第一章 帰れないって……嘘でしょう?

「帰れない……? 帰れないって、どういうこと?」

 私は、ぼうぜんつぶやいた。

「嘘でしょう? だってじようが終わったら、私がしようかんされたあの日あのしゆんかんもどしてくれるって言ったじゃない……!」


   ※

 

 入社三年目にして初めて任されたプロジェクトがかんすいし、あんうれしさをかみしめつつ帰宅していたあの帰り道。なんのみやくらくもなしに、周囲が光ったかと思ったら異世界に召喚されていた。きようと混乱で泣きじゃくる私に、みんなそう約束したじゃない。

 だから私、死ぬ気でがんったのよ?

 聖女としておかされた土地をいやし、魔物をほふり、何度も死ぬかと思うような場面を乗りえて、やっとやっとすべてのけがれを浄化した。それもこれも、聖女としての役目をまつとうしたらちゃんと日本に、私の世界に戻してくれるっていう約束だったから。

 なのに。

 今さら、戻せないなんてそんなバカな話があるはずない……ねえ、嘘でしょう?


 二年にもわたる長い長い浄化の旅を終えて、やっとこの王都に戻った。がいせんパレードも祝賀会も、言われるがままにこなして、ようやく日本に戻れると思ったのに。

 王城に呼ばれ、としてぜんに参じた私に告げられたのは「すまない、キッカはもう日本には帰れない」なんて、笑えるセリフだった。

 あまりのショックに足の力がける。ヘナヘナとその場にくずれ落ちた私に、神官長の重々しい声で無情にも真実が告げられた。

「嘘ではない、そもそも異世界から聖女を召喚する術は伝承されていても、そうかんする術など伝わってはおらぬのだ」

「ならどうして……だって、戻してくれるって。あれは嘘、だったの?」

 信じたくなくて、バカみたいにり返した。

 王も、神官長も、さいしよう団長ですら、苦い顔で口を開こうとしない。

 私が召喚されたあの日、「時間がない、護身のすべは道中でこの者たちに習え」なんて、死ねと言っているようなセリフとともに、数人の若者を護衛につけて浄化の旅なんてものに送り出したこの国の責任者たち。その上このおよんでダンマリを決め込もうと言うのだろうか。

「そりゃそうでも言わないと、命がけで聖女なんてだれもやらないからじゃない?」

 共に旅に出た、クルクルきんぱつ巻き毛……ロンド様がめんどうくさそうにそう言った。

「それにしてもキッカって本気で元の世界に戻る気だったんだねえ。まあでも今までの聖女たちは旅が終わったら皆けつこんして子供を産んで、この世界で幸せに暮らしたんだっていうよ? キッカもそうすればいいじゃない」

 人ごとみたいに、さもどうでもいいみたいに。いや、確かにこいつにとってはどうでもいい話なんだろう。

「ロンド! その言い方はないだろう。……キッカ、その、なんと言っていいのか……すまない、謝って済むことではないとわかってはいるが」

 第二王子のルッカス様がしんな口調で謝罪した。貴方あなたに謝られても。貴方だって知らされていなかったんでしょう? さっき私と同じくらいおどろいていたくせに。そう、きっと私といつしよに浄化の旅にでたメンツは知らされていなかったんだ。

 宰相のあとむすだっていうイヤミなクルクル金髪巻き毛も知らなかったみたいだし、第二王子であるルッカス様すら知らなかった。ほかの三人だって知らされていた筈がない。

「まあいいじゃない。考えてもみなよ、ここにはこの国で最高の男たちがそろってるんだ、そう悪い話じゃないんじゃない?」

 クルクル金髪巻き毛が指し示すのは、浄化の旅を共にした仲間たち。

 騎士団一の実力者だというもくな騎士グレオスさん、高名な魔術師だけどまだ幼さの残る可愛かわいいリーン、そしてトップクラスのぼうけん者だったアルバ。

「君は世界を救った聖女だからね、誰もいやだなんて言わないし大事にするさ。安心して選ぶといいよ」

 王の御前で顔を上げることをまだ許されていない三人の表情をうかがい知ることはできないけれど、彼らをこんな茶番に巻き込むだなんて考えたくもない。望んでもいない結婚をいるなんて、そんなしゆないわよ。

「さすがにルッカス様と結婚するには君は品が無さすぎるからね。なんなら僕が結婚してやったっていいけど」

「ロンド! なんという……もういい、お前は下がっていろ」

 ルッカス様があわててクルクル金髪巻き毛をたしなめるけれど、もうおそい。

 プチン! と私の中の何かが切れる音がした。

「ふざけんな……」

「え? なんか言った?」

 きょとんとした顔でクルクル金髪巻き毛が問う。その顔が、さらに私の神経をさかでした。

「ふざけんなって言ったのよ! あんたたちの中の誰かと結婚するくらいなら、ドラゴンの口に身投げした方が万倍いいわ!」

 いかりでふつとうした体は、急にシャキンと元気になった。ばやく立ち上がった私は、腹立ちまぎれにサークレットをクルクル金髪巻き毛に思いっきり投げつける。

 いつだったか「僕らと一緒にいるくせにみすぼらしい格好、やめてよね」なんていうイヤミと共につけさせられたくつじよくの一品だ。こんなもの、もう一瞬たりとも身につけていたくない。

「痛たっ! 何するんだ!」

 声をあらげたクルクル金髪巻き毛が、飛んできた物体を目にしてわずかに息をのんだ。

「これは」

「返すわ。これも、これも。もうらない」

 ルッカス様にもらったかみかざりも、騎士のグレオスさんに貰ったチョーカーも、このえつけんのために飾り付けられた似合わない飾りも全部、全部投げ捨てる。

 王の御前だとか、そんなのもう関係ない。私は完全にキレていた。

「待て、キッカ! 話を聞いてくれ!」

「キッカさん、ちがうんです! 僕は」

「おい、俺も……!」

 一緒に旅した男たちが口々に何か言うけど。うるさい、もう誰の声も聞きたくない。

 さすがにドレスとくつげないけど、不要な物を取りはらったらずいぶんと私らしくなったじゃない。ふん、せいせいしたわよ。

「さよなら。もう用はないでしょう?」

 その一言だけを残し、私は転移魔法でその場を瞬時に立ち去った。

 

  ※


 そう、あれはまだ浄化の旅にでてひとつきっていないころのことだったと思う。

 つかれ切っている筈なのに、なんだか目がえてしまってねむれなくなった私は、急にさびしくなってしまってそっと馬車を降りたのだ。

 時々急にこんな風に寂しくなることがある。

 会社に入って三年目、大学から合わせて六年も一人暮らししてきて、ホームシックになったことなんか無い。なのにこんなに寂しくなるのは、やっぱり異世界なんて不確かな……理解不能なところに来てしまったせいだろうか。

 帰ろうと思えばいつでも帰れる、そんな安心感がすべてはぎとられてしまったからなのかも知れない。自分でも不思議に思いながら、うすぐらい足元を確かめつつ一歩一歩進んでいく。

 王家が用意してくれたにしては小ぶりな馬車は、全員が眠れるほど広くない。ルッカス様の判断で、夜は私がしんだいとして使わせて貰って、男性じんは野宿をするのが常だった。ただ、その日はなぜか急に誰もいない馬車の中がとても寂しく思えて、みんなが野営している場所に足をむけて……でも、それが失敗だったんだよね。

 あの時彼らの会話を聞いてしまわなければ、これほど日本に帰りたいという思いも高まってはいなかったのかも知れない。

 もちろん野営地は馬車からそうはなれてはいなくて、馬車から降りたらすぐに、たきだろう明るい光がに映っていた。明るい方へ歩けばすぐに話し声が聞こえてきて、ひとこいしくなっていた私は少しホッとしながら近づいたんだ。

 その時聞こえたあのクルクル金髪巻き毛の第一声、多分一生忘れないと思う。

「あーあ、今回の聖女はハズレだな」

 心臓がとまるかと思った。

 動けなくて、私は少し離れたかげで立ちくしたまま彼らの言葉を聞いていた。樹にさえぎられて姿すら見えないというのに、なぜかせいじやくの中、焚火の木がはぜる音と彼らの声だけが、嫌になるほど耳にひびく。

「そうですか? 能力のバランスはいいのでは?」

「だがきわった能力がない、すべてが平均値だ」

 騎士グレオスさんの評価を、この国の第二王子ルッカス様が両断した。クルクル金髪巻き毛が、ルッカス様の言葉にかぶせるように、私を『ハズレ』と評した理由を告げる。

「聖女の伝承はあきるくらい読んだけどさあ、歴代の聖女は何らかのとくちよう的な能力を持っていたよ。キッカはなーんの特徴もないじゃないか」

「まだ旅は始まったばかりです。彼女はよく努力している、断じるのは早計でしょう」

「ま、そうだけどね」

 不満そうな声。それは、グレオスさんの言にあいづちを打ってはいるけれど、なつとくしたわけではないことをによじつに表していた。

「そうだねえ。あれでもう少し美人なら、まだ妻にしたってえがいいのにさ」

 クルクル金髪巻き毛が急にくだけた様子でそう言って、笑い声をあげる。するように。

 彼はルッカス様のおさなじみで親友らしく、いつだって歯にきぬ着せぬ物言いだ。でもさ、もうちょっとなんか、言い方あるんじゃない!?

 第一急になんなのよ、聖女に顔が要るのかよ! とってやりたい。

「確かに顔もプロポーションも、非常にへいたんではあるな」

「平坦って」

 ルッカス様がおどけたように言って、クルクル金髪巻き毛が笑い転げる。

 てめえこのろう、第二王子! いつもはめっちゃいんぎんに接してきてたくせに本心はそれか!

 だんからなにかと失礼なクルクル金髪巻き毛は常々見下してくるから、きらわれてるんだろうなぁとは思っていた。でもルッカス様は普段はとてもやさしい。にゆうがおを絶やさないし、いつだってれい正しくいたわってくれていた。その分しようげきが大きい。

 なるほど、あれは社交辞令だったのか……。さすが第二王子、相手に本心をさとらせないかんぺきなる処世術だ。

「マナーも教養もなくては話にならん」

「だよねー」

「違う世界から来ているのです、そこは仕方ないでしょう」

 き捨てるように言ったルッカス様に、かんにもグレオスさんが反論してくれたのは、きっと異世界からしようかんされた私をびんに思ってくれたんだろう。あまりにもけんの指導が厳しいから、ちょっとこわいと思ってたけど、あんたおとこのある人だったんだね……。

「じゃあグレオスが貰ってやりなよ、どうせ僕らのだれかが彼女をめとる事になるんでしょ?」

 ちょっとジーンとしていたのに、いきなり発せられたクルクルきんぱつ巻き毛の言葉にぎょっとする。な、なにそれ。なんでいきなり、そんな話になるわけ?

 そう思ったのはグレオスさんも同じだったようで、目を見開いた後、きゅっとまゆひそめた。

「何を鹿なことを。彼女は自分の世界にもどりたいと願っていたではないですか」

「聖女は誰だって最初はそう言うらしいよ? 伝承に残ってる。でもさ、結局は旅に同行した誰かと結婚してこの地で一生を終えたって記述になるじゃん」

「それは、そうですが」

「聖女だからじやけんにもできないし、優しくしてやりゃあコロっといっちゃうんだろ。聖女に望まれたら断れるはずがないじゃないか、ゾッとするね」

 クルクル金髪巻き毛が発した、その心底嫌そうな言葉に、私の心は完全に冷えた。

 そうか、皆が優しいのは本意じゃなかったんだ……。聖女だから、親切にしただけ。かんちがいされるのもめいわくな話だと、そう笑っているやつと私は旅をしていたのか。

 思えばこれが転機だった。

 このしゆんかん、私から甘えの感情は完全に消えた。話しかけられれば笑顔で答えるし、やるべき仕事はしっかりやるわよ。こちとらしっかり社会人だ、営業スマイルなんかデフォルトなんだよ。さっさと旅を終わらせて、さっさと日本に帰ってやる!

 私は心中で不満を吐き出しながら、そっとその場を後にした。

 しかしまあ。勝手に召喚して、無理やりわけもわからないまま『じようの旅』なんてものに出しておいて、陰でこうして笑っているなんて。この国のちゆうすうの奴らのあきれるほどの身勝手さにこっちの方が反吐へどが出る思いだよ。

 焚火のほのおあかりを受けてゆらゆらとらめく木の葉のかげながめながら、馬車までのわずかな道のりをゆっくりと歩く。うっかりこぼれそうになるなみだしずめるために空をあおげば、明るい月がこうこうと辺りを照らしていた。

 ちくしょう、泣いたりなんか、しないんだから。

 今日はちょっと、人恋しくて元々心が弱ってたから泣きたくなっただけだ、多分。

 そうそう、だって私だけがつらいんじゃないし。

 であるグレオスさんやじゆつのリーン、そしてぼうけん者であるアルバなんかは、どっちかというと私と同じ立場なんだろう。きっと巻き込まれたんだ。

 王族が、聖女と共にこの国の危機を救った。その実績を作るために集められた実働部隊。

 思えばルッカス様やクルクル金髪巻き毛が戦いに参加するのなんてよっぽどヤバい時だけだ。魔物が出たってたいていの場合はアルバが一瞬で片付ける。数が多ければグレオスさんが参戦し、剣が効きにくい相手ならリーンが魔法でいつそうする。

 せんとう中、ルッカス様やクルクル金髪巻き毛は私を守るように立っていたけれど、よくよく思い返せば剣をるうことすら三回あったかなかったか。

 いや待てよ? その時剣を振るったのってルッカス様じゃなかったっけ? クルクル金髪巻き毛なんか何が武器かも知らなくない!? うわあー……ヒクわぁ……。

 なんて、考えてた時だった。

「泣かねえのか」

 いきなり、声をかけられた。振り返ると二人の人影。

 何よ、おっきいのとちっこいのと二人そろって、何のようかしら。さっきのクルクル金髪巻き毛と腹黒王子の暴言で、こちとらがいもうそう気味になってるんだから、ちょっとほうっといてくれないかな。

「なんで私が泣かなきゃならないのよ。涙がもったいないじゃない」

 ツンとすましてそう言ったら、なぜかおっきいのがき出した。

 おっきいの……冒険者のアルバは背が高くってひょろりとして見えるけど、戦うための筋肉はしっかりついている、いわゆる細マッチョというやつだ。グレオスさんはバッキバキのマッチョだから、それと比べるとずいぶん目に優しい。

 彼の黒の短髪に切れ長の黒い目は少し日本を思い出させるけれど、浅黒いはだと身に馴染んだけいよろいからは、熟練の冒険者ならではのせいかんさが感じられる。

「それくらい元気がありゃ、まあだいじようか。いや、散々な言われようだったからな」

「聞いてたの?」

「悪いな、ちょうど張り番の交代時間で、聞こえちまった」

 ニヤリと笑ったまま、アルバが何かを投げてした。

 手の中に納まったのは、かんきつ系のかおりがとてもさわやかなサンシュの実。ちょっとだけ酸味があるけど、さっぱりした甘さの果物くだものだ。

「ま、気にすんな。あいつら貴族は苦労知らずだからな、自分のことはたなげで人のことをあげつらう口だけは達者なんだ」

 好物だと言っていたサンシュの実をくれたってことは、なぐさめてくれてるんだろうか。

 まあ、確かにひどい言われようだったもんね。ていうか。

「ロンド様はともかく、ルッカス様からの言われようはちょっとヒいたわ」

「いやぁ、アイツの方が腹黒で怖いけどな。国と王室が一番大事なヤツだから、それ以外はどうでもいいんじゃないか? 話し方も内容も、結構必要に応じてコロコロ変えてるぜ」

「なにそれ、怖い」

 アルバから衝撃の事実を聞かされて、さらなるショックを受けている間にも、アルバの横ではちっこいの……魔術師リーンがおっきな目に涙をめて、ウルウルとこちらを見ている。

 小動物か。やだなあ、いやされるんですけど。

「リーンが泣くことないじゃない」

「泣いてません」

 いやいや、でっかい目から涙がこぼれ落ちそうだよ。

 あれだね、ほかの人が先に泣いちゃうと、こっちの涙が引っ込んじゃうってホントなんだね。なんか慰めないといけない気になるから不思議だわ。

「いやいや客観的に見て泣きそうだからね。ハンカチる?」

「要りません! 僕はくやしくて情けないんです!」

 あちゃー、涙こぼれちゃったよ。

 どうやらお師様に大切に大切に育ててもらったらしいリーンは、もうちょっとで十八歳という男子にしてはとってもじゆんすいで正義感も強い。ちょいちょいクルクル金髪巻き毛が私にムカつく態度をとるたびに、こうしていつしよおこってくれるのだ。

「なんなんですか、あの態度! こっちが勝手に召喚したんですよ!? しかも十分な準備期間もなくこんなこくな旅に出して……それなのに、あんな! あんな……!」

「だよねー、あいつらサイテーだよねー。さすがの私もキレたわー」

 おざなりに相槌を打ちながらせっせと零れ落ちる涙をぬぐってあげる。気分はすっかりお母さ……お姉さんだ。

 魔術師の割にサッカー少年みたいなやんちゃなふうぼうと小麦色の肌を持つリーンは、かみと装備だけ魔術師っぽくて少しアンバランスだ。髪に魔力がこもるらしくて若草色の髪の毛をゆったりした三つ編みにして垂らしている。戦闘時にうっかり切れたりしたら魔力が落ちるから、きっちりまとめるわけだけど、めいてきに手先が不器用な彼の髪を毎朝三つ編みにしてあげるのはこのところの私の日課だった。

 手のかかる弟の世話をしてあげているみたいで、私にとってはこのさつばつとした異世界で、なんとなく心癒されるひと時だったりする。

「お師様はこんなつもりで、貴女あなたを召喚したんじゃない……!」

 出た、決め台詞ぜりふ。当代一の魔力を持っているという彼のお師様が、王家にわれて私を召喚したらしく、彼はとてもとても責任を感じているのだ。

「僕が、絶対に守りますから!」

「うんうん、たよりにしてるよ。でもとりあえずなみだこうね」

 まだまだ出てくるらしい涙をうででぐっと拭き取って、いつもみたいにちかってくれるけど、正直あまり期待していない。物理的にはアルバやグレオスさんのほうが強いしね。でもまあ、一緒に怒ってくれる人がいるだけで、結構心は救われるもんだ。

 リーン君、きみには癒し要員としてのかつやくを心から期待している。

 若草色の頭をポフポフでたいところだけど、そこはまんしておいた。はんこう期は過ぎているにしても、プライドがげきされるといけないからね。

「アホか。お前が慰めてもらってどうする」

 ごもっともなセリフと共に、アルバのこぶしがゴスッと音を立ててリーンの頭にめり込んだ。

 うわあ、痛そう。

「お前も甘やかすな。こいつはもうほぼ成人だからな」

 いやあ、つい。

「まあいいのよ、リーン。今の時点でどう思われてるのかわかってむしろ良かったわ」

「え……」

「こっちもそのつもりで付き合えばいいだけ。これだけ大きな仕事だもの、気が合わない人もいればいややつだっているもんよ」

「は……え?」

 ぽかんとしているリーンの横で、アルバはばくしようしている。

「見てて。にっこり笑って、あいつらともうまくやって見せるわよ。そんで、とっととじようして、スパッと日本に帰ってやるんだから!」


  ※


 あの時、そうたん切ったのになあ。

 日本にもはや帰れないとわかって、いかりのあまり王城から転移魔法でげてきたけど、一体これからどうすればいいのか。

 だって、日本に帰れるって思ってたんだもん、これからのことなんか何ひとつ考えちゃいなかった。ぶっちゃけ勢いだけで転移しちゃったから、何処どこに飛んだのかすらわからない。

 フラフラと歩いていけば、なんか見覚えのある町並み、潮の香り、市場のけんそうが私の五感を刺激する。ここってきっと、旅のちゆうで立ち寄った町だよね。そもそも私の転移って行ったことがある場所限定だし。

 ドレスなんか着ちゃってるから、色んな人が振り返って私を見る。「もしかして聖女様?」「まさか」なんて、ざわざわしてくる周囲に、顔をおおかくしてしまいたいしようどうられた。

 ……ああもう、泣きたい。

 今、聖女だのなんだの拝まれても、がおでいられる自信とかないからね?

「あっらぁ、キッカじゃない!? どうしたの、こんな所で!」

 なんのまえれもなく、いきなりドカーン! とかたかれて、私は勢い良くすっ転んだ。

「やだー! か弱いフリしちゃって、そんなタマじゃないでしょうよ! 大体なんなのその取って付けたようなドレスは! 仮装大会?」

 アッハッハ、と盛大に笑いながら私をえいやっと持ち上げて、乱暴にドレスをたたくもんだから、今度は土ぼこりでむせるむせる。人を張りたおしといてこの言い草。このガサツさ。

「ヴィオレッタ……! 言いたいことはそれだけか……!」

「やだー、フルネームで呼ばないでって言ったじゃん、おとっぽくてずかしいんだってば」

 ほおを赤くして、バンバンと私の肩をようしやなく叩きながら照れるヴィオ。知ってるよ、この仕打ちに対するちょっとしたしゆがえしだよ。

「ま、じようだんはおいといてさ、とりあえずウチに来なよ。シケた顔しちゃってさ、なんかあったんでしょ」

「……ヴィオ……」

 ちくしょう。ガサツなくせに、なんでいつもそんなにやさしいの。

「はいはい、泣くのは家に着いてから! 今のあんた、悪いけど目立ってしょうがない。さっさと行くよ!」

 思わずウルッと来たけど、すごい勢いで手を引かれてなみだも少し引っ込んだ。今はこのガサツであけすけな友人の、かざらない陽気さが胸にみる。何にも考えないで転移したらここに来ちゃったってことは、私、もしかしてヴィオに会いたかったのかな。

 ヴィオが住んでいるのは、王都から歩けば半年ほどもかかる古い古い港町。浄化の旅のちゆうばんに、大きな浄化ポイントへ向かうちゆうけい地点として立ち寄った町だった。

 ヴィオは、その町の一番大きな宿屋の看板むすめ。ガサツだけど、困った人はほうって置けないあねはだの彼女は、太陽みたいなオレンジ色の髪をポニーテールにい上げた、元気で明るいオネーサンだ。私にとって、この世界でできた数少ない友人だったりする。


  ※


 意外にも、宿屋ではなくその裏手に造られた彼女とご両親の御自宅に招かれた。

 ご両親は宿屋の仕事でいそがしいらしくご不在だったけれど、まるでヴィオみたいにあたたかいふんの、木のかおただようカントリー風のおうち。むきだしのでっかいはりもまだ真新しくて、おそらく建ってからまださほどの時がっていないのだろう。

 キッチンからはふんわりと湯気があがっていて、はなうたを歌いながらなにやらおなべの中身をかきまぜているヴィオの後ろ姿に、とてつもなく安心する。

 言ったら怒られることちがいなしだから口がけても言えないけど、なんか、お母さん思い出しちゃうなぁ。元気かな、もし私がこのまま帰れなくなっちゃったら、家族は、友達は、どうりようたちはいったいどう思うんだろう。次々と、なつかしい顔がかんでは消える。

 これまでは旅の中でどれだけ時間が経っても、浄化さえ終わらせてしまえばしようかんされたあの日あのしゆんかんもどれるって思ってたから、こんな不安はなかった。

 二度と、会えなくなるかも知れないなんて。

 もっとちょいちょい、里帰りすれば良かった。弟のカズだって、就職の相談に乗って欲しいって言ってたのに、プロジェクトで忙しくって、次に家に帰った時にねって待たせてた。

 ユウや明日あすとも、もっとたくさんくだらない話をすれば良かった。あんな風になんのねもなく話せる友達なんて、年々少なくなっていってたのに。涙がジワジワといてきたから、目からあふれちゃわないようにヴィオの背中をジッと見つめた。

 ……ああもう、ずるいよ。ヴィオのエプロンの結び目、縦になってる。

 お母さんもそうだった。ぶきっちょだね、って笑ってさ、時々結び直してあげたんだ。

 もうダメだ、涙をこらえるのも限界なんだけど。

 臨界点をついにこえて、ボロッと涙が溢れた瞬間、ヴィオが勢いよくり返った。

「できたよー! って、うわ、もう泣いちゃってるし!」

 トレイを片手に走り寄ってきたヴィオは、乱暴にエプロンのはじっこでグイグイと私の顔をこする。ちょっと痛いくらいなのに、なぜかふっと心が温かくなった。

「あーもう、何があったのさ。ゆっくりでいいからさ、アタシで良けりゃ話してよ」

 とりあえず飲みな、と温かいミルクティーをくれる。ジャスミンみたいな落ち着く香りがする、不思議なミルクティーだった。

 トレイの上には以前私がヴィオの家の宿にお世話になった時に「好きだ」と言った、この港町のお果物くだもの、温かいスープが用意されていて、ヴィオが私を元気づけようとしてくれていることが感じられる。

 そういえば、前にこの町の領主様のおやかたでお世話になった時も、こんな風にヴィオになぐさめてもらったっけ。クルクルきんぱつ巻き毛の暴言にねて、くやしくってろうでひとり涙をこらえてた私を見つけ、こっそり宿屋に連れて来て、を聞いてくれたのがヴィオだった。

「アタシは手伝いに来ただけでさぁ、領主様んトコのメイドじゃないから。嫌なことあるならここで思いっきりいていっちゃいな!」

 なんて言って、あの時もあったかいスープ出してくれたんだよ。れてる私にエールも出してくれて、二人で軽く酒盛りしてさ。

 その心づかいがうれしくて。

 ああ、あの時といつしよ。おなかも心も、ふんわりとあったかくなっていくみたい……。

 少しだけ落ち着いた私は、ミルクティーをちびりちびり飲みながら、とつとつと事の経緯いきさつを話す。私の今ひとつまとまらない話を、ヴィオはさえぎるでもなく聞き返すでもなく、ただうなずきながら聞いてくれていた。


  ※


「なんてこった」

 話を聞き終えたヴィオは、頭をかかえ込んで深い深いため息をらした。額を押さえた手の、指の間から私を見ては何度もたんそくする。フーッと長い息をついたヴィオは、両手をテーブルにドンとつき、深々と頭を下げた。

「ゴメン! 事情も知らずに聖女様、聖女様って……アタシたち、あんたにすべてを押し付けてたんだね。この世界の人間ですらないのにさ」

「ヴィオたちのせいじゃないわよ、元々聖女についてなんて民衆には深くは知らされていないって聞いたことあるし」

「そりゃ言えないだろうね、ふんにかられるやからが出そうだ」

 異世界から召喚された、なんてつうに聞いても信じられないだろうから。王の決断により教会がしかるべき手段で聖女を選出し、選ばれた聖女は特別な力を持つものだと、民衆にはそう語り伝えられてるんだってさ。

 第二王子だかクルクル金髪巻き毛だかが、そんなことを言ってた気がするもの。

 今思えば、卑怯きわまりない王家らしく都合の悪いことは隠したまま、自分たちのけん付けになるように上手うまく情報を流していたのだろう。

「それにしても、本当にその……帰れないのかい?」

「今のところ帰れる見込みはゼロね」

 ヴィオに話して少しスッキリした私は、現実的にそう答えた。

「よっしゃ、わかった! あんたのめんどうはアタシが見る!」

「は? 何言ってんのよ」

「だってこの世界に身よりなんか居ないってこったろ? しかも一緒に行動してたやつらからも、げてきたんだろ?」

「まあね」

「うちは宿屋だ、あんた一人くらい養える。聖女様に相応ふさわしいもてなしとか言われると困っちゃうけどさ、毎日美味うまい飯食わせられるってトコだけは保証できるからね!」

 うでまくりでたのもしく言ってくれちゃうけど、そんなつもりで来たわけじゃない。

「ありがと、ヴィオ。じゃあさ、今日だけタダでめて。私よく考えたら無一文なの」

「任せときな! 気がすむまで居てくれていいんだよ。落ち込んでる時に無理するとロクなことないんだから」

 食いな食いなって、目の前にドンドンお皿を並べてくれるけど、そんなに入んないから。

「世界を救うなんて大仕事したんだ。ゆっくり休んでさ、元気が出たらあんたをこの世界にった奴ら、ぶっ飛ばしてやりゃいいんだ」

 ぷりぷりおこってるヴィオが可笑おかしくって、私はようやく笑いが出た。

「バカねえ、そんなひまないわよ! ついでに落ち込んでる暇もないの!」

「まだ何かやることがあるのかい?」

「あったり前じゃない!」

 そう、ヴィオと話して元気も出たし、ホント落ち込んでる暇なんかなかったよ。

「私、日本に帰る方法探さないと! 召喚できたんだから、絶対、帰る方法だってあるわ!」

 キッパリとそう言い切ったら、ヴィオは一瞬目をまんまるに見開いて、その後景気よく大笑いしてくれた。

「あっはっは! アタシ、あんたのそーいうトコ好きだよ。なんかこう、くじけないよね!」

 そりゃそうよ、よく考えたらだれも日本に帰る方法なんて教えてくれるわけでも考えてくれるわけでもないんだから、自分で探すほかないじゃない。きっとあいつらにとって不都合だから伝わってないだけで、帰る方法はきっとある。

「でもさ、さっき帰れる見込みはゼロだって言ってただろう? 無一文でどうするつもりさ」

 ヴィオが頭をひねる部分は、実際そのとおりだ。

「うん、まずは情報収集だよね。今のとこ手がかりなんかないんだもん。ってわけで、しばらくはギルドに登録してお金をかせぎながら……何か手がかりを探そうと思うんだ」

 この世界には、基本的にいつだってものばつしている。魔が増大し、ふくれ上がり、土地がめば魔物の数は劇的に増大していき、やがては魔をべる王が誕生するのだと、伝承にくわしいクルクル金髪巻き毛が得意げに語ってくれたことがある。

 魔王が誕生しないよう、その前に魔をじようし勢力をぐのが聖女の大きな役目なんだって。

 もしかして、魔王が誕生しちゃったら、勇者が召喚されるんだろうか。そっちの方がよっぽど痛そうで大変そうだから、無事に魔を浄化できてよかったとは思うけれど、それでも一定の魔物は今もしっかりと存在するのだ。それを根絶やしにするのは、なかなかに難しい。

 この大きさの港町だ、確実にギルドが存在するだろう。この二年間の旅の中で、それなりのせんとう力はつちかってある。ギルドでもそこそこの働きはできるに違いない。

「ば、ばか言ってんじゃないよ! あんた自分がどれだけ有名人かわかってんだろ!? ギルドなんかに行ったら、一発で王家に早馬が飛ぶよ!」

「あー、それね」

 あわてるヴィオに向かって、私はへへ、と照れ笑いした。

「さっきは混乱しててすっかり忘れてたんだけど、実は私、にんしきがいの魔法が使えるの」

「へ?」

「私だって認識できなくなる魔法、使えるからだいじよう

 ついでに言うと、転移が使えるのも私だけだ。そして足りない身体能力を補うための「身体強化」、この三つの魔法は、旅の中でかくとくした聖女専用のとくしゆ魔法だったりする。

「はぁ……聖女ってやっぱ、すごいんだねえ」

められた」

じようだん言ってるわけじゃないんだよ、まったく。でも、そんなら大丈夫なのかねえ」

「大丈夫でしょ」

 あえて軽い調子で言う私を横目で見ながら、ホントかねぇ、なんてヴィオは心配そうに顔をしかめている。正直言うと認識阻害の魔法ってこれまであんまり使う必要性なかったから、使い慣れてなくて私もちょっと心配だけど、そんなこと言ってられる場合じゃないもんね。

 できると信じてがんるしかないと思う。

「それにしたって当てもなく情報収集って言ってもねぇ」

「うーん、本当は王城とかに色々資料があるんじゃないかと思うんだけど、さすがにしのび込んでバレるとマズイし」

「その、認識なんたらっていう魔法じゃダメなのかい?」

「うーん、王城って魔術師とか神官とかいっぱいいるからさ、もしかしてってこともあるじゃない。危険はあんまりおかしたくないかな」

 そうだねぇ、と同意したっきりヴィオも考え込んでしまった。そしてしばらく腕組みした後、おもむろにこう切り出す。

「魔術師って言えばさ、あんた、けんじやのことを調べてみちゃどうだい?」

「賢者?」

「違う世界に帰るだなんて、普通にできることじゃない。どうせ魔法の話だろう? 古い言い伝えだけどさ、この町、最後に賢者が立ち寄った町だって言われてるからさ」

「それ、聞いたことあるかも」

 ヴィオが『古い言い伝え』と言う賢者の話は、本当に古い古い話で『おとぎ話』と言ってもいいくらい昔の話だ。

 昔々、この大陸はもっともっとたくさんの魔物やドラゴン、手が付けられないほどきようじゆうあふれかえっていたのだという。ここは『魔王』が統べる『魔国』をようする大陸だったのだと。

 それを、別の大陸からやってきた『勇者』たちが魔王をたおし、長い長い年月をかけて魔族をちくしたんですって。

 れきったこの魔の地をひらき、浄化し、人々が暮らせる地にしたのは、勇者と行動を共にしていた賢者。その後に入植した人々と、荒れ果てた王国にひっそりと生き残っていた人々が協力し合って今の都を作り、はんえいきわめた時、賢者はふらりと姿を消した。何百年にもわたり老いることすらなかった賢者は、人々のあんねいを見て安心し、姿をかくしたにちがいない。

 今でも世界のどこかでわれわれを見守ってくれているだろう……そう、言い伝えはめくくられていたはずだ。

 最初に聞いた時は「うわ、ここ魔王の土地だったわけ? ヘヴィな設定だな」と思ったし、「それなら魔におかされやすいとかいうのもわかるわー」と思っただけだった。

 賢者に関しては在り得ないちよう寿じゆだとは思ったけど、よくある国のおこりを神秘的に見せるためのちようした伝承なんだろうな、と軽く考えていたんだけど。

 でも、今となってはその伝承が真実であると信じたい。だってそれくらいには、ヤバいじようきようなんだもの。もしかして、聖女の私が特別な能力をもらったように、賢者にも長寿をもたらすような能力があったのかも知れない。今は伝わっていない『そうかん』も、いにしえの時代の賢者なら、知っていたりはしないだろうか。

 もちろん今もなお賢者が生きているだなんて思わないけど。でも、彼が残したぶんけんや子孫などの話が、しんちようさぐれば出てくるかも知れない。そんな希望が私の中にひそかにともった。

 最後に賢者が立ち寄ったのがこの港町なら、ヴィオの言う通り、ここでなんらかの手がかりが得られる可能性は高いと思う。あと……そうね。あの古い伝承を信じる前提で行けば、魔王城あとでも何か参考になるものが見つかるかも知れない。

 そういえば、私たちが最後の最後に浄化した場所は、くずれてボロボロになったせきのような場所だった。こけむして、いんで、魔がこもった、気持ちの悪い遺跡。他のところに比べて、浄化しても浄化しても、地中から魔があふれ出すように思えて、浄化しきるのが大変だった。

 あの場所……もしかして、魔王城跡地だったんじゃないのかしら。

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