第63話
――はずだった。
ヴァルベリーは意を決して、コックピット内部で目を瞑ってそれを待っていた。まるで審判の時を待つ、死刑囚のように。
しかし、いつまで経っても斬撃はやってこなかったのだ。
「……?」
気になって、恐る恐る目を開ける。
すると、そこには。
ガネーシャとそのリリーファーの間に、もう一機リリーファーがたっていたのだ。
それは、赤いカラーリングのリリーファーだった。
それは、ヴァルベリーにはとても見覚えのあるリリーファーだった。
「アレス……」
気がつけば彼女は無意識にその名前を呟いていた。
「もう少し遅かったらどんなことになっていたか……ヒヤヒヤしたわ。もうこんな経験を好んでしようなんて思わないわね」
マーズはアレスのコックピットで一人呟いた。
対して、相手のリリーファー――その名前を『|聖騎士(セイクリッド)』という――のコックピットに居る少女は怒りを露にしていた。
アレスが現れた。
女神、マーズ・リッペンバーが現れた。
それは彼女にとってピンチでもありチャンスでもあった。
「マーズ・リッペンバー……」
マーズ・リッペンバー。
長い間対リリーファー戦で負けたことがない彼女のことを、いつしか誰かが『女神』と呼んだ。
そして彼女を倒すことを、いつしか『神下ろし』と呼び、多くのリリーファーが彼女に挑み、そして散っていった。
彼女は震えていた。武者震いのようにも思えるが、これはただ興奮しているだけにも見えた。
「女神を倒せば……私は神下ろし……」
彼女は笑みを浮かべていた。笑っていたのだ。
ヴァリエイブルと戦争を行っていく上で、確実にマーズと戦う場面は出てくるわけだが、まさかこんなにも早くマーズと対面するとも思っていなかったからだ。
「ついている……私はついている……!」
彼女は笑いが止まらなかった。女神マーズ・リッペンバーをこの手で倒すことが出来る機会を与えられたからだ。
とはいえ、マーズは強い。それはこの水中戦闘においても適用されることだろう。
だからこそ彼女も、彼女に圧倒的に有利な水中での戦闘としても、油断は禁物である。「さぁ、やってやろうじゃあないか」
彼女の、一世一代の大博打。
彼女はそれに勝ち、『女神』の伝説を完膚なきまでに破壊する。そして彼女は新たに女神と呼ばれるようになるのだ。
さあ、戦え。
己の強い思いを、その戦いに見せつけるのだ。
◇◇◇
その頃。
マーズは作戦を幾つかたてていた。
仮にその一つが駄目だったとしても、幾つか作戦があれば直ぐにそれをスライドさせる。そういう目的もあるから常に作戦は必要以上に考えておかねばならないのだった。
そして、彼女が考えている最優先の作戦は――。
「ヴァルベリー」
マーズが通信をオンにして、ガネーシャへ通信を送る。
『マーズ……! 助けに来てくれたのは嬉しいが、駄目だ。ガネーシャの通信は何故か知らないが乗っ取られている。今ここで話していることは凡て丸聞こえだ』
ヴァルベリーが強い口調で通信をしないようにマーズに言った。
だが、マーズは。
(それならば都合がいい)
そう考えて、ニヤリと微笑んだ。
「……大丈夫だ、ヴァルベリー。相手も常に話を聞いているのかは解らないだろう? そんなことより作戦会議だ。さっさと始めるぞ」
そう言ってマーズは一方的に作戦会議を始めた。
「何を考えているのよマーズ……!」
ヴァルベリーはそう言いながら舌打ちする。だが、だからといってこの作戦会議を終わらせることは出来ない――そう思ったヴァルベリーは仕方なく作戦会議に参加した。
「私は今カスタマイズして来てね、とても長いワイヤーを持っている。このワイヤーを使って……あのリリーファーの動きを止めようと考えている」
開口一番、マーズはそう言った。
『ワイヤーで? どういうことだ?』
そう言ってヴァルベリーは視線をアレスに移す。
確かにアレスの背中には何かが載せられていた。土煙が舞っているからかどうかは解らないが、とても見えづらく、それを発見するのに少々の時間を要した。
「それは探索しても見つからない、特別な素材で作ったものだからな。見えづらくなっているのも仕方がない」
そう言いながらマーズは頻りに何かを確認していた。
それは敵のリリーファーの位置である。マーズはエネルギーを作る際にどうしても体内が発熱してしまう、というのもあり体外へその熱い空気を放出しなくてはならない。土煙はその空気によって、立てられたものだった。
普通は体外に放出することなくその空気を体内に循環させ、再びエネルギーとして使用する。だからその行為は少々珍しいものだった。
だが、それは敵にとってはただ『目くらまし』に過ぎないものだ――と軽く見ているだけに過ぎなかった。
その頃、聖騎士421号と呼ばれるリリーファー内部では、起動従士が笑みを浮かべていた。
笑っているのも当然のことだろう。あの女神マーズ・リッペンバーが慢心して、情報漏洩の危険があるにもかかわらず作戦を言っていくという初歩的なミスを犯した――それを見て笑う人間は居なかった。
起動従士――レティーナ・ヴォクシーは笑っていた。その喜びを隠そうとしても口から笑みが溢れるのだ。
「作戦をいとも簡単に漏らすとは」
慢心は身を滅ぼす。それは誰にだって言えるし、それに様々な分野では上手い人間の方が慢心しやすい――なんて言う言葉があるくらいだ。
マーズが犯したミスはとても小さなミスだが、致命的なミスでもあった。
それを使わない手はない。思う存分使ってしまった方が、或いはこの戦いの勝者が決まるということになるのだ。
『……作戦は以上。まぁ、簡単な話だから、無理に覚えなくていいかもね。或いは私の独断で構わないかもしれないし』
どうやら作戦説明が終了したらしい。レティーナはそれを悟って強く頷いた。
マーズは今強化ワイヤーを使って『聖騎士』を拘束する……そう言った。
なら、ワイヤーさえ気にしていればいい。もっと言うならばアレスさえ気にしていれば何の問題もない。
彼女はそう試算していた。
『……さて、それじゃあもう一つの問題に入りましょうか』
マーズの声のトーンが変わったような気がした。
『どうした、マーズ。もう一つの問題とは何だ?』
それにもヴァルベリーは予想外のことだった。
それを聞いて、レティーナは耳をそばだてる。
『あぁ。それはたった一言だから聞きそびれないようにしてくれよ。…………誰がワイヤーを主に使うって言ったかどうか、私はそれだけが気になるのだよ』
『ワイヤーを?』
『そうだ、ワイヤーだ。ワイヤーの装備はしているが、私だけがそれを使うなんて一言も言っていないからな……その意味が解るか?』
それを聞いてレティーナは身震いした。
まさか、まさか、まさか。
マーズはそれすらも仕組んでいた……とでもいうのだろうか? ただそれに気付かなかっただけではないのか。
レティーナは様々な可能性を模索したのだが、
『……きっとこれの通信はまだ盗聴されているはずだ。気付かれないとでも思ったのか? ただの安っぽい手段だ。ヴァルベリーは随分身体を竦めているようだが……私には敵うわけがない』
マーズは明確にレティーナのことを意識していた。
終わった、終わってしまった。
やはりマーズ・リッペンバーに敵うことなどなかったのだ。
女神マーズ・リッペンバーは彼女の一手も二手も先を読んでいたのだ。
そして。
聖騎士0421号の身体がまるで何かに縛られたような、強い衝撃を受けた。
これが先程の強化ワイヤーとやらなのだろうか。レティーナは考えるも具体的に行動を移すことが出来なかった。
慢心は人の油断を招く――とは、まさにこれを言うのだとレティーナは感じながら、ただ動くこともせず、そのまま従った。
◇◇◇
その頃。
ヴァリエイブル連邦王国の首都にあるヴァリス総合病院の、ある病室にて。
一人の少年が窓から外を眺めていた。
「どうだいタカト・オーノ。身体の調子は?」
ノックもせずに入ってきたのはカルナ・スネイク、彼の主治医だった。
彼女は医者のエキスパートでありどんなものでも治すことが出来る――そんなことすら言われていた。その彼女が「今回こそは危なかった」と言わしめたのがタカトだった。
「……まぁ、いいか悪いかと言われれば普通……と言ったところかな」
「そうか。まぁいい、これからリハビリの時間だ。少し遅れ気味だが、まぁ近いうちにはまた日常生活が送れるようになるぞ」
そう言ってカルナは微笑んだ。
「あぁ」
それに対して、崇人の反応は非常に淡白だった。
崇人が目を覚ましてから約一ヶ月が経過したが、ずっと反応はこんな感じだった。
すっかり魂が抜けてしまったようにも思えた。
カルナはそれを『目の前で友人を亡くしてしまったことによる精神的ショックの影響』だと位置付けたが……ここまで治りが遅いのも珍しかった。
「……なあ、タカト・オーノ。少し外に出てみるのはどうだ?」
カルナはそう言った。
精神が荒んでいるのならば、外に出て様々なものを見るのもいい。
それによって様々な影響を受けて、精神が回復していくことはよくある。
だからそう促すために、言ったのだ。
だが、崇人はそれに対してなんにも反応しなかった。
(症状は厳しいな……身体はもうすっかり治っているのに、精神がこの状態じゃあ、リリーファーに乗ることはおろか日常生活を送ることすら危うくなるかもしれない)
カルナはそんなことを考えて踵を返し――外に出ようとした、その時だった。
入口に、花束を持った女性が立っていた。
茶がかった髪に顔には疲れが見えていたが、カルナを見ると微笑み、その疲れも幾分見えなくなる。
「すいません、ここは面会謝絶となっていまして」
カルナが言うと、それに反して女性は病室に入っていく。
「あ、あの」
カルナが止めようとするも、それよりも早く女性は崇人の前に立った。
崇人は女性が来てもまだ窓から視線を戻そうとしなかった。
「……タカトくん、覚えているかしら」
女性の声を聞いて、崇人は何かを思い出した。
――懐かしい、声だった。
それを聞いて、涙がこみ上げてきて、思わず彼は振り返った。
「エスティ――――――!!」
だが。
「……いいえ、違うわ」
そこに立っていたのは、エスティではない。
崇人はその顔を見て、思考が停止した。
「……久しぶりね。本当に久しぶり。一回きりだったと思うから、ちょうど一年くらいにはなるのかしら」
そう言ってベッドの隣にある机に置かれている花瓶に花を入れていった。
白い、小さな花だった。
「覚えているかしら、私の名前。リノーサという名前を、あなたは覚えている?」
崇人はそれにゆっくりと頷く。
それを見てリノーサはほっとため息をひとつついた。
「別に私は責めているわけじゃないの、タカトくん。あなたが目の前でエスティが死んでしまったのを見て、なんだというの? あなたが別に殺したわけでもないのに、そんなことをしていたらエスティがどう思うかしら?」
「リノーサさん、そうあんまり責めてはいけない」
責めていない、とは言うが表現がそうなのだ。責めている風に本人が受け取ってしまえば精神はさらに荒んでしまい、悪化してしまう。そうなったら治すのがとても難しくなってしまう。
カルナは必死だったが――あっさりとリノーサはその言葉に従い、一歩後退する。
「リノーサさん、あなたは」
「私はリノーサ・パロングといいます」
それを聞いてカルナは凡てを理解した。マーズから聞いていたタカトの病状の原因が『友人であるエスティ・パロングの死を目の前で見てしまったから』ということを思い出したからだ。
同じ苗字ということはリノーサはエスティの家族ということか――ひとりカルナは理解して、心の中で頷いた。
「パロングさん……ということは彼の親族ではないということですね?」
「ええ。そうです。ですが……どうしても彼に会いたかった、そう思って来ました」
リノーサはそう言うと、カルナは顎を触りながら考える。
カルナはガチガチに規則を守る人間だというわけではない。時にはルールを破ったりしている人間だ。だが、彼女はそれ以上に功績があるために帳消しされている、というのが現状だ。
リノーサ・パロングがなぜタカトにお見舞いに来たのかは解らないのだが、その見舞いを邪魔するわけにもいかないだろう、と思ったカルナは、
「わかりました。それでは私はこれから少し席を外します。その間でしたら面会を許可しましょう」
「……ありがとうございます」
そしてカルナは病室をあとにした。
リノーサはカルナは面会の許可を得て、壁に寄りかかっていた畳んであるパイプ椅子を見つけると、それを崇人のベッドの脇に設置して、それに腰掛けた。
崇人はそれをずっと見ているだけで、何もいうことはなかった。
「……タカトくん、悲しむ気持ちも解る。私だって悲しいよ。半年以上も経ってしまったなんて思いたくない。エスティが死んでしまってから恐ろしいくらいに日にちが経ってしまった。その速さは同じ経験をした人間じゃないと分かり合えないと思う。きっと、それくらい早かった」
崇人はそれに何も反応しない。
リノーサの話は続く。
「……そして、あなたもそれを経験した一人なのよね。それも間近で、目の前でエスティが死んでいくのを見ていった……。ねえ、タカトくん、教えて欲しいの。彼女は最後に、どういう表情だったのか。最後に何を言ったのか」
「エスティは……」
崇人は無意識にその言葉を呟いていた。
そうさせたのは、彼自身の意志によるものか或いはエスティがそうさせたのか、それは解らない。
「……最後に、『逃げて』と。『来ないで』と。『来ると死んでしまう』と、言っていました……」
「それはつまり……あなたに生きていて欲しいから、そういったんじゃないかしら」
リノーサの言葉は、崇人の胸に強く響いた。
エスティは、ほんとうに、崇人に生きて欲しかったのだろうか?
――解らない。まったく、解らなかった。
「もし私がエスティだったら、私はタカトくんにこう言うと思う。『私の分まで生きて』って。安っぽい理屈かもしれないけれど、彼女はあなたにそうしてもらうために、生きて欲しいと願ったわけじゃないと思うわ」
「…………なら、どうすればいいんですか」
戦争が、リリーファーが。
それらがあったからエスティは戦場に駆り出され、そして――死んだのだ。
「どうすればいい……って、それは君が決めることじゃないかな。だって世界は君が主人公の物語で出来ているのだから。とはいえ、もちろん私が主人公でもあるしマーズさんが主人公でもある。あのお医者さんだって主人公の物語が存在している。……これってつまり、皆がみんな、主人公の物語を持っている、ということになるのよ」
「主人公の…………物語」
崇人はリノーサから言われた言葉をリフレインする。
誰も彼も主人公の物語は存在する。それが存在しない人間などいないのだ。
崇人はずっと『大野崇人』が主人公の物語に居ただけに過ぎないのであった。
「……俺は……自分は……僕は……!」
このままでいいのか。
エスティが、繋いでくれた命ではないのか。
「……」
リノーサはそれに対して何も言うことなく立ち上がると、机に置いた花瓶に生けた花に触れた。
「これは、エルリアっていう花なのよ。季節になっては実がなって、それがとても美味しいの。……まあ、これは長く咲かせるかわりに実がつかない遺伝子を組み替えたものだけれど」
「……エルリア」
崇人は思い出す。
この世界にやってきて、リリーファー起動従士訓練学校にやってきて、二週間が経った或る日のこと。エスティが言った、「エルリアが咲くくらいの暖かさ」という言葉を。
「そう。……さすがにはじめて見る、なんてことはないと思うけれど。ところで、タカトくん。このエルリアの花言葉を知っているかな?」
「エルリアの、花言葉?」
「そう」
リノーサは崇人のベッドの目の前に歩いて移動した。
「エルリアの花言葉は、『思い出』だとか『独立』とか言うの。この両極端にも見える花言葉の違いは、花の色によって決められているわ。赤いエルリアだったら『思い出』、白いエルリアだったら『独立』という意味に分かれていてね。そしてこの花束は白と赤がほぼ半々で分かれている。この意味が、解るかしら?」
「……それって、つまり」
「そう。悲しんでいる場合ではないの。あなたははっきり言ってエスティの家族ではない。別に彼女のことを忘れろ、とは言わない。だけど、彼女のことをずっと引きずって生きて欲しくないの。あなたにはあなたの人生がある。それを無駄にして欲しくない……そう思うのよ」
リノーサはそれだけを言って、踵を返し、立ち去っていった。
出て行くリノーサを見て、カルナは部屋へ入ってくる。
「……なんか、リノーサさんの表情がとても穏やかだったが、お前はいったい何をしたんだ?」
「先生」
崇人の声色が変わっていることに、ここでカルナは気が付いた。
それを聞いてカルナははっとしたが――直ぐに表情を気付かれないように戻し、訊ねる。
「どうした、タカトくん」
「俺を、早くリリーファーに乗せるようにしてください」
崇人の声は強い決意によった、はっきりとした声でそう言った。
それを聞いたカルナは大きく頷いた。
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