第20話《あいつが近所に!?》

ここは世田谷豪徳寺・20(さくら編)

《あいつが近所に!?》



 前の自転車が荷台の荷物をぶちまけたかと思うと呪われたように止まった。


 ブレーキを掛けたわけでもなく、なにか悪魔の手によって止められたかのようにノターっと止まった。

 ベスト豪徳寺の前、年末の買い物客でごった返している中で、この珍事が起こった。

 昨日、お姉ちゃんが渋谷で大橋むつおというお母さんの同業者を助けた話を思い出した。


――助けてあげよう――


 そう思って、乗っているニイチャンを見て気が変わった。

 なんと四ノ宮忠八だ。こいつとは、もう関わりになりたくない……と、思ったら目が合ってしまった。

「しょうのない人ね!」

 そう言って、あたしはその惨状の収拾にかかった。

 自転車は、悪魔が止めたわけではなかった。ハンパに止めた荷台のゴムロープが外れ、買ったばかりの商品が散乱。で、ゴムロープのフックが後輪のスポークに引っかかり自転車を止めてしまったのだ。東大生とは言え、ガードマンをやるほどの力があるので、フックの根本で千切れかかり使い物にはならない。

「あたしの自転車の前カゴに半分入れて」

「す、すまん」

「あんたの新居まで送ってあげるから、そのあとで、あたしの買い物につきあってよ」

 そうすれば、二度の往復を覚悟していたのが一度で済む。我ながら瞬間の計算が早い。


 忠八の新居は、同じ町内の杓子神社の近所『シャトー豪徳寺』と、名前だけ立派な昭和の匂い満点のアパートだった。ほんの近所なのに、ここは知らなかった。

「改装したとこなんだ。オーナーの好みで昭和風になってる」

 言わずもがなのことを忠八は言った。子どもの頃から知っているボロアパートが思い出された。外装と窓枠なんかをサッシに替えただけの「改装」のようだった。


「チュウクン、遅いわよ!」


 二階の窓が開く気配がして、可愛い女の子の声がした。あたしのチャリは死角で見えないようだ。

「ああいう人がいるんなら、二人で行けばいいでしょ!」

「お帰り……あ、こんにちは」

 可愛い声は、階段を降りてきて、想像より二割り増しの可愛い実体を、あたしの目にさらした。

「あ、ゴムロープが切れたんで、彼女が手伝ってくれたんだ」

「まあ、そうなの。それは、どうもありがとうございました。なんとか片づいていますから、お茶でもどうぞ」


 こういう状況では、あたしは尻込みする。でもその子には、何とも言えない無垢な人の良さを感じて上がり込んでしまった。


 三畳と六畳にミニキッチンとユニットバス。この界隈でも最低の居住条件。だけど女の子のセンスがいいのだろう。部屋は品良く片づけられていた。

「ほんとうにチュウクンは一人じゃ何もできない人なんで、困ってしまいます」

 手際よくお茶とプチケーキを整え、時代物の櫓ごたつのトイメンに彼女が座った。

 あたしは、訳の分からない胸苦しさを感じた。単語にすると「理不尽」になる。

 こんなトンカチを、こんな可愛い子が世話をしていることが理不尽。昔ハトポッポが総理大臣をしていたような理不尽さ。チョウチンに釣り鐘、ブタに真珠、猫に小判なんて慣用句が頭に浮かんだ。

「こんないい人がいるんだったら、わたしが手伝いにくることなんか要らなかったかもしれませんね」

「こいつは、そんなんじゃないんだ」

「女の子を、こいつだなんて、いけません」

「いや、これは……」

「いいんです。あたしも、この人のことは、こいつと思ってますから」

「まあ……あの、お名前伺ってよろしいですか?」

「あ、佐倉さくらっていいます。最初のが苗字で、後のが名前」

「まあ、ゆかしいお名前。わたし篤子と申します。チュウクン、こいつはやっぱりいけません」

 女の子が意味深な顔つきになった。

「あ、あたし買い物の途中だから……手伝ってくれるんでしょうね」

「ああ、もちろん。約束だからな」


 お茶を飲むのもそこそこに、あたしは忠八を連れて、アパートの駐輪場に向かった。


「チュウクン、お父さんに知られてしまった。いま携帯に……!」

 あの子が、また窓から叫んでいる。

「もう……だったら、今夜は泊まっていけよ」

「うん、そうする。じゃ、さくらさんよろしく」


 この胸くそ悪い出会いから、年末のドタバタが始まった……。

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