檸檬と幽霊

@mas10

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「れもん?」

「れもん」


 花束やらジュースやら。雑多に供えられている中に、ぽつんと自己主張激しく居座る黄色。置いた青年はどこか誇らしく、置かれた少女は呆れたように、それを見つめた。


「供え物にれもんとは、此は如何に」

「別にいいでしょ? 前例はないかもだけど」


 私の前に道はない、私の後に道ができる精神っすか。なんて、揺れる少女がため息を吐く。ぷかぷか、ぷかぷか。少女の足は地につかない。そよ風ひとつで彼方に飛んで行きそうな雰囲気。実際、この世の如何なるものさえも、彼女に影響なんてできないのだけれど。

 幽霊たる少女は、己に捧げられた孤独な黄色を見て笑う。


「れもん、好きなの?」

「れもんは好きなのかな。どうだろう。匂いは好きかな。さわやかだから」


 青年は手に残る移り香を軽く嗅ぎ、笑った。いい匂いだろう? と、同意を求めるように笑みを深める。彼女は、肩をすくめて笑った。


「さあ、どうだったかしら。れもんの匂いなんて久しく嗅いでいなかったし、残念だけれど、今の私には、もう五感というものが存在しないから」


 同意できない、と微笑むことで伝えた彼女に、ああ、でも、そうか。と青年は軽く眉尻を下げた。それに少女はおやと片眉を上げる。


「あなた、何のためにこれをここへ?」

「ああ、うん、そうだね。それが本命だし、それなら大丈夫だ」


 意味がわからない、と。眉根を寄せる少女とは裏腹に、彼は穏やかに笑う。


「れもんの花言葉、知ってる?」

「……知らないわ」


不審そうな顔のままである彼女に、青年はまた無邪気な笑みで問を返す。


「なんだと思う?」

「………………」


寄せられたシワが、深く、深く。反対に青年の笑みは深まるばかり。愛おしそうに、大切そうに。青年は置かれたれもんをなでた。


「『心からの思慕』」


 青年は、それはそれは朗らかな笑みで胸を張った。高らかなる宣言。少女はなぜか、そっと目を細めた。


「かわいそうなひと」


 哀れんだような。いたわしい何かを見たような。揺れるその身の儚い瞳は、小さな水面に波紋を作る。

 青年は笑う。それは一体、誰に向かって?


「あいしていたよ。あいしているよ。君のことをずっと。君だけをいつまでも。……ねぇ、君だってそうだろう?」


 笑う顔。焦がれる眼。しかしそれらは少女ではなく、何もない虚空に向けられる。

 少女はまた、囁く。


「かわいそうなあなた」


 揺れる揺れる黒曜の目。もう光を宿さないそれは、ただただ、揺れる。


「あいしているよ、心から」

「きっとあなたは知らないのでしょう」

「君が生きていた時も。死んでいる間も」

「れもんが『無価値』の象徴であることを」

「僕は君を本当に愛しているから」

「だからこそきっと」

「君を無残に切り捨てた」

「私が見えないあなたが私に愛を囁くことも」

「こんな世界に意味はないから」

「そうとわかった上で会話を装うわたしも」


「だからいま。そっちへ行くから」


 落ちた笑。怒号。悲鳴。大きな大きなブレーキ音と破壊音。

 赤い赤い水たまりを、震える体で少女は見下ろした。



「こんなに私があなたを愛して、

 こんなに君に生きて欲しいと願っても、



 それすらほら、無価値だったんだ」

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