/marginal

かんにょ

 その少女は子供の頃、大人と子供は別の世界に生きているのだという幻想を抱いていた。

 大人は子供よりも背が高い。

 それは、大人は子供よりも〈空に近い場所〉に住んでいるということだ。

 大人たちが自分を放置して大人かれらだけの話をしているとき、少女は大人たちとの間に言い知れぬ距離を感じた。そんなとき、彼らの視線は自分よりも高いところにあって、自分がその視界に入ることはない。

 もちろん、大人たちは彼らをつめる視線に気がつくと、自分の視界にしゃがみこんでそっと微笑みかけてくれる。だが、それは空の住人が気紛れに地上に訪れるようなもので、本来的に彼らがいる場所は地上ここではないのだ。

 彼女にとって、大人の世界とは常に見上げるものであり、それゆえ遠くにあるものであり、明確な境界は見えずとも紛れもなく自分の世界とは異なる世界であった。

 少女はまた木登りが好きだった。大人たちはそんな女の子らしくない遊びを好まなかった。だが、少女は公園に遊びに行くたびに、街で一番大きな木に登った。

 少女が木登りで特に好きなのは、そこから見える視界だった。木に登ると、彼女の視界は子供の世界から大人の世界へ、そしてもっと高い世界にまで昇っていくことができた。

 だが、別の世界へ行くことができるのは僅かな時間だけのことだった。

 危ない、降りてきなさい、という大人たちの声が、少女を彼女の世界へと引き戻す。

 違う世界はこんなに近くにあるというのに、自分はこの世界から越境することを許されてはいないのだ。

 十一歳のときだった。少女の身体からは毎月血が出るようになった。それはまるでひどい頭痛が悪化して頭を刺す痛みに変わったときのような――否、他にたとえようもないような、ひどい痛みを伴った。

 彼女はその血も痛みが嫌いだった。そして同時に、彼女は自分がどうしようもなく女であるという事実いたみを知った。

 未分化で、それゆえに幸福だった性の時代は終わりを告げた。 

 彼女の世界にはまたもはっきりとした境界線が敷かれることとなった。

 大人たちは彼女の肉体のいちばん女である部分を隠すことを求めた。自分の身体についての知識を身に着ける場所は、同年代の男の子たちから引き離れた場所で行われた。

 また彼女から血が出る数日間は、神仏に関わるものから遠ざかることを義務付けられた。

 それは秘すべきもので、また穢らわしいものなのだということを、大人たちは暗に諭しているのだと、少女は感じた。

 人は境界を引く。

 それはまるで言葉が区別によってはじめてその形を得られるように、社会とは境界によって区切られることでしかその全体像を認識できない。

 結局、大人になるということは人と人との間にある無数の壁を知るということなのだということを、彼女は徐々に理解するようになった。

 そして、人間という存在の根本には、それらのなかでも最も根源的で越えがたい壁が本来的に横たわっているということも知った。


――アナタはワタシではない。


 そんな当たり前のテーゼがどれほどの絶望を伴っているのかを知ったのは、彼女があまりに年を重ねてしまってからだった。

 だからそれは、せめてもの反逆だったのかもしれない。

 たとえこの絶望からは逃れられないとしても、せめて少しでも、世界をあの幸福な曖昧性の揺籃のただなかへ還すことはできないのか――。

 彼女が「僕」という男性的な一人称を自分に使い始めたのは、そうした夢へのささやかな試みであった。

 だが、越境を試みるものが集団にとって何を意味しているのかを、彼女は不幸にもまだ知らなかった。

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