スクラップ・チェア

鐘鳴タカカズ

ゴミ島編

一日目 遭難

 足し算と引き算は知っている? ……そう。ならわかるね?

 一つの入れ物には、一つの物しか入らないんだ。

 もしそこからこぼれ落ちたら? さぁ……ただ……

 この世界に、そんな汚いものを拾い上げる神様はいないだろうね。




 久しぶりに夢を見た。

 いい夢だったのかは分からない。起きた時にはもうすっかり忘れてしまっていたからだ。

 ただ、なんとなく温かで、懐かしいような、奇妙な空白だけが頭の中に残っていた。

 夢から覚めた僕は、目を開けて体を起こそうとする。


 あれ……?


 普段感じないような違和感に困惑しながらも、体を動かそうとする。

 瞼が鉛のように重い。肩も、指もだ。くるまって寝たはずの毛布の感触もない。

 

 なんだこれ……?


 目の前にあるのは、自分の部屋の明かりではない。満点の星空だ。


 アレ? 僕はどうして外で寝ているんだ? 確か昨日は自分の部屋で寝た筈だ。


 重い体を起こして、ここがどこかを確認する。目の前にはビニールでできたような薄い膜があって、頭でそれを破きながら顔を出す。

 不幸なことに、僕の体のすぐ横には、ちょうど僕の全身を映せるくらいの割れた鏡があった。 

 月明かりに照らされる鏡の中には、バケツをひっくり返して、その上にボールを乗せたような子供じみたおもちゃがいた。

 両脚と両腕に関節はあれど、その図体に不釣り合いなほど細く、ひとたび歩き出せば折れてしまいそうだ。

 鏡の中のおもちゃが瞬きをする。僕と全く同じタイミングで。

 ああ、なるほど、これはつまり……


 夢だな?


 そう! こんな非科学的なことありえない! このおもちゃのどこに僕の脳味噌を入れる場所があるっていうんだ! これは夢だ! 現実ではない、ありえない!

 頭を叩いてみればゴチンゴチンと軽快な音が直接響いてくる。

 三本ずつしかないミミズのような指は、動かすたびに錆が落ちていく。

 誰だ。誰がこんな、こんなひどいことを!

 どのくらいの時間そうしていたのだろう。水平線から朝日が昇ってくる。この体では、白と黒でしか判別できないが、周囲の輪郭をすべて吹き飛ばしてしまうような巨大な光源が現れる。

 夢から覚めることはなかった。ただ、一晩考え抜いた甲斐はあって、僕はようやく一つの事実を受け止めることができた。

 この世界は現実だ。紛れもなく、僕が生きていた世界なのだ。

 アクチュエーターをうるさく鳴らしながら立ち上がる。

 だんだんと、周囲の景色が見えてくる。

 薄汚れた歯車、使い捨ての魔包マナパケ、割れたディスプレイ、配線の飛び出した工業用の機械、基盤をむき出しにした魔人ゴーレム、ボロボロになった鏡、ひどい汚れの児童用の魔人ゴーレム。最後のは僕だ。

 ゴミのたまり場だということは一目で分かるが、それにしても機械部品に偏りすぎている。ゴミはゴミでも不法投棄のゴミ置き場なのだろう。

 さらに周囲を見渡してみれば、見えるのは海水だ。

 おぼろげな地図を頭の中に広げる。僕が住んでいた町に海はなかった。つまり、以前僕がいた場所からはかなり距離があるのだろう。しかし、一番近い海岸だと仮定しても、到底一晩で移動できるような距離ではない。

 ああ、そうか。と思い直す。この朝日が昨日沈んだものだなんて、そんな確証はどこにもないのだ。とすれば距離は関係ない。いや、距離とかそういう問題ではなくて……

 頭の中はお祭り状態だ。考えることが多すぎるし、何を考えるのも考えなければならない。


『そういう時はね、一回深呼吸するの。たくさん空気を吸って、その空気が体全体に行き渡るのをイメージするの。それから、次の一歩の事だけを考えるの』


 錯綜した思考の中で、子供のころの母のセリフがよみがえる。

 暗闇の中、唯一見つけたその記憶に、僕は従った。

 口がなかったので呼吸ができなかった。


 ……ハッハッハッハハハハハハハ!!!!


 声を出すことは出来なかったし、表情を変えることも出来なかったが、僕は確かに笑った。大笑いした。

 一通り笑い終わってから、次の一歩を探し始めた。

 まず、何故僕がこんな姿になっているのか。これはわからない。保留。

 ここはどこなのか。これもわからない。保留。

 僕の本来の体はどうなっているのか。これもわからない。保留。

 この中でも、一番に手を付けるべきなのは、ここがどこかということだろう。これがわかれば、僕の家に帰ることができる。

 ではこの場所を知るにはどうすればいいのだろうか?

 まずは情報だろう。ここにゴミが捨ててあるということは、誰かがここにきて、意図的にゴミを捨てているからだ。

 そこから情報を得る。服装でも、会話でも、何でもいい。とにかくここがどこかを知ることから始めよう。



 美しい地平線にノイズを差し込むようなゴミの山。その斜面が小さく動く。

 ボロボロの小型魔人ゴーレムだ。機械油でギトついたその体を鈍く光らせながら、彼はどこかへの一歩を踏み出した。

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