十二日目 脱兎

 ヴルルルルルルルルルル


 景気よくエンジンをふかしながら砂利交じりの道を走る。今日のテレメラは絶好調だ。

 天気は快晴で追い風も吹いている。絶好のドライブ日和というやつだ。

 上陸してから二週間。かなりの距離を走ったと思うが、未だに追手の姿は見えない。その代わりに、待ちわびていたあの姿が見えてきた。

 地平線に見えるカラフルな屋根、周りよりも頭一つ高い協会、その周囲に見える車たち。


――町だ!


 町だ。何度も言うが町だ。しかもそれなりの規模だ。ああ、この体に涙腺がないことが悔しくてならない。体中に沸き起こる歓喜を収めるために「ヴァィィィィィイィィィ――」と叫びながらハンドルを強く握りしめた。

 テレメラのタンクが三割を切ったあたりで、ようやく町にたどり着く。周りにテレメラを隠しておける場所もなかったので、そのまま押して町に入る。

 そうにぎわっている様子はないが、閑散としているわけでもない。港が近くにないのだから、交易が盛んというわけでもなさそうだが、それなりに人は住んでいるようだ。

 すれ違う人は一瞬、僕を好奇の目でみるが、すぐに視線を外す。目立ちはするが、特別騒ぎ立てるほどでもない……という所だろうか。

 町でやりたいことはたくさんある……が、まずはここがどこか知らなければならない。遅い歩みで協会に向かう。言葉を話せない僕にとって、相手が親切な人間であることは絶対条件だからだ。

 協会は町の中心地から少し離れた場所にあった。テレメラを入口横に立て掛けて門を叩く。

 木製のドアが開くと、若い女性のシスターが顔を出した。


「――?」


 僕の風体を見るなり、訝しげな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔で何かを話しかけてきた。

 僕は喉をさして『喋れません』のジェスチャーをして、ついでに何かメモをくれとも伝えてみた。その際、右足から金属音を鳴らすことも忘れない。

 シスターは目を伏せて頷くと、中に入れてくれた。聖堂の中には椅子が並んでおり、そこの一つに腰を下ろした。

 僕の風体からしてかなり怪しいとは思うが、それでも中に入れてくれたということは、やはりこの少女の姿が効いているのだろう。

 しばらく天井を眺めていると、シスターがペンと紙を持ってきてくれた。お礼を言うこともできなかったので、頭を下げて受け取る。

 早速、紙にこう書いてみる。


『私は旅人です。ここはどこの町ですか?』


 僕の母国の言葉だ、通じない可能性はあっても、言葉が理解できないことはこれで伝わるだろう。

 紙を受け取ったシスターは、難しい顔をして、いくつか単語を呟く。


「私――話す――少し」


 聞いたことのある発音。イントネーションは少し狂っているが、紛れもなく、僕の母国の言葉だ。

 僕は興奮して、シスターの手から紙を奪ってまた書く。今度は短く、端的に。


『ここどこ?』


 受け取ったシスターは、少し考え込むようにした後「待て」と言って後ろに下がっていった。戻って来たシスターが持っていたのは、丸められたポスターのようなもの。隣に座って椅子の上にそれを広げる。

 シスターの柔らかそうな指が動く。指されたのは――オーランド大陸。

 割れた卵に例えれば、黄身の部分にあたる。

 予想外の事態に僕は椅子から転げ落ちた。


――あーあ! 二大大陸のどっちかだと思ったんだけどなぁー!


 これで、陸路で帰宅する選択肢は消えた。飛行機か船か、どちらにせよもう一度海を越えなければならない。

 転んでぐったりとうなだれている僕を心配そうに見つめるシスター。どうやらもう一枚地図があるらしく、今度はそっちを見せてくれた。地図に不満があると思われたのかもしれない。

 今度はより縮尺の大きい地図で、どうやらこの町周辺の地図らしかった。文字が読めないので町の名前などは不明だが、どこに町があるかくらいは分かる。

 シスターが現在地を指してくれたので、次の町までのだいたいの距離が計算できた。


――ここが隠しドックで、今の町がここ。だいたい十五時間くらいテレメラで走ったとして……一回休憩挟めば次の町いけるかな……


 次の町を指さして、どんな名前なのかシスターに聞いてみると「サシュール」という言葉が帰って来た。

 頭の中で、懐かしい記憶の再生ボタンが押された気がした。


(サシュールって町に住んでるよ。親父と一緒に工房やってる)


――グロリィ……あいつ確かオーランドのサシュールに住んでるって……


 グロリィ、というのはゴミ島にくる以前、ネットで知り合ったジャンカー仲間だ。お互いに年が近いこともあって、よくチャットで話していた。本当の名前は知らないが、町にある工房なんてそう多くないだろう。しらみつぶしに当たっていけば、会える可能性はかなり高い。


――もし会えれば、現状を説明して手助けしてもらえるかも……


 希望的観測が多々含まれるが、他に頼れる人間などこの大陸にはいないし、もし協力してくれなかったとしても、先に進むためにはその町を通る必要があるのだ。とりあえず行ってみて損はない。

 シスターに頭を下げてお礼を書く。するとシスターはにっこりと笑って僕の手を握ってくれた。女性特有の柔らかさが伝わってきてやきもきしてしまう。

 協会を出て、置いてあったテレメラに近づく。

 瞬間、建物の影から四人の男が飛び出してきた。皆、一様に銃を持ち、僕を囲むように幅を取って構えている。


――バレてたのか……


 一応両手を上げて見るものの、彼等の表情に変化はない。

 僕の後ろにあるのは協会の壁とテレメラだけだ。殺すつもりならすぐにでも掃射しているだろうに、何か別の目的でもあるのだろうか?

 男の一人がハンドガンに持ち変えて、僕に近付いてくる。恐る恐る、といった様子で右腕を掴み、すぐに手放したと思ったら、今度は服の上からボディーチェックを始めた。

 僕の頭はこれまで例を見ないほどにフル回転していた。間違いなく、今までで一番の窮地だ。

 どうにかしてテレメラを起動出来れば、町の中心部まで一瞬で移動できる。休憩を挟みながら移動してきた僕よりも遅く着いたというのは考えにくいから、こいつらは町から離れるまで手を出してこなかった……出せなかったと見るべきだろう。

 横着してテレメラのタンクにケーブルを差しっぱなしにしていたのが幸いした。あとはもう片方を僕の首に差すだけで発車できる。

 しかし、この状況はそんなことを許してはくれないだろう。指一本でも動かそうものなら蜂の巣にするぞ、と彼等の目は語っている。

 ケーブルの端は足元に転がっている。これさえ拾えれば……

 とうとう男がボディーチェックを終えようとする。チャンスがあるとすればここが最後だろう。

 作戦を考えた。まず男のハンドガンを右手で抑える。発砲されるかも知れないが、指の何本かは諦めよう。次にノーモーション金的で、男を肉の盾にする。そうやって銃を封じたら、落ちているケーブルを繋いでテレメラを起動。盾ごと町へ走り抜ける。後は町で男を捨てて、一目散に逃げる。

 大雑把かもしれないが、今の状況ではこれくらいしか思い付かない。男が近付いている今しかチャンスは無いのだ。

 男の手がとうとうくるぶしにまでかかり、そしてもう一度立ち上がろうとする。

 ギィと耳障りな音を立てて協会の扉が開いた。男達の視線が、一瞬だけそちらに奪われる。


――ここしかない!


 思考は後からついて来た。ハンドガンをスライドごと抑え、銃口を逸らす。勿論抵抗されるが、それと同時に放った蹴りはものの見事に目標を捉えていた。

 苦悶の声と共に男が崩れ落ちる。ひゅう、と息を吸うような悲鳴が聞こえる。

 他の男三人も引き金に指をかけているが、やはり撃つ者はいない。三人から視線を逸らさないように、手探りでケーブルを首に繋ぐ。


ヴルルルルルルルルルルルル


 待っていたとばかりに後ろでテレメラが盛大にエンジンを吹かす。


「――――! ――!」


 横合いから聞こえてくるのは協会から出てきたシスターの声だ。パッと見てこの状況を把握できているわけではないだろうが、複数の男が丸腰の女の子に武器を向けているのだ。善良な人間なら仲裁に入るのかもしれない。先ほどの叫び声は男たちに向けられていた。


――もしかしたら、シスターを通して説得出来たりとか……


 甘っちょろい考えが頭を掠める。こんな近距離に敵がいて、考え事なんかしている暇はないというのに。

 銃を抑えていた右手が、ものすごい力で押し戻される。次の瞬間、銃口から炎が噴き出した。とっさに銃口を上に向けて、弾丸をあさっての方向に飛ばすが、どうやら僕の気をそらすことが目的だったらしく、男は間髪入れずに左手で僕の首を絞めにかかる。


――くそっ!


 この距離では男をもう一度蹴り上げる事も出来ない。首を絞められても平気だが、後ろのコードに触れられるのは避けたい。


――ああ、もう!


 心の中で悪態をついて、すぐ後ろにあったテレメラの座席に左腕を回してホールドする。


ヴルルルルルルルルルルルルル!


 豪快な唸り声を上げて走り出すテレメラ。むき出しの右足と男を引きずりながら、町までの道を走る。想像していた形ではなかったが、男を盾にすることは出来たので後ろから撃たれるようなことはない。

 引きずられている男は尚も必死な形相で僕の首を絞め続けているが、何せこちらも窒息するような体をしていない。ここからは我慢比べだ。

 かたやバイクにしがみついている少女と、その少女の首を掴み続けている男。そんな二人が爆速で街の中心部を通り抜けるので、周りにいた人たちはどんどん道を開けてくれた。舗装されていた道は走りやすく、二人を引きずってもテレメラはかなりの速度を維持していた。

 やがて僕たちは町の外に出る。念願の町だったというのに、滞在時間は一時間にも満たないだろう。せめて今の日付くらいは知っておきたかった。

 後悔したところでもう遅いが、今更走りを止めることも出来ない。

 町の外に出ると、流石に男の表情も変わってくる。先ほどまではただひたすらに首を絞めることに力を注いでいるような顔だったが、今は毒気を抜かれて「え? 何で気絶しないの?」と表情で問いかけてきている。

 が、そろそろ限界だろう。僕ではなく、男の靴が。


「オゥ!」


 わかりやすく痛がっている男。その靴底は既にペラペラだ。かくいう僕の右足も、削れ過ぎて一部形が変わってしまっている。ジャンプするように足掻いて見せるが、そんな小細工が長く続くわけもない。苦々しい顔をした後、首にかけていた左手とハンドガンを握っていた右手を離した。

 急いでテレメラに跨る。すると数拍置いて、後ろから銃声が響く。最初に持っていた銃で男が狙っているのだ。

 ここからは運の勝負だ。当たりませんようにと祈りながら、全力で蛇行運転をする。最初は連続して鳴っていた銃声もまばらになり、散発的になり、そしてついに――僕の周囲は静寂を取り戻した。

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