第29話
アーデルハイトは『アルテミス』の中でひとり考えていた。
一先ずは、コロシアム内に侵入する手段を考えなければならない。
そして、国は国民に危険が及んでいたとしても、そんなことはどうだっていい。つまりは、『ドンパチやれ』と言っていたということになる。
そのことに、アーデルハイトは憤慨していた。
一人の生命はどんなものよりも重い、と述べた評論家が居る。今、それを考えれば確かにそのとおりであった。
にもかかわらず、国はその人命を軽視していた。ヴァリエイブルだけではない。ペイパスもおそらくはその意見に同調しているのだろう。でなければ、アーデルハイトをヴァリエイブルへ連れて行くことなど有り得ない。
アーデルハイトはその政策に、断じて従おうとは思わなかった。
それを変えようと、彼女は思っていた。
だが、そう簡単には世界はうまく回ってくれなかった。
「……世界ってのは、どんだけ卑屈に回っているんだ。こんなもの……」
彼女は、この世界は果たして必要なのかとすら考えてしまうこともあった。
だが。
彼女は一線を知っていた。この一線を超えてしまえば、自分は人間として生きていくことは出来ないであろうという境界線を、彼女は知っていたのだ。
だからこそ。
彼女はそのときを待っていた。
そして、彼女は起動従士となり、戦場へと駆り出されるようになった。
そして、彼女はヴァリエイブルへ出向き、『最強のリリーファー』を操縦できる少年と出会った。
――彼を私のもとに置けば、世界を変えることができるかもしれない。
そんな思惑を、彼女が考えていることは、誰も知らない。
◇◇◇
午前十一時二十七分。
その日の天気は快晴だった。
雲一つない、青空だった。
何かイベントを開催するならば、絶好な日和であるが、セレス・コロシアムにはそのような雰囲気は一切見られていない。
セレス・コロシアムの中心にある闘技場には、円になって、『大会』を見るために早く来ていた観客が集められていた。
そして、その周りには『赤い翼』の面々がそれを監視していた。
「なんか下手な真似してみろ。直ぐさまここに居る全員をこのコイルガンで殺してやる」
リーダーは強かな口調でそう言った。
そして、それを聞いて一瞬観客はざわついたが、直ぐに静かになった。コイルガンの砲口を観客に向けられたからである。
「そうだ、静かにしていろ。それならば、いつかはお前らも普通に解放してやる。静かにしていれば、の話だがな」
そう言って、リーダーはニヒルな笑みをこぼした。
その頃、崇人はエスティとともに廊下を走っていた。
「もしかして、アーデルハイトとかは倉庫に行ってるんじゃなくて」
というエスティの言葉を元に、彼らは地下の倉庫へと向かっていた。
「確か地下の倉庫には、アーデルハイトの乗るリリーファーがあったはずだ。もし『赤い翼』に見つかっていないのならば、彼女はそれに乗り込んでいるはずだ」
「そうね。……彼女が無事に乗れていればいいけれど」
エスティはそんなことを呟きながら、さらに廊下を駆けていった。
◇◇◇
システム・ウィンドウ、オープン。
キャビネット、『インフィニティ|計画(プロジェクト)』オープン。
キャビネット、アリス・シリーズ、オープン。
キャビネット内部の全ファイルを参照。
ネクスト、ロード。
ロード。
ロード。
反応がありません。時間を少し待ってからもう一度ご利用ください。
システムから切断しています……
システムから切断しています……
システムから切断しました!
それが表示されたスマートフォンの画面を見て、ケイス・アキュラは舌打ちした。
「やはりセキュリティは固いか……」
そう言って、スマートフォンをポケットに仕舞った。
「人間を見張っておけとか言われていたけど……、まさかこんなことになっているだなんてなあ。やっぱり人間と協力なんてしちゃダメなのかな?」
ケイスの背後には、一人の少女が立っていた。
その少女は目は赤で、それ以外の凡てが白かった。まるで、兎のようだった。
「『白ウサギ』……! お前がどうしてここに!!」
「さっすがに『シリーズ』の名前とかは理解しているか。ならば、能力は……どうかなっ!?」
そう言うと、白ウサギは小さく何かを呟いた。
刹那、空間が歪んだ。
そして、その空間は緑で出来た迷路だった。壁は草木で出来ていて、床も草原となっていた。
「……ここは……?」
『私の能力、「|不可思議世界(イマジン・ワールド)」!』
ケイスが呟くと、空から声が聞こえてきた。それは白ウサギの声だった。
白ウサギの話は続く。
『どこから何が飛び出すか、まったくもって解らないよ。あなたはそれでも進むのかな!? ああ、そうだった。この世界を抜け出すには、私が絶対不可欠だから。私を倒すか、私をあなたの仲間にするか、その何れか。まあ、せいぜい頑張ってね』
そう言って、白ウサギの話は終わった。
ケイスは小さくため息をついた。
「少し深く追いすぎたかな……」
ケイスは『シリーズ』に仕えていた、謂わばスパイである。
しかし、それも彼自身の目的があってこそ、であった。
だが、それすらも既にバレていたということは、彼も今理解した。
「凡ては……手のひらに踊らされているに過ぎない、ってことか……」
ケイスはそう呟いて、通路を駆け出した。
……と、最初こそは勢いづけたものの、ケイスは今迷子になっていた。どうやら彼は迷路がめっぽう苦手だった。
迷路というのは、如何に頭を使うかが攻略法などではない。
既に先人たちが発見している幾つかの攻略法を適用すればいいだけだ。
例えば、右手法は、壁に右手をついて歩けば、いずれは出口へたどり着くというものである。だが、この場合迷路のスタートが迷路の中に存在しているため、この方法は使えない。
トレモーのアルゴリズムというのがある。所謂、シラミ潰しというやつだ。チョークなどで目印をつけ、それによってシラミ潰しにゴールを探すという方法だ。手間はかかるが、この方が確実にゴールへたどり着くことができる。
ケイスは後者の方法を選択し、手に持っていた手頃な大きさの石でガリガリと地面を掘っていった。
地面を掘り、大きくバツ印をつける。これがスタート地点の目印となる。
「……さて、行くか」
そして、今度こそ第一歩を踏み出したのであった。
そして、それを空から見上げる白ウサギはシニカルに微笑んだ。
「なんだかなあ。スタートでもないスタート地点もどきでそんなん描いても迷子になるだけだって。……まあ、本物のスタート地点には何も描いていないし、それだけはいいのかな」
白ウサギはつぶやくと、手に持っていたクッキーの袋から一つ、チョコチップが入ったクッキーを取り出して、それを口に頬張る。
「……まあ、精々足掻くといいよ。この迷路は、『ぜったいに出口は見つからない』んだから」
その言葉は、勿論ケイスには届くことはない。
◇◇◇
「白ウサギは人間を倒しに行ったらしいね」
荒野で、帽子屋とハンプティ・ダンプティが会話をしていた。
「そうだね。特に、あの人間は『あいつ』の息子らしいが、どう出るか」
「別に畏怖する対象でもないだろう? 大魔法師ライト・アキュラの息子だなんて、別に才能がそのまま遺伝するわけでもないんだ」
「だが、彼は学校の成績はダントツでトップだ」
「学校という仕組みにちょうどあったスタイルだっただからだろう。それに、人間が決めた基準ってのはどうも胡散臭い。百聞は一見に如かずとも言うじゃないか。そのデータを百回聞くより、実際に見た方がいいんだよ」
「それもそうだな」
ハンプティ・ダンプティはそう言って、荒野にあったそこにあるのが不自然と思える程の四角い石に腰掛ける。
「……まあ、彼女に任せればいいだろ。彼女の世界から抜け出すことは、シリーズにだって難しい。出れないか、彼女の下僕として一生を終えるか、何れかだよ」
「それもそうだ」
「彼がもし僕らの仲間に正式になれば、それはいいチャンスだ。なにせ、そういう資質がある。魔法を使えるという優れた媒体がある。あとはそれを応用させていけば……最強の魔法師が作れるはずだからね」
帽子屋が何を考えているのか、たまにハンプティ・ダンプティですら解らない時があった。
だが、今のところ、彼の行うことは『シリーズ』に利を与えるものだと判断している。だからこそ、彼の意見に賛同し、協力しているのだ。
ケイスは迷路を歩いていた。それは順調なようにも思えた。
迷路は入り組んでいたが、そのスタイルはシンプルそのもので、分岐した場所を見つけたら、そこから踏み入っていく。もし、そこで行き止まりに達してしまったら、何らかの目印をおいて、戻る――その繰り返しであった。
「……うーん。迷子になったつもりはないんだがなあ」
迷子だと自覚しないのが、迷子でない手段の一つだというならば、世の中にごまんといる迷子は一瞬にしてその定義から消え去ることだろう。
ケイスは一先ず自分は迷子ではないと考えて、さらに歩を進める。
茨の壁は触ることができない。触ったら、確実に怪我をしてしまうことだろう。また、あの白ウサギのことだ。もしかしたら、茨は茨でも毒の茨かもしれなかった。
「……この迷路、まさか出口がないとか言わないだろうな……」
ケイスは呟くが、それはただの気休めにしか過ぎなかった。
ケイス・アキュラという人間は、諦めるということを知らない。
選択したことがないのだ。
だから、彼はただ前に進む。進んで、進んで、結果がどうあろうとも、ただ前に進むだけだった。
茨の迷路は、彼に錯覚すら覚えさせた。
同じような風景が続けば、遠近感が取りづらくなるのを想像してもらえば解るだろう。ケイスは今、そんな状態に陥っていた。
それを空から眺める白ウサギは小さく笑っていた。
だが、少しだけつまらなくなってしまったのか、大きな欠伸を一つした。
「……ああ、なんだか眠くなってきちゃったな。どうしよっかなー」
白ウサギは伸びをして、そして立ち上がった。
「そうだ。少し、遊んであげよう」
そう言って、ぴょいっとジャンプした。
眼下に広がる茨の迷路へと、白ウサギは飛び降りていった。
◇◇◇
「着い……た……」
崇人たちは漸くリリーファーが保管されている倉庫へと辿りついた。
彼らがリリーファーを選択していた時とは違い、整備士も居ない倉庫はとても静かだった。リリーファーだけが静かに陳列されているその状況は、おもちゃコーナーにあるロボットの玩具を思い起こさせる。
リリーファーを眺めながら、奥の部屋へと向かっていた。
「ここまで来ると、リリーファーという存在が恐ろしく思えるな」
崇人の呟きに、エスティは訊ねる。
「なんで?」
「リリーファーってのは、今こそオートで動くシステムを開発しているってのもあるが、元は操縦者という人間が乗ってこそ成立するもんだろ? つまり、操縦者が居なければただのガラクタってことにはならないか」
エスティはそれを聞いて、首を傾げる。
「そうかな……。よく解らないや」
「まあ、僕も解らない事だ。特に話すことも、なかったから、ただ思い出したことを言っただけだ」
崇人は冗談交じりに微笑み、さらに通路を進む。
「――止まれ」
そこで、崇人たちは冷たい気配を背中に感じた。
振り返らずとも解る。これは――。
「よう、タカト・オーノ……だったか? 覚えていないもんでね、私はどうも記憶力ってもんが衰えていてね。一回会った人間の顔は覚えているが、それと名前をくっつけることは出来ないもんだ。どうにかならないかねぇ」
「僕に言われても困るな。……そして、何の御用かな」
「勝手に逃げ出しておいて、よく言うよ。心は決めていただいたかな。……私たちと共に、元の世界へと戻る手段を探るということを行うか、否かについて」
その言葉を聞いて、エスティは崇人の方を向いた。その表情は、とても驚いたものだった。
それを見て、リーダーは訊ねる。
「どうやら、隠していたのかな? そりゃ、そうだよな。そう簡単に『別の世界から来た人間』だなんて言ったら、変人呼ばわりされるのがいい例だ」
「……タカト、そうだったの?」
「…………黙ってて、ごめん」
「別に謝ることじゃないよ……。けど、本当なんだね」
エスティの言葉に崇人は頷く。
リーダーはシニカルに微笑み、
「伝えていないのは、良くないな。タカトくん。我々は、この世界を捨てる。そして、君が居た世界へと向かうのだ。協力しても、損はないはずだぞ?」
「それって……、タカトが居た世界を滅ぼすと言っているようなものじゃない!!」
答えたのは、エスティだった。
エスティの鬼気迫る表情に、リーダーは肩を竦める。
「やれやれ……淑女がそんな表情をしてはならないよ。確かに、我々はタカトくんの居た世界へと侵攻する。だが、人類の歴史には多々あったはずだ。『弱肉強食』の世界がな。強い者が勝っていく世界、強い者が我が物顔で生きていける世界なんだよ。それは、どの世界だってかわりないはずだ。だから、その法則が適用されるだけに過ぎない。そうだろう? 恐竜が死んだのは、偶然だ。弱肉強食の世界で頂点に立っていた恐竜が死んだことで、様々な生き物が台頭した。そして……哺乳類、ひいては我々人類が今のピラミッドの頂点に立った。そうとは言えないかね?」
「ふざけるな。そんなもので、元々居た人間を滅ぼすようなこと……」
「お前らがしたじゃないか。今、さっき。罪もない人々を火炎放射器で、燃やしたじゃないか。殺したじゃないか。あのときの轟轟と燃え盛る炎の中で、妬み苦しんで死んだ人々を……忘れるんでないよ」
「そんなこと――」
「お前がやっていない、とでも言いたいのか? お前がやっていないんだから、俺は悪くない……お前はそうとでも言いたいのか?」
リーダーの言葉は、至極そのとおりであった。
だが、崇人は未だに自分は悪くないと思い込んでいた。
人間とは、自分が悪いと確実に思っていたとしても、それが自分のせいだとは自覚しないものである。
だからこそ、人はその失敗を誰かに擦りつけたり、見て見ぬふりをするのだ。
「……御託はここまでにしよう。長く時間をかけすぎると、観客が協力して私たちを倒しかねないからな」
「観客たちをどうするつもりなの!?」
訊ねたのはエスティだった。
それに対して、小さく微笑み、リーダーはエスティの両腕を持つ。
「別に取って食おうとは思わないさ。……君たちが静かにコロシアムまで来てくれれば、の話だがね」
その言葉に、二人は小さく頷いた。
そして、それを監視カメラを通してアーデルハイトは眺めていた。
「ちくしょう! タカトとエスティが攫われちまった!」
アーデルハイトは思わずコックピットにある机を叩く。
『落ち着け、アーデルハイト。一先ず、どうするか確認するぞ』
「どうするだと? この期に及んで何を考えているんだ。突入するに決まっているだろう! このままだと、奴ら何をしでかすか解らんぞ」
アーデルハイトの明らかに激昂した様子に、マーズは小さくため息をつく。
『あのな、アーデルハイト。君は焦っている。それで、軍人としての自覚を持っていないんだ。だからこそ、今は落ち着くべきだ。そして、それが今行う最善の手段だよ』
アーデルハイトはその言葉を聞いて、そのとおり一回深呼吸をした。
落ち着くと、違った世界が見えてくるものである。
だから、マーズもアーデルハイトにそう言ったのだ。
『……どうだ、アーデルハイト? 少しは落ち着いてきたんじゃないか?』
「ええ、すまなかったわね」
アーデルハイトは小さく頭を垂れる。
『さあ、それじゃ落ち着いた頭で今度こそ考えましょうか。どのように、コロシアムを取り戻すか、その方法について』
その頃、リーダーは崇人とエスティを連れて、コロシアムへとたどり着いていた。崇人とエスティは縄で縛られていて、身動きがとれない形となっていた。
「……選手を二名、確保した。適当な場所に座らせておけ」
そう言って、リーダーは崇人たちを別の人間に引き渡す。その人間は、銃で脅して、崇人たちを座らせた。
「ここで、おとなしくしていろ」
そう言って、その人間は、再び周りを彷徨き始め、リーダーはゆっくりと遠くにあるテントの方へと向かった。
「やあ」
崇人がどうしようか考えていたその時、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこに居たのは、茶がかったショートヘアの少女だった。桜の花びらをそのまま貼り付けたような唇と、見ていると全て吸い込まれそうな眼は、見ている者を圧倒させる。そして、その発せられた声は静かで、重々しいもので、それは誰のことだったのか、崇人は一瞬で思い出した。
「……コルネリア、だったか?」
「そう。にしても、あなたたちも捕まってしまったのね。……まあ、既に私が捕まっているから、何も言えないのだけれど」
コルネリアはそう言って小さく微笑む。
コルネリアには何か秘策でもあるのだろうか、内に何かを秘めた、そんな笑顔だった。
「……まさか、何か考えているのか?」
「だとしたら、どうする?」
コルネリアの言葉を聞いて、何となくではあるが、崇人は確信した。
――恐らく、彼女の力を借りれば、ここにいる人間を仕留めることが出来るかもしれない。
崇人はそう考えて、小さく頷いて、訊ねた。
「だったら、教えてくれないかな」
「あなたも何か考えがあるようね」
コルネリアは崇人の提案にシニカルに微笑んで、頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます