小さな花は夢を見せる

陽乃 雪

小さな花は夢を見せる

なんだか蒸し暑い。どうしてだろう。私はずっと冷えすぎるほどに涼しいあの部屋で過ごしていたはずなのに。

その違和感に恐る恐る瞼を開くと、そこには信じがたい光景があった。


抜けるような青空、端に見える真っ白な雲。

寝起きのとろぉんと溶けた頭はまともに働かず、手足はまだ起きたくないと仰向けのままベッドから離れない。

溶けた頭を揺らさないようゆっくりと頭を横に向けると、地面が見えなくなるほどたくさんの背高な向日葵が目に飛び込む。花は私と向かい合うように咲いており、太陽と目を合わせようと頑張って胸を張っている。ぼんやりした視界の中、存在を主張する黄色。その奥、ずっと向こうの地平線からは雲がずっしり伸びていた。

ひと呼吸、ふた呼吸。ぼやけた思考を働かせようと脳に空気を送り込む。寝ていたのは私が毎日身体を横たえていて馴染みのあるベッド。それがなぜか向日葵の真ん中にある。

ぼやけた思考はゆっくり回転し、ひとつの結論に辿り着いた。そうか、これは夢なのだ、と。

以前興味本位で読んだ夢占いの本に明晰夢というワードがあったのを思い出した。夢の中でも自分の意識があって、自分で考えて行動できる。これがきっとその明晰夢で、だから私は今こうやって考えて動けているのだと思った。

こんなところに来られるなんて思わなかった。たとえ夢でも嬉しかった。むしろ夢だからこそ嬉しいのかもしれない。

だって、なんでもできるんだから。

そう考えると、なんだか身体が軽くなった気がした。夢だからか、まだまともに頭が動いていないからか、いつものような体の痛みを感じない。両腕でマットレスを押し、起き上がる。私が思っていたよりもどこまでも奥へ奥へ、広く遠く続く向日葵の花々。みんな負けず嫌いなようで、私の髪を揺らす風にも真っ直ぐ背を伸ばしていた。

足をおろすと指先にひやりとした感触。見るとそれは暗い赤色のレンガ。向日葵にベッドが囲まれているのだと思っていたのだけれど、実際は向日葵畑のレンガ道の真ん中にベッドが居座っていたようで。とんだ迷惑者だな。まあ、夢なんだけど。

枕側には道が無く、たくさんの向日葵が咲いている。こっちに進めと言うことらしい、と反対に続くレンガ道を歩き始めた。どうやら一番向こうで道が切れているようだ。

私と同じくらいか少し低いだけの向日葵が左右一面に限りなく広がるのは圧巻だった。視界を埋め尽くす黄色はそれだけで目が痛くなりそうなほど明るく、夢のくせにやけに生々しい。

花畑の夢の意味ってなんだっけ、と、夢占いの本のページを頭の中で捲る。確か、黄色の花の夢は吉夢のはずだ。花畑の夢の意味は忘れたけど、これだけ一面に咲いているんだ、美しい光景なんだし悪い夢ではないだろう。なんだ、案外未来は明るいじゃないか。


崖に近づくにつれてなにか耳に違和感を覚えた。だんだん大きくなってくるそれは崖の少し手前あたりで一番大きくなる。それは誰かがすすり泣く声のように聞こえた。花畑の中に誰かいるのか、と右を向いてみるがそこには誰もいない。でも確かに声は聞こえる。奇妙だな、と思うのと同時に声に馴染みを覚えた。最近は聞いていないけど少し前聞いたことのあるような、そんな声。そう、私があそこで過ごすほんの少し前に聞いたような……。

そう思うとなんだか放っておけなくなってきた。それに夢に出てくるんだ。特別な何かがあるのかもしれない。でもいくらまわりを見渡しても声の主はどこにも見当たらない。私は少し考えて右側の、ちょうど声が聞こえてくるあたりを向いた。

「あのー。誰かわかんないですけど、誰かいるんですよね?夢だけど」

すすり泣く声が止まった。話を聞いてくれるのだろうか。

「あの、なんで泣いているのかわかんないですけど、たいていのことはなんとかなるものですよ。私はもうなんとかならない状態の人ですけど、今までなんとかなってます。これからいつまでなんとかなるかはわかんないですけど、やり残したこととか何もないし」

風が髪を揺らす。相変わらず向日葵はまっすぐ太陽を向いている。

「ずっとぼーっとして、なんとなく生きてて、でも少し前それがあたりまえじゃなくなって。でもあたりまえじゃなくなってからのほうがなんか充実してました。ずっとベッドにいるぶん、あの花咲いたんだ、みたいな、ちっちゃなことにいろいろ気がいくようになりました。ぼーっとしてたらわかんないことっていっぱいあるんだって、この年になって知りました。毎日体は重かったけど、心はずっと軽くって。だから今すごく幸せなんです。なんとかならなくなった私だけど、なんとかなってるんです。すごく幸せなんです」

明るく大きく咲く黄色に、その先の見えない誰かに、声をかけた。

「だからなんとかならなくても、なんとかなるんですよ。"辛"に一本線を足せば"幸"になるってよく言われますよね。あの一本線はどこから飛んでくるんだよ、って昔すごく思ってたんですけど、まわりを見回せばそこら中に転がってるものなんだと気付きました」

短い棒線一本で、ちっちゃなことひとつでいい。

動きたくないなら、立ち止まっててもいい。

「辛いからって目を塞がないで、まわりを少し見てみてください。案外、なんとかなりますよ」

こんなこと誰にも言ったことなかったけど、夢だから、誰も見えなかったから言いやすかったのかもしれない。喉に詰まった煙を口からすべて吐き出したような、そんなすっきりした感じがした。なんだか足元がふわふわして心地よい。

私が話し終えるとまたすすり泣く声が聞こえてきた。むしろさっきより大きくなっているような。なぜだろう。

また風が吹き、生暖かい空気が髪を強く揺らす。やめてよ、飛んでっちゃうじゃん。しかし向日葵はその風にも姿勢を崩さずずっとまっすぐ太陽を見つめている。

風が吹いてきたのは崖のほうからだった。際まで進み、下を覗いてみる。

そこには大きな鳥の巣があった。私一人など容易に受け止めてしまいそうな、大きくてふわふわな鳥の巣。夢占いの本のページを再び頭の中で捲る。鳥の巣の夢はわからないけれど、空を飛ぶ夢は吉夢のはず。中にはなにもないようだから卵を押しつぶして割ってしまうような心配もなさそうだ。

この夢の中では自由に動けるわけだし、自分で吉夢を作るのも良いなと思った。せっかくなんでもできるんだ。なんでもできるならやるしかない。新たな発見は、どんなにちっちゃなことでも幸せを生み出すきっかけになる。

幸せを、自分で作り出すんだ。


ちいさく頷き、そして地面を蹴った。強い風が私を包む。ふわふわした感覚も相まって、なんだか涼しく心地よい。

その先には私を受け止める、新たな幸せが待っている──。













































ぐしゃり。

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