姫子の憂鬱(坂本一族シリーズ)

紬木楓奏

姫子の憂鬱

 この世に生きる喜びがあるのだとしたら、それは貴方との出会いが始まりだったと、心の底から言える。


「叶わないほど燃えるのが、若い恋だって言われちゃった」

「でも、もうお互い大人じゃない。出会いは子供でも今は大人同士。育ててきた若い恋も実っていいと思う」

「それはね、実った人が言えることだよ。千笑(ちえ)ちゃん……」

「そんなことないよ」

「そんなことあるよ」

 相手は音大卒の高校非常勤講師、私はようやっと大学に入ったばかりの、彼からしたらまだ“子供(ガキ)”だ。

「姫……」

「なんでだろうね……」

 恋は尊いもので、楽しいばかりじゃないけれど、それでも充実した生活に欠かせないものだと思っている。想い想われ、結ばれるも朽ちるも、とにかく人間を成長させるものだと理解している。

 では、彼と私の関係はなんなのだろう。

 中学・高校と在籍していた吹奏楽部の顧問だった彼――先生は、憧れの的だった。強くて、どこか儚げで、大人の雰囲気を纏う先生に、他の部員に倣って、私も恋に落ちた。結果、実りはしたけれど、今でもこちらから申請しないと会うことがない。

「将来を考えているの?」

「それなりに」

「伝えた?」

「できるわけがないよ」

「それが言えたら、きっと姫の想いに決着はつくね。姫は一人っ子だから分からないかもしれないけど、男の人って勝手だから。我が兄もそうだし」

 千笑ちゃんは、困った、という感じで笑ってみせた。そろそろ時間なのだ。今日は親族の千笑ちゃんがボーカルを務めるバンド“D.I.Y”が、初めて音楽番組で特集を組まれる大事な日。

「御免ね、千笑ちゃん。収録頑張ってね」

「うん。姫も、思いつめないでね」

 無理だよ。


「うん……」

 とたとたと階段を降りると、会社から帰ってきたばかりの千笑ちゃんのお兄さんに出くわした。


「姫。男は言わないと分からないものだ。不器用で臆病な生き物だよ。突入するなら、車出すけど」


 この兄妹には、救われてばかりだ。




 お姫様みたいな女の子に、両親はそんな思いを込めて私に“姫子”と名付けた。育ってゆくにつれて稼業から離れ、今は関東屈指の名門校・日向学園大学政治経済学部経済科に所属している。

関東医療界のドン・坂本一族の分家の子供で、一人っ子の私は、幼い頃からいろいろなパーティーに連れていかれた。母曰く、「知らない世界は知るべきだ」と。要するに、医者にならないんだからせめて進路のトップたれ、ということだ。

 私自身、中学進学から理系には向かないと感じていて、部活は科学部や医学同好会ではなく、吹奏楽部を選択した。音大やプロを目指す生徒たちの吹奏楽部Aではなく、楽しく吹こうがモットーの吹奏楽部Bだ。


『なんだ、早坂姫子ってお前か。イメージと随分違うな』


 たくさんの親族が通う学校だ。誰からどんな評判を聞いていたのかは知らないけれど、少なからず思った。

 この人は、嫌いだ。


 それが、恋に変わるきっかけなんて覚えてないけど、兎に角、中三の時に恋仲になるまで関係は深まった。


「泣くほど好きか、その顧問」

「好きだよ。これ以上の恋なんてないと思ってる」

 千笑ちゃんのお兄さん・万颯(かずさ)くん。寡黙な彼は静かに私の話を聞きつつ、先生の住んでいる家に向かって車を走らせる。先生の居場所はどこに移ったって分かる。そういう契約だ。

 先生――漆原昌吾先生は、一族の当主・飛鳥さんの伯父なのだ。

「じゃあ、それを伝えればいい。自分の立ち位置、将来……せっかく入った大学も、その分じゃ退学になるぞ」

「そうだね……」

「待ってるから。俺も、千笑も、どんな結果になったって、若い衆集めて今日は呑みだ」

「単に呑みたいだけじゃない?」

 辛くとも笑えた。そして、先生の住処についていた。万颯君は紳士だ。


「行ってきます」


 勝負の時だ。



◇◆◇



「夜這いかよ。来るときは連絡しろって言っただろ」

「いいじゃない。別に」

「今日はいつになく表情が固いな。どうした」

「聞きに来たの」

「浮気ならしてねえぞ」

 紡ぐ言葉は粗悪だけれど、温かいココアを出してくれた。甘すぎないそれは、私の好みだ。元々クラリネット専攻だった先生の指は、今でも細く、それでいてたくましい。

「先生、私の事なんだと思ってる?」

「女。俺の」

「……その先は?」

「それでその泣き顔か。何回も言っているが、俺と一緒になったって、いい思いはしない」

「いいか悪いかは、私が決めることよ。決めてきたの。今日、けじめをつけようって」

 ココアをちびちび飲む私を、先生が見つめる。

 それだけでクラクラする。


 冷たいまなざしも、私にとっては熱視線だ。


「お前のことは……愛してる」

「……じゃあ、結婚してよ。愛して、私を」

「愛してるじゃねえか。なんで、結婚がついてくる」

「女の独占欲よ」

「お嬢様のお前と、庶民の俺が一緒になれると思うか。俺とお前の一族の関係が冷め切っていることを知らないわけじゃないだろう」

「そういうことじゃない!!」


 激高。私に、こんな声が出せるなんて。音楽づけの日々を過ごし、楽器の表現力には自信があったけれど、普段は理知的で通っていたのに。


「私、先生の彼女のままでいたくない。大切な人でいたい。死んでも忘れられないような女になりたいの!!」

「飛躍しすぎだろ。大体、墓に入るのはお前より俺のが先だ」

「そうじゃない!!」

「分かってるよ、だけど結婚はできない。考えなかったのか?俺の想いとか、今後とか」

「っ……」

「だからガキはいやなんだ。想像通りにいかない」

「それが恋愛じゃないの」

「そうなのかもしれないけどな、結婚はできねえんだよ。いくら愛していても、そういう話は、妹がお前の一族の本家に嫁いだ時から、決まってる」



◇◆◇



「“結婚は許す。だが、二度と連絡をするな、顔も見せるな”。それが、本家の判断だ」

「酷い……」

「千笑が泣くことないだろう。誰を呼んだ?」

「俊介君と、泪美ちゃんとか小鞠とか……空いている若手全員」

「お前、俺の財布の事情考えたのかよ」

「うん。お兄ちゃん、今日給料日だから」

「ちゃっかりしてる」

 漆原昌吾の妹は、家族を捨てて愛する男を選んだ。修羅の家での生活をして、ストレス性の病で亡くなった。漆原省吾はそれを恨んでいる。俺だって、千笑がそういう目に合ったら何をしでかすか分からない。

 名家の嫁しか選ばない坂本一族に入ってきた久々の一般人。老人たちは、それを許すまじとして、彼女を虐め続けた。それでも笑って、自分の子供たちにいっぱいの愛情を注ぐ彼女は、体の弱ささえなければ老人たちの口を開け続けることができただろう。

 でも、たらればは言ってもしょうがない。たらればのすべては、後悔から来る。

「姫!」

「千笑ちゃん……」

「どうした?大丈夫?」

「……やっぱり、私じゃダメなんだね。まだ結婚とか考えられないって」

「……きっと通じるから、諦めないでね。フラれたわけではないんだし」

「そうだね、それだけが、痛くない恋だ」

「さあ、乗れよ姫。今日は呑み会だ」

「うん」




 今でなくていい。

 いつかは、彼の中の想いに決着がつくだろうから、その時まで、お預け。

 妹を殺された、その思いは先生の中でぬぐえないものとなっている。知っていてのカミングアウトだ。

 “結婚まで考えている”と。“あなたと共に生き、未来が見たい”と。



 待ってる。待ってるからね、先生――

 先生の未来へ向かう一本道の隣に、私がいることを願っているね。

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姫子の憂鬱(坂本一族シリーズ) 紬木楓奏 @kotoha_KNBF

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