第2話 目印を着込む男、さすらう犬

 京都タワー。


 京都の玄関、京都駅の向かいに建つ、地上9階の上に円筒型のタワーが乗った独特のフォルムを持つ建物。

 タワー部分下部は皿状をしており、円筒部分の径は、上部は狭く下部は広く、そしてその上に円盤状の展望台がある。

 ロウソクをモチーフとしたその外観に、悠久の古都、京都に古くから住まう京都市民はもとより京都を訪れる観光客でさえ違和感を覚える。


 人探し・ペット探しを専門としている探偵、田中・昌樹は待ち合わせ場所に指定された展望台へとやってきた。しかし、彼はクライアントの顔を知らない。

 電話で依頼をしてきたエグリゴリ氏は日本語が話せるとはいえ、片言カタコトなので、彼から身体的特徴を訊き出すのは負担になると判断し、マサキは自身の特徴を伝えることにした。


 上下白の服を着たアフロヘアーの男性。


 特徴を告げた途端エグリゴリ氏は「What?」一瞬何かの冗談かと思ったようだったが、すぐさま「ワカリマシタ」冗談でないと理解してくれた。


 久しぶりに上った京都タワー展望台…。

 相手が見つけてくれるまで夕陽に照らされた市内を望もうと山の見えない南から時計回りに見渡してゆく・・・西南から西方へ向かう途中に西日がまともに目に突き刺さった。


 まぶしさに、め、目がくらむ。


「Mr.タナカ?」

 西日を背にしたひとりの外国人男性が訊ねてきた。顔がハッキリと確認できない。

 目を細めながらの「Mr.エグリゴリ?」

 質問を質問で返す滑稽な接触は、「Oh!」エグリゴリ氏が笑顔でハグしてきた後握手を求めてきたことから成功と言えよう。


 改めてエグリゴリ氏の顔を拝むと、30代手前だと思われるが随分と前が後退した白人男性だな、が第一印象。身長は170センチと自分と変わらないはずなのに、彼の目線は数センチ上へと向けられている。そんなにアフロヘアーが気になるのか?

 思うマサキの視線も数センチ上方。


 お互いに自己紹介を済ませると、エグリゴリ氏が胸ポケットから一枚の写真を取り出してマサキに手渡した。


 手渡された写真は一枚のはずなのに妙に厚みがある。持った感じ1センチはあろうか。

「早速ですが、この女性を捜して欲しいのです」


 いきなり用件を伝えてきた事にも驚いたが、写真と一緒に手渡された封筒の中身は間違いなくお金。厚みからして帯付きかもしれない。

 “潜り”の探偵ならいざ知らず、きちんと届け出を出している正規の探偵相手だと、これは明らかにルール違反だ。通常は依頼内容と必要経費を記した契約書を作成した後に報酬の何割かを前金で頂くものだ。追加料金の発生やその他のトラブルなどを回避するため、契約書は作っておかないと後々面倒な事になる。


 それとも、彼の国では先にお金を渡しておくのがルールなのか?


「ちょっと待って、Mr.エグリゴリ。私はまだ依頼を受けるとは言っていない。このお金は一度下げてもらえませんか?」


「依頼を受けないと?」

 首を傾げた。


「いや、手順というものがありまして」

 とりあえず写真だけを手に取り画像を確認する。


 どこかの防犯カメラから起こした画像らしく、粗い画像な上に肝心の顔は不鮮明で、身体的特徴がかろうじて判別できるくらい。

 これでは、あまりにも情報量が少ないな。


「この他に情報は?」

 “難しい”と顔に出ている事にも気付かないまま訊ねた。


「姓はサンジェルマン。名前は不明。だが、彼女はいくつもの偽名を使い分けているので恐らく何の手掛かりにもならないでしょう。彼女を見つけ次第、私に連絡して下さい」

 告げて再度封筒を押し付けてきた。


「非常に難しいご依頼ですね」

 封筒を押し戻す。そして、真っ直ぐエグリゴリ氏と目を合わせると。

「捜索依頼をされる以上、あなたと彼女との関係を教えて頂きたい。ついでにそれを証明する証拠の提示もお願いします。あと、彼女の身の安全が保障されない限り、私はあなたとの契約を結ぶ事はできません」


 マサキの言葉にエグリゴリ氏は半歩退くと、薄笑いを浮かべて。

「Mr.タナカ。私はアナタの実績を見込んで依頼しているのです。そして、アナタをとても信用しています。これだけではご不満ですか?」


「うん!不満!」

 マサキの即答にエグリゴリ氏の顔が引きつった。


「探偵は大人しく客の依頼を受けていれば良いのです!プライバシーを侵害してはいけないのです!彼女の身の安全?我々が彼女を殺すとでも?冗―」

 つい口を滑らしてしまった事に気づくと途中で話を切り、封筒を胸ポケットにしまうと、ちょうど上ってきたエレベーターに乗り込んで展望台から立ち去ってしまった。


 残されたマサキの手には女性の映った不鮮明な写真が残された。


「アイツ…いま我々と言ったな・・」

 閉じられたエレベーターに向かいふと呟いた。



◇  ◇  ◇  


 数日が経ち―。



 マサキは本業の迷い犬の捜索に勤しんでいた。


 普段から抱きかかえて散歩に連れている雌のボストンテリア、3歳。

 飼い主の老婆は一休みしようと蛤御門はまぐりごもんから京都御苑に入ったところのあるベンチに座って、犬もそこで下したと言う。

 そこへ散歩に連れてこられた他の犬(コーギー)に吠えられて犬は驚いて逃走、そのまま行方をくらましたとの事。


 よくある失踪事例だ。


 普段自分の脚で歩かないから道が分からなくなり、さらに他の犬に吠えられて見知らぬ道へと迷い込む最悪のループ。どこかで飼い主のニオイを手繰れれば戻って来られるのだが、その糸口を見つけてやらなければ探索は難しい。



 今日は地面を這っての捜索になるかも知れない。だから“つなぎ服”を着込んでの捜索となった。今でさえ少し暑い。この格好でいられるのも、あと少しと思いつつ。


 ボストンテリアの姿を確認しておこう。

 胸ポケットから写真を取り出す。


 だが、取り出したのは“女性が映っている画像写真”の方だった。


 あの後、フリーの画像解析ソフトを使って調べてみたが、これで最大限に解像度をアップした写真だということだけは分かった。これ以上手を加えることは出来ず、依然画像は粗いまま。


 この女性が無事でいるだろうか?ふと、脳裏をよぎる。

 だけど。


「こんな顔がハッキリしない写真で、突き止められるハズも無いか」

 思うも、やはり心のどこかで心配はくすぶ_り続けている。


 こっちの写真ではない。


 ボストンテリアが映っている写真を取り出した。

 犬の写真は、パッと見ではどれも同じに見えるが、じっくりと観ると、どことなく違いがハッキリとしてくる。そういうものなのだ。では。


 仕事に取り掛かる。

 失踪現場へ到着する前に・・依頼を受けた直後に保険所へ連絡して、該当する犬がいないかを確認した。電話した時点では記録に無かったので、以降に失踪犬が保険所へ来たら連絡をくれる様、係員にお願いした。

 あと、最悪の場合(事故に遭う)にも保険所に連絡が来るはずだから。


 それでは、現場にて作業に取り掛かろう。

 捜索は失踪した時間と同じ時間帯からスタート。

 それは、犬を連れて散歩する人たちは、犬のしつけ上、同じ時間帯にならないようにとトレーナーから指導を受けているにも関わらずに、自身の都合を優先するあまり、毎日同じ時間に散歩に出掛けてしまっているからである。

 だから、出会う人物も同じなので聞き込みもし易いし、失踪犬が他の犬に吠えられて逃走したのだから、吠えた飼い主たちからも話が聞ける。


 犬の習性として例え逃走したとしても、自分の匂いを辿って元の場所へと戻る事もある。いわゆる帰巣本能みたいなものだ。


 早く見つけ出してあげたい。つくづく思う。


 失踪してから日が経っているし、さぞ体力も落ちている事だろう。それでも、まず餓死している事はないと断言できる。腹が減ったら、そこらの虫でも捕まえて食べているだろう。


 一番厄介なのは“連れ去り”だ。

 命の安全は保障されているだろうが、見つけ出す見込みは限りなく低くなってしまう。


 コーギーの飼い主に出会い聞き込みを開始。

 ようやく本当のスタートといったところか。だが、臆病な犬ほどよく走る。走ってくれる。とにかく目撃証言の多いコト、多いコト。

 でも、肝心の姿は未だ捉えらず。気長な作業なのは分かっている。分かっているのだが、つい思ってしまう。


「コイツ、戻る事を諦めて、さすらいの旅にでも出やがったかな・・?」


 聞き込みを続けて辿ると、スタート地点となる京都御苑の西方にある蛤御門はまぐりごもんから御苑の中を突っ切ってかなり東へと進んで、とうとう鴨川かもがわに到達してしまった。

 現在、鴨川の西側、ちょうど北から賀茂川かもがわ高野川たかのがわが合流して鴨川となった亀石が並ぶ辺りを見渡せる位置。賀茂大橋のたもと付近。



 よく車にはねられる事なく無事に辿り着けたものだ。結構車の通りが多いぞ。この辺り。

 感心しながら辺りを見渡す。と。


 川辺に設けられているベンチに座ってサクスフォンの練習をしている学生さんの足元に、ボストンテリアを発見。

 少しばかり薄汚れてはいるが、首輪をしているので飼い犬だと断定できる。

 あとは・・・写真と照合。と、胸ポケットから写真を取り出した。


「え?」

 胸ポケットから取り出した写真と見比べる。


 ボストンテリアの後ろに立つ初老の外国人女性の姿勢が、どことなく似ている。

 着ている衣裳は似ても似つかないが。


 この際、取り出すべき写真を間違えてしまった事など、どうでもいい!



 マサキの視線が!顔が!写真の女性と目の前に立つ女性との間を何度も行き来する。


「サンジェルマンさん?」

 つい、思わず訊ねてしまった。



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