第58話

 その頃、ハリー騎士団はテナントの内部に潜入していた。

 テナントの内部に入ると、そこは静かだった。人っ子一人いる様子もない。生き物が生きている実感がわかない。それくらい静かだった。


「……静かだな」


 マーズの言葉に、エレンは頷く。

 テナントはただのだだっ広い部屋だった。何も置かれておらず、人が住んでいたという気配すらなかった。


「それじゃあ……ここじゃあないってことか?」

「いいや、違う。ビンゴだよ」


 その声はとても若い声だった。

 その声は、彼女が思っているよりも若い声だった。

 その声は彼女たちの背後から聞こえた。

 だが、振り向けなかった。否、振り向くことが出来なかった。


「あ、今君たちは魔法で振り向けないようにしてあるから。気をつけてね。無理に首を動かそうとしたらその首、へし折れちゃうかもね?」


 そう言って、それは不気味な笑みをこぼした。


「……なあ、このままで会話するのか? 話は人の顔を見てするのがマナーだって親に学ばなかったか?」


 マーズが言うと、彼女たちの身体は無理やり半回転させられた。

 即ち、彼女たちと『それ』は向かい合った、ということだ。

 それを見たマーズの表情が引き攣ったのを、エレンは見逃さなかった。


「……どうした、マーズ?」

「……そうか。マーズ・リッペンバーは僕を知っているのか。一時期は僕を捜索対象として、探していただろうからね」


 それは歩き出す。

 電気がついていないテナントは、とても暗かった。

 唯一の光源はドアの窓から漏れる、光だけだった。

 その光がうっすらと――『それ』を照らした。

 その姿は、ヴィーエックだった。

 ヴィーエック・タランスタッド。

 彼は崇人と同じく、『あの世界』からやってきた人間だった。

 そして、ティパモール紛争の際には行方不明になってしまったこともあった。だが、直ぐに彼は戻ってきた。

 その彼が今、攫った張本人であるはずの『赤い翼』に肩入れしている。

 その事実を、マーズは改めて受け入れていた。打ち拉がれていた、というのが正しいようにも思えるが、なにせ彼女は軍人である。このような事態を予測していた。


「……だからといって、まさかあなたが赤い翼に肩入れしているだなんてね」

「失敬な。僕はそんなことを思ったつもりなんて一度もない」

「ならば、どうして?」

「どうして?」


 ヴィーエックは首を傾げる。


「簡単なことです。……全ては『インフィニティ計画』のために」

「インフィニティ計画……?」


 マーズはそれを聞いて、直ぐにそれが思いついた。

 最強のリリーファー、インフィニティ。

 その名前を冠した計画が、この世界のどこかで進行している?

 マーズは「深い闇に片足を突っ込んだようだな」と呟いた。それを見てヴィーエックは微笑む。


「だからといって、あなたたちはどうするつもりです?」


 勝ち誇ったような表情を浮かべていた。現にそうだろう。彼の目の前に立っているマーズとエレンは彼の力で動くことが出来なくなっている。今の彼女たちを彼が恐れることはないだろう。

 しかし。

 彼は、その存在に気がつかなかった。


「いまだ!!」


 マーズの掛け声とともに、ガラスが割られる。その音を聞いて、ヴィーエックはそちらを向いた。

 ガラスを割って入ってきたのは、ヴィエンスとコルネリアだった。彼らはマーズの指示があるまで外で待機していたのだ。


「……ヴィーエック、まさかお前が今回の犯人だったとはな」

「ヴィエンス……君とはここで会いたくなかったね……」


 其の時、ヴィーエックは完全に背中をマーズたちに見せていた。

 それこそが、彼の運の尽きとも言えた。

 突然、彼の腕が誰かに掴まれたのだ。何度も何度も何度も抵抗しても、それは腕を離すことはなかった。


「……くっ、誰だ!!」

「私だよ」


 マーズだった。

 マーズ・リッペンバーが、ヴィーエックの顔を覗き込むように見つめていた。

 束縛魔法は意識をずっと相手に向けていないと、その効果を発揮しない。

 マーズはそれを利用して、敢えてヴィエンスたちを呼び寄せたのだ。

 危険性はもちろんあった。半年間訓練を積んだとはいえ、彼らはまだ学生の域を出ない。だからこそ、危険だったのだ。中途半端のままで実戦に繰り出せば、何が起きるのか……マーズはそれを知っていたから。


「よくやった。ヴィエンス、コルネリア」


 マーズは二人にそれだけを投げかけると、ふたりはそれぞれ頭を下げた。

 ヴィーエックを持っていた縄で縛り、その場に転がす。これだけで何とかなるとは思わなかったが、あくまでも応急処置である。


「……さて、洗いざらい話してもらう前に先ずは彼女たちの場所を教えてもらおうか」

「彼女たち? はて、なんのことかな」

「しらばっくれる……そういうつもりか」


 マーズは呟くと、近くにある蛇口をひねる。どうやら水は出るらしい。

 それを見たマーズは、その水を水筒に入れ始めた。

 それが満杯になると、蛇口をひねり水を止め、そうして改めてヴィーエックの方へと向かう。


「本当に言わないつもりだな?」


 改めてマーズは確認したが、それに対する返事はなかった。

 マーズは頷くと、水筒に入っている水をゆっくりとヴィーエックの顔へ流し始めた。


「お前が言わないのであれば、それで構わない。しかしこれがずっと続くぞ。苦しいぞ? これを止めて欲しいのだったら、言うんだな」


 マーズはニヒルに笑って言った。

 しかし言われた方のヴィーエックは苦しそうな表情を浮かべてはいるものの、言う素振りは見せなかった。


「言わないか。……ならばそれでもいいが、だがずっとこれは続く。お前が死ぬほど苦しい思いを味わっているにもかかわらず、どうしてそれを隠したい?」


 マーズの言葉にヴィーエックは答えない。

 水筒に水を補給し、さらにそれをヴィーエックの顔へぶちまけていく。

 しかし、そんな状況であるにもかかわらず、ヴィーエックは何も答えなかった。


「何をそこまで駆り立てるのか……まったく解らんというわけでもない。お前は、組織を守っているのだろう?」


 マーズの言葉に、ヴィーエックが何かモーションを示すことはない。

 そういうことは解っていたから、さらにマーズは話を続ける。


「組織……なんだろうな。まあ、察しはつく。恐らくその組織は……『シリーズ』だろう?」


 それを聞いた瞬間、ヴィーエックの表情が一瞬変わった。

 それを見て、マーズはニヤリと微笑む。


「シリーズか……やはりお前『シリーズ』の一員だったな?」

「なぜ、解った」


 ヴィーエックは漸く口を開いた。

 マーズの話は続く。


「理由などない。お前が戻ってきてから様子がおかしいということはアーデルハイトから聞いていた。そこから考えれば容易だ」


 それを聞いて、ヴィーエックは立ち上がった。

 彼は今、雁字搦めにされた縄により、動くこともままならないというのに。

 立ち上がると、その場に彼は浮かび上がった。それにハリー騎士団は圧倒されてしまい、動くことが出来ない。


「……そうだ、そのとおり。僕は『シリーズ』だよ。その中の一人、『ハートの女王』だ」


 そう言ってヴィーエック改めハートの女王は自らの名前を仰々しく告げた。

 ハートの女王は、小さく頷く。


「……だが、バレてしまっては仕方がない。僕としても明確に目的があったわけではない。それに、君たちに捕まって『シリーズ』の技術をなくなく盗まれてもダメな話だからね。帽子屋に怒られてしまう」

「帽子屋?」


 マーズは訊ねるが、ハートの女王は答えない。


「『シリーズ』と計画の全容を解らせないようにしてやる。もう僕はここまでだ。彼女もここには居ないから……ね」

「…………彼女?」


 ハートの女王は答えなかった。

 微笑んで、目を瞑った。

 そのときだった。

 ハリー騎士団全員のスマートフォンがけたたましく鳴り出した。

 ヴィエンスは突如電子音が鳴り響くスマートフォンを見つめた。


「……! マーズ! 高エネルギー反応がハートの女王の中心部から発生している! もっと、もっと、もっと、エネルギーが高まりつつあるぞ!!」


 ヴィエンスの言葉を聞いて、マーズは改めてハートの女王の方を見た。

 ハートの女王はそれでも動じなかった。

 もう覚悟は決まっているのだろう。


「もう……いいんだ。凡ては僕があの場所へ行く前から決まっていた。知っていた。知っていたんだよ……」


 そして、ハートの女王の身体が光に包まれて――音もなく、消えた。



 ◇◇◇



「消えたか」


 モニターを眺めていた帽子屋が一言呟いた。

 その言葉を聞いて、ハンプティ・ダンプティは帽子屋の方を見た。


「想定外だったのかい?」

「いいや、あれも計画のうちだ。いい働きをしてくれたよ、彼は。シリーズの心配を最後までしてくれたからね」

「……あれも駒のひとつだった、とでも?」


 その言葉に帽子屋は頷く。

 それを見て、ハンプティ・ダンプティは微笑んだ。


「君はほんとうに入念に計画を決めているものだね。恐ろしいよ。もしかしたら僕が死ぬことも含まれていたりしてね」


 その言葉に、帽子屋が答えることはなかった。




 マーズ・リッペンバーがメリア・ヴェンダーからその一報を聞いたのは、それからすこししてのことだった。

 マーズは作戦中、集中を保つためにスマートフォンの電源を切っておく。それが仇となって、彼女が大事にしていることを忘れてしまっていたのだ。

 メリア・ヴェンダーは徹夜にもかかわらず、マーズに電話をかけていたのだ。そして、その膨大な着信履歴に気がつき、改めてマーズはメリアに電話をかけなおし、そこで彼女は重大な事実を知った。


 ――タカト・オーノが意識を取り戻した


 という、ひとつの事実を。


「タカト!」


 マーズが病室に駆け込んだ時には、もう夜も遅かった。作戦を終わらせたのが、もう夕方というよりはとっぷりと日が暮れていたので、当たり前と言えば当たり前である。


「静かにしろ、マーズ。ここは病院だぞ?」


 声をかけたのはカルナだった。

 その言葉を聞いて、マーズは少しばかり気持ちを落ち着かせる。


「……容態は安定している。それに、意識を取り戻したからか、安らかに眠っているよ」

「そうか……そうか……よかった」


 マーズは一瞬笑おうとするが、カルナの顔を見て直ぐに表情を戻した。


「どうしたの。笑えばいいじゃあない。チームメイトが、無事復活したというのに?」


 カルナの言葉にマーズは小さく溜息をついた。


「いや、まあ色々あってな……。騎士団のメンバーが行方不明になっていたのだよ。いや、正確には敵に捕まっていた、といったほうが正しいかな」

「ほう」

「だがね、先程発見し保護した。……本当に良かったよ。一安心だ。これで何とかハリー騎士団は全員揃ったという形になる」

「なるほど。そいつはよかったな」


 カルナは他人事のように、そう言った。 

 マーズはそれを聞いて、思い出したように質問をカルナに投げかけた。


「……こいつがまたリリーファーを乗って動けるようになるには、どれくらいの時間がかかる?」

「ひと月、だね」


 カルナは指を一本立てた。


「ひと月、か」

「それも、この病院の最高級の設備を使い続けて……の話になるけれど。本人の根気とやる気、それに精神力も持つかどうかは微妙なところだ」


 カルナは崇人の方を横目に見る。


「……あんなことがあったのではな」

「……ああ。とりあえず、私はもどるよ。顔は見れた。私はこれから会議があるのでな」

「なんだ、いやにあっさりだな。……彼の意識が戻るのが待ち遠しかったんじゃあないのか?」

「何を突然」


 マーズが立ち去ろうとして踵を返していたが――その言葉を聞いて、直ぐに戻った。


「それが証拠だ。立ち去ればいい話なのに、反論したいからって立ち去らなかった。なぜ? 理由は簡単だ。……彼のことが好きだからだろ?」

「それをあなたに言う必要性は感じられない」

「認める、ということでいいのかしら?」

「認める、というか」


 マーズは頭を掻いた。


「あいつが気が付かないだけだ」


 そう言ってマーズは病室を後にした。

 それを見てカルナは「相変わらず素直じゃないなあ」と一言呟くと、崇人の眠るベッドから後にした。



 ◇◇◇



「これで一先ず終わりかな。計画も半分近くまで来ている。変に横入りが無ければ、そう長い時間もかからないうちに計画は完遂する」


 帽子屋とハンプティ・ダンプティは法王庁領にある自由都市ユースティティアの近くにある『目覚めの丘』にて会合を開いていた。

 帽子屋はそう言うと、向かい合って廃墟の壁だったものに腰かけているハンプティ・ダンプティに問い掛けた。


「……果たしてどうだろうね」

「なんだ、ハンプティ・ダンプティ……否定するのか? 君らしくもない。本当に、珍しいことだぞ」

「なんか気分が乗らなくてね……嫌な予感しかしないんだよ」

「ふうん?」


 帽子屋は恍惚とした表情で言った。


「そうか、そうなのか。まぁ、計画にいつ何があってもおかしくないからね。そういう忠告は受け取っておくよ」


 ハンプティ・ダンプティは真面目な口調でそう言ったが、帽子屋はそれを流した。

 計画が巧く行き過ぎていることが一因にあるのかもしれない。インフィニティ計画はもはや半分まで来た、と帽子屋は告げた。それによって、帽子屋が『失敗』の二文字を消し去っていたとするならば……話は早い。


「まぁ、失敗するんじゃあないか……だなんて言うけれどね、きちんと段階を踏んで、計画は着実に進行している。きっとそう遠くないうちに……小さな爆弾が見え始め、人間に大きな不安をもたらす……。ハンプティ・ダンプティ、君には『リリーファー』の副作用について話したことはあったかな?」

「いいや、無かったな」

「そうか。ならば話させてもらうよ。リリーファーは人間が乗るには負担が強すぎるんだよ。『アメツチ』の話からしてもそういう風に伝えてはいるが、しかし今の大人はそれを信じるか信じないかといえば……後者に入るだろう。そんなことがどうでもいいくらい、リリーファーによる戦争は人々に依存してしまったのだから」

「そのように仕組んだのも、我々だろう」

「……まぁ、そういうことになる」


 帽子屋は微笑むと、さらに話を続けた。


「ともかく、我々の思うところはこうだよ。この世界を新生させる……そのための計画だけれど、やはり油断して大変な事態が起きても困っちまうわけだ。……さて、かつて僕はリリーファーはただのロボットじゃあないって話したきがするけれど、おぼえているかい?」


 その言葉に、ハンプティ・ダンプティは頷く。

 それをみて、帽子屋の口が緩んだ。


「実はほかの『シリーズ』にはあまり話したくないのさ。彼らは完璧に人間を嫌っている……というわけでもないからね。まだまだ人間もやり直せるなどとほざいているが、僕はそうではないと思っている。君もそうだろう?」

「まあ、そうだな。人間がこの状況からやり直し、みんな手を取り合って平和になるなど有り得ない。それはカーネルの併合から決定的に変わった」

「そうだ。その通りだ。カーネルの併合により、人間は平和を拒否した。拒んだのだ。それによって、我々シリーズとしても従来から進めていた計画をさらに邁進していくという結論となったのだが……まあ、仕方がない。彼らはまだ人間のいる世界を監視し続けていたいだけなのかもしれない」

「彼らは暇つぶしの手段を何度も考えていて、それを実際に何度も行った結果、結局は人間の監視をし続けたほうがなんら問題はないことに気がついたわけだ。最初は彼らもひどかったからな。人間を無作為にあの部屋に呼び寄せて、どこが一番痛みを感じるかと人体の凡ての場所に針を刺していたんだぞ? しかも笑いながら、な。それであまり痛みを感じなかったからってエスカレートして首をのこぎりで切っていって、どこまできれば死ぬのか的なこともやっていた。それを考えれば僕の計画がどれだけ人を傷つけなくて済むか」

「規模的には君のほうが巨大であるのには変わりないからね」


 そりゃそうだ。帽子屋はそう言って小さく笑った。





 ――夜は静かに明けていく。

 それぞれの意思を、激動の日々を、すべて、すべて洗い流し――新たな世界へと導くように。

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