彼と彼女の話(坂本一族シリーズ)

紬木楓奏

彼と彼女の話

 私のすべての敗因は、優秀すぎる兄の京介にあると考えている。医療界で絶大な力を誇る坂本一族の跡取りとして、彼が先に誕生してしまった以上、妹の私は要らない子。男尊女卑の風が吹く坂本一族は、聡明で健やかに正しく京介が育つにつれ、私を視界に入れなくなった。そこそこ腕の立つ医者になったものの、やっぱり私は、帝王学を学ぶ優秀な京介の後ろで、居場所を探している妹でしかない。このままでは、きっと本家から追い出される、そう思って、何事においても京介以外に負けることを避けるルールを自分に課した。学業も、スポーツも、なんでも優秀であることで、自分の居場所を確保していた。

京介が嫌いなわけではない。寧ろ修羅の家で私を優しく扱うのは家族だけで、京介は抜きんでて私に優しく、甘かった。妹の想いというものは、兄には筒抜けなのだろうか。残念ながら親族でまともに話せる人間は一人っ子で、その正解は人生をかけて模索するものになってしまった。

 そんな背景と生き方を背負って、坂本都子は形成され、京介と同じ医師の扉を叩いたのだ。



「出張?」

「はい。院長はもちろん教授も手が空かないらしくて、坂本先生に行っていただきたいとのことで」

「相変わらず呑気ね、あのカバ教授……いいわ。新緑の北海道は嫌いじゃない」

 五月はなにかと学会が多く、教授陣は忙しい。准教授の私に話が回ってきたのも頷ける。が、納得はいかない。代替品扱いは、私のイディオムが赦さない。でも、仕事ならばしょうがない。

 飛行機とホテル、車を手配させ、いざ、北の大地へ。旅行の趣味はないけれど、元院長である父に連れられて行った、緑豊かな大地は居心地が良い。

「都子先生、お出かけするんでしょー」

「こら!」

「お土産!お土産!」

「初氷!お姉ちゃんと一緒に遊んでてって言ったでしょ!すみません都子さん……」

 まだ医師になりたての親族の坂本夏央李は、学生結婚をしていて、病弱な末娘は私の受け持ちである。弱いくせに活発で、すぐ発作を起こすのにいつも笑うこの娘は、見ていて苛々する。

「夏央李」

「はい……」

「語尾を伸ばさないでくれる?あと、子供をこっちに侵入させるなって、前も言ったはずよ。たとえ親族でも、医療提供者と受給者のわきまえを正しくしなさい」

「はい」

 若い女医をいたぶりたいわけではない。幼い子供に怒りを持っているわけではない。ただ、坂本夏央李の家を見ると、いらない子だと言われて育った自分がとてもみじめに思える。

 死んだ父親は優しかったが当主兼院長であったから忙しい。母親は厳しく、京介の教育に力を注いでいたから、私をかまっていたのは使用人だった。


 悔しいが、認める。

 私は、夏央李一家が疎ましく、同時に羨ましいのだ。




 学会が終わり、黒塗りに乗って一族が経営する高級ホテルへ向かう。運河の近くを通ると、学生服の集団がうじゃうじゃいた。子供は嫌いではないが、生意気で低レベルな会話をする集団は子供でなくとも嫌いだ。なんで自分の意見を押し隠してまで屯するのか分からない。遠足も修学旅行も、私は独りで行動した。一族の子供は元々浮いてしまう者が多いし、それが苦とは思わなかった。

「都子さま」

「何」

「先ほどから携帯が鳴っておりますが、どうしましょう。私が代わりにでましょうか」

「どっちの携帯?」

「仕事用です」

「ったく……いいわ、私が出る。貸しなさい」

「はい」

 使用人から受け取ったそれのディスプレイに映るのは、知らない番号。出るかどうか悩んでいるうちにバイブレーションが切れるが、次はメールが送られてきた。恐る恐る、メールを開く。この携帯のアドレスを知る人間は、仕事関係者しかいない――

「……今日のレストラン、キャンセルしてもらっていいかしら」

「はい。何故……」

「使用人が、雇い主のプライベートを探るのは禁忌よ」

「……失礼いたしました」


“みやちゃん、今日、君のホテルで待ってる”


 相手はいつだかの学会で知り合った、軽薄な医者だった。お互い、憂鬱な時をごまかすだけの間柄だ。



◇◆◇



「学会でさ、みやちゃん、また可哀想な顔していたからさ」

「その呼び方やめてくれる。それに、可哀想って何よ」

 ベッドまわりに脱ぎ捨てた衣服を拾いながら着ていく。部屋についてすぐ、そういうことをした。彼は未だベッドの住人で、ぷかぷかと電子タバコを吸っている。

「“坂本”なんてとこに産まれると大変なんだな。改めて知ったよ」

「……院長やら教授陣に比べればまだマシよ」

「だろうね」

 漆原省吾。音大卒の医師、そして狼。初めての出会い、食事に誘われ、身体の関係まで持ってしまった。見た目も良いし、普段は温和な医師で人気がるらしいけれど、私のまわりで、ここまで好色な男は見たことがない。京介は真面目を絵にかいたような男で、父親は頑固一徹な人だった。

「今、助教?」

「准教授」

「おお、昇格」

 そんな近況を語る前に好意に及んでしまった自分が、若干恥ずかしいし情けない。母親に知られたらどうなるんだろう。

大人しく従っていた娘が、反旗を翻したら?それはそれで、見たい気がする。

だから――

「ねえ、漆原」

「なんだい。もう一回?」

「下品」

「じゃあ、何?」


「今日、危険日なの」


「……マジ?」

「私は嘘を吐かない」

 漆原省吾の顔色がいっきに青ざめていく。

 出会ったころからそうだった。体だけの関係でつながっていただけ――だから何でも言えるのだけど、これを言ったら、このふしだらな関係も終わるだろう。

「……産むのか?できたら」

「……逃げるの?産んだら」

 沈黙が続いた。漆原はどう対処すべきか考えているようで、その姿は、今まで私に見せていた余裕なんて、まるで見えない。


「図ったね、みやちゃん」


 横目で見つめられても、もう心は何も変わらない。


「もし、みやちゃんの中に命がいて、育むのだったら、俺たちは終わるんだろうな」

「逃げるのね」

「違う。終わりなだけだ」

「ほらっ」


 ベッド横に散らばった、規崎春陽の服を投げつける。本能だ、もう理性は効かない。働かない。


「待ってよ、まだできたって分かったわけじゃ……」

「どちらにしろ、あんたの本性も見えたし、もう、さようならよ。腫物みたいに扱われるのは、実家だけで充分だわ!」


 特に必要性のない命だ、私なんて。でも本家当主の娘だから、大事にはされてきた。


『粗相のないように、怒らせないようにしなきゃ。あの娘も一応、ご当主の子だから』


 使用人たちの暗黙のルールくらい、知っている。

 “一応”という言葉が、本来のそれ以上の重みをもっていることもわかっている。


「……都子が、そこまで言うのなら」


 漆原省吾との関係に、愛があるとは思えない。でも――


 誰かに、大切にされたかったなあ。

 もっと愛してほしかったなあ。

 


◇◆◇



「認めませんよ、京介が大事な時期だということくらい、わかっているでしょう」

「ええ、わかってます。でも宿った命を無下にできません。私は、お母さんの娘というだけでなく、医者だから」

「都子、あなたも病院には必要な子よ。勘当なんてできるはずがない。お腹の子は孤児院送りです。それでもいいのなら、産みなさい」

「冷たい女性ですね……お母さん」

「未婚の母子なんて、他の大人たちは、もっと冷酷な考えをもってあなたを傷つける。その傷は、生まれた子にも刻まれる。医者になるなら時期を見て坂本に戻します。出産時には最高の処置をするし、生活も保障する」

「……」

「そんな泣きそうな顔をしないで。私も、あなたの気持ちはわかります。女だから」




 病院には任期付きの出張といって、出産に臨んだ。できれば坂本一族の力の薄いほうへ行かなくてはならない。そうやって決めた土地は北の大地だった。

 ひっそりと、子供を産んだ。生まれたのは男の子だった。

 名前は、字画はもちろん、京介の名前から一字貰うことにして、実家からの仕送りですべて整え、彼が三歳になるまで北海道で過ごした。



「お母さん、行っちゃうの?」

「ええ。でも、あんたが医者になれば、また会えるわ」

「お医者さん……」

「では都子さん、しっかりとお預かりします」

「頼むわ」


「僕、お医者さんになるから!」


 愛しい。


「“どれだけ頭が良くてもな、愛する家族を救える力がなけりゃ、患者を救う資格はねぇんだ”」


 この手で育てられたら、どんなにいいだろう――


「え、なに?」

「あんたの爺さんの言葉よ。東京で待ってるわ……麗介」

「うん!」


 まっすぐ、健やかに育ってほしい。医者になんてならなくとも。

 ただ、あんな男のようにならないで。


 それだけを祈って、私は今日、病院に復帰する。



「坂本先生。初氷ちゃんが、日向学園小学校に合格したそうですよ。高校では医療福祉科に行って医者になるって張り切っていました」

「考えが早いわね。倒れなきゃいいけど」

「先生……なにかあったんですか。なんか、変わった気がします」

「うるさいわね」



 麗介、元気でやってますか。

 至らぬ母だけれど、いつか再開できることを祈ってる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼と彼女の話(坂本一族シリーズ) 紬木楓奏 @kotoha_KNBF

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る