第26話《まだやってこない新年》

ここは世田谷豪徳寺・26(さつき編)

《まだやってこない新年》      



 大晦日はショックなことが二つあった。


 一つは、服部八重のAKPの卒業。いろんな意味でショック。

 個人的には同年配に属するAKPは好きだ。あたしの思春期の時代とも重なり、人並みのファンであるという自認もある。他のメンバーよりも服部八重は矢藤萌と並んでAKBの大黒柱。


 卒業はショックだったけど、そろそろという気持ちはあった。でも、あの発表はないと思う。


 AKPのイベントならともかく、紅白という国民的行事、その出演者の一人に過ぎない八重の個人的な卒業は発表すべきではない。おかげで二輪明宏さんの出演後のインタビューも吹っ飛んでしまったし、そのあとの大御所西島三郎さんの五十回目にして最後の出演が霞んでしまった。

 AKPって、いつの間に「わがままな子」の集団になってしまったんだろう。


 ま、それはいい。しょせん芸能界の話だ。


 大晦日の日『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』の作者大橋さんが挨拶にこられた。渋谷駅前で自転車に撥ねられ、助けたお礼を言いにこられたのだ。

「どうもありがとう。これから大阪に帰ります。最後に顔見てお礼言いたかっただけです。ほんなら」

 と、あっさり一言だけ言っていかれた。過不足のない大人の対応だと思った。


 で、このあと、別口のあっさりが来た。


「よう、さつきじゃないか!」

 本棚の整理をしていると声をかけられた。

「あ、島田さん……!」

 高校時代、思いを寄せていた修学院高校の島田健二が立っていた。

「昼の休憩いつ? 飯でも食おうや」

 で、あっさり昼食の約束をした、


 いつも程よく空いている、アケボノという洋食屋で待っていた。


 島田さんは、高校時代、名門の修学院高校演劇部の舞台監督をやっていた。やることに無駄が無く、他校の生徒への気配りもできる有能な人だった。二度ほどコンクールの打ち合わせのあとマックに行ったことがある。

「さつきは、思っているより華があるよ。帝都は役者の使い方間違えてる」

 リップサービスかと思ったら、小さいけど分厚いノートを出し、睨めっこをした。

「なんですか、それ?」

「ああ、レパ帳。やりたい芝居が二百本ほど書いてあるの……うん、さつきなら、ざっと見ただけで五本くらい主役張れる芝居がある」

 町井陽子、井上ひさし、木下順二、イヨネスコ、大橋むつお、チェ-ホフ等から、女だけ、あるいは女が男役をやってもおかしくない芝居をたちどころにあげた。

 あたしはメモを取りながら、大した人だと思うと共に、憧れてしまった。


「おれたち、将来付き合うことになるかもしれないな」


 ドキッとするような一言をマックの帰り道に聞かされ、それっきりになっている。

 そんなトキメキを感じていたのは、ほんの三十秒ほど。

「あ、さつき、こっち!」

 奥のシートから声がかかった。大晦日の昼食なんで、ランチで済ます。卒業後のあれこれを喋っているうちに時間が過ぎていく。ほんの数秒スマホをいじっただけで、高校時代の気分にもどしてくれた。

「どう、あの時の将来が来たんだと思うんだけど?」

「え、ああ……」

 直截な言い方に、あたしは赤くなって俯くだけだった。


 アケボノを出てびっくりした。


 二十歳過ぎの女性が、敵意に満ちた目で、あたしたちを睨んでいる。


「新しい彼女って、この子ね!?」

「そう、一応合わせてケジメはつけておこうと思って」

「このドロボウネコ!」

 彼女の平手が飛んできて、思わず目をつぶってしまった。

 平手は寸止めで終わってしまった。島田さんの手が彼女の手を掴んだからだ。

「ショックかもしれないけど。こういうのはアトクサレ無くサッサとやった方がいいから」


 あたしは、この舞台進行のようなさばき方がショックだった。


「あたし、仕事あるから」


 そう言って、逃げるようにバイトに戻った。

 なにをしているのか分からないうちにバイトが終わり、家に帰ると、思いかけず自衛隊にいっている惣一兄貴が帰ってきていた。


「よう、さつき……」


 あたしの表情を読んだんだろう、それ以上は何も言わずに、もう食べたはずの年越し蕎麦をいっしょに食べてくれた。まるで寄り添うようだった。

 兄貴って、こんなに良いヤツだったっけ……そう思うと、涙が流れてきた。


 そして、テレビでは服部八重が卒業宣言をしていた。


 あたしは、卒業はおろか、今年が、まだ終わっていない。

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