黄昏時

「ある壱少年と話したときのことなんだが、」

「ひとは死刑囚なのかも知れないという話をしたんだ」

「それは単なる思いつきに過ぎなかったんだが」

「今考えると実に理にかなっていてね」


 彼女は、チェシャ猫と名乗る女は、わたしこと、零の前で笑った。


「ひとはきっと、死刑囚なのだよ」

「生まれた瞬間」

「否、」

「母体に宿った時には既に」

「死刑囚なんだ」


 なんでかわかる? と彼女は言った。

 わたしはただ、黙然と首を振った。ただ、

 なんとなくにぃならわかるかもな、と思った。


「理由は簡単。単純明快」


 そんなわたしを知ってか知らずか、彼女は悠然と微笑む。その笑みがどこか、こちらを哀れんでいるように見えて、少し苛立つ。まあ、顔には出さないけれど。


「そう、至ってシンプルでイージーな理由だ」

「体内に宿ったときには、もう他の命を犠牲にしているからさ」

「いのちはいのちを潰すたびに」

「いのちを削っていくんだよ」


彼女の目元をかくす前髪が、風にそよぐ。


「それはまるで、罪を償うように」

「咎をあがなうように」

「まさに因果応報、自業自得、といったところだね」


 かなしいことを言う女性ひと

 まるで、にぃのように冷たいひとツヨイヒト

 口元を歪めて、優しくわらう彼女に抱いた、わたしの感想。

 「ツヨイ」ことは、かなしいことでしかないのに。


「……君は、」


 わたしの視線から何かを感じ取ったのだろう。彼女の声音が、どこか落胆の色をにじませた。


「君は、彼とは違うのだね」

「君は、彼に似ていると思ったのに」


 どこか哀しげな声音。

 あまりにも悲痛に感情のない声音で言葉を紡ぐ彼女が、あまりにも虚ろだったから。

 数秒瞑目し、真っ直ぐと見えない彼女の目元を見つめる。


「あなたは、かれにあいたいのですか」

「あなたは、かれにあえないのですか」

「それとも、」


 もう一度瞳を閉じ、ふぅ、と軽く一息つき、


「かれが、あなたにあえないのですか」


 淡々と無表情にそう言うと、初めてしゃべったわたしに驚いたのか、彼女は少し口を開けたまま固まった。


「かれは、あなたにもう、あえないのですか」

「……君は少年を知っているのかい?」


 何も言わない彼女に重ねて問えば、いくらか平静を取り戻した彼女は、問い返してくる。

わたしはそれに答えず、ただ目を細めて目の前の女を見つめる。


「…………」

「………………」


相手の瞳が、揺らぐ。

水鏡が風に水面を揺らすように。何もかもが揺れて揺れて、揺れて、不安定。

それを認めて、わたしは口元をかすかに上げる。


「あなたは、うそつきですね」

「だって、あなたは『チェシャ猫』なんかじゃないもの」

「あなたはただの、しろうさぎ」

「いなばの、うそつきしろきうさぎ」


 いつか、嘘も誠も全部全部、その身体からはがされちゃいますよ? と。

 揶揄するように笑ってわたしは身を翻す。

 そろそろにぃが迎えに来る時間だろう。あまり迷惑はかけたくない。

 何となく後ろを振り返ろうと思ったけど、やめた。どうせ、見たとしてもなにも面白い事なんてないのだから。だって、見なくてもわかることを見たって、なんの意味もないだろうし。

 女は、今頃わたしの背後でゆらゆらと揺らいでいることだろう。

 嘘も、真も、全部全部全部。

その存在も、その意思も、全てが揺らいで消えている頃だろう。


「零」

「あ、壱にぃ」


 後ろから自分を呼ぶ声が聞こえて、急いで後ろを振り返る。にぃが意外と近くにいて、それがとてつもなく嬉しくて、顔が破綻するんじゃないかと言うほどの笑みを浮かべて、にぃに駆け寄る。


「今日は遅かったね」

「はい。おはなしがはずんでしまったので」


 少し微笑んで首を傾ける。


「ふぅん? で、その話し相手は?」

「きえてしましました」

「ああ、そう。で? 知ってる人?」

「いいえ、しりません」

「……はぁ~。知らない人に話しかけちゃ駄目だろう?」


 零は可愛い女の子なんだから、と呆れたように模範的なことを言って咎めるふりをするにぃ。


「それで、結局どんな人だったの? 零ちゃんを楽しませてくれたのは」


 お礼をいっとかなきゃね、と、にぃは笑う。いつも無気力無関心な零を楽しませたんだから、と。

それに、わたしはへらりとわらって言った。


「ねこのふりした うそつきな しろうさぎさんだったので、ほんとうなんて きっと わすれてしまっているんですよ」

 






――――黄昏の、隣人は一体誰でしょう。

     黄昏に、隠れた隣人は誰でしょう。

      たそがれ。たそかれ。

        黄昏に。誰そ彼に。

        『誰』を失くした女が、

           ゆらゆら揺れた―――




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