少年ありす

@mas10

逢魔ヶ時


 僕はいつもひとりだった。

 理由は至って簡単。

 別にハブられていたわけでもなければ、苛められていたわけでもない。

 単に僕が、他人を嫌っていただけ。

 だから事実、ハブりやイジメはあったかも知れない。

 まあ、もちろん、ハブるのもイジメるのも僕の役目だが。

 閑話休題(一体どこから閑話なのだろう)。

 そんな僕が、いつものように(言うまでもなく)ひとりで、公園のど真ん中にしゃがみ込んでいたときのことである。

 そう、俗に言う逢魔ヶ時、魔物の住まう時刻での出来事。

 いつもなら誰もが避けるこの僕に、話しかける声があった。


――――なにしてるの?


 若い、綺麗な女だった。

 別に、その美しさにほだされたわけではないが、いつもなら無視を決め込むその問いに、何故か僕は素直に答えたのだ。ありを殺している、と。

 もう既に日課と化しつつあった昆虫殺し。

 それをあっけなく暴露してみると、流石に引いたのか、女は引きつった笑みを浮かべた。


――――はは、そっか。あり、殺してるのか。

――――意外と残酷だなぁ、少年。

――――駄目だよ。

――――ありにだって、命があるんだから。


 まじめくさった顔で、諭すように言う女に、僕は少し失望する。

 なんだ、こいつも、他の奴と同じか。

 自分だって、命を殺めているクセに。

 すると、女は不思議そうに首を傾げた。


――――うん?


 彼女が今、立っているだけで、幾億の命が消えているのか。と、説明する。

 僕としては、それなりにきつい皮肉を言ったつもりだった。

 けれど、彼女は少しほうけたあと、それはそれは愉しそうに笑んだのだ。



――――あは、そうだね。少年の言う通り。

――――にんげんは、存在するだけで何億のいのちを踏みつぶす。

――――あるいは、その罪を償う為の死刑囚なのかも知れないね。

――――死は、罰なのかも知れないね。


 それはそれは優しげに、彼女は笑った。


――――でも、わたしは大丈夫なんだよ。


 何をもって、何が大丈夫なのだろう。

 意味がわからず、率直に訊くと、女はただ笑っていった。


――――私は、もう罪を背負わない。

――――私は、もう罪を背負えない。

――――私は、もう、罪そのものだから。


 どこか寂しそうな表情を浮かべた彼女は、そのまま、僕に問いを投げかけた。


――――ねえ、少年。死なない方法、知ってる?


 知らない、と、首を振ると、女は微笑んだ。


――――簡単よ。とても、簡単。

――――でも、だからこそ、困難で、難解なの。


 猫のように目を細めて、猫のように気まぐれに笑う。


――――いのちを、奪わないこと。


 しかし、そんなの彼女が一番よく知っているだろう。そんなこと、無理に決まっている。


――――そう、だから、にんげんは死ぬのよ。


 女は瞳を閉じ、胸の前で手のひらを握る。


――――でも、だからこそ。

――――いのちは尊いと、言うことが出来るのよ。


 女は、若かった。

 なのに何故、こんなに悟ったようなことを言うのか、僕にはさっぱりわからず、じぃ、と女を凝視する。


――――あは、きみには少し早かったかな、少年。

――――いくら大人びた言動をしてようと、やっぱり小学生だね。


 その言いぐさに、さすがの僕もむっとする。

 あんなやつらと同等に扱われるのが、この上なくいやだった。

 だから、そう主張すると、彼女はどこか呆れたように溜め息を零す。


――――あは、あのね、少年。

――――っと、いけないいけない。また説教を始めかけたよ。


 苦笑を浮かべ、また何かを言いかけた彼女は、芝居がかった仕草で口元を抑える。


――――ほら、少年。もうこんな時間だ。帰らなくていいのかい?


 彼女が指さす方向、つまり空は、既に茜色から深い藍色に変わりつつあった。


――――この続きは、また今度あった時にしてあげる。


 意外な発言に、思わずもう一度会えるのかと問い返すと、女はくすりと笑った。


――――さあね、会うかも知れないし、会わないかも知れない。

――――わたし達がもう一度会うことを、運命が是とすれば、会えるよ。


 柔らかい笑みを浮かべる彼女。そうして、踵を返す。


――――それじゃあね、少年。


 不意に、僕の唇が言葉を紡ぐ。


――――……ん?


 壱(いち)、と。

 思わず口に出したのは、自分の名前。

 誰にも名乗ったことのない、家族しか知らない、自分の名前。

 それを呼んでと、告げる。

 名前を、呼んで。その声で、僕の名前を。


――――そう。壱ね。壱、壱…………


 覚えようとするように、彼女は口の中で何度も僕の名前を唱える。


――――名前を教えて貰っておいて、わたしが教えないのもなんだね。


 こてり、と首を傾げて、女はわらった。


――――そうだねぇ。わたしはチェシャ猫とでも名乗りましょうか。

――――わたしは、チェシャ猫。チェシャとでも、呼んで。


 そう言い置いて、彼女は今度こそ踵を返す。


――――じゃあね、壱。


そして、彼女は闇に溶けいるように消えた。


『……チェシャ猫って、明らかに偽名じゃん』






彼女が数年前に死んでいると知ったのは、それから数日後の話。

そして、チェシャは再び僕の前に現れることはなかった。

(それでも僕は)(彼女(チェシャ)に会いたいと願い続けた)

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