つまりお前のことじゃないか?」

 俺がからかうような口調で言うと、神楽坂は肩を含めてそれを否定する。

「まさか。僕はそんなたいしたものじゃないよ」

 神楽坂は否定したが、女でありながら男のような言葉を操る神楽坂は、まさに本人の言う両義性の特徴を兼ね備えているように、俺は思えてならなかった。

 神楽坂に出会ったことで、俺はようやく「本当」を知る人間に巡り合えたと思えた。

 こいつは本物だ――こいつは世の中の本質を見抜いている――俺の生涯の友人として相応しい人間は、神楽坂以外にありえない――。

 神楽坂の性別は全く関係がなかった。真の友情とは、性別を超えたところにある――神楽坂に対する性愛の感情が希薄であればあるほど、自分たちの友情が本物であることの証明になるのだと俺は思った。

 だから俺は神楽坂に対してそうした感情を抱くことがないよう、注意深く自分を律するよう努めた。

「俺、お前と出会うまで、いわゆる男女間の友情ってやつを信じていなかったんだけど」

 いつかの夕暮れの学校の帰り道、俺は神楽坂にそんなことを呟いた。

「でも、お前に会ってからは考えを改めることにしたよ」

 俺はそういうことで、神楽坂が喜ぶはずだと思った。

 だが、神楽坂はその言葉に苦笑いを浮かべて言った。

「そうか……まあ、それはありがたいことだけどね」

 そのときの神楽坂の返答はなにかの翳りを感じさせた。

 俺はなにやら虚を衝かれた思いで、その日は結局、彼女と上手く話すことができなくなった。

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