“父”(坂本一族シリーズ)

紬木楓奏

“父”

「お前がサカモトレイスケか」

 東京二十三区の北の街にある小さな病院。僕が勤務医として所属しているそこに、恐ろしく美しい男が現れた。

 確かに僕は坂本麗(れい)介(すけ)だ。関東医療界のドン・坂本一族から勘当されて、三年前に、ここに来た。ここの場所は、誰も知らないはずだ。唯一血のつながりのある母にも、愛する女性にも伝えていない。

「そうですけど。あなた、は……」

 僕より少し長い栗毛色の下に切れ長の瞳。コートにスーツ、ネクタイ、マフラー。全てが一級品だ。

「本当に医者になったんだな」

 ああ、分かってしまった。


 この人は僕の実父だ。

 独身を貫く母がこの世で唯一愛した男。僕が出来たから、逃げた男。


「……なりましたよ」

「大学は」

「日向大学の医学部です」

「立派だな。都子の遺伝子は偉大だ」

「やっぱり、貴方は僕の」

「お父様だ」


 体が瞬時に固まる。暴力をうけていたわけではないが、母の憎み節を聞いていると、どうしても敵対心が芽生えて固まってしまう。


「坂本先生、お客様でしょうか」

「ああ……コーヒーを淹れてもらえるかな。僕の部屋にお願いします」

「はい」

「……好かれているな。お前の周りは温かい。俺や都子の遺伝子は、死んだのか」

「こちらへどうぞ」


 何も言えず、診療室に通す。

 

『お父様だ』


 信じられないけれど、僕の体をめぐる血が言っている。

 本物だと。本当だと。真実だと。




「殺風景だな」

「どうぞ、インスタントで申し訳ありません」

「俺は、漆原省吾という。都子が学会でやってきた北海道で吹奏楽部の顧問をしている。異動があって、昨日、東京に戻ってきた」

「……今、ご家族は」

「いねえよ。寄ってくる女なんていない。しいて言うなら、教え子に手を出しているだけだ」

「最悪ですね」

 思わず出た言葉に驚いた。僕らしくない言葉だ。

「ああ、最悪だよな。大変だったぜ。お前を追跡するの。坂本本家には電話すらつないでもらえなかったし、病院に行ったらお前は異動になったけど行き先は分からねえっつーしよ」

「何しに来たんですか」

「親が、子供に会いに来るのに理由がいるかよ」

「都合よく言葉を使いますね」

「否定はしねえ……でも、会いたくなったのに変わりはねえんだよ」


 僕の母・坂本都子は、坂本一族本家の人間で、今の当主である飛鳥君の補佐をしている。つっけんどんだし鉄仮面だが、心にはきちんと優しいものをもった人だ。

 僕は北海道の施設で育ってきた。婚外子なんて発覚したら、一族の気品に関わるという本家の指示だった。日向学園大学医学部に合格したところを嗅ぎつけられ、ほんの数年間、一族の配下で医者をしていたことがある。一族の娘を愛してしまって勘当され、今の病院に落ち着いた。

 そういう意味では、この父という男に似ているのかもしれない。愛する女性を幸せにできなかったのは僕も同じだ。


「都子は元気でやってるのか」

「病院に行ってみればいいじゃないですか」

「……知ってっか?俺、坂本家に出禁扱いなのはお前と都子のせいだけじゃないんだ。今の当主の……アスカくんだっけ?あれの母親は俺の妹だ」

「……随分すごい話をしていますよ。あなたは」

「憎んでるんだよ。今日子は身体こそ弱いが心は強い。それがストレスが原因の突然死だって?馬鹿言うんじゃねえって話だ。何かされたに違いねえ。そう思ったら、東京にいたんだ」

「出禁の割には色々知ってますね」

「今の女が、分家の女だ」


 ごくごくと珈琲を飲む“父”は、一体何をしに僕の元へ来たのだろう。話しているのは母と、亡くなった今日子さんの話だけで、僕は少しも登場しない。僕を利用して今日子さんの復讐でもしようとしているのか――


「復讐はしてえよ。徳川さんたちが取りまとめている時代に生まれたら、恐らく切り捨て御免で叩ききってる」

「それは誰を……」


「麗介先生!!急患です!!」


「……失礼します!」

 色々聞きたかったことがある。この男が、ここから姿を消す前に。

どうして僕を造ったんだ、何で母さんを捨てたんだ、何をしに来たんだ。

今更。今更、二度目の勘当を喰らって、少々燻っている僕に――


でも、

僕を待っている人がいるから。




「……姫子。お前、聞いてたか。あ?下衆なことは聞くな。ガキが口出すことじゃねえし、お前、知ってるだろ。俺が一番切りたいのは、過去の俺だ」



◇◆◇



やっぱり。

患者さんの安定を待ってから部屋に戻ると、がらんどう。誰もいない。また、僕は暗い部屋で独りになった。

でも、なんでだろう。父親なんて考えたことすらなかったのに、なにか寂しい気がする。


悲観的な訳じゃないけれど、色んな人が離れていった。


実母の坂本都子。

懐いてくれた飛鳥さん、明日菜ちゃん。


そして、



「美妃女……」



愛していた彼女。



「イケメンに涙は似合わねえぞ」

「いたんですか」

「お前が愛したのは、早坂美妃女か」

「知ってるんですか」

「鬼のように頭がいい大学生だろ。姫子が言ってたぜ。なあ、麗介。俺はどうしようもない男だが、ちゃんと筋を通しているつもりだ。都子だって姫子だって、愛したいから愛してる。その筋の友人なんていらない。我ながら気は早いが、主軸はきちんとしているつもりだ」

「いい解釈ですね。尊敬します」

「どうでも取れ。流されるまま、坂本一族に振り回されて被害者面しているには、お前はもう大人すぎる」


 大人――


「俺はお前の親父なんて名乗る気はさらさらない。今日子を殺した一族に触れようとも思わない。だけど、残念ながらお前は俺と同じ血をひいている。だから一度は見てみたい。俺の腐った血をひく男を」

「どうでしたか」

「割と、悪くないな。なかなか面白い男だ」

 くくく、と悪そうに笑って、実父は踵を返した。

今まで存在すら認識していなかったのに、何故だろう。理性が働いてくれてよかった。


 手が。

 母を泣かし、他の女性も泣かせただろう男を、追っていた。


「手、しまえよ。自慢じゃないが、俺は高尚なお医者様がつかんでいい人間じゃねえ」

「その基準は僕が決めることです。血のつながりがあるにせよ、ないにせよ」

「その基準は俺をどう判断した」

「姫子ちゃんから離れてください。泣かすつもりなんでしょう、母さんのように」

 

「そうか、あの“みやちゃん”は、“母さん”か」


 深い溜息を吐いて、漆原昌吾はやはり去っていった。本当に“坂本麗介”に会いに来ただけらしい。すれ違った看護師たちが、一様に目で追っている。

ありきたりだけれど、台風のような男だと思った。気まぐれに起こり、必ず嵐を起こし、かけらを残して太陽から逃げる。逃げるなら来なければいいのに、必ずやってくる。進路を保つことのできない不器用な存在。受け手は完全な予測など、誰もできない。

 

悔しいが似ている。

 医者になったとたんに北海道から本家に召集されて。分家の娘・早坂美妃女への想いが本家の逆鱗に触れ、勘当されて、この地にやってきた僕に。


「先生、あの方は」

「知り合いだよ。気を遣わせてしまって、申し訳ないです」

「いえ。とても格好のいい方ですね。言伝を承っておりまして」

「言伝?」


「“コーヒー美味かった”と。言えばわかる、っておっしゃってましたよ」


 あんなの缶より少しいいだけの、どこにでもあるインスタントコーヒーなのに。

 何が言いたいかなんて、何故だろう、手に取るようにわかる。


「……仕事、頑張ろう」

「はい?」


「先生!満床で受け入れ先がないから、分院(うち)って受け取ってくれって……」

「受け入れてください。ちょうど一服着いたところです。急いでいても言葉は大切に使ってください、患者さんはモノじゃない」

「は、はいっ」


 もう会わないだろう、漆原昌吾の――母が愛し、僕の体に脈々とがれる血の半分を共有する男。

 不器用な坂本麗介の、さらに不器用な父親の、最大級の激励の言葉だ。


 きっと。





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