第十章 資源戦争編
第143話
皇暦七三一年。
あの出来事――破壊の春風が起きてもう十年の月日が経とうとしていた。
人々は十年間、そのおぞましい出来事を忘れることは無かった。忘れたくても忘れられなかった。それ程に人々はあの出来事で、失ったものが大きすぎたのだ。
あの出来事から世界は大きく変化した。
破壊の春風が起きたコロシアム近辺は十年経過しても未だにその痛々しい痕を遺している。
例えば少し前まで人が住んでいたような痕跡が残る家屋。
例えば我が子を守ろうとその身を挺した親子の死体(十年も経てば肉体は朽ち骨のぎ残っているものとなっているが)。
その痕は十年経った今でも残されている。当時はさっさと再開拓すべきだという意見が多かったが、現在は『負の遺産』として残すべきだという意見が殆どである。
僅か十年、と言えばいいのか。然れど十年、とも言える。何れにしろ、十年という時間は人間の感性を変えるには充分過ぎる時間だった。
クフーレ砂漠。
かつて『ターム湖』と呼ばれたその地は、一夜にして水が涸れ、今や荒野――或いは砂漠とも呼ばれる――になっている。
そのクフーレ砂漠を走る一台のバイクがあった。それはバイクにしては若干大きすぎた。正確には、人一人乗るには大きすぎたというだけだが。
バイクには二人の人間が乗り込んでいた。一人は男、一人は女である。カップルと言えば聞こえがいいが、現在二人はそういう関係までに至っていない。
少年と少女はバイクを走らせていた。正確には少年が運転手を勤め、少女は強引にバイクに装着した後部座席に座っていた。しかしシートベルトなど勿論存在しないから、少女は少年に抱きつくような形で乗っていた。
「……ひどい様子だね」
涸れた湖の成れの果てを見て少女は言った。そして少年はそれに同調するように頷く。
「あの出来事があって、一瞬にしてこの地域一帯の地形が変わってしまったからね。自ずと生態系も変わらざるを得ない。それが動物の生きる術だから」
少年の答えを聞いて少女は俯く。
彼らは十年前、この世界に生まれた。だから『破壊の春風』以前の世界を伝聞以外で知る方法が無い。
「十年前……正確には私たちが生まれたころ、まさかこんなことが起きていたなんて思いもしなかった」
少女は言った。続いて、少年は答える。
「確かにそれは仕方ないことかもしれない。でも、僕たちはこの世界で生き続けるんだ。そのためにも、この世界を少しでもより良いものにしていかなくちゃいけない。……母さんもそう言っていただろう?」
「それはそうだけれど……」
二人を乗せたバイクはまだ湖上――果たしてそれを湖上といっていいのか解らないが――を走っている。砂漠と化したその地を湖上と言っていいのかは不明瞭だが、しかしそこは湖上といえる場所だった。
二人は巻き上がる砂埃から目を防ぐためにゴーグルを装着していた。そうしないと目が見えなくなってしまうからだ。
「それにしても……母さんはこの辺りに生命反応があるって言ってたのに、まったく見つからないね」
「お前、ほんとにこの辺だって言ってたのか? 嘘じゃないのか?」
「母さんが嘘を吐いたとでも言うの?」
「いや……。そうとは思えないけどさぁ……」
少年と少女の会話はあくまでも他愛の無い内容ばかりだった。
砂漠の中で話すことなどはっきり言って何も無かったためである。実際、砂埃が常に舞い上がっているため、口を開けない方がいいのだろうが、彼らはそれよりも長旅の暇を解消する手段を選んだというわけだ。
「……はぁ。やっぱし誰も居ないのかなぁ。嘘を吐いたとははっきり言って思えないけれど」
「嘘を吐いたとは思えない、って言ったのは君だろ……ハル」
ハルと呼ばれた少女はばつの悪そうな表情をして、そっぽを向いた。
その時だった。
少年――ダイモスの腰に装着されている装置が音を発した。その音はどちらかといえば不快な音だった。
「この音にするな……って僕は言ったんだけれどな。何と言うか人間が不快だと思う音にしたんだよな?」
「それは私じゃなくてメリアおばさまに言ったら?」
「メリアさんにはきちんと言ったよ。言っても聞いてくれねぇんだよ……」
ダイモスの愚痴は程々に、彼が持つ機械が反応したということは、それはたった一つにしかほかならなかった。
即ち、生命反応があったということ。
生命反応は人間だけではない。動物だってそうだ。どんな存在でもいい、とにかく生きている存在がクフーレ砂漠に居ればいいのだ。それを彼らは探しているのだから。
「生命反応がある。それは素晴らしいことよ。急いで探しに行かないと!」
「探しに行かないと、とは言うけどなぁ……。この機械は未々不完全な部分が多い。その一例が『生命反応のある場所の詳細が解らない』ということだ。半径二十メートル圏内に生命反応があればああいう風な反応を示す。だが、その半径二十メートルから詳細が絞れないということが現状だよ」
「……半径二十メートルも絞れればそれで充分なんじゃないの? 私は機械についてあまり詳しくないから解らないけれど……」
ハルの言葉にダイモスは苦笑する。
「まぁ、確かにそうなんだけれど……」
とにかく、生命反応があったのだから、そちらに向かわねばならない。ダイモスはバイクを止めて、付近を見渡す。ターム湖には古代文明の遺跡が沈んでいたらしく、辺りには石で出来た建築物が建っていた。砂地に屹立するその姿は不気味さすら感じさせた。
「古代文明の建築物……とは言っていたけれど、しかし解らないものだな。当時の人間はどうしてこれ程までの技術を持っていて滅んでしまったんだろう?」
ダイモスの言う通り、かつてこの世界には文明があった。それも今の文明とは比べ物にならないくらい高度なものだ。
だが、その文明は今や殆ど残っていない。その殆ど残っていないという部分も、大半は遺構であった。だから人はその古代文明をお伽噺のように考えているのだ。
「それは解らないよね……。色んな学者が調べてもいいのに、誰も調べなかった。或いは調べたのにその結果を発表しない。……それっておかしなことなのに、誰もそれがおかしいなんて気付かないんだもん」
「気付かないじゃなくて、それを隠蔽している組織(バック)が大きすぎるだけだよ。……だからといってそれに倣ってもいいわけではないけれどね」
生命反応のあった場所を探すと、建築物が一つだけあった。
そこに生命反応があるだろうと予想をつけたダイモスはその中へと入っていった。
それはあっという間に見つかった。
「……子供?」
そこに居たのは子供だった。
ダイモスたちに比べると一回り小さい子供は一糸纏わぬ姿であった。黒い髪の子供はその姿を見た限り、少年だった。
ダイモスはそれを見て違和感しか無かった。何故ここに裸の少年が居るのか? そして、少年の目は何故これ程までに迫力があるのか? その疑問が頭を過った。
それに対してハルはこの少年を保護せねばならないと思っていた。ダイモスと同じように疑問は確かに抱いていたが、しかしそれ以上にこの少年を守ってやらねばならないという強い意志が働いていた。十歳にして母親の心が芽生えた――とでも言えばいいのだろうか。
お互いがお互いに、この少年に関心を、そして疑問を抱いていた。
そして、地響きが鳴った。
「……何が起きた!?」
ダイモスは外に居たハルに訊ねる。
ハルはどうにか倒れまいとしながらも、ダイモスの言葉に答える。
「解らない! けれど……これだけは言える! この地響きは自然現象じゃない、ってこと!!」
そして彼らの居る建築物、その傍から、その地面から何かが噴き出してきた。
それは魔物とも言えるような生き物だった。
それはどの生き物とも言い難い存在だった。
「あれは……『ビースト』!」
ビースト。
破壊の春風直後から世界の生態系は大きく変化した。その最たる例がビーストだった。
ビーストの原型は何なのか、それは誰にも理解出来なかった。破壊の春風により科学技術が大きく衰退してしまい、解析する術が無いのだ。
だからビーストに対する有効手段が無い……わけではなかった。
それを見たダイモスとハルは一瞬油断したとはいえ、直ぐに笑みを浮かべる。
「やるしか無いようだな、ハル」
「えぇ、ダイモス」
そして二人は手首に巻き付けられたブレスレットのようなものに触れる。
「……さあ、来い! ブルース!」
「来てちょうだい! リズム!」
その言葉と同時に、二人の装着していたブレスレットが光に包まれる――。
その頃、どこかの地下。
機械に囲まれた部屋で、二人の女性が会話をしていた。
「……どうやらクフーレ砂漠でビーストが姿を見せたようね。ダイモスとハルがブルースとリズムをそれぞれ要請したわ」
白衣を着た女性は眼鏡を上げて言った。
対して、ポニーテールにした女性は答える。
「ブルースとリズム……二人揃っての『実戦』は初めてね。出来ると思う?」
「私に聞かないでよ。あなたの子供なんだから、あなたが一番知っているんじゃなくて?」
「それはそうなんだけれどさぁ……」
溜息を吐いて、女性は言った。
女性はダイモスとハルの母親だった。そしてその女性は、その二人の父親を探していた。いや、正確には場所は知っている。彼が行方不明になった十年前から知っている。だが、ほんとうにそこに居るのかが未だ不明瞭なのだ。
「……ところでブルースとリズムの最終調整って終了しているのかしら?」
「まぁ……、一応ね……」
「一応……?」
疑問を残した彼女だったが、女性はそれ以上問い質すことはしなかった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
その頃、ブルース内部。
『ビーストとの実戦は初めてだから緊張だね……』
ハルの言葉はコックピットにあるスピーカーを通して聞こえてくるようになっている。そしてそれは、リズムに乗っているハルも同じであった。
「確かにそうだ。だからと言って油断しちゃいけない。油断は禁物だ。それをした瞬間、命を投げ棄てたと同じ意味を持つと思った方がいい」
ハルは初陣に緊張を隠せないようだったが、ダイモスは緊張していないようだった。
正確には緊張していないというよりも、それをハルに見られまいと必死に隠しているだけなのだが。
ダイモスはブルースのリリーファーコントローラを握った。
そしてブルースとリズムはビースト目掛けて走り出した。
ブルースは攻撃担当だとすれば、リズムは防御担当だと言える。一見同じタイプのリリーファーにも見えるが、ブルースのカラーリングは赤、リズムのカラーリングはピンクとなっている。
二機のリリーファーの違いはそれだけでは無い。ブルースとリズムの装備にも違いがある。ブルースの装備は巨大な長剣ムラマサ、リズムの装備は大きな輪が幾重にもなっているハッピーリングである。
ハッピーリングはただの武器ではない。魔法を構成する重要なファクターである『円』であるともいえるそれは、リリーファーが魔法を使うことの出来る唯一の武器となっているのだ。
ブルースとリズム、それにビーストは対面する。ビーストはいわゆる『獣』のような存在であり、自らの本能のままに動く。だからこそ危険な存在であり、不穏な存在であるのだ。
「……先ずはこっちからだぁああっ!」
一歩を踏み出したのはブルース。未だ動くことの無く様子を窺っているように見えるビースト目掛けて攻撃をするチャンスだと考えたのだろう。
駆け出していくブルース。しかしそうであってもビーストが動く気配は無い。
(何故ビーストは動こうとしないの……? 今までのパターンならば動いて、避けて、猛攻を仕掛けてくるはず。だがこれは……まるで待ち構えているかのように……)
リズムに乗るハルは防御態勢をとりながらビーストの様子を眺めていた。
彼女が感じていたのはビーストに対する違和だ。今までのビーストは野性の勘で動いていると言われていた。だから攻撃も避け、向こうから攻撃を仕掛けることが多い。そのパターンがあるからこそ、ハルは何があってもいいように防御態勢を敷いているというわけだ。
だが、だからこそ。どこかおかしいと彼女の中の誰かが言っていた。彼女の中に別人格があるわけではないが、彼女の考えとそれは明らかに違っていたのだ。
さらにブルースとビーストの距離は縮まっていく。それでもなおビーストは動かない。ブルース――正確にはブルースに乗り込んでいるダイモスはそれを見て笑っていた。きっとこのビーストは今までに見たことが無いリリーファーを見て驚いているのだ――そう思っていた。
だが、ハルの考えはそんな楽観視していたダイモスとは大きく違っていた。
もしかしたらビーストは何か機会を窺っているのでは無いか?
そう思いながらも、彼女は、一撃を与えるため前進を続けるブルースの姿を眺めていた。
――その時、彼女は見逃さなかった。ニヤリ、と人間味を帯びた笑みを、ビーストが浮かべたのを。
「まさか……!」
そして彼女の頭にある仮説が浮かび上がった。それはもし真実ならば酷いものだった。真実であって欲しくないものだった。
だが、その仮説を立てるまでに、相方であるダイモスは至っていない。だからこそ、早く彼に伝えねばならない――そう思って、彼女は通信を開始した。
『ダイモス、離れて! ビーストはきっとあなたを待ち構えて――』
しかし、遅かった。遅すぎたのだ。
刹那、待ち構えていたビーストによる咆哮をブルースはモロに喰らった。
「ダイモース!」
ハルはマイクを両手で構えて叫んだ。
ビーストの咆哮によるあまりの強さに、廃墟めいた構造物のひとつが根本から崩れ落ちた。
ハルは泣いている場合では無かった。悲しんでいる場合では無かった。
直ぐに彼女はハッピーリングを駆使し始める。ハッピーリングは幾重にもなる輪から構成されているが、それが完全に繋がっているわけではない。一つが二つに、二つが四つに、まるで増えているように見えるが、実際にはそうではない。幾重にもなるハッピーリングを部分的に分解しているだけなのだ。
「はぁ……ハッピーリングは未だ実戦では使ったことの無い、謂わば未完成なものだとメリアおばさまは言っていたわね……」
ハルは呟く。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。ここで諦めてはならないのだ。
「行くわよ、サンダーボルトっ!!」
ハッピーリングを横一列に四つに並べる。そしてそれと同時にハッピーリングの一つ一つの輪、その内部にそれぞれ違う『紋』が浮かび上がる。それが魔法を構成しているのだ。
暗雲が立ち込める。ビーストは何があったのだと空を見上げる。
「魔法は初めてかしら?」
敢えて外部スピーカーをオンにしてハルは言った。外部スピーカーをオンにしておけば、ビーストにも言葉が聞こえるというわけだ。
右手の、その手のひらをピストルの形にする。左目を瞑り、照準をビーストに合わせる。
「――パン」
そしてビーストの心臓を正確に雷が撃ち抜いた。
ビーストはそれから動かなくなった。
ビーストの傍まで寄り、心臓が完全に停止したのを確認して、彼女は構造物――正確にはそれだった瓦礫を退かしていく。
目的はただ一つ、彼女の兄であるダイモスを救うためだ。
少し退かしただけであっという間にブルースは見つかった。
「大丈夫?」
『あぁ、大丈夫だ。……しかし危なかったな。まさか待ち構えているとは思いもしなかった。……油断していたよ』
ダイモスはそう言いながら、未だ構えていたムラマサを瓦礫の中から引き抜いた。
「じゃあ、帰りましょうか」
手を取ってハルは言う。
ダイモスは微笑み、頷く。
『あぁ……。だがそれよりもやらなくてはならないことがある』
「やらなくてはいけないこと?」
再びダイモスは頷くと、ムラマサを思い切り持ち上げ、ある場所を突き刺した。
そこはリズムの頭部の少し右にずれたところだった。そしてそこにはビーストの心臓があった。ビーストは雷に撃たれてもなお、生きていたのだ。
「ビーストは、未だ生きていたの……!?」
『ビーストは心臓を潰さない限り生きている。生き続けている。それは誰にだって言われていたことだろ?』
ダイモスの言葉に、ハルはゆっくりと頷く。若干言い方に難があったが、しかしダイモスが気が付かなければ、ハルは死んでいたかもしれないのだ。
「さぁ、帰ろう。……バイクはどうしようか?」
『後で回収するしか無いだろ。……面倒だけれど、ハーグに頼むしか無いな』
そしてブルースは、立ち上がった。
その時、ダイモスは視線を感じた。
その方向を振り返ると、無機質かつ不気味に立ち並ぶ構造物ばかりだった。
「……何かいた気がするんだがな」
ダイモスは呟いて、ハルと共に帰路についた。
構造物、その一つ。屋上で帽子屋は先程の戦闘の様子を眺めていた。
帽子屋は微笑む。
「やっと……ついにここまでやって来た。さぁ、最後の仕上げまであと少しだよ。ダイモス・リッペンバー、ハル・リッペンバー。君たちがさらに強くなり、直接会えるのを楽しみにしているよ」
そして帽子屋はそこから、一瞬にして姿を消した。
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