第121話
そして、大会――その当日がやってきた。今年は去年と比べて場所が学校から近く、バスで直ぐに行くことが出来るという。
バスに乗っているマーズはその日程を確認しながら考え事をしていた。
結局、ルールが変わることは無かった。普通に考えれば当然にも思えるが、それでも彼女はルールが土壇場で変更される可能性も加味していたのだ。
「結局ルールは変更も追加もされることはなかった……。なんというか理不尽めいたことになりそうね」
「ルールを完全に理解しきれたか、それが微妙なところだな」
マーズの独り言に崇人が反応した。
それを聞いて、マーズは溜め息を吐く。
「流石にそれは問題ないと思うけど……、まぁ可能性としては考慮してあるし、きちんと皆にルールブックを手渡している。それに関してはルールブックを適宜見てもらうことで納得してもらっているわ」
「それが一番だな」
「あの……一体全体何の話をしているんですか?」
マーズと崇人の会話に割り入ったのはシルヴィアだった。シルヴィアはちょうど二人が座っているシートの真ん中に顔だけを出す形で話しかけていた。
崇人は先程ファーストフード店で購入したミルクティーを飲みながら、言った。
「別に難しい話題をしている訳じゃあない。ただの確認だ。確認しておかないと、何かあったとき困るからな……」
そうですかぁ、とどこか抜けた感じにシルヴィアは言って元の位置に戻った。
今回崇人はコーチという役割で大会に参加する。サポートに関しては別に規約などないため、このようなことが出来るのだ。
「それにしても……今年の会場は思ったより遠いな。誰だよ、近いからすぐ着くよーとか言ったのは」
崇人の溜め息を聞いて、マーズは肩を震わせる。
そう。
そのことを自信満々に言ったのはほかでもないマーズだったのだ。
マーズははっきりとした土地勘を持たない。過去には土地勘があっただろうと思われるが、しかし彼女は長年の任務であまり国に居ないこともあり、土地勘というものをすっかり失ってしまったのだ。
だが、厄介なことにマーズはそれをあまり理解していないし、理解出来ていない。それをそのままにして――言うならば曖昧な土地勘のままで崇人の質問に答えていたというわけだ。
「そういえばそうだったかもしれないわねぇ……」
マーズは自分のミスだと思われたくないからか、そんなことを言って鼻歌を吹く。
崇人はそんなマーズの適当な調子にうんざりしながら、窓から景色を眺め始めた。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
会場に到着したのはそれから三十分程経った時のことだった。
バスから降りて、風景を眺める。ターム湖の畔にあるコロシアムは涼しい風が吹いていた。
「いい景色だなぁ……。なんというか、今日あった嫌なことが凡て吹き消されたみたいな感じだ」
「なんかそれ、私が悪かったみたいな言い種よね? 完全に私が悪いだとかそーいうわけではないよね?」
崇人の言葉にいち早く反応したのはマーズだ。マーズは自分が崇人を疲れさせてしまったのではないか――そう考えていたらしい。
崇人は呟く。
「というかマーズ、最近どうしたんだ? なんかカリカリしている気がするし、気分が悪いなら直ぐに伝えろよな」
「うん……。わたし、そんなに気分悪そうに見える?」
「気分悪そうに見える、というか若干不安定に見えるのはきっとみんなそうだと思う。まぁ、あまり自分だけで考えすぎないほうがいいと思うぞ。大会のことなら尚更だ。ここにいる人間は全員チームなんだぜ?」
「それもそうね……。まぁ、少なくとも今は隠し事なんてまったくしていないからそこまで心配しなくてもいい」
マーズは崇人に笑顔を見せて、そう答えた。それを見た崇人はマーズの肩を叩いて、小さく頷いた。
「……なんというか、あれ絶対できてるよね?」
マーズと崇人の会話を隠れて遠いところから見ていたヴィエンスとリモーナだが、その片割れであるリモーナはそう言った。
対してヴィエンスはクールに、驚くことなどせず、
「まぁ、前々からそういう兆候は見られていたぞ? なんというか、お似合いと言えばお似合いだし、そもそもあいつは入学してからずっとマーズの家に住んでいるんだから、そういう関係に発展してもおかしくないし寧ろ自然だよな」
「それもそうかしらねぇ……」
そう言ってリモーナは溜め息を吐く。
リモーナが彼に対してどういう印象を抱いているのかそんなことは容易に想像出来たが、しかしてそれを口にする彼でも無かった。案外彼は空気が読める人間なのである。
「……中央チームの方々ですね?」
背後からそれを聞いたリモーナとヴィエンスは即座に振り返る。そこに立っていたのは腰を丸めた男性だった。男性はそういう身体だったが、身なりは至って普通であった。執事めいたタキシードを着ていたのだ。
深みのある声は、その声を耳にした者をそちらに意識を集中させる。だからこそ、その声を聞いた二人は即座にその男性の姿を目視することが出来たのであった。
「……中央チームの皆様でございますね? わたくし、今大会での案内役を務めさせていただくグランドと申します。以後お見知り置きを」
そう言ってグランドは深く腰を折った。
「グランドさん、私が中央チームの監督を務めるマーズ・リッペンバーです」
気が付けばリモーナとヴィエンスの間にマーズが立っていた。二人はそれに驚いたのだが、対してマーズはそれに臆することなく、話を続ける。
「今回は会場が変わったということで思ったより時間がかかってしまって……」
「いえいえ。何ら問題ありません。寧ろ早すぎるくらいです。開会式が始まるのはこれから二時間くらい先のこと。そして大体半分くらいのチームが、既に到着済みとなっています。即ちあと半分のチームが到着していない……ということですね」
「それほど到着していないチームがいて……その……成り立つんですか?」
「えぇ、成立しますよ。問題ありません。……それではご案内させていただきます。会場に荷物を運ぶこととなりますが、自分で持ち運びください」
そう言って。
グランドは振り返り、ゆっくりと歩き出した。崇人たちはそれを見て、慌ててバスから荷物を取り出した。
コロシアム内部、その通路にて彼らは歩いていた。コツ、コツ、コツ……と足音だけが空間に響いていた。
ただ崇人たちは歩くだけだった。グランドの指示に、ただ従うだけに過ぎなかったのだ。
「今回の開会式は非常にユニークなものとなっております」
唐突に、グランドは言った。それを聞いて理解出来なかったのは崇人たち全員だ。当然といえば当然かもしれない。突然そんなことを言われて直ぐに反応出来るのは難しい。
「あの……ユニークというのはどのようにユニークなのかしら? 奇抜な感じ……そういう解釈で構わないのかしら?」
マーズの言葉にグランドは何度も頷く。どうやらそれで正しいらしい。
グランドはそのまま歩いている形で話を続ける。
「話をすれば非常に長くなるんですが、かといってこれから始まる大会……その開会式について何も知らないのもどうか。ならば非常に簡単に、かいつまんで話させていただきます。そのユニークな開会式について……」
「グランド、長話している暇があるならさっさと選手を控室に送り届けろ」
声が聞こえた。
振り返るとそこには長身の若い男性が立っていた。がっしりとした体格で、たった一言にまとめるならば筋骨隆々ということだ。
その男性が立てば普通の人間ならば一瞬で脅えてしまうことだろう。だがその老人はそんなのはいつも通りの所作だと言わんばかりに答えた。
「なんだねレイヴン。ただ私は話していただけだ。それも開会式の説明だよ。選手ならば得ておかなくてはならない知識の一つである……そう判断したから、私が話した迄のことだ」
レイヴンと言われた男はそれを聞いて小さく溜息を吐く。長身の男であるレイヴンは、頭を下げた。グランドのやっていることに呆れているのかもしれなかった。
「……なんというか、上司はあなたですから簡単に非難できないのが嫌なところですよね」
「別に私はその地位を自分のために使った覚えなどない。今話していることはただの世間話だ。それくらいしたって何の問題もないし、怒られることもなかろう?」
「まあ、それもそうですが……。それでも、選手はここまで長旅を続けてきたのですよ。少しくらい休ませてあげてもいいのではないでしょうか?」
丁寧に、丁寧にレイヴンは言った。目の前に客人である選手――マーズたちがいるからだろうか。それとも地位の高いグランドにここで漸く敬意を表したからだろうか。どちらかなのは確かだが、それがどちらであるかは解らなかった。
「……解りました。失礼しました、中央チームの皆さん」
そう言ってグランドは深々と頭を下げる。突然の行為にマーズたちは慌ててグランドに頭を上げるよう言った。
だが、グランドは案内人としてこの職業を長年務めている人間だ。そう言われたとしても簡単に頭を上げることなどしない。彼らはそういう仕事を務めているのだから。
「それでは改めてお部屋の方に案内させていただきます。こちらです、どうぞ」
「部屋……ってホテルめいた部屋があるわけじゃなし……」
独り言のようにリモーナは呟いた。
少なくともこの時まで彼女たちは完全に嘗めきっていた。このコロシアムにある施設がいかがなものかということを、見もせずに過小評価していたのだ。
だから、彼女たちの目の前に観光地にあるようなホテルめいた空間が広がった時には、あまりの驚きに何も言えなかった。
「こちらが当コロシアム自慢の宿泊施設となります。経営不振により営業停止となったホテルをホテルごと買い取りまして、こちらに移設した……それがこちらの『ホテル・バルサドーレ』になります」
果たしてグランドの説明を彼女たちはきちんと聞いていたのかどうか、それは正直なところ定かではない。
何故なら彼女たちは目を輝かせていたからだ。予想を遥かに上回る施設に驚いていたのだろう。
ひとつ、グランドが咳払いしたことで漸く彼女たちはグランドに意識を向けた。
「……それではこちらが鍵になります」
グランドはポケットから鍵束を取り出した。そして鍵束からフラジェス――紫色の小さな花だ――のキーホルダーがついていた鍵を見つけ、それを外した。
そしてその鍵を、マーズに手渡した。
「こちらが鍵になります。仮に無くされたとしてもマスターキーが残っているので何ら問題はありません」
「無くされたことについて、即座に言われてもなぁ……」
マーズはそう言いながら鍵を受け取った。鍵は小さく、金色に輝いていた。
「無くしたことについて、最初に言っていますが。それでも出来ることなら無くさない方が得策です。それならば我々も手を煩わせることもありません。ですが、毎年必ず現れるのですよ。そういう人間が」
「なんというかそれは……。何も言えないな……」
普通に笑い飛ばしてもいいような場面だったが、マーズはそのようなことはしなかった。マーズ自身もどこか抜けていて、そういう失敗をやりかねないから――などと思ったのかもしれない。
だからこそ、そのように万が一そのような事態があったとしてもいいように――要するに逃げやすい口実を作ったということであった。
「それでは、どうぞごゆっくり。まだ開会式の開始時刻は明確に決まっていませんが、決まり次第連絡いたします」
そしてマーズたちはグランドと別れた。
「うわー、タカト見てみて! ここのベッドとてもクッション性が高いわよ! まるで高級ホテルね!」
「さっきも言っていたけど、きっと前のホテルからインテリアごと買い取ったんじゃないか? そこそこ手入れのあるものはそれごと……だとか」
マーズたちはそれぞれ用意されていた個室にて、休憩をとっていた。とはいえどちらにしろ先ずは開会式があるため、一先ずマーズの部屋に全員が集合している状態である。
冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターをコップに注いだ崇人は、それを飲み一息吐いた。とはいえ彼もまた違った形で緊張していた。去年は選手として――だったが、今年はコーチだ。選手を補佐する役目についている。それは選手以上に難しい立ち位置だ。
では、コーチはいったい何をするのだろうか? 崇人はそう訊ねられても、一つの答えを導き出せる気がしなかった。
何故ならコーチとはいったものの何をすれば良いのか明確に決まっていないからだ。
コーチという役割がこの世界で定義されていないだとかそういうわけではない。チームの中でコーチという地位の役割が定義されていないということだ。いってもなかなか難しいことだろうが、しかして崇人はそれをどうすればいいか悩んでいた。
かといって他の人に相談するのは、なんとなく恥ずかしいと思っていた彼はコーチの役割を彼なりに解釈した。その結果が監督を補佐し、チーム全体のサポートにあたる――ということだ。
「とりあえずいつ頃開会式が始まるのか。それはきっと電話とかで伝えられるだろうから、寧ろ何の問題もない。問題になっているのはそれではなく、相手の戦力だ。誰も彼も『大会』に出場しているのだから、その実力は折り紙つきだからな」
「折り紙……つき?」
崇人の発言に首を傾げるマーズたち。その反応を見て崇人はしまったと顔を顰めた。
『折り紙つき』の折り紙――とは紙を横半分に折ったものであり、決して崇人の世界にあった折り紙と同義ではない。
それでもマーズたちはその折り紙という言葉を理解していない――或いは知り得ていないらしく、首を傾げているようだった。
「ま、まあはっきり言うと折り紙つきっていうのは品質が保証されているとかそう言う意味で……」
「ああ、成る程!」
マーズが崇人の言葉に助け舟を出す。ここで崇人が異世界人であるということを知っているのはマーズだけだ。だから、自ずと助け舟を出すのは彼女だけとなるのだ。
「……とりあえず、その保証されているってわけですか。そういう人たちがいると」
「そういうことになるね。というかそういう人しかいないだろう。大会は、王の目に止まればその場で起動従士になることができる。だから王に自分の活躍を見てもらいたいがために、必死になるんだ。それがこの大会のもっとも醜く、ドロドロとしているところかもしれないな」
醜いところ、と崇人は言った。それは間違っているようで的を得ているのかもしれない。
大会はシンプルに言えば、若い人間の能力を見るお祭り騒ぎだ。しかし国からすれば突き抜けた能力を持つ若者は直接国が捕まえておく――そのための行事だと言われている。
だが、実際にそれは周知されている。理由は簡単、そのように意識を高めてもらうためだ。意識が高い人間を雇う。例え起動従士のことでないにしても当たり前のことといえるだろう。
「そのように周知されている、イコールそのように選手がしても構わないということを表しているんだ。それの意味することは……誰にだって理解できるはずだ。この大会はオーディションだよ。確かにオーディションという名前はとっていないにしろ、中身は完全にオーディションのそれだ。合格したもん勝ちなんだよ、こういうのは。だから今から君たちに教えるのは合格するための極意……みたいなものかな。そういうのを教える」
開会式に出るためにグランドから再び声をかけられたのは、それから三十分後のことであった。
「それではこれから開会式が始まりますので、メンバーの皆さん私についてきてください」
グランドの言葉にマーズたちは頷く。そしてマーズを先頭にして、彼女たちはその部屋を後にした。
会場の中心には広いホールがあった。屋根は観客席にのみあり、実際に競技が繰り広げられるグラウンド部分は屋根が存在しないものとなっている。
だから、会場に立っている選手たちは炎天下の中長い話を聞くことになるのだ。
「あー、去年はひどかったよなあ……。大会委員長がおなじセリフを六回言ったんだっけか……」
「そんなことがあったわねえ……、って……えっ? そうだっけ。すぐ終わったんじゃなかった?」
「そうだったか? まあ、人間の考えてることなんてすぐ忘れちまうもんだよ」
「うーん……そうかもしれないわね。あっ、開会式が始まるわよ」
マーズの言葉を聞いて、崇人とマーズの会話は少々強引な形をとって終了した。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
さて、一方その頃選手たちは炎天下の中、開会式に参加していた。
今年の大会委員長の挨拶は去年があまりにも短かったことをネタにして、それから二十分以上話し始めた。何でも、去年ほど熱中症になりやすいわけではないから、ということらしい。
「えーっと、そういうわけでスポーツマンシップに則って……」
「スポーツマンシップってもう十回くらい言ってない? なんというか、覚えたての言葉をただひたすら話している子供めいた感じがするけれど」
「それは言わない約束だよシルヴィア……」
シルヴィアとリモーナは隣同士になっているので、彼女たちは声のトーンを少しだけ落とし気味で話をしていた。バレたら大会の委員から怒られそうなものだが、今の彼女たちにはそんなことどうでもよかった。
シルヴィアとリモーナはその委員長の話を聞いているのか、少なくともほかの人間には解らなかった。あくまでも話をしているのがバレないようにしているためであり、周りの人間にもそれが聞こえないようにしているのである。
「しっかしまあ……長い話しだよね。このまま聞いてたら熱中症になっちゃいそう。水分補給とかもないし」
「ほんとそれよね。ただ、去年はあまりの暑さに委員長の挨拶は短くすべきだという意見が多かったらしいよ?」
「そんなの、毎年それでやってほしいよ……」
シルヴィアとリモーナはそう言って笑みを浮かべる。
因みにこんな間でも委員長の話は続いていた。長々と続く話に選手の殆どはもううんざりしていた。
「……であるからして、今年は去年ほど暑くはありませんが湿度が高いとのことですので、熱中症には気をつけてください」
「お前が言うなよ……。この話で十分以上潰れているってのに……」
「まぁまぁ……そう言わずに」
シルヴィアの言葉を聞いて、それを宥めるリモーナ。シルヴィアが放った言葉は他の選手が思っているとはいえ誰も発しなかった言葉だ。何故ならみんなこの暑さにやられてしまっているから、と言っても過言ではない。
リモーナは溜息を吐いて、正面を見た。正面ではまだ委員長が話をしている。もう彼女が覚えている限りでは二十五分近く話している。あまりにも長い。これでは熱中症になるのも頷けてしまう。
「まあ……なんというかシルヴィアがそういうのも頷けるけどね……。あまりにも長すぎるよね。うーん……もうすぐ終わらないかなあ」
「であるからして……! スポーツマンシップに則って行動して欲しい! 特に去年めいたことのないように!」
「あ、やっと終わった」
委員長が頭を下げたのを見て、彼女たちは漸くそれが終わったのを確認した。
時間にして二十七分四十六秒。選手もそうだが、見ている人もとても暑いと思った、そんな挨拶であった。
だが、開会式はこれで終わったわけではない。まだまだ開会式は序盤の序盤である。
委員長の挨拶のあと、大会副委員長からのルール説明、選手代表による選手宣誓、準備体操……それさえ見れば普通の運動会のそれとも言える開会式は、特に何事もなく進行し、全行程を四十五分かけて終了した。
「まさか委員長の話しが三十分近くもあるとはな……」
崇人の言葉に、歩いていたリモーナとシルヴィアは頷く。シルヴィアとリモーナはあの炎天下の中四十五分も立ちっぱなしだったのだ。疲れていて当然だろう。もうぐったりしていた。
「今日はもう休め。確か今日は休養日で、開会式のあとは何の予定もなかったはずだ。選手たちで晩餐会が開かれるのもあるが、それがあっても今はまだ十四時。晩餐会が開かれるまで四時間もある。少しくらい休むことだって出来るだろ」
「マーズさんは?」
「マーズか? あいつなら……たぶん仕事でもやってるんじゃないかな。確か何か仕事があるとか言ってて、それを持ち込まなきゃいけないから大変だとか言っていたし」
「タカトさんはそれをする必要は……?」
「無いってわけじゃないけど、あくまでもあの仕事はマーズに任された仕事だからな。だから、マーズが手を離せないこのタイミングでは僕が指示するしかないってわけだ」
「結構大変ですね。副リーダーってのも」
「雑用めいた仕事だからな。ある意味リーダーより忙しいかもしれんぞ?」
崇人はそう言って笑みを浮かべる。シルヴィアとリモーナはぐったりしていた様子だったが、受け答えがはっきりしているところを見るとそれほどまでに疲れは蓄積していないようだった。それを見て、崇人はほっと一息吐く。
とはいえ、彼女たちは『選手』だ。大事な人材であることには変わりない。彼女たちが大会で戦い、いい成績を収めていくことで学校のためになり、結果として選手個人のためにもなる。素晴らしい成績を収めた選手は起動従士としてヴァリエイブルに仕えることが出来るからだ。
起動従士としての才能がない、俗に言う『一般人』は起動従士を軍の狗だと批判することもあるが、しかし実際にそんな扱いで活動しているわけではない。起動従士は国王の命令に従う必要があるが、それはあくまでも国民を守るためである。
「……すいません、副リーダー。ちょっと用事が出来てしまったので少し離れてもいいですか」
唐突に。
ファルバートは崇人にそう言った。
崇人は踵を返し、ファルバートの方を向く。
「別に構わないが……いったいどこへ?」
「知人がこのあたりに住んでいるんですよ。だからそこへ行こうと思いまして」
はっきり言ってこれは嘘だ。嘘を塗り固めた戯言に過ぎない。
だが、今崇人にそれを判断する手段などない。だからすぐに解ることなどない。
だから。
「ああ、構わないよ」
崇人はそれにゴーサインを出した。選手の体調などを管理するのがリーダーや副リーダーに課せられた仕事として設けられているが、しかしプライベートにまで関与する必要などない。それは誰にだって理解出来ることだった。
だから崇人はそれに素直に頷くことしか出来なかった。これに関して、彼を苛めることなど、到底誰にもできることではない。
「ありがとうございます。それで、十八時までに戻ればいいんですね?」
「ああ。それまでに戻らないとバスが出ちまう。会場まで歩きでいいっていうなら別に十八時じゃなくとも会場の場所を教えるが」
「いいえ、大丈夫です。それじゃ」
そう言ってファルバートは踵を返すと、崇人たちと違う方向へと歩き出した。
ファルバートを見送るようにして、メルが一言。
「なーんか怪しいね」
「怪しい?」
「うん。何か隠し事をしているみたい。それも大きな大きな、隠し事」
メルからそれを聞いた崇人は首を傾げる。
確かにファルバートはつい先日までシルヴィア・メルとリーダーの座を奪っていた、敵に近い存在だった。
そんな彼が僅か数日で和解する。普通ならば考えられないことだとメルは考えていたのだ。
確かにそれは崇人も引っかかっていた。しかし彼としてはそれよりもメンバーが仲良くしている、その現状を見ているだけで何の問題はないと思っていた。だから彼もそこまで疑問に抱くこともなかったのだ。
「だーかーら! あいつはぜったい怪しいんですよ! 特にリーダー決定戦であっさりと負けてから! 何か裏があるようにしか思えませんっ!」
メルが感嘆符つけまくりの文句を崇人にいうのを、崇人は必死で落ち着かせようとする。
崇人としてもそれは疑問と思うことはなかった。
今、メルにそれを言われるまで。
そう考えると崇人は無能な人間のように思えてしまうが、崇人は人を信じて信じて信じ抜く人間だ――と思えば若干彼に対する情状酌量もあるだろう。
溜息を吐いて、崇人は言った。
「先ずは人を信じるのが大事だろ。信じて信じて信じ抜く。それが僕の取り柄みたいなもんだ。まあ、それを逆手に取られて使われるパターンだってあるかもしれないし、前にあったかもしれないが、今そんなことはどうだっていい。ともかく、僕は信じると決めた。君たちが疑っていようともね」
その言葉にメルやシルヴィアは頷くことしかしなかった。別に彼は彼なりの意見を述べただけだったが、彼女たちからすればただの無能としか思えないのであった。
◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇
その頃。
ほかのメンバーと別れたファルバートは一人コロシアムの近くにある街をぶらついていた。町はまだ昼間だというのに酔っ払いがちらほら見受けられた。
そもそもこの町は酒場が発展している町として国内外で有名である。ビールが名産なため、安く大量にビールが手に入るからかもしれない。ともかく、ビールが美味く、かつ安いということから、この町には酒を飲みにたくさんの人間が朝っぱらから酒場に屯しているのが現状だ。
ファルバートは誘われるようにその場所へと足を踏み入れていた。バー・ローグウェル。場末のバーである。中に入ると寂れた雰囲気が店の中を包み込んでいた。そしてそのカウンターにはその寂れた店に似合う草臥れた格好をした店主がいた。顎鬚を生やし、どちらかといえばファルバートがあまり会うことのないような人種だ。
「ここは子供が来るところじゃねえぜ」
喉を酒に焼かれました、と自分で告白するような嗄れた声で店主は言う。ファルバートに退出を求めたのだ。客がもし居たら、彼の意見に賛同することだろう。
しかし、
「まあ、そう悪いことを言うもんじゃないぜ」
気が付けばそこには一人の男がカウンターにいた。店主はそれに知っていたようだが、まさか彼がそこで助け舟を出すとは思っていなかったのか、目を丸くしていた。
「ちょ、ちょっとあんた……。まさか子供を連れ込むなんて」
「子供を連れ込んだことは悪ぃと思っているよ。だが、ちょっと見逃しちゃあくれないか。俺はこのバーが好きだ。それはこのバーの雰囲気から店主であるあんたさんのことも好きだ。だからここをそういう場所に選んだ。……いろんな『闇』を見てきたあんたなら、その言葉の意味は充分と理解できるだろう?」
それを聞いて店主は頷く。
「あ、ああ。……そいつは有難いね。嬉しいことだよ。そんなにもここを愛してくれているなんて。人が来ないバーだから、そんなことは嬉しいよ」
「人が来ないからこそ、だろ。だからこういう話だってできる。格好のポイントだよ」
「そ、そうかい。そう言ってもらえると嬉しいよ、ザンギさん」
ザンギという男は店主の言葉を聞いて、笑みを浮かべる。
そして店主はもうそれ以上何も言わなくなった。
「ありがとうございます。えーと……」
「ザンギだ。そのまま、ザンギとでも呼べばいい」
「それは駄目だ。年上にはそれなりの礼儀をする必要がある」
ファルバートが言うと、ザンギは舌打ちする。
「最近のガキはきちんと教育がなっているもんで助かるな。……さて、用件を言おう。俺は先ず『シリーズ』とやらの手下だ。だが俺はシリーズが何だか知らないし知る必要もない。知った瞬間に殺されるような悍ましい気配を感じているからな。俺だって命は惜しい。だから、俺にシリーズのことを聞かれても知らねえ。それだけは承知しておいてくれ」
その言葉を聞いてファルバートは頷く。
ザンギは並々に注がれた酒を一口啜る。
「おい、何か飲むものは欲しくないか。話が長いからな、飲み物でも飲みながら話をしたほうがいいだろうよ」
「それじゃ……というか未成年が飲める飲み物って何があるんです?」
「いろいろありますよ。だいたい言ってくれれば作ります」
「……というか、ザンギさんが飲んでる乗ってコーヒー牛乳じゃないんですか?」
ファルバートの言葉を聞いてザンギは豪快に笑った。
「これを見てそんなこというやつは初めてだぁよ! こいつはなカルーアミルクってんだ。カルーアっちゅうコーヒー・リキュールを牛乳で割ったもんだ。確かに味はコーヒー牛乳めいているが、アルコールが入っているしその度数は決して低くないぜ」
「まあ、コーヒー牛乳なら普通に作れますよ……」
店主の言葉を聞いてファルバートは、それじゃコーヒー牛乳で、とだけ言った。店主は頷くと、無言で踵を返しコーヒー牛乳を作り始める。
コーヒー牛乳が出来るまでそう時間はかからなかった。ブラウンの液体がコップに並々まで満たされている。氷がブラウンの液体の隙間から覗き込んでいたり、ミルクがまだ充分に混ざりきっていないのか白線を描いていたりしている。
「はい、コーヒー牛乳お待ちどうさま」
店主から受け渡されたそれを、ファルバートは眺める。ブラウンのキャンバスに描かれた白線と、アクセントと化している氷がとても芸術的だった。飲む前に楽しめるコーヒー牛乳があるのか、彼は知らなかったし、ここで初めて見ることになった。
「それじゃ、俺はもう飲んで半分くらい減っているが」
そう前置きして、ザンギはグラスを持ち上げる。
その行動を見て凡てを察したファルバートはグラスを持ち上げ、そしてお互いのグラスを軽くぶつけた。
そして二人は一気に一口飲んだ。
ファルバートはコーヒー牛乳を喉に流し込んで、一息吐いた。
「外は暑かったからな。とても冷たくて、身に沁みる感じが解るだろう?」
それを聞いてファルバートは頷く。
ザンギも一口飲んで、カルーアミルクの入ったグラスをカウンターに置いた。
「さて……それじゃ本題と行こうか。とはいっても、それほど重要なことでもないんだがな」
そう言ってザンギはポケットから紙を取り出した。
「それは?」
「さあな。俺も解らねえ。見るな、と帽子屋、だっけ? あいつに言われているもんだからな。そいつがいうにはお前が見れば凡て解るとか言ってた。じゃ、そういうことで」
そう言ってザンギは立って、お金をカウンターに置いていった。
「これは俺の分、そしてこの坊主の分だ」
それを受け取って店主はザンギに頭を下げる。
ザンギを見送り、店には店主とファルバートの二人だけになった。
店主はグラスをずっと拭いているだけだ。
ファルバートは大きく深呼吸する。これを開けると、何か自分が戻れなくなるようなそんな気がした。
「どうしたの。さっさと開ければいいじゃない」
気が付けばファルバートのとなりにはあの精霊が座っていた。ちょこんと座って、気が付けばファルバートの飲んでいたコーヒー牛乳に口をつけていた。
「お、おい」
「いいでしょ別に一口くらい。どうせおごりなのはかわりないんだし」
「そ、そうだけど……」
「そんなことより。開けてみれば? きっと重要なことが書いてあるに違いないわよ」
「何で解るんだ」
「精霊だから?」
精霊の適当な言葉を聞いて、ファルバートは決意した。
そして、折りたたまれた紙をゆっくりと広げていく。
広げきると、そこには文章が書かれていた。
――明日午後六時、コロシアム地下倉庫にて待つ。
「ほらほら。なんて書いてあったの? ……うーん、果たし状? デートの約束にしては仰々しいものね」
精霊の少女はぺらぺらと話すが、ファルバートの思考は追いつかなかった。
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