第192話

 誰もいなくなった廃墟に、一人たたずむ男がいた。

 フィアットと呼ばれた彼は、ハリー=ティパモール共和国の代表を務めていた。

 しかし、彼には裏の顔があった。

 チャプターのフィアット。シリーズと同じ起源をもち、かつて袂を分かったこともある存在。

 彼はかつてハリー=ティパモール共和国の政府があった場所の廃墟から外を眺めていた。

 チャプターとはシリーズと同じく、死ぬことのできない身体だ。


「死ねない身体というのも、不便なものだな……」


 彼から人間を奪ったのは、ほかならないシリーズの仕業だと彼も理解していた。

 そして手詰まりであることも彼は理解していた。

 だからといって次の策を立てるでもなく、ただ漠然とどうやってシリーズに一泡吹かせることが出来るかということしか考えていなかった。

 空を眺めても、誰か来るわけもないのに。それでも彼は空を眺めていた。誰かの助けがあるのではないかと思っていたのかもしれない。誰かが助けてくれると思っていたのかもしれない。そんな淡い希望を抱くほど、彼の精神は衰弱しきっていた。


「ふん。そんなわけあるはずがないというのに……。現に、人間をすべて排除した……帽子屋が間違いを犯すはずがない。帽子屋が人間を残すはずがない。残すとすれば……」


 そう彼が呟いた――その時だった。

 空に、何か光が見えた。


「……ん?」


 その光を、フィアットは見逃さなかった。


「なんだ、あの光は……!」


 思わず立ち上がり、その光を眺める。その光はいったい何なのか。解らないからこそ、気になった。もしかしたら自分の助けになるものかもしれない、と。そう思った。いや、最悪助けにならなくてもいい。自分で服従させればいいのだ。助けになるならないにかかわらず、誰かが来るということが重要だった。

 そして。

 彼の目の前にやってきたのは――インフィニティだった。



 ◇◇◇



「成る程ね! まさか彼ら、フィアットを使うつもりとは! まさか、チャプターがまだ生き残っているとは思いもしなかったよ」


 モニターを見ながら、神と呼ばれる少女はまるでアニメーションを見る子供のように笑っていた。帽子屋は同じソファに座ってモニターを見る形となっているが、自由になっている彼女とは異なり、鎖に繋がれている。


「……あれを放っておいたのは、君かい?」


 帽子屋は訊ねられたが、しかしそれに首を横に振った。


「いいや。まさかあそこに生き残っているとは思いもしなかった。実際、彼らはインフィニティを使おうとしていたらしいが、ゲッコウを連れてきたからね……。それによって、何か変化を見せると思っていたが、結果として何も生み出さなかった」

「呼び出す必要はなかったということかな?」

「いいや。もちろんあった。チャプターの一員である彼を使うことにより……いいや、正確に言えばチャプターの一員をシリーズ側に靡かせることにより、チャプターの戦力を少なくすることが出来る。それは、こちらにとっても重要なことだといえるだろう?」

「成る程……。くくく、さすがは帽子屋。長い間、この計画を温めていただけのことはある」

「褒めて戴いて、光栄ですね」

「そういわなくてもいい。まあ、まずはあのフィアットをどうするか……だが」


 立ち上がり、どこかへと向かう少女。


「どこへ?」

「世界を終わらせに行くよ。まずは、外周から少しずつ。タイムリミットを設けると、少しは面白くなるだろう? ああ、そうだ。ついでにゲッコウを借りていくよ」

「ゲッコウを? だが、ツクヨミは次の計画に備えて冷凍保存を開始しているが――」

「構わんよ。ゲッコウさえいればいい。彼だけいれば、タカト・オーノの時間つぶしにはなる」

「……成る程」


 そして少女は立ち去る。

 帽子屋はモニターを、再び見つめていった。



 ◇◇◇



「マーズ・リッペンバー。まさか君に会う機会が再び訪れようとはね? 君は確か僕の目の前で首を切られて、死んだはずだろう?」

「ええ。私もそうだと思ったけれど、違うようね。まだ生きていることで、私は何か役目があるのではないか、とおもうわけよ。というわけで、協力してもらうわよ」

「何をしろ、と? 僕にできることなんて、限られていると思うのだけれど」

「シリーズがいる、あの白の世界への行き方を教えなさい」


 フィアットはずっと張り付いたような笑みを浮かべていたが、その言葉を聞いてそれも失った。よっぽど彼にとって予想外の言葉だったのだろう。

 マーズは話を続ける。


「神と名乗る少女が、この世界を破壊しようとたくらんでいる。そして賭け事をタカトに持ち掛けた。あの世界に行くことが出来て、神を倒すことが出来れば私たちの勝ち。できなければ私たちの負け、ということになる。そうなればこの世界は滅ぶ……」

「成る程ね。人間と神の戦い、ということだ。そして、その世界へ行くために、僕を利用したいと。そういうわけだね?」

「利用するつもりはないけれど、まあ、そういうことになるわね」


 こくり、と頷くマーズ。

 フィアットは小さく溜息を吐いて、首を傾げる。


「ただ、気になることがある。……僕はマーズ、君を殺そうとしたんだぞ? 処刑場で、人々の前で、君の首を切ろうとした。にもかかわらず、どうして僕を?」

「自惚れないで。私はあなたを許したわけじゃない。あなたを使えると判断したからここにきて、あなたに頼んでいるだけのこと。だから、あなたを使えないと判断すればいつでも切り捨てることはできる。それだけは忘れないで」


 マーズはフィアットの顔を見つめ、そう言った。

 それを見たフィアットは再び笑みを浮かべた。


「解った。……教えよう、あの世界へ行く方法を。とはいえ、僕がやり方を知っているだけであって、それを君たちに教えても君たちが使えるとは限らない。だから僕がしよう。あの世界への扉を開けようじゃないか。僕も一発、あの帽子屋を殴らないと気が済まなくてね」

「……成る程。いいわ。一緒に行きましょう。タカトもそれでいいよね?」

「ああ。この事態だ。仲間が一人でも増えるのは嬉しいことだからな」


 そして。

 即席ではあるが、フィアットと崇人は同盟を組んだ。

 世界を救うための、同盟を――。

 と、同時に。

 地面が大きく揺れた。

 立っていられなくなるほどの、大きな地震だった。


「な、なんだ?」

「……きっと、シリーズか神が始めたんですよ。この世界の終わり、終焉を迎えるために!」

「どういうことだ」


 フィアットの言葉を聞いて、彼に詰め寄る崇人。


「言葉通りの意味だ。即ち、この世界を滅ぼすために、地殻運動を活発にさせた。そしてこの惑星を内から破壊する。差し詰め、この惑星に大きな爆弾を設置した、とでも言えばいいかな?」

「おい、どうすればいいんだ!」

「方法はないといっていないだろう! これを起動したのはほかならない神だ。あるいは帽子屋かもしれないが……いずれにせよ、その二人のうちのどちらかであることは間違いない。これほどの大きな爆弾を起動するには、それなりの権力が必要とされるからな。そして、彼らを殺すか、彼らの手で起動中止を命令させば終わる。それだけだよ」

「だが、そう簡単にさせると思っているのかな?」


 声が聞こえた。

 それを聞いて、彼は振り返る。

 そこにいたのは――黒いローブを着た白髪の男、ゲッコウだった。


「ゲッコウ……無事だったのか! 急にアジトからいなくなったから心配したんだぞ……」


 彼はそれを見てゲッコウに近づく。

 だが、フィアットとマーズはそれに違和感を抱いていた。

 そして――。


「タカト、近づくな!!」


 一番に彼に声をかけたのはマーズだった。


「どうしたんだよ、マーズ?」


 踵を返し、崇人はマーズに訊ねる。


「あいつは危ない……。あいつは危険よ。何か怪しいオーラを放っている……!」

「ハハ! さすがにばれちゃうと仕方ないなあ」


 そう言って、ゲッコウは手を広げる。

 黒のローブが広がり、風に靡く。

 そして、ゲッコウは笑みを浮かべる。


「あいにくだけど、僕は君たちを止めるために、神に命令された。仕方ないのだけれど、ここにやってきたのはそういう理由だ。ごめんね、タカト・オーノくん?」


 再び、大きく地面が揺れた。


「ゲッコウ……まさかお前もそっち側とは知らなかったぞ……!」

「正確に言えば、生まれた時からそう定義された、とでも言えばいいかな? 最初から僕はこうなるように定義されていた。シリーズの欠番として、かつ、チャプターの正式な一員として。しかしながらチャプターにはその存在を知らされておらず、あくまでも『秘密兵器』としか思われていなかったようだけれどね。正直、それは残念なトコロだけれど」

「ゲッコウ、お前もここを壊すために、動いているということか?」

「どうだろうね。残念ながら、僕は生まれた場所が違う。君たち人間と同じ姿かたちをしているけれど、中身はまったく違う。最初からツクヨミを動かすために生まれてきたといっても過言ではない。だから、たまに解らないことがあるんだ」

「解らないこと?」


 崇人の問いに、ゲッコウは頷く。


「そう。――人間が考えることが、たまに解らなくなる。なぜこう考えているのか、ということを」


 ゲッコウは自分のことを語っていく。

 それは自分が生まれてからのことであり、人間との乖離を悩む姿を。

 そして自分が不完全であり、完全な存在には一生なりえないということを。


「……ゲッコウ、お前が何を拘っているのかしらないけれどさ」


 崇人はゲッコウの意見をすべて受け止めて、話を始めた。


「お前は人間にあこがれていた、ってことか?」


 ゲッコウが思っていた不安定な思いを――彼はたった一言に集約させて、言った。

 ゲッコウは頷く。


「憧れ……憧憬……。そうか、そうかもしれない。僕は人間に憧れていたのかもしれない。一度も僕は人間として作られていなかったからね。けれど、それでも、そうだとしても、僕にだって人生を選ぶ権利だってあるはずだ」

「人生を選ぶ権利……?」

「僕は神に命令されたのだよ。足止めをしろ、と。そして、足止めを失敗したら僕は殺されてしまうだろう。神や帽子屋が黙っていないだろうからね」

「お前はいったい何を言っている……? 足止めをしたくないのなら、しなければいい。俺が神と帽子屋に一発制裁を加えてやる。そしてお前は、呪縛から解き放たれる。それだけのことだろ。だったら、ここで足止めする必要なんて――」

「そうできれば一番だけれどね。そうプログラミングされているわけだよ。言葉で否定しても、行動は否定できない。だから……君に止めてほしいんだよ」


 そう言って、両手を広げたまま崇人に近づくゲッコウ。

 崇人は意味が解らなくて、彼に訊ねる。


「どういうことだよ、ゲッコウ……?」

「言ったまでのことだよ。だから、君に僕を殺してほしいんだよ。タカト・オーノくん」

「殺す……だと。そんなこと、できるわけがないだろ!」

「してほしいんだよ。これは、望みだ。頼みだ」


 ゲッコウは崇人の足元にサバイバルナイフを投げ捨てる。

 それは見るからに普通のサバイバルナイフだった。


「それで僕の心臓を刺せばいい。それだけで僕は死ぬ。そして君たちは神の世界へ行くことが出来る。僕の望みも叶う。みんな、ハッピーじゃないか。ハッピーエンド至上主義とは言ったものだが、これですべて解決とはいかないか?」

「でも、それだとゲッコウが死ぬだろ!」

「いいんだよ。僕はここで死ぬべき立ち位置だった。それだけのこと。決して間違いではない。だから、悩む必要はない。そのまま僕の心臓をそのナイフで突き刺せばそれで終わりなんだ。なあ、簡単なことだろう?」

「簡単とか難しいとか、そういうことじゃねえんだよ! お前が死ぬだろ、それじゃ皆幸せになったとは言えない!」

「僕は死ぬことで幸せになるんだよ。けれど、僕が死なないと君たちは神の世界に行くことが出来ない。もしかしたらみんな死んでしまうかもしれない。それは一番のバッドエンド。最悪の結末とは言えないか?」

「だとしても!」

「タカト」


 マーズは、崇人の足元にあったサバイバルナイフを拾い上げ、それを彼に手渡す。

 だが、彼は受け取らない。


「受け取りなさい、タカト。そして、ゲッコウの望みを叶えてあげて」

「マーズ、お前もそんなことを……!」

「そんなことを、じゃない。彼の望みを叶えることで、私たちも救われる。一石二鳥じゃない。それとも、何か不満でも?」

「あるに決まっているだろ! 殺してくれ、なんて俺には……」

「しなさい。あなたがしないと、何も進まない。私たちは道を断たれることになる。この世界も救えないし、元の世界にも帰れない。あなたはそれでいいの?」

「……」

「もしあなたが殺さないというのなら、私たちは何もできない。そのまま世界の崩壊を待つだけ」


 三度、世界が大きく揺れる。

 もうそれは、時間がないことを暗に示していた。


「さあ、時間がない。君の力で未来を切り開くんだ。生き残るべきは人間よりも不完全な僕じゃない。生きる意志を持つ君たちが生き残るべきだ」

「そんな……そんな……」

「タカト、もう時間がない!!」


 マーズはナイフを崇人に握らせる。強引にでも殺そうとさせる。

 そして。

 崇人は決心する。


「……ごめんな」

「君が謝ることはない。むしろ謝るべきはこちらだ。君にこのような辛い思いをさせないといけないのが、つらい。僕だって君にこんな選択をさせることは心苦しい。でも、仕方がないことなのだ。……許してくれ」


 そして。

 崇人はナイフで――ゲッコウの心臓を一突きした。

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