第193話
倒れたゲッコウの姿を見てもなお、彼は自分がゲッコウを殺したという実感が沸かなかった。それ以上に、この世界を救わねばならないという思いが強かったからだ。
「もう何度も地震が起きている……。爆発が近い、ってことよね。急いであの世界に行かないと!」
「解っている。解っているよ。だから今こうやって、こうやって何とかしようとしているのだから」
慌てるマーズに対してフィアットは冷静だ。
フィアットは指で円を描いている。まずは入り口と、魔術のファクターとなる円を作らなければならない、というフィアットの言葉だった。
「魔術でワープする、ってことか?」
崇人の言葉に、首を傾げる。
「ワープ……転移、ってことかい? それなら少々違うかもしれない。まあ、間違っていない考えなのだけれど。実際には、ここに『世界への入り口』を作る、ということが正解。世界の入り口を作り上げることで、あの世界とこの世界を行き来できるようにする。それが、今から作っているものの正体だ」
「そんなもの……簡単に作ることが出来るの?」
「簡単に……とは言い過ぎだが、難しいものではない。すぐにできるさ。時間もそうかからない。話しながら、数分程度でできる代物だ。そうでないと、何度も行き来できないだろ? つまりそういうことだよ」
崇人はその光景を眺めながらも、ゲッコウの心臓に突き刺したナイフを眺めていた。
彼にとって、自らの手で人を殺すことは初めてだった。だからその感触がひどく珍しく、ひどく切なく、それでいて悲しかった。はじめて人を殺してしまった。はじめて命を奪ってしまった、という事実を受け止めきれなかった。だからこそ、彼はこの世界を救う、という別の目的のことを考えて――どうにか忘れようとしていたのだ。
「タカト、大丈夫?」
そんな彼を心配してマーズが話しかけた。
崇人は崇人でマーズを心配させないように、大丈夫と頷いた。
「ほんとうに? タカト、一人で抱え込むからね。今までの経験上」
「うぐっ。そういわれるとつらいな。やっぱりずっといたから仕方ないことかもしれないけれど、ほんとうにマーズは痛いところをついてくる」
「そりゃずっと一緒にいたからね。仕方ないよ、それは」
そしてマーズは崇人の隣に腰かけた。
フィアットがゲートを作っている間、二人はそれを眺めていた。
「……ねえ、タカト」
唐突に言ったマーズの言葉に、彼は訊ねる。
「どうした、マーズ?」
「タカト、これが終わったら元の世界に戻るの?」
「どうした、急にそんなことを聞いて?」
「戻ってほしくないなあ、って思って。この世界、きっと元に戻るまでとても時間がかかると思うのよ。だから、独りぼっちは寂しいな、って。それだけ」
「そうか……」
崇人は頷いて、マーズに告げる。
「解った。それじゃ、俺はずっとこの世界にいるよ。そして、お前にずっと寄り添っていく」
「……ほんとに?」
それを聞いたマーズは、明るい笑顔を取り戻した。
ああ、と言って強く崇人は頷いた。
「おおい! ゲートが開いたぞ!」
フィアットの言葉を聞いて、マーズと崇人は大急ぎでそちらへと向かう。
フィアットのいた場所には白い渦が浮かんでいた。大きさは崇人の身体くらいなのでそれなりの大きさといえるだろう。人ひとりが入るには十分すぎる大きさだ。
「この先に――神がいる、と?」
「ああ。そして、敵の陣地になる。何が待ち受けているか解らない。なにせ、この出口は敵に見つかっているといっても過言ではない。出てきたところを狙われている可能性だって十分に有り得る。敵が何をするか、まったくもって解らない以上十分に警戒しなくてはならない」
「そうね。それは確かに。……じゃ、まずは私から。いいわね?」
「どうぞ」
フィアットが右手を差し出したそれを了承と受け取って、マーズは渦の中に入っていった。
次いで崇人、そしてフィアットが渦の中に入っていった。
◇◇◇
渦の向こうには、白い部屋が広がっていた。古いアンティークの食器棚、テーブル、ソファ、モニター――モニターには崇人が映し出されている――が割と奇麗に整頓された形に置かれていた。
「これは……いったい?」
理解できなかったというよりも、その状況があまりにも俗っぽかった。それが意外だった。
「ようこそ、我が世界へ」
そしてソファに腰かけているのは、神と呼ばれる少女だった。
少女は立ち上がり、崇人たちに微笑みかける。
「まさか、ゲッコウを倒すとはね。予想外だったよ。まあ、まずは腰かけたまえ。疲れただろう? 今、紅茶を淹れることにしよう。ああ、一応言っておくがこれは戦いではない。戦う前にも休息は必要だ、そうだろう?」
それを聞いて、彼は理解できなかった。いくら戦闘前の休息とはいえ、敵の淹れた紅茶をのむなんてことできるはずがなかったからだ。
だが、マーズは。
「――解ったわ。あなたの意見に従いましょう」
そう言って、結局彼らはマーズの意見に同調する形で、ソファに腰かけることになった。
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