赤い悪魔と魔法使い殺し
七沢楓
■1『荒城幸太郎、目覚める』
第1話『ハチェット・カットナル』
彼女は誰よりも魔法を嫌った。
特別な力は人の心を腐らせると知っていたから。
魔法黎明期、それは、魔法使いが最も腐っていた時代だ。自らの力に溺れ、知性ではなく、暴力の象徴となっていたその時代は、魔法を活かす力ではなく、殺す力として扱い、魔法犯罪も多く行われていた。
その犠牲者の一人が、彼女だった。
魔法の歴史を紐解き、最も多くの犯罪者がいた黎明期、その中で最も魔法使いを殺したのも、彼女である。
魔法を最も嫌った彼女は、だからこそ魔法とは単なる暴力ではないと知り、研鑽した。そして、気づいた時には歴史上、最も多くの魔法使いを殺した悪魔となっていたのだ。
捕まった彼女が処刑台に送られ、最後に言い残した言葉は、今でも教科書に載っている。
『魔法使いは、魔法を知らない』
これにはいろいろな解釈がある。捕まった故の負け惜しみだとか、自らの力に比べて他の魔法使いがあまりにも未熟だとか。
言葉を発した次の瞬間、彼女は首を跳ねられた。
だから、その言葉の意味を、誰も知らない。
本当に、言葉通りの意味だったという事に。
■
魔法使いなら誰もが使える魔力を圧縮して放つ魔力弾は、これまた魔法使いなら誰でもできる防御魔法で簡単に防げる物だ。
しかし、魔法の才能判定が最低のEランク。ギリギリ魔法学校に入学し、入学して一ヶ月近く経つにも関わらず、未だ一つも魔法が使えない
「すげえ、まだ意識保ってるぜ、あの一年坊主」
途切れそうな意識を、アスファルトの熱でなんとか保っていると、幸太郎を的にしている三年生の一人が笑いながら指を差す。
「まあ、ガタイは結構いいからな。丈夫なんじゃねえの?」
あざ笑う声音に腹立たしさを感じながらも、すでに立ち上がる事すらできず、意識を保つのがやっとの体では、どうしようもない。
相手は二人。素手の喧嘩もしたことがないような、細身の少年達だったが、そこに『魔法学院の三年生』という肩書が加わると、一般人ではどうしようもなくなる。
銃を持った男が二人、目の前にいるような物。そもそも、殴り合いという土俵にはいない。
生まれながらに銃を持つ者。それが、魔法使い。
幸太郎は、銃を掴み損ねたのだ。
「たく。これで魔法の名門、カスティアン家に下宿してるってんだからよ。カスティアンの家も、見る目がねえよな」
それがよほど面白かったのか、二人とも笑いだした。それには、幸太郎も似たような感想を抱いていたので、思わず吹き出した。そこで、リンチされている理由もわかった。なるほど、ヒガミか、と。
「あぁ……? なんでお前が笑ってんだよ」
「いや……俺も、魔法使い目指してる自分が、おかしくてさ……」
喋る度に痛む体を無視しながら、呟いた。そして、二人を睨みつけ、
「俺は、魔法使いが、大嫌いなんだよ……! クソヤロー共ッ!」
自由に動く指を握りしめ、怪我で動かない体で、憎しみを表現する。何がそこまで魔法使いへの憎しみ
を駆り立てているのか、二人にはわからない。だが、ただ事でないことだけは、彼らの本能が、粟立つ肌が教えていた。
「うっせぇな! だったら学校来れないようにしてやるよッ!」
今までよりも魔力を込めた光弾を貯め始め、幸太郎はすかさず体を丸めて防御態勢を取った。だが、次の瞬間放たれた光弾は、幸太郎を吹き飛ばすほどの威力があった。
「おわッ!?」
全身をまんべんなく引っ叩かれたような痛みが走り、後方へ弾き飛ばされる幸太郎。茂みの中に叩き込まれたことで、枝で皮膚が切れてしまった。
「おいおい、飛ばしすぎだぜ。的が飛んでっちったじゃん」
「いいよ別に。なんか白けたし、探しに行って、制服が汚れてもいやだしな。今ので気ぃ失ってんじゃねえのか?」
そうは言っているが、二人組はその場離れるつもりがないらしく、談笑しているような声が聞こえてきて、幸太郎はため息を吐いた。たかだか学生にも勝てない自分の不甲斐なさに、である。
何かに寄り掛かるように座って、幸太郎は体の痛みをできるだけ癒そうと、動かない事に努めた。
「こんなんじゃ、目的が果たせねえなぁ……」
独り言のはずだった。誰も聞いている人間がいなければ、そうなるだけ。だが、
『目的って?』
いきなり、どこからか甘いハスキーボイスが響いた。誰もいないと思っていた幸太郎は驚き、周囲を見回すが、誰も居ない。
『ねえ、目的って何よ。魔法嫌いくん』
「だ、誰だよ。どっから声出してんだ?」
声は近くからするはずなのに、周囲に見えるのはヤブや細い木ばかり。
『後ろよ、後ろ』
そう言われたので、幸太郎は上を見上げるようにし、寄りかかっている何かに頭頂部を添えると、そこには、祠があった。網目の扉に何かを封じているのか、『封』と書かれた札が貼られている。
「……冗談だろ? お前、何者だ」
『ほんと。ねえ、これで三回目よ。目的って、なに』
苛立ったような声。話すべきか迷ったが、体の痛みで満足に動けない状態である幸太郎は、答えない場合の事を考え、仕方なく話すことにした。
動けるようになるまで、質問攻めに合うのは嫌だから。
「圧倒的な魔力がほしいんだよ」
『へえ、そりゃまたどうして。アンタ、魔法使い嫌いなんでしょ。なのに、強い魔法使いになりたいわけ』
なぜか、今度は見下すような声になり、幸太郎は首を傾げた。だが、声しか知らないような人間にどう思われようと関係ない。
「……ダチを助けるために、必要なんだよ。俺しか、そいつを助けようってやつがいない。助ける為には、莫大な魔力がいる」
『……病気?』
「霊薬のオーバードーズ。そいつの実家がさ、すげえ魔法の名家なんだよ。でも、そいつは全然才能に恵まれなくって。でも長男だから、期待に応えようと、必死で努力したんだ。その挙げ句、魔力強化の為に霊薬を飲みすぎて、意識不明」
『ふうん。確かに、霊薬は魔力の底上げしてくれる物もあるけど、個々人によって効き目と薬害に個人差があるからね。その子、専門家の意見は聞かなかったの?』
「聞いてたさ。でも、高校に入学する為、必死だった。できるだけいい判定をもらって、上位クラスに入って、親の期待に応えるんだって、焦ってたからな。――その挙げ句が、意識不明。二度と目を覚まさないかもしれない、って医者は言ってた」
『……親は、助けようとはしてないってわけ』
幸太郎は舌打ちをして、うなだれた。今でも彼の耳には、親友の父が最後に吐き捨てた言葉が染み付いていた。
――こいつはもう、ダメだな。
意識を失った息子を前にし、その親友を隣に置いて、その言葉を吐き捨てた。
まるで、こぼれた牛乳でも見るみたいな顔で。それだけ見ればわかる。父親に助ける気がないことくらい。
「医者がな、言ってたんだよ。ダチの、シンの意識を取り戻すには、体内の薬害を洗い流す魔浄ってのをしなきゃいけねえが、それをするには、圧倒的な魔力が必要だって。だから、俺がやるんだ。俺が、歴史に名を刻むような魔法使いになって、あいつの意識を取り戻す」
幸太郎は、拳を握り締めた。
だから、魔法使いは嫌いだと、呟いて。
どいつもこいつも偉そうな事言う癖に、親友一人助けられない。学園に入ってからもそうだった。
幸太郎の才能が無いと知るや、あざ笑う連中だったり、持って生まれた才能をひけらかす事だけ上手いヤツばかり。そんな力、幸太郎にはなんの意味もないのに。痛みだけはしっかり運んでくる。
『……やめときなさい、莫大な魔力なんて求めるのは』
「どういう意味だよ。俺には無理だってのか」
『そうじゃない。力そのものを求めるな、って言ってるのよ』
「ふざけんなッ!」
幸太郎は、痛む体の事など忘れて立ち上がり、祠に向かって叫ぶ。だが、ダメージの所為か、そこまで大きくは叫べず、林の外にまでは聞こえず、二人組は気づかなかった。
「俺に、シンを見捨てろってのか!? 魔法使い共と同じ様に!」
『そうじゃない。あんたが力を得る以外にも、方法はある。例えば、もしも治せる魔法使いが現れた時の為に、頼むための金を稼いでおくとか』
「んな、出てくるかわかんねえもん、待ってられっか!」
『じゃああんた、親友を治して、それで魔法使い辞める気?』
「あぁ、そうだ」
『無理ね』
ため息が聞こえて、祠の中に居る女が、数秒間を置いて喋り始める。
『力を使うのはやめられない。アンタが力に飲まれるかもしれないし、誰かがアンタの力を求めるかもしれない。今、アンタがしてるみたいに。それがどういう事か、わかる?』
「……わかんねえよ」
『力を得たら、普通じゃいられなくなる。あたしみたいにね』
何か寂しそうな声音に、幸太郎は彼女の過去へ想像を巡らせてみた。しかし確かに、今こうして祠に封印されている様を見れば、普通の人間でないことだけは確かだ。
『……話過ぎたわ。これは、人生の先輩からのアドバイス』
「お前、もしかして……すごい魔法使いなのか」
『今は違うわ』
「お前なら、シンを助けられるんじゃ!」
祠の主は、そんな幸太郎の言葉を『それは、アンタ次第ね』と、肯定も否定もしなかった。初めてのリアクションに、思わず息を飲む幸太郎。
今まで、誰に言っても即座に否定されてきた。両親や姉貴分の幼馴染、自分に優しいと思っていた人たちでさえ、目の奥には負の感情があった。
だから、幸太郎は食いついた。それは、初めて見る希望だったから。
「俺次第、ってどういうことだよ」
『……あたしと契約すれば、もしかしたら、治せる可能性が出てくるかもしれない』
「契約、って。何をどうすればいいんだよ」
『さっき言ったでしょ。力を得れば、二度と普通の人生は歩めない。それは、休めないって事よ。ボロボロになっても止まれない。……いえ、早い段階でなら、引き返せるかもしれないけど。でも、あなたの目的を達成する頃には、きっともう、止まれないところまで行くかもしれない。それでも、契約したい?』
この時、幸太郎の頭の中には、漠然とした不安のイメージがあった。それは黒いモヤで、触るとそこから皮膚がただれていくような。彼の中にある不安を形にすると、そうなった。
それ以外にも、いろいろな辛いことを想像した。
けれど、一番の友達が、自分で死ぬ事も、生きる事もできない現状に比べたら、どれも大した問題ではないように思えた。
「今後どうなろうと、今よりマシだ。そこから抜け出す為に、また、ダチと笑ってバカやる為、俺と契約しろ」
『……その札、剥がしなさい。多分、あんたなら剥がせる』
札と木の扉の間に指を滑り込ませ、札を剥がそうと力を込めた。しかし、一瞬の躊躇いが顔を覗かせる。剥がして本当にいいのか、と。
一瞬そんな事を考えて、苦笑した。自分がまだ、迷う事に。
彼女が何者かは知らない。だが、親友を助けられるというのであれば、それがなんであれ、これからどうなっても、力が得られるのであればどうでもいい。
「契約だ。俺は前に進むんだッ!」
古臭い紙だから、もっと剥がすのに苦労すると思ったのだが、運命の扉は、意外にもあっさりとその封を解いた。
『契約、成立』
開いた扉から、赤い煙が湧き出て、それが幸太郎を包む。温かいような、静電気のようにピリピリとするような、そんな不思議な感覚に包まれながら、初めて幸太郎はその名を聞いた。
『あたしはハチェット・カットナル。あんたの力になる悪魔……。ま、気楽によろしく』
幸太郎はまだ知らない。それが、かつて最も魔法使いを殺し、最も魔法を極めた女の名前であるということに。
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