NA―TSU 

夏鎖芽羽

第1話 目覚めた少女

 暗闇の中に少女はいた。

 何も見えない。何も聞こえない。ただ意識だけが漂うようにそこにあった。


(お父さん、お母さん、みんな……)


 祈りのような何かが現れては消える。その繰り返しの中で少女は家族と親しい友人の他にある名前を呼び続けた。


(たっくん……たっくん……)


 少女がその名を呼び続けてからどれくらいの時間が経っただろうか。意識が体と繋がっていくような、そんな感覚と共に少女は覚醒した。

 瞼を開いた先に見えたものは真っ暗な世界だった。


(ここは……どこ?)


 少女は先ほどまでの暗闇にまだいるのかと錯覚した。しかし、それは違った。時間が経つにつれて視認できるようになった自分の周りに目を凝らすと、何やらよくわからない機械たちが少女を取り囲むようにしてそびえ立っているのがわかった。

 そして、今までなかったような腕や足の感覚、総体的にいえば体がついている感覚がどこか懐かしかった。


(腕の……足の感覚がある?)


 少女は両手の指をゆっくりと動かしてみた。親指から小指まで、それはきちんと動いたが、動かすたびに錆びついたドアを開けるような不快な音が腕の中で反響した。


(筋肉とかが固まってるのかな……?)


 少女は自分がどれほど眠っていたかなどわからなかったが、体の気だるさや眠気から判断して相当長い時間眠っていたことは理解した。なので、初めは体の細胞が膠着しているものと思っていた。

 しかし、眠気が体から離れて行くと同時に、少女は自分の体の異変に気づいていった。

 まず目がおかしい。瞬きをするたびに目の奥で何かが蠢いているように感じた。少女にはその感覚が気持ち悪くて仕方なかった。

 次に耳の異変に気が付く。聞こえないのだ。いや、聞こえないというのは少女からしたら語弊がある。余計な音が何も聞こえないのだ。周りにこれだけ機械があるのに、音として聞こえるものは、先ほどから少女の頭上で画面に波を作っている何かを計測している機械だけで「ぽーん、ぽーん」という味気ない音だけが聞こえるだけだ。機械にはあるはずであろう熱を逃がすファンの音などは一切聞こえない。いうならば聴覚が何かを聞くためだけに研ぎ澄まされている――そんな感覚に少女は浸っていた。

 体の異変は時が経つほどに増えていった。唾液が一滴も出なくて口内が乾燥していることや、呼吸をしていないこと、髪の毛がないことや、胸の一部の皮膚がはがれていて、中が覗いていること。一番少女を不思議にさせたのは最後の事実だった。その部分は少女がいる場所よりも一層闇が濃く、中はよく見ることはできないが、何かが青白く、一定の速度で点滅していることだけは窺える。


(これは……なに?)

 

本当は口に出して疑問を何かにぶつけたかったが、口内が乾燥しているせいで声が張り付いたように外へなかった。少女は仕方なく寝ているときと同じように考えるだけにとどめた。

 心臓ではない。少女の直感がそう告げる。ではこれは何か、その疑問に答えるものが現れるまでしばらく時間がかかった。

 不意に少女の頭上を中心に灯りがともった。蛍光灯の白い光りは、暗闇に慣れきった少女の眼球を焼くように輝く。しかしそれにもすぐ慣れて、少女は改めて明るくなった世界を見つめた。

 自分を中心に広がる機械、白に統一された天井と壁、そして穴が開いた自分の体。今はその穴の中もはっきりと見ることが出来た。


(なに……これ……)


 自らの体を見て少女は震えた。穴の内側はアルミ箔の様な銀色に光る膜に覆われていて、その中心で大きな白い箱が暗闇の中でも確認することができた。箱は暗闇で見たときと同様に青白い光を一定間隔で点滅させている。これは人間の体ではない。理性が警鐘を鳴らす。


「目が覚めたかい?」


 足音と共に誰かが近づいてくる。少女は知っている声に反応して、目だけでその人物を視界にとらえる。


(お父さん……?)


 長身痩躯の体に丸眼鏡、いかにも研究者という風貌の男性がこの少女の父親だった。


「気分はどうだい?」


 父親に問いかけられるが、声を出すことのできない少女は首を縦に一度振ることで肯定の意を示した。


「そうか。まだ油断できる状況ではないがとりあえずはよかった」


 少女の父親は先ほどから波を打っている画面を見つめて一つ頷くと、再び少女に顔を向けた。


「今までのこと思い出せるか?」


 そう言われて、少女は今まで気にもしなかったどうして自分がこんなところで寝ていたかを思い出し始めた。


(あっ……)


 最後に見た映像が、感じたはずの痛みが、少女の脳裏から浮かび上がってきた。

 それと同時に不安そうな少女の目と、悲痛な面持ちの父親の目が二本の線で結ばれた。


「思い出したか?」


 少女は頷くが、父親の言葉は少女に向けられたものではなかった。


「あの事故から君を助けるにはこうするしかなかった……」


 こうするしかなかった。神に許しを請うように虚空を見つめて父親は言う。その意味がなんとなく少女にもわかってしまった。おそらくこの体のことだ。胸の奥に埋め込まれた何か。これが関係している。

 今度は少女の目を見て父親が口を開いた。


「君に生きてほしい。そう思うあまり半ば禁忌といわれてきた存在に手を出してしまったことを……君がどう思うかはわからない。だが、これだけは事実としてはっきりと言っておく」


 いきなり話が飛躍する。どういうこと? 少女の疑問が形になって現れる直前に少女の父親が告げた。


「君をロボットにしてしまった」


 それが耳に届いて、言葉として認識されたとき、少女の体中の何かが機械的な音を立てて蠢くのを感じた。

 いや、機械的な何かではない。少女の体は正真正銘、機械の塊であるロボットとなっていた。

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