第一章 帰れないって……嘘でしょう?
「帰れない……? 帰れないって、どういうこと?」
私は、
「嘘でしょう? だって
※
入社三年目にして初めて任されたプロジェクトが
だから私、死ぬ気で
聖女として
なのに。
今さら、戻せないなんてそんなバカな話がある
二年にも
王城に呼ばれ、
あまりのショックに足の力が
「嘘ではない、そもそも異世界から聖女を召喚する術は伝承されていても、
「ならどうして……だって、戻してくれるって。あれは嘘、だったの?」
信じたくなくて、バカみたいに
王も、神官長も、
私が召喚されたあの日、「時間がない、護身のすべは道中でこの者たちに習え」なんて、死ねと言っているようなセリフとともに、数人の若者を護衛につけて浄化の旅なんてものに送り出したこの国の責任者たち。その上この
「そりゃそうでも言わないと、命がけで聖女なんて
共に旅に出た、クルクル
「それにしてもキッカって本気で元の世界に戻る気だったんだねえ。まあでも今までの聖女たちは旅が終わったら皆
人ごとみたいに、さもどうでもいいみたいに。いや、確かにこいつにとってはどうでもいい話なんだろう。
「ロンド! その言い方はないだろう。……キッカ、その、なんと言っていいのか……すまない、謝って済むことではないとわかってはいるが」
第二王子のルッカス様が
宰相の
「まあいいじゃない。考えてもみなよ、ここにはこの国で最高の男たちが
クルクル金髪巻き毛が指し示すのは、浄化の旅を共にした仲間たち。
騎士団一の実力者だという
「君は世界を救った聖女だからね、誰も
王の御前で顔を上げることをまだ許されていない三人の表情を
「さすがにルッカス様と結婚するには君は品が無さすぎるからね。なんなら僕が結婚してやったっていいけど」
「ロンド! なんという……もういい、お前は下がっていろ」
ルッカス様が
プチン! と私の中の何かが切れる音がした。
「ふざけんな……」
「え? なんか言った?」
きょとんとした顔でクルクル金髪巻き毛が問う。その顔が、さらに私の神経を
「ふざけんなって言ったのよ! あんたたちの中の誰かと結婚するくらいなら、ドラゴンの口に身投げした方が万倍いいわ!」
いつだったか「僕らと一緒にいるくせにみすぼらしい格好、やめてよね」なんていうイヤミと共につけさせられた
「痛たっ! 何するんだ!」
声を
「これは」
「返すわ。これも、これも。もう
ルッカス様に
王の御前だとか、そんなのもう関係ない。私は完全にキレていた。
「待て、キッカ! 話を聞いてくれ!」
「キッカさん、
「おい、俺も……!」
一緒に旅した男たちが口々に何か言うけど。うるさい、もう誰の声も聞きたくない。
さすがにドレスと
「さよなら。もう用はないでしょう?」
その一言だけを残し、私は転移魔法でその場を瞬時に立ち去った。
※
そう、あれはまだ浄化の旅にでて
時々急にこんな風に寂しくなることがある。
会社に入って三年目、大学から合わせて六年も一人暮らししてきて、ホームシックになったことなんか無い。なのにこんなに寂しくなるのは、やっぱり異世界なんて不確かな……理解不能なところに来てしまったせいだろうか。
帰ろうと思えばいつでも帰れる、そんな安心感がすべてはぎとられてしまったからなのかも知れない。自分でも不思議に思いながら、
王家が用意してくれたにしては小ぶりな馬車は、全員が眠れるほど広くない。ルッカス様の判断で、夜は私が
あの時彼らの会話を聞いてしまわなければ、これほど日本に帰りたいという思いも高まってはいなかったのかも知れない。
もちろん野営地は馬車からそう
その時聞こえたあのクルクル金髪巻き毛の第一声、多分一生忘れないと思う。
「あーあ、今回の聖女はハズレだな」
心臓がとまるかと思った。
動けなくて、私は少し離れた
「そうですか? 能力のバランスはいいのでは?」
「だが
騎士グレオスさんの評価を、この国の第二王子ルッカス様が両断した。クルクル金髪巻き毛が、ルッカス様の言葉にかぶせるように、私を『ハズレ』と評した理由を告げる。
「聖女の伝承はあきるくらい読んだけどさあ、歴代の聖女は何らかの
「まだ旅は始まったばかりです。彼女はよく努力している、断じるのは早計でしょう」
「ま、そうだけどね」
不満そうな声。それは、グレオスさんの言に
「そうだねえ。あれでもう少し美人なら、まだ妻にしたって
クルクル金髪巻き毛が急にくだけた様子でそう言って、笑い声をあげる。
彼はルッカス様の
第一急になんなのよ、聖女に顔が要るのかよ! と
「確かに顔もプロポーションも、非常に
「平坦って」
ルッカス様がおどけたように言って、クルクル金髪巻き毛が笑い転げる。
てめえこの
なるほど、あれは社交辞令だったのか……。さすが第二王子、相手に本心を
「マナーも教養もなくては話にならん」
「だよねー」
「違う世界から来ているのです、そこは仕方ないでしょう」
「じゃあグレオスが貰ってやりなよ、どうせ僕らの
ちょっとジーンとしていたのに、いきなり発せられたクルクル
そう思ったのはグレオスさんも同じだったようで、目を見開いた後、きゅっと
「何を
「聖女は誰だって最初はそう言うらしいよ? 伝承に残ってる。でもさ、結局は旅に同行した誰かと結婚してこの地で一生を終えたって記述になるじゃん」
「それは、そうですが」
「聖女だから
クルクル金髪巻き毛が発した、その心底嫌そうな言葉に、私の心は完全に冷えた。
そうか、皆が優しいのは本意じゃなかったんだ……。聖女だから、親切にしただけ。
思えばこれが転機だった。
この
私は心中で不満を吐き出しながら、そっとその場を後にした。
しかしまあ。勝手に召喚して、無理やりわけもわからないまま『
焚火の
ちくしょう、泣いたりなんか、しないんだから。
今日はちょっと、人恋しくて元々心が弱ってたから泣きたくなっただけだ、多分。
そうそう、だって私だけが
王族が、聖女と共にこの国の危機を救った。その実績を作るために集められた実働部隊。
思えばルッカス様やクルクル金髪巻き毛が戦いに参加するのなんてよっぽどヤバい時だけだ。魔物が出たって
いや待てよ? その時剣を振るったのってルッカス様じゃなかったっけ? クルクル金髪巻き毛なんか何が武器かも知らなくない!? うわあー……ヒクわぁ……。
なんて、考えてた時だった。
「泣かねえのか」
いきなり、声をかけられた。振り返ると二人の人影。
何よ、おっきいのとちっこいのと二人
「なんで私が泣かなきゃならないのよ。涙がもったいないじゃない」
ツンとすましてそう言ったら、なぜかおっきいのが
おっきいの……冒険者のアルバは背が高くってひょろりとして見えるけど、戦うための筋肉はしっかりついている、いわゆる細マッチョというやつだ。グレオスさんはバッキバキのマッチョだから、それと比べると
彼の黒の短髪に切れ長の黒い目は少し日本を思い出させるけれど、浅黒い
「それくらい元気がありゃ、まあ
「聞いてたの?」
「悪いな、ちょうど張り番の交代時間で、聞こえちまった」
ニヤリと笑ったまま、アルバが何かを投げて
手の中に納まったのは、
「ま、気にすんな。あいつら貴族は苦労知らずだからな、自分のことは
好物だと言っていたサンシュの実をくれたってことは、
まあ、確かにひどい言われようだったもんね。ていうか。
「ロンド様はともかく、ルッカス様からの言われようはちょっとヒいたわ」
「いやぁ、アイツの方が腹黒で怖いけどな。国と王室が一番大事なヤツだから、それ以外はどうでもいいんじゃないか? 話し方も内容も、結構必要に応じてコロコロ変えてるぜ」
「なにそれ、怖い」
アルバから衝撃の事実を聞かされて、さらなるショックを受けている間にも、アルバの横ではちっこいの……魔術師リーンがおっきな目に涙を
小動物か。やだなあ、
「リーンが泣くことないじゃない」
「泣いてません」
いやいや、でっかい目から涙が
あれだね、
「いやいや客観的に見て泣きそうだからね。ハンカチ
「要りません! 僕は
あちゃー、涙こぼれちゃったよ。
どうやらお師様に大切に大切に育ててもらったらしいリーンは、もうちょっとで十八歳という男子にしてはとっても
「なんなんですか、あの態度! こっちが勝手に召喚したんですよ!? しかも十分な準備期間もなくこんな
「だよねー、あいつらサイテーだよねー。さすがの私もキレたわー」
おざなりに相槌を打ちながらせっせと零れ落ちる涙を
魔術師の割にサッカー少年みたいなやんちゃな
手のかかる弟の世話をしてあげているみたいで、私にとってはこの
「お師様はこんなつもりで、
出た、決め
「僕が、絶対に守りますから!」
「うんうん、
まだまだ出てくるらしい涙を
リーン君、きみには癒し要員としての
若草色の頭をポフポフ
「アホか。お前が慰めてもらってどうする」
ごもっともなセリフと共に、アルバの
うわあ、痛そう。
「お前も甘やかすな。こいつはもうほぼ成人だからな」
いやあ、つい。
「まあいいのよ、リーン。今の時点でどう思われてるのかわかってむしろ良かったわ」
「え……」
「こっちもそのつもりで付き合えばいいだけ。これだけ大きな仕事だもの、気が合わない人もいれば
「は……え?」
ぽかんとしているリーンの横で、アルバは
「見てて。にっこり笑って、あいつらともうまくやって見せるわよ。そんで、とっとと
※
あの時、そう
日本にもはや帰れないとわかって、
だって、日本に帰れるって思ってたんだもん、これからのことなんか何ひとつ考えちゃいなかった。ぶっちゃけ勢いだけで転移しちゃったから、
フラフラと歩いていけば、なんか見覚えのある町並み、潮の香り、市場の
ドレスなんか着ちゃってるから、色んな人が振り返って私を見る。「もしかして聖女様?」「まさか」なんて、ざわざわしてくる周囲に、顔を
……ああもう、泣きたい。
今、聖女だのなんだの拝まれても、
「あっらぁ、キッカじゃない!? どうしたの、こんな所で!」
なんの
「やだー! か弱いフリしちゃって、そんなタマじゃないでしょうよ! 大体なんなのその取って付けたようなドレスは! 仮装大会?」
アッハッハ、と盛大に笑いながら私をえいやっと持ち上げて、乱暴にドレスを
「ヴィオレッタ……! 言いたいことはそれだけか……!」
「やだー、フルネームで呼ばないでって言ったじゃん、
「ま、
「……ヴィオ……」
ちくしょう。ガサツなくせに、なんでいつもそんなに
「はいはい、泣くのは家に着いてから! 今のあんた、悪いけど目立ってしょうがない。さっさと行くよ!」
思わずウルッと来たけど、
ヴィオが住んでいるのは、王都から歩けば半年ほどもかかる古い古い港町。浄化の旅の
ヴィオは、その町の一番大きな宿屋の看板
※
意外にも、宿屋ではなくその裏手に造られた彼女とご両親の御自宅に招かれた。
ご両親は宿屋の仕事で
キッチンからはふんわりと湯気があがっていて、
言ったら怒られること
これまでは旅の中でどれだけ時間が経っても、浄化さえ終わらせてしまえば
二度と、会えなくなるかも知れないなんて。
もっとちょいちょい、里帰りすれば良かった。弟のカズだって、就職の相談に乗って欲しいって言ってたのに、プロジェクトで忙しくって、次に家に帰った時にねって待たせてた。
ユウや
……ああもう、ずるいよ。ヴィオのエプロンの結び目、縦になってる。
お母さんもそうだった。ぶきっちょだね、って笑ってさ、時々結び直してあげたんだ。
もうダメだ、涙を
臨界点をついにこえて、ボロッと涙が溢れた瞬間、ヴィオが勢いよく
「できたよー! って、うわ、もう泣いちゃってるし!」
トレイを片手に走り寄ってきたヴィオは、乱暴にエプロンの
「あーもう、何があったのさ。ゆっくりでいいからさ、アタシで良けりゃ話してよ」
とりあえず飲みな、と温かいミルクティーをくれる。ジャスミンみたいな落ち着く香りがする、不思議なミルクティーだった。
トレイの上には以前私がヴィオの家の宿にお世話になった時に「好きだ」と言った、この港町のお
そういえば、前にこの町の領主様のお
「アタシは手伝いに来ただけでさぁ、領主様んトコのメイドじゃないから。嫌なことあるならここで思いっきり
なんて言って、あの時もあったかいスープ出してくれたんだよ。
その心づかいが
ああ、あの時と
少しだけ落ち着いた私は、ミルクティーをちびりちびり飲みながら、
※
「なんてこった」
話を聞き終えたヴィオは、頭を
「ゴメン! 事情も知らずに聖女様、聖女様って……アタシたち、あんたにすべてを押し付けてたんだね。この世界の人間ですらないのにさ」
「ヴィオたちのせいじゃないわよ、元々聖女についてなんて民衆には深くは知らされていないって聞いたことあるし」
「そりゃ言えないだろうね、
異世界から召喚された、なんて
第二王子だかクルクル金髪巻き毛だかが、そんなことを言ってた気がするもの。
今思えば、卑怯きわまりない王家らしく都合の悪いことは隠したまま、自分たちの
「それにしても、本当にその……帰れないのかい?」
「今のところ帰れる見込みはゼロね」
ヴィオに話して少しスッキリした私は、現実的にそう答えた。
「よっしゃ、わかった! あんたの
「は? 何言ってんのよ」
「だってこの世界に身よりなんか居ないってこったろ? しかも一緒に行動してた
「まあね」
「うちは宿屋だ、あんた一人くらい養える。聖女様に
「ありがと、ヴィオ。じゃあさ、今日だけタダで
「任せときな! 気がすむまで居てくれていいんだよ。落ち込んでる時に無理するとロクなことないんだから」
食いな食いなって、目の前にドンドンお皿を並べてくれるけど、そんなに入んないから。
「世界を救うなんて大仕事したんだ。ゆっくり休んでさ、元気が出たらあんたをこの世界に
ぷりぷり
「バカねえ、そんな
「まだ何かやることがあるのかい?」
「あったり前じゃない!」
そう、ヴィオと話して元気も出たし、ホント落ち込んでる暇なんかなかったよ。
「私、日本に帰る方法探さないと! 召喚できたんだから、絶対、帰る方法だってあるわ!」
キッパリとそう言い切ったら、ヴィオは一瞬目をまんまるに見開いて、その後景気よく大笑いしてくれた。
「あっはっは! アタシ、あんたのそーいうトコ好きだよ。なんかこう、
そりゃそうよ、よく考えたら
「でもさ、さっき帰れる見込みはゼロだって言ってただろう? 無一文でどうするつもりさ」
ヴィオが頭を
「うん、まずは情報収集だよね。今のとこ手がかりなんかないんだもん。ってわけで、しばらくはギルドに登録してお金を
この世界には、基本的にいつだって
魔王が誕生しないよう、その前に魔を
もしかして、魔王が誕生しちゃったら、勇者が召喚されるんだろうか。そっちの方がよっぽど痛そうで大変そうだから、無事に魔を浄化できてよかったとは思うけれど、それでも一定の魔物は今もしっかりと存在するのだ。それを根絶やしにするのは、なかなかに難しい。
この大きさの港町だ、確実にギルドが存在するだろう。この二年間の旅の中で、それなりの
「ば、ばか言ってんじゃないよ! あんた自分がどれだけ有名人かわかってんだろ!? ギルドなんかに行ったら、一発で王家に早馬が飛ぶよ!」
「あー、それね」
「さっきは混乱しててすっかり忘れてたんだけど、実は私、
「へ?」
「私だって認識できなくなる魔法、使えるから
ついでに言うと、転移が使えるのも私だけだ。そして足りない身体能力を補うための「身体強化」、この三つの魔法は、旅の中で
「はぁ……聖女ってやっぱ、すごいんだねえ」
「
「
「大丈夫でしょ」
あえて軽い調子で言う私を横目で見ながら、ホントかねぇ、なんてヴィオは心配そうに顔を
できると信じて
「それにしたって当てもなく情報収集って言ってもねぇ」
「うーん、本当は王城とかに色々資料があるんじゃないかと思うんだけど、さすがに
「その、認識なんたらっていう魔法じゃダメなのかい?」
「うーん、王城って魔術師とか神官とかいっぱいいるからさ、もしかしてってこともあるじゃない。危険はあんまり
そうだねぇ、と同意したっきりヴィオも考え込んでしまった。そしてしばらく腕組みした後、おもむろにこう切り出す。
「魔術師って言えばさ、あんた、
「賢者?」
「違う世界に帰るだなんて、普通にできることじゃない。どうせ魔法の話だろう? 古い言い伝えだけどさ、この町、最後に賢者が立ち寄った町だって言われてるからさ」
「それ、聞いたことあるかも」
ヴィオが『古い言い伝え』と言う賢者の話は、本当に古い古い話で『おとぎ話』と言ってもいいくらい昔の話だ。
昔々、この大陸はもっともっとたくさんの魔物やドラゴン、手が付けられない
それを、別の大陸からやってきた『勇者』たちが魔王を
今でも世界のどこかで
最初に聞いた時は「うわ、ここ魔王の土地だったわけ? ヘヴィな設定だな」と思ったし、「それなら魔に
賢者に関しては在り得ない
でも、今となってはその伝承が真実であると信じたい。だってそれくらいには、ヤバい
もちろん今もなお賢者が生きているだなんて思わないけど。でも、彼が残した
最後に賢者が立ち寄ったのがこの港町なら、ヴィオの言う通り、ここでなんらかの手がかりが得られる可能性は高いと思う。あと……そうね。あの古い伝承を信じる前提で行けば、魔王城
そういえば、私たちが最後の最後に浄化した場所は、
あの場所……もしかして、魔王城跡地だったんじゃないのかしら。
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