08.見えてきたぞ……ハッピーエンドへの道筋が!

 作った料理を食卓に運ぶまでの間、必死にこの状況を打開する策を考えていたが、結局なにが思いつくわけでもなく夕食の時間が始まってしまった。

 ひとまずジュースを飲むことを後回しにして時間を稼いでいるものの、さきほどからちらちらとフィリアの不安そうな視線が私のコップに向いている。


 落としてしまっただけあって、ずいぶんと気にしているようだ。

 おそらく私がジュースを飲むまでは、彼女はずっとあの調子だろう。


 このまま飲まずに夕食を終えてしまったら「私のせいでお師匠さまがお飲み物を楽しむ気持ちに水を差してしまって……」と、これでもかというほど落ち込んでしまう未来が目に見える。

 だからと言って飲んだら飲んだで、なんというか、私がアレな感じになってしまう未来もまた目に見える。


 飲むか飲まないか。選択肢は二つ。

 ただしどちらを選んでもバッドエンド直行。

 なんなのこのクソゲーは……。


 いや、クソゲーとかそれ以前にそもそも私は事前の選択肢を間違えていたのだろう。

 シミュレーションゲームでもそういうのはよくある。

 終盤の決定的な選択の場面、しかしそれよりも前の段階で特定のフラグが立っていなければ、どちらを選んでも同じ結果に収束してしまう。


 特定のフラグとは、例えば闇堕ちしたライバルキャラにトドメを刺すか刺さないかだったり、これまでの選択肢で特定のキャラの好感度を一定以上上げているかいなかったりだ。


 私はその事前の選択を完全に間違えていた。

 フィリアに薬を盛る……そんな自分本意な選択肢を選んでしまったせいで、今この瞬間、私の前にはバッドエンドルートしか残っていないのだ。


「お師匠さま……その、不躾、なんですけど……お飲み物は、飲まないのですか……?」

「うっ」


 現実逃避したい欲求と、現実を直視しなければどうにもならないという事実、実際は直視したところでどうにもできない真理。

 それらに板挟みになって苦しんでいると、ついにフィリアからの催促がかかる。


「あ、あー、いや……その、先にご飯を食べちゃおうかと。ほら、えっと、そう! 楽しみなものは最後に取っておくタイプなんだ、私は」


 変な声が出てしまいながらも慌てて取り繕うと、フィリアはほっと息をついた。


「そうだったんですね。ごめんなさい、急かすようなことを言ってしまって……」

「気にするな。フィリアのせいじゃないと何度も言っただろう? せっかくフィリアが守ってくれた一杯分は……その、ちゃんと大事にいただくよ……」


 どうする……本当に回避する手段はないのか?

 なにか、こう、私がこれを飲まずにフィリアも落ち込まずにいられるような、そんな皆がハッピーになれるエンドは本当にないのか……?


 私がこんなもの飲む未来なんて、誰も望まないと思うんだ。少なくとも私は望まない。

 そして今この場には私とフィリアで二人だから、これによって私が薬を飲まない未来は五〇%の票を得たことになる。

 これを四捨五入すれば一〇〇%。つまり、誰もが私が薬を飲む展開を歓迎していないことの証明にほかならないのではないだろうか。

 ハッピーエンドはご都合主義とか言うけど、ご都合主義バンザイです。


 なのでお願いします! 起こってご都合主義! 神様でも仏様でも勇者でも魔王でも淫魔でもいいから!

 どうかこの局面を救って、私もフィリアもハッピーになれる未来をください……!


 ――なんて、必死に祈ったところで当然なにが変わるわけでもなく。


 時間を経るごとに少しずつ少しずつ、着々とバッドエンドへの階段をのぼっていく。

 たとえば突然窓から魔女が侵入してきて、ジュースに呪いでもかけてきたのなら、その魔女をジュースごと跡形もなく消滅させるだけで済むのに、ジュースは依然として変わらずそこにある。


「……ふ、ふふ……」


 結局、この状況を打開する策など一つも思いつかなかった。

 ついには夕食を食べ終えてしまって、私の前に悪の権化が立ちはだかる。


 見た目は一見とてもおいしそうなミックスジュース。しかしそれは表の顔にすぎない。

 表では良い顔をしてきながら、その裏には私の内側に眠る醜い欲望を解放させかねない邪悪なる力を秘めている。

 わかるのだ。光を信じ、光の中で生きているフィリアには見えずとも、一度は闇に堕ちた私だからこそ、これがマジでしゃれにならないやばい代物だってことが。


 私がジュースを飲まず、じっとして睨みつけていると、フィリアがおずおずと声を上げた。


「お師匠さま、お飲みにならないのですか……?」


 ……一旦、フィリアに視線を移す。

 不安に揺れた瞳。申しわけなさそうな表情。胸の前で強く握られたその手は、かすかに震えている。


 ……ふぅ。


 冷静に考えてみよう。

 私は確かにフィリアとにゃんにゃんしたいがため、自然とそうなれる状況を作るべく、淫魔の液体薬を購入した。

 しかしである。

 普通に考えて、果たしてたったの一滴程度でそこまで大きく発情するだろうか?


 今もまだ私の懐にあるこの薬。これは普通のそこら辺の雑貨店で購入したものだ。しかも無駄に高かった。

 淫魔のエキスを配合だのどうだのと言うが、実はそういう薬に詳しくない私がただ単にぼったくられただけなのではないだろうか。

 いや、そうに違いない。だってたった小瓶一個分の量で他の薬の三倍以上の値段は明らかにおかしい。絶対にぼったくられた。

 そしてそうなると効果も大したことがないに決まっている。


 しかも今回の摂取はミックスジュースで混ぜ込むような形でのものだ。

 ミックスジュースのなんかいい感じの成分が薬のアレな成分をぶち壊し、至極無害な液体へと転化させてしまっている。そんな可能性も案外捨て切れない。

 今回の薬は実はかなり蒸発しやすい性質があり、後回しにしたことによって薬の成分が空気中に飛んでしまって、もう効果がほとんど残っていないとか。そんな可能性だってあるだろう。


 おお、どんどん未来に希望が持ててきたぞ。なんだか本当にご都合主義が起きそうな気がしてきた。

 そうだよ。一滴程度で発情するとかどんなファンタジーな薬だよ。そんなものあるわけないじゃん。


 見えてきたぞ……ハッピーエンドへの道筋が!


「……よし」


 意を決してコップに手を伸ばし、それを口元に運ぶ。

 口をつけて、コップを傾けて。


 牛乳のしっとりとした味わいと、果汁の染み渡るような旨味が調和をなした、とろけるような甘さが口を通って喉に流れていく。

 くどくなく、かと言ってあっさりしすぎてもいない。絶妙な味わい。

 知らず知らず頬が緩み、次の一口が欲しくなる。

 今までいろんな飲み物を口にしてきたが、これほどまでに甘く鮮やかなジュースを飲んだのは初めてだった。


「お師匠さま、お味の方はどうですか?」

「ああ。おいしいよ」

「本当ですかっ? よかったぁ……」


 そう、おいしい。超おいしい。超おいしいだけの普通のミックスジュースだ。

 私がエルフだから、果物がふんだんに使われたであろうこれをここまでおいしく感じるのだろうか?


 こだわり抜かれた素材のよさ、そして果汁と牛乳のバランス。

 甘美な冷たい感触が体の端にまで染み渡っていくようだ。


 しかし言ってしまえばただそれだけで、当然、体の方になにか変化があるわけでもない。


 ふふふ……やはりな。予想通りだ。

 やはり、ぼったくられた薬のたった一滴程度では大した効果は発揮できないに決まっている。

 しかも薬を入れてからかなり時間を置いていた。薬の成分も抜け切ってしまっているに違いない。


「ふふ、本当においしいな……」


 安心して二口目、三口目と中身を飲んでいく。

 薬の仕掛けをごまかすためだけに買ったつもりだったが、これはやばい。なかなか癖になりそうだった。

 また買ってきてみてもいいかもしれない。


 次は今度こそフィリアと一緒に飲みたいな。フィリアにもこのおいしさを是非知ってほしい。

 本当、なんで私はあんな薬をジュースに入れちゃったんだろう。あんなことしなければ今頃一緒にフィリアとミックスジュースを飲んでいられたはずなのに。

 もっとちゃんと反省しないといけない。今回は私のせいでフィリアに怪我までさせてしまったんだ。

 回復魔法があったって、怪我をすると痛い事実に変わりはない。フィリアに痛い思いをさせるなんて言語道断だ。


 ……いやでも、フィリアって痛いの好きな疑惑があるんだよね……。

 私はそういう趣味を否定するつもりはないけど……さすがに今回みたいにガラスで怪我をしたりとかはできるだけ排除する方向で動いていきたい。


 気がついた時にはジュースを全部飲んでしまっていた。

 おいしかっただけに、非常に残念だ。やっぱりまた今度同じものを買ってこようと思う。


 次こそはフィリアと、一緒、に……?


「……ぅ……」


 ふと覚えた、言いようのない体の違和感。


 ミックスジュースを飲んで、冷え渡っていたはずの体が、少しずつ熱を持っていくような。

 初めは胸。次に頭。そして少しずつ末端に、染み渡っていく。


「お師匠さま……?」


 気がついた時には、その熱が全身を巡っていた。

 血液そのものが脈打っているかのように、心臓の鼓動が近くに感じられて。

 まるでサウナの中にいるかのごとく、体中が熱い。


「はぁ……ふ、ぅぅ……」


 呼吸が荒い。体に力が入らない。

 じっとしていることが、辛い。


「んっ――」


 思わず少し身じろぎをすると、服と擦れた肌に、体感でいつもの何十倍もの感覚が走って、びくっと体を跳ねさせた。

 しかしそれは逆に、全身の肌が衣服とこすれる余地を与えてしまう。


「ひゃ、ぅ……!」


 快感にも等しい、さらなる強烈な感触が電撃のように体中を襲って、耐え切れず上半身をテーブルの上に投げ出した。

 それによってテーブルと接した衝撃のすべてが、接した部位への刺激と直結する。

 幾度となく高い声が意図せずして漏れて、一度として感じたことのない凶悪な未知の快楽に、怯えるように無意識のうちにきゅっと瞼を閉じていた。


「お師匠さまっ!?」


 明らかに異常な私の様子に、がたっ! とイスを押しのけてフィリアが慌てて駆け寄ってくる。


「大丈夫ですかっ!? お師匠さま!」

「やっ! んっ、や、やめっ……!」


 フィリアに触れられただけで苦悶の声が漏れる。

 フィリアは私の異常な声を聞くとすぐに手を離し、しかしすぐになにかを決意したような顔になった。


「……失礼します、お師匠さま!」

「えっ? ひゃわぁっ!?」


 フィリアは素早く私の背中と足の後ろに手を回したかと思うと、私を一気に抱え上げた。


「ごめんなさい! このままお師匠さまのお部屋までお連れさせていただきます!」


 扉を開けて廊下に出て、私を抱えたまま、小走りでフィリアが移動する。

 一歩一歩フィリアが移動するたび、その振動が全身を揺らす。それがわずかながらも確かな快楽を呼ぶものだから、それを最小限に収めるようにただ縮こまってじっとしていた。


「ふぃ、りあ……」

「大丈夫です、大丈夫ですから……」


 とろん、とした眼でフィリアを見上げる。

 フィリアは子どもをあやすようにささやきながら、急ぎ足で私の部屋に入り込んだ。

 それからベッドに駆け寄ると、私をゆっくりとそこに下ろす。


「失礼します」

「っ――――」


 急にフィリアが顔を近づけてきて、額と額がぴったりとくっつき合った。

 すぐ真正面に、フィリアの顔がある。ほんの少し顔を上げれば、口と口が触れ合ってしまいそうな距離に。


 ぱっちりとした瞳。

 ほんの少し赤らんだ、柔らかそうな頬。

 小さな鼻。ぷっくりと、おいしそうな桜色の唇。


 フィリアって、こんなに可愛かったっけ……?


 ドキドキが止まらない。心臓が痛いくらい鳴っている。


「……すごい熱です」


 やがて顔を離したフィリアは、ひどく心配そうな表情で私を見ていた。


「お師匠さま。もしかして今日、本当はずっと調子が悪かったのですか……? こんな熱、普通は急に出るものじゃありません……」


 フィリアは私が体調を崩したと思っているようだった。

 しかしこれはどう考えても、ただ体調を崩しただけではないことを私は知っている。


「ひっ、ん……」


 い、淫魔の液体薬……こ、こんなに効果あったの……?


 口から漏れる息が、舌と唇を震わせる。

 全身の感覚がひどく敏感になってしまっていて、動かすまいと努力していても、時折びくっと跳ねるように動いてしまう。そしてそのたびに、擦れた肌が少なくない快感を呼び寄せる。

 自然と吐息に熱がこもる。顔は赤く、視界はぼんやりとしていた。

 それでもやはり全身の感覚だけはいつも以上に、尋常じゃないくらいリアルに感じられる。


「私はお師匠さまの奴隷失格です……お師匠さまがこんなに苦しんでたのに気がつかなかったなんて」

「ち、が……ぅ……ふぃりあの、せい、じゃ……」


 苦しみ始めたのは本当についさっきなのだが、あのミックスジュースに淫魔の液体薬が入っていたことを知らないフィリアがそれに気づけるはずもない。

 私が否定しても、フィリアはどうやらそれを私が気を遣っているだけだと判断したようだった。

 小さく首を左右に振って、ほんの少しだけ悲しそうな目で私を見つめた。


「お師匠さま……お師匠さまがお優しいことはわかってます。でも……」

「ひゃんっ!?」


 ぎゅっ、といきなり手を握られて、声が漏れてしまう。


 ま、待ってっ。ほんと待って。今触られるのはやばいんだって。

 頭がおかしくなりそうなんです。ほんとに。


 焦りまくっている私にフィリアは真剣な眼差しで、言った。


「私……お師匠さまの優しさに甘えるだけの人間にはなりたくないんです。お師匠さまのお役に立ちたい、お師匠さまの隣に胸を張って立てるような、そんな人間になりたい……もしかしたら、独りよがりなわがままな気持ちかもしれません」

「ふぃ、りぁ……」

「でも……でもどうか、お願いします。今の私は、お師匠さまからしたら全然頼りないかもしれませんけど……私を頼ってくれませんか? こんなに苦しんでるお師匠さまを、放ってなんておけません。私は……」


 私の手を握っていた、フィリアの手。その上からさらに、もう片方のフィリアの手も重ねられた。


「いつも私なんかの世話を焼いてくれるお師匠さまの力になりたいんです。お師匠さまのためなら、私にできることならなんでもします。だから……」


 私は今回図らずも瓦解してしまった計画の中、最後の方で「四。フィリアに薬を飲ませた後にいつも世話を焼いてくれるフィリアの力になりたいとかそんな感じのいい感じことを言ってベッドイン」などと考えていた。

 完全に立場が逆転してしまっている。そしてこれは、想像以上にやばい。


 力になりたい。なんでもする。

 そんな言葉と一緒に、フィリアが私の手を強く握っていて。顔もすぐ近くにあって。

 ベッドに横になる私を覗き込むような姿勢だから、下に垂れた大きな胸の谷間も視界にばっちり入ってしまっている。


 淫魔の液体薬の効果も相まって、もう本当に、頭がおかしくなりそうだ。


 フィリアは本当に、私のためならなんでもしてくれるんだろう。

 どんな要求も。どんな欲望も。きっとフィリアは受け入れてくれて、一所懸命叶えようとしてくれる。

 私が望んだことを、どんなことも、なんだってしてくれる。


 なんでも――してくれる。


「……な、なら……」


 だから私は口を開き、意を決して言った。

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