第81話

「ダメだ、マーズ・リッペンバー! もうここには避難命令が出ているんだ!!」


 マーズ・リッペンバーは倉庫にある一機のリリーファーに乗り込もうとしていた。

 しかしそれを止めようとする、整備士がいた。先程もメガホンをもって避難命令を指示していた人だった。


「だからって……友達を助けていけない理由にはならない!!」


 マーズはその整備士に言葉を吐き捨てて、リリーファーへと乗り込んでいった。

 整備士は帽子を深くかぶると、


「おい」


 リリーファーに乗り込んで、コックピットに腰掛けたマーズに声をかけた。


「……なによ」

「ルミナスだ」

「は?」

「私の名前だ。……次からはそう呼べ」


 そう言って踵を返し、ルミナスは去っていった。

 改めてマーズはリリーファーのコックピットを確認する。このリリーファーは少し古い型のようだが、そう使い勝手が悪いこともない。

 古い型だからダメというわけでもない。そんなことを言えば相手のリリーファーだって最新型ではないはずだ。


「レティシア。あなたはいったいどうして……」


 マーズはレティシアの『好意』を『好意』であると受け取ったことはない。あくまで友人としての関係でそれを受け取っただけに過ぎず、『恋人』としての好意は受け取ったことがない。

 対して、レティシアはそれが『自分を拒否しているのだ』と考えていた。ここまで好意を蔑ろにしているマーズは、おかしい。ここまで自分が愛しているのに。ここまで自分が愛している素振りを見せて、告白をしているのに。

 マーズはそれを『本当の意味で』受け取っていない。

 そのことにレティシアは怒り心頭であることに――マーズは気付いていない。


「……ともかく、行動を開始しなくちゃ……ねっ!」


 そう言って彼女はリリーファーコントローラーを強く握った。



 ◇◇◇



『どうやらマーズ・リッペンバーのほうもリリーファーに乗り込んだらしいぞ』


 その情報がレティシアの耳に入るまで、そして理解されるまでそう時間はかからなかった。

 レティシアは笑っていた。愉悦にも似た表情だ。恍惚とした表情だ。その理由はとても理解しがたいものだろうが、それでも彼女は笑っていた。


「マーズ……私の気持ちに気付いてくれたのね……。私があなたのことを、これほどまでに愛しているということに!!」


 もう、そこには今までの冷静沈着なレティシア・バーボタージュはいない。

 いや、寧ろこれが通常の状態なのかもしれない。隠していたのかもしれない。

 レティシア・バーボタージュはマーズ・リッペンバーを愛していた。

 そしてそれは今も現在進行形で、彼女の心の中に存在し続けている。


「さあ、マーズ踊りましょう。このダンスを。リリーファーとリリーファーの攻撃によって奏でる、このワルツを!」


 そして、レティシアの乗り込んだリリーファー『ディアボロス』は高く跳躍した。

 そのまま――屋根を飛び越え、地上へと驀進していった。

 それを追いかけるように、マーズの乗ったリリーファー『ペスパ』も地上に向けて高く跳躍していった。

 それを眺めていたルミナスは小さく舌打ちした。


「……乗っているのが学生だと思って油断したな。まさかあそこまですごい動きをするとは……こんなことさえなければ普通に起動従士に選ばれただろうに」


 その呟きは、誰が聞いたわけでもなく、ただ空気に溶け込んでいった。



 さて、地上に飛び出したペスパとディアボロスはコロシアムの中央に対面していた。

 まだ前日なので誰も観客など存在しないが、そのコロシアムに広がる緊張は『大会』の決勝戦のそれに等しかった。


「……ねえ、レティシア」


 マーズはペスパに備え付けられている通信機能を用いて、ディアボロスに通信を試みた。ここにあるリリーファーはデフォルトでは同じ周波数に設定されているはずなので、通信機能をオンにするだけで通信が可能となっているはずである。なので、もしこの状態で受け取れていないとすれば、通信の周波数を変更したか機能をオフにしたかの何れかだ。


「マーズ……」


 だが、レティシアはそれに答えた。マーズの通信に答えたのだ。

 それを聞いて驚いたが、外に出さないように、慎重にマーズは言葉を選んでいく。


「あなた……どうしてこんなことをしたの? こんなことをして、許されると思ったの?」

『そう御託を並べてどうするつもり……!? 私を拒絶したいんでしょう、私を破滅に追いやりたいんでしょう! そんなことは許されない。許してはいけないの。私が好きなのはあなたただ一人……ならば』



 ――死んでしまえばいいのよ。



 レティシアは至って普通な口調でそう言った。

 レティシアの話は続く。


『殺してしまえば、死んでしまえば、あなたがほかの人間と何かをするわけでもないし、ほかの人間からあなたを守ることが出来る。だとしたらそれは、とても最高の結果になるとは思わない?』

「……残念だけど、私はそれが素晴らしいとはまったく思えないわね」


 マーズは直ぐにその言葉を否定する。

 だが、レティシアはそんなことを無視して、さらに話を続けていく。


『あなたという存在が居たから、私はここまでやってこれたの。逆説的に考えれば、あなたも同じでしょう? あなたは私という存在がいたからこそ、この地まで、この日まで、このイベントまでやって来ることが出来たのよ!』


 それについてマーズは否定することが出来なかった。確かにレティシアが居なければマーズは別の人生を歩んでいたに違いなかったからだ。

 マーズもレティシアも、それぞれがそれぞれに依存していた。

 レティシアはマーズに出会ったからこそこの道に進んだ。そして、マーズもレティシアに出会ったからこそこの道に進んだのだ。

 共依存。

 お互いがお互いに依存し、その関係に囚われて逃げることが出来ないのだ。


『ねえ、マーズ』


 レティシアは静かに、ゆっくりとそう言った。

 マーズはそれに答えなかった。


『ねえ、マーズ。どうして私の言葉に答えてくれないの? 私のことが嫌いなの? 私のことをあなたはもう見てくれないの?』

「寧ろ……聞きたい。なぜ私なのだろうか? 世の中に女性がたくさんいるだろう……なぜ?」

『マーズ・リッペンバーでなくてはならないからよ。わたしは初めてあなたを見て、私はあなたに恋をしたの。そしてわたしはあなたのものになるべきだと……密かにそう思っていたのよ』


 その理論は明らかにぶっ飛んでいた。誰がどう聞いてもネジが一本取れている、と思うくらい見当違いな理論だった。

 だが、レティシアにとってもはやそんなことはどうだっていいのだろう。彼女はただ、マーズ・リッペンバーを愛することが出来れば、それだけでいいのだから。


「レティシア。……もうこんなことやめてくれないか。これから何も産み出されない。産み出されることなんてないし、私は戦うことを望んでいないだ。レティシア、あなたを止めるために、敢えてあなたと同じ土俵に立って話をしているのよ。その意味を、解ってほしい」

『結局あなたは、私のことを理解してはくれなかった』


 レティシアは、低い静かな声で言った。

 その言葉と同時にディアボロスはゆっくりとペスパの目の前を目指して動き始めた。


『あなたは私の感情を理解してくれなかった。私はこれほどまでにあなたを愛しているのにあなたはくだらないと掃き捨てた』

「違う、違うんだレティシア」

『だったら私は考えた……あなたを殺そう、と。だってそうすればあなたは私を拒否することはないでしょう? あなたはずっと私のことを見てくれるでしょう?』

「……果たしてどうだろうな」

『えぇ、そうよね。きっとそんなことをしてもあなたは見てくれない。それはもう、確信したわ。あなたを殺そうとしたって、あなたは強すぎる。とても私には倒すことが出来ない』


 一息。


『ならば、どうすればいいのか。……簡単な話だったのよ。どうして、どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのか』

「レティシア、あなた何をする気……?」


 マーズは何かを悟ったのか、目を細めてリリーファーコントローラに静かに手を置いた。

 レティシアは微笑む。


『簡単な話よ。幼稚園児だって考え付く逆転の発想で当たり前の発想。考えられる中でも最大限、あなたが私を忘れられないようにする手段』


 ガコン、と何かのレバーを引き抜いた音が聞こえた。


『そしてそれは、色んな人を巻き込むことになるでしょうね。私は天国にはいけないかもしれないわ』

「よせ……よせ……やめろ……!」

『もう止められないわ、マーズ。もうこれを実行してしまっては、止めることなんて出来ないのよ。せいぜい誰かを助けるといいわ。……どうせ私のことは、もう嫌でも忘れられないようにしてあげるのだから』

「馬鹿なことを言うな!! まさか……」


 ここでマーズはひとつの可能性を導き出した。

 リリーファーにはその科学技術が漏洩しないために、あるコマンドが用意されている。

 それはリリーファーの自爆コマンドだ。コックピットの背面裏にあるレバーを引き抜くことでエンジンがオーバークロックを行い、そのままエンジンにエネルギーが収束されていき――最後には爆発する。

 リリーファーのエンジンが生み出すエネルギーは相当量あり、一機が爆発しただけでとてつもない質量が損なわれることとなる。


『そう。自爆のコマンドだよ。このリリーファーにはついているみたいでね。そのまま使うことにしたよ』

「大会用のリリーファーに、そんなものがついている……と? 馬鹿な、有り得ない!!」

『有り得ないと思うことなんてない。世の中はとてつもない素晴らしいことに満ち溢れている。それを君が知らないだけで、それを私も知らないだけ』

「そんな哲学的な言葉を話しているほど、余裕はあるんだな」

『こんな私に付き合ってくれるほど、あなたも余裕があるんだよね? 嬉しい!』


 そう言ってレティシアは微笑む。レティシアは自らが何をしたのか解っているのだろうか。

 否、解っているからこそこのように普段通りの会話をしているのだ。

 ……だとしたら、それは立派な策士であるといえよう。

 ともかく、このまま行動しないままでいれば、大きな被害が齎されることは間違いないし、それはマーズも解っていた。そして、この様子からすればまだ増援も来そうになかった。


「つまり、わたし一人でやれ……ということだ」


 学生が立ち上がる。

 その後『女神』と呼ばれる所以となった、彼女の最初の戦闘が――今始まろうとしていた。



 ◇◇◇



 時間は少し遡る。

 具体的にはマーズ・リッペンバーがリリーファーに乗り込んで、こちらに向かってくるタイミングでのことだ。


『彼女を殺すことなど出来ないのではないか?』


 それはレティシアからの発言ではなく、ディアボロス本体からの発言であった。

 そして、その発言にレティシアは否定することなど出来なかった。

 僅かな間ではあるが、マーズとレティシアはそれぞれリリーファーの訓練を積んできた。その差は一目瞭然といったところで、マーズのほうが実力は段違いであった。


「……なら、どうすればいい。私を、レティシア・バーボタージュという存在をマーズ・リッペンバーに刻み付けるためには」

『目の前で君が死ねばいいんじゃないかな』


 瞬間的に導き出された答えは、レティシアの予想の斜め上をいった回答であった。

 ディアボロスの話は続く。


『だってマーズ・リッペンバーは君よりも強い存在なのだろう? だったら君がマーズを倒すことは出来ない。なら考えられるのは、マーズ・リッペンバーにレティシア・バーボタージュの記憶を刻み付けるようにすればいい話になる』

「それが……私が死ぬこと」

『悪くない話だろう?』


 レティシアはそれを聞いて何度も頷いた。


「そうよ、それそれ! それならいい。私のこの気持ちを、私とともに忘れられない……これは絶対にそうね!」

『そうだろう? 流石、といってもいいんじゃないかな』

「ええ。さすがよ、ディアボロス! 褒めてあげてもいいくらい……あれ? でも、私はどうやったらマーズの目の前で死ぬことができるの?」

『簡単だ。自爆用のコマンドがある。それを使えばいい』

「自爆用コマンド?」

『コックピットの背面にレバーがあるだろう。それを引けば数分もしないうちにエネルギーが凝縮されてドカン、だ。あとには何も残らないし、目の前で死ぬことができる。完璧だろう?』

「ええ、そうね! 完璧だわ……! さすがね……!」


 そう言ってレティシアは恍惚とした表情を浮かべた。

 これから起きることを、想像しているようだった。

 マーズ・リッペンバーは行動を開始した。

 通信端末の設定を外部へと変更して、声高々に言った。


「これからここに居る未確認のリリーファーが爆発を起こすと明言した! 私は若輩者ながら、これからこの爆発を最小限に抑える! だが、保証は出来ない! ……逃げてくれ、今すぐみんなここから、できる限り遠くへ、逃げてくれ!!」


 それから、数瞬遅れて、騒ぎ出す声が聞こえてきた。

 それは混沌に満ちた声の集まりだった。それは地獄を思わせるような光景だった。

 それを見てマーズは舌打ちした。本当はこのようなやり方は混乱を招くから好ましくないのだが、致し方なかった。

 彼女が今真に対策すべきことはそれよりも、自爆すると言っているレティシア・バーボタージュの方であった。今までマーズは彼女の気持ちをどうにかして変えることで最悪の事態を避けようと努力していたが、それよりも早くレティシアのほうが行動を開始してしまったために、プランを変更せねばならなかった。

 レティシアはどうしてあんなことをしてしまったのか、などと考える余裕も今はない。

 そんなことする必要ないのだ。ここまでくれば、寧ろその必要はなくなってしまい、作戦を実行し完遂することこそ意味があるのだ。

 とはいえ、まだマーズはレティシアを死なせない方法がないか画策していた。マーズにとってレティシアは大切な友達だ。そんな人間を簡単に死なせてはならない。マーズはそう考えていたのだ。


「……レティシア・バーボタージュ」


 再び、通信端末設定をディアボロスに直して、マーズは話をはじめる。


「お前はいったい、なにがしたいんだ。たくさんの人を巻き込んでまで、私に『レティシア・バーボタージュ』という名前とその存在を刻みつけたいのか」

『そうよ。あなたに私という存在を刻み付けるために、もっとも忘れられないようにするために! 私は敢えてこれを選んだの!』

「……そうか。残念ながら、私はレティシアを、あなたを忘れるなんてこともなかった。あなたの愛情を受け入れることは……ごめん、出来ないけれど、それでもあなたを忘れることなんて出来るはずもないししたくもない」

『……嘘を言わないで。私の気持ちを変えさせる戯言よ』

「そんなわけないわ。あなたのことはとても大切な友人だと思っているし、よきライバルだと思っている。それはかわりないし、変えることもしないわ」


 レティシアは答えない。

 さらに、マーズの話は続く。


「それに、あなたが死んでしまったら尚更あなたを忘れてしまうかもしれないわよ? 人は生きているからこそ、生きている人間の記憶は忘れないの。死んでしまった人の記憶は、最初は覚えているかもしれないけれど、何れ忘れてしまう。それでもいいの?」

『だってあなたはずっと私の好意を無視し続けてきた! 理解されなかった! そんな私の思いを、忘れずにいてくれるのは……あなたしかいない! そしてあなたの心に私を刻み付けるには! 私の……私の死しかないの!!』


 ゆっくり、ゆっくりとディアボロスのエネルギーが凝縮されていく。

 そして、それと比例していくようにディアボロスの躯体が少しづつ小さくなっていった。

 まずい――とマーズは思った。自爆スイッチの意味を、マーズは本で知っていたからこそ、その恐怖を知っていた。

 先ずはその被害を最小限に抑えねばならない。そう思ってマーズはディアボロスを抱き寄せた。ディアボロスから爆発的に広がるエネルギーを最小限に抑えるための作戦だ。単純ではあるが、現時点で簡単にそれを押さえ込む方法などそれしかない。


『マーズ、何をする気!?』

「あなたの乗るリリーファーが爆発したら、ほかの人にも大きな被害を齎す……! それを抑えるための手段よ……」

『何馬鹿なこと言ってるのよ! あなたを殺すわけには、死なすわけにはいかないのに!』

「あんたが選んだ選択でしょ! 黙って死に行くまで私が苦労している術を見ていなさい!!」


 レティシアはそれ以上何も言えなかった。彼女が乗っているリリーファーは今、マースの乗るペスパによってがっちりと固められていて、動くことができない。だから、逃げることもままならないのだ。

 だから、レティシアはただその場にいるだけだった。

 マーズ・リッペンバーには適わない。

 レティシアは微笑みながらそう呟くと――静かに目を閉じた。

 刹那、レティシアの乗るリリーファー『ディアボロス』のエンジンがそれぞれエネルギー凝縮に限界を迎えて――大きく爆発を起こした。

 マーズの乗るリリーファー『ペスパ』はディアボロスの爆発に耐えうる性能ではなかった。そのため、マーズは少々無理をする必要があった。コックピットが軋み始めても、たくさんのエラーメッセージが出始めても、マーズは諦めたくなかった。このまま、たくさんの人が死んでしまうのを避けたかった。



 ――死ぬのなら、私だけで一番よ……!



 マーズは考えた。マーズは自己犠牲を考えた。自分は死んでもいい。せめてほかの人は助けて欲しい。そんな神に縋るように、マーズは考えていた。

 コックピットが徐々に熱を帯び始める。

 理由は簡単だ。ペスパの装甲が爆撃によって少しづつ外れてきているのだ。そしてその隙間から熱が入り始める。言うならばここは蒸し風呂のようになっていた。

 だがマーズはそれを口に出すことはない。この爆撃によるエネルギーをここで食い止めねばならないからだ。

 自分の身体はどうなってもいい。

 それだけを思って、マーズはただディアボロスを押さえ付けていた――。

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