第二話「ミルクを入れないコーヒーなんて。でも、おいしい」

「あなたが貸したペグは、この金のペグですか? それとも銀のペグですか?」


 片手に借りた金のエリッゼステークの使わなかった残り、もう一つの手には自分のテントについていたネイルペグを持ち、泊は隣のサイトでお湯を沸かしていた男性の元を訪れた。


「…………」


 すると彼は、軽量そうなキャンピングチェアに座ったまま、首だけを彼女に向ける。


「エリステ・アルティメットは、六本で四〇〇〇円弱するが?」


「……つっ、謹んでお返しいたします! 使用中のも必ず無事にお返ししますゆえ!」


 腰を深々と折り曲げて差しだす泊。

 たかがペグが、まさかそんなに高いとは思わなかったのだ。


「あと、こちらのゴルディオ○ハンマーもお返しします」


「なんだ、それ。勝手に名前をつけるな……」


「なら、ムジョルニア」


「マイテ○・ソーしか常用できなさそうになったな……」


「とりあえず、ありがとうございました。おかげでペグダウン? とかもできました」


 借りたエリステは、使っていたネイルペグより一〇センチほど長かったのだが、抜けにくさには天と地の差があった。

 太さの違いも大きかったかもしれない。

 地面の奥まで刺しこむと、紐をしっかりと支えてくれたのだ。


 あんなに苦労していたのが嘘のようである。

 ペグなんておまけ程度に考えていたのだが、テントを立てる要だと泊は思い知った気分だった。


「やっぱり、ペグとか多めに持ってきているんですか?」


「こういう土が柔らかいときは、張り紐一本に二本のペグを使って力を分散させるのも手だが、付属のペグしかないなら予備なんてほとんどないだろう」


「たぶん。そんなに数はありませんでした」


「だろうな。それに鍛造ペグでは滅多にないが、他のペグだとダメになりやすいから、足りなくなることもある。あとサイトの状態がわからないときは、何種類か持ってきていることもある。特にここのような区画サイトだと、木に結ぶとかの融通も利きにくいし」


「そうかぁ……。でも、そんなに高いのはなぁ。エクスカリバー六本でわたしのテント、二つぐらい買えそうだし」


「……ずいぶんと安いテントだな。というか、むしろ聖剣が大安売りだな」


「テントは、ディスカウントショップの閉店セールでたたき売りしていた、どこのメーカーだかわからない商品なんで。まあ、テントなんかなんでも同じかな……と」


「そんなわけはないが。……まあ、このペグは特に高いだけだ。黒の標準的なエリステなら、八本で三〇〇〇円弱だな。他にも鍛造ペグだと、スノーピークの有名な【ソリッドステーク】というのもあるが、それも少し高いがだいたい同じぐらいだ」


「ほむ。それでもペグにそんなに出すのは抵抗が……。なにより、バイクで積むのに重すぎます」


 そう言いながら、泊は背後を指さす。

 そこには相棒のホンダ・PS二五〇の前輪が、テントの向こうから少し顔を出している。


「バイクか……。そうだな。ぬかるんでいる時は、VペグとかYペグというのがあるから買っておくといいかもしれない。ジュラルミン製だとすごく軽いし、さほど高くない。とくにVペグは重ねやすいから場所も取らない。ただ、石が多いところではひん曲がるので向いてない。やはり予備は必要だな」


「この鍛造ペグは曲がらないのですか?」


「曲がっても叩けば直る。多少の石なら砕いて進む。……いわばペグ界のマッスルだ」


「ほむ。マッスル、強い……さすが、真の英雄にしか抜けない聖剣エクスカリバー。そう聞くと、ちょっと欲しくなった」


「ペグを抜けるのが、アーサー王だけになってしまいそうだ……」


「マイ○ィ・ソーしか打てないハンマーと、アーサー王しか抜けないペグ。まさに伝説のキャンプ」


「そんな英雄と運命を共にする感じではなく、俺は普通にキャンプをしているはすだが……」


 無表情気味だった男性が、少しだけ口角をあげた。


(ほむ。やっと笑った……)


 そんな彼をついつい泊は観察する。

 観察は泊の趣味であり、仕事でもある。

 隙あらば、人を観るのが好きだった。


(この人……キャンプになれているんだろうなぁ……)


 男性の背後には、八角形のボディに、とんがった屋根のテントが立っていた。

 ベージュの生地でできたテントは、まるで放牧民のテントを想像させるのだが、高さはさほどではないにしろとにかく面積がでかい。

 ここは区画サイトといって、キャンプに使っていい土地のサイズが、縄や石などで区切られている場所だ。

 目の前のテントは、その区切りの中で本当にギリギリで立てられている。

 そのせいかテントの外では、アルミのローテーブルと椅子を一つ置くのが精いっぱいという感じだった。


(これだけでかいから家族できているのかな……。他の人はどこかにいっているのかな?)


 アルミテーブルの上では、コンパクトなガスバーナーの上でお湯がちょうど沸いたところだった。

 彼はそれを五〇〇ミリリットルサイズのステンレス製水筒らしきものに注いでいく。

 中には挽いたコーヒー豆が入っていたのだろう。

 ふわっと、コーヒーの香りが泊の鼻腔をくすぐった。


(なんか……いい匂い……)


 今まで、コーヒーの香りをこんなにいいと感じたことはなかった。

 香りが包むように広がると、まるでたゆたゆと水に浮いているような、落ち着いた気分を味わわせてくれる。

 先ほどまで気になっていた喧騒が、ふっとどこかに行ってしまう。


 気がつけば周りの深緑が目に入り、鳥の鳴き声も聞こえてくる。

 今まで見えなかった物、聞こえなかった物が頭に入ってくる。

 これもコーヒーの効果なのかと、香りの素をジッと見る。


「天気予報は見たか?」


 ジッと見過ぎて呆けていた泊は、我に返りあわててうなずいた。


「あっ、はい。今日は曇りで、明日は晴れですよね」


「ピンポイントな天気予報や、雨雲レーダーも見た方がいい。今夜は雨が降るかもしれない」


「マジ……ホントですか?」


「マジでホントだ。雨が降る前にやるべきことすませた方がいいぞ」


「はい。ご助言ありがとうございます」


 男が話しながら、コーヒーの入っているらしい水筒に金属フィルターがついた棒を静かに沈めていった。

 最後の方は力がいるのか、少し力んで沈めていく。

 そしてすべてが沈むと、銀のマグカップにそれを注ぎ始めた。

 湯気とともに、すーっと鼻に抜けるような、酸味を感じさせる香りが踊りだす。


「それ、コーヒーですよね?」


「エスプロっていうメーカーのコーヒープレスだ。手軽にコーヒーが飲める」


「ほむ。そうやって淹れるコーヒーもあるんですね」


「……飲むか?」


「……え?」


 彼の差しだしたコップを見ると、中で黒い液体が少し波打っている。


「…………」


 コーヒーなど、さして好きではなかった。

 友達につきあって飲むときは、ミルクをたっぷり入れてミルクチョコレートのような色にして飲んでいた。

 それなのに、今はその黒に魅惑されてしまう。


「コップは洗ってあるからきれいだぞ」


「あ、いや、それを気にしているわけでは……いいんですか?」


「あとでコップを返してくれればいい。牛乳はないが、ミルクポーションならあるから好きなだけ持っていけ」


 テーブルの上にポーションが入った袋が投げだされる。


「……ありがとうございます」


 少しだけ逡巡したあと、泊はコップを受けとった。

 そしてミルクポーションも四つぐらいつかんで、頭をさげてから自分のサイトに戻る。

 あらかじめ出しておいたアルミテーブルの上に、ポーションとコーヒーを置く。

 テントに戻り、ノートパソコンを持ちだす。

 そしてテーブルの横に組み立ててあった、オレンジと黒の折りたたみ椅子に腰かけた。


(膝の上……パソコン、打ちにくいな……)


 膝の上でパソコンを開いてみるが、細い太股の上ではキーボードが今ひとつ安定しない。

 だからと言って、アルミテーブルも高さが合わない。

 これはなにかパソコンを載せるテーブルを用意しなくてはならないと、次回までに必要なものをスマートフォンでメモをとる。

 本当は荷物を増やしたくはないのだが、キーボードが打ちにくいのは目的の障害となる。

 なにしろ、このためにここに来ているのだから。


(あ、コーヒー……)


 テーブルにあったコーヒーを手にする。

 銀のカップからはまだ湯気が立ち、優しい香りを届けてくれる。

 よく見れば、コーヒーの表面の枠がまるで金色に輝いているように見えた。


(今日は金色に縁があるのか?)


 そう思いながら、泊はポーションに手を伸ばす。

 ……が、黒の誘惑が、その手を引っこませる。


(そのまま、飲んでみるか……)


 ふぅふぅと吹きながら、マグカップを口に当てる。

 するとより一層高まる香りと共に、少しの香ばしさとわずかな酸味が口の中に流れこんでくる。


(……あ、なんで? おいしい……スッキリしている)


 心が一段と落ちついてくる。


(ほむ。わたしもとうとう、大人の女になったと言うことか……)


 と言っても苦みはあるから、すべてをブラックのままでは飲めないだろう。

 しかし、もう少しこのまま、湯気が消えるぐらいまではブラックで楽しみたい。


(コーヒー飲みながら執筆……かっこいいぞ。エスプロ……だっけ? 荷物が増えるけど欲しいなぁ)


 そう思いながら、またスマートフォンに買い物メモを追加した。


(ほむ。それじゃあ、仕事を始めますか……)


 パソコンの電源を入れて、キーボードをカタカタと打ち始める。

 彼女は女子高生で、同時にプロの小説家。

 しかも、アニメ化までした作品を複数持つ売れっ子だ。

 そんな彼女が始めたのが、執筆キャンプ。

 きっかけは、本当に些細なこと。

 本当に些細なことの積み重ねだった……。



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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。

http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-02.html

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