第28話
緑の草が生い茂る野原を駆ける。
それはとても、爽快なことだ。
法王庁領、ミッドランド。
かつてここには幾万もの軍勢を従え、幾万もの人々が住む街があった。
しかし今は、見る影もない。
草が生い茂る野原があったとしても、そこにはかつて街が栄えていた形跡だけが残っていて、そこに街などはない。
そんな場所を、ひとりの少女が歩いていた。
彼女は、肌も髪も服も凡て白だった。そして、目はそれに相反するように真っ赤だった。
「……計画は順調のようだね、帽子屋」
呟くと、目の前に立つ帽子屋はそれに頷いた。
「『インフィニティ計画』。初めこそ、ただの戯言にしか過ぎなかったけれど、まさかここまで進行するとはね。帽子屋、君の功績と言っても過言じゃないかな?」
「いやあ、嬉しいね。世界が終わるってのは、ここまでもワクワクさせるものなのかな」
帽子屋の言葉に、少女はため息をつく。
「しかし、君も変わり者だね? わざわざ人間から『シリーズ』に加わったその理由が『世界を破壊したい』だなんて」
「世の中には、その理由が『元の世界に戻りたい』ってヤツもいるぜ」
「新入りの『ハートの女王』か……。そっか。彼も元は人間だったのか。計画に加えるのかいっ?」
「ああ。そのつもりだよ」
帽子屋はシニカルに微笑む。
「楽しみだねえ……。どうなるのか、私たちにも経験したことがないし」
「このように、荒れ果てた大地が一瞬にしてゼロとなるんだ」
帽子屋はそう言って両手を広げる。
それと同じタイミングで、風が吹いた。
それは強い風だった。
まるで、何か新しい時代を予見するような、風だった。
「……これから、どうなるのか、僕にだってそれは解らない。だって、計画はいつ変わってもおかしくないからね」
「えー。だったら、君の予想外の方向にいったりしないの?」
帽子屋は、そんな危険性も勿論考えていた。
だが、考えていないなどと、幼稚な嘘をついた。
その嘘は、すぐ考えてしまえばわかる話だった。
「……だが、そんな事は一切考えていない。たとえ、あったとしてもそれを考慮して計画をもう一度練り直すだけさ」
そう言って、帽子屋はゆっくりと歩き出した。
「そうだねえ。ま、私は傍観するだけかもしれんし。君には頑張ってもらわなくちゃーね」
少女はポンポンと帽子屋の肩を叩いた。
「そうは言うけど、白うさぎ。君は順調なのかい?」
帽子屋の問いに、白うさぎはグーサインをした。
崇人のその一日は、一発の号砲から始まった。
その号砲から少し遅れて、コロシアムから響めきが起こる。
「な、なんだ!?」
崇人は起き上がり、部屋を飛び出る。ほかの人間も同じ態勢をとっていた。
「崇人、大丈夫か!」
声をかけたのはアーデルハイトだった。
崇人はアーデルハイトに問いかける。
アーデルハイトの言い分はこんな感じだった。
「何でも、『赤い翼』が突然コロシアムの中心に現れ、リリーファー装備用のコイルガンを撃ち放ちやがった! おかげで電源も切れちまって今は非常電源を使っている感じだ」
アーデルハイトの言葉からは、こんな状況であっても焦りは感じられなかった。
「それじゃ……どうする? あいつらをどうにかするしかないだろうが……」
『諸君、ごきげんよう』
天井にあるスピーカーから聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。
「確かこいつは『赤い翼』の……!」
崇人のその発言を聞いたかどうかは解らないが、スピーカーの声は続く。
『私は「赤い翼」のリーダーである。名前ならば、聞いたこともあるだろう。そして我々は今から何をするのか……ここに高らかに宣言しよう』
そして、
その発言は、後に世界の歴史に刻まれることとなった。
『今、ここに「赤い翼」は――ティパモールを独立させることを高らかに宣言する』
「とうとう言いやがった……!」
アーデルハイトはそれを聞いて廊下を駆け出していく。
崇人も同様に、それを追いかけようとした。
しかし、
「おい、タカト! どういうことだ、これは!?」
ヴィエンスに手首を掴まれてしまい、その場に仰け反る。
「ヴィエンス、これにはちょっと事情が……」
「なんだ、言えよ」
「えーと……その……あっ!」
崇人が右手で天井を指差すと、「なんだよ……」と釣られてヴィエンスもそちらを見た。
「隙有りぃ!」
「あっ、タカト! おい!」
崇人はその隙を狙って、アーデルハイトの走った方へと走っていった。
ヴィエンスはそれを一瞬遅れて、捕まえようとしたが、彼の指は空を切った。
崇人は追いかけて、廊下を走っていく。
廊下を見ると、電話をかける人、テレビで様子を確認する人、マネージャーらしき人に問い詰める人などたくさんの人間がいたが、そのどれもに共通して言えることは、皆動揺しているということだろう。
ここに居る人間は、所詮戦争経験豊富な人間から見れば、素人だ。
だから、このような非常事態に対応出来る人間など、この中にはそう居ない。
だが、今回の大会に限ってはすぐそばにマーズ率いるリリーファー『アレス』、アーデルハイトが起動従士の『アルテミス』、さらにヴァリエイブル軍が周辺に居た。にもかかわらず、彼らは今コロシアムの中央にいた。
「どういうことなんだよ……! 軍隊も、二機のリリーファーも居て……!」
崇人が呟くも、その言葉は誰にも届くことはなかった。
今は、急いでこの廊下を駆けて、アーデルハイトに追いつこうとするだけだった。
その頃、アーデルハイトはコロシアムの地下倉庫を抜け、『アルテミス』へと搭乗していた。
アルテミスは何とか『赤い翼』に監視されておらず、それがアーデルハイトにとっては唯一の救いだった。
「一先ず、どうする?」
アーデルハイトはコックピットの通信機に問いかける。通信の相手は他でもないマーズだった。
『一応、軍からのお達しは、「赤い翼を殲滅せよ」ってことだけね。その点に関して、犠牲も厭わないとのことだ』
「犠牲も厭わない!? それが国のお達しだっていうのか! ヴァリエイブルはどこまで腐ったんだ!!」
『私だって必死に抗議したさ……。だが、駄目だった。戦争がいつ起きてもおかしくない状態において、そんな戯言を言っている問題ではない、とのことだ』
マーズが告げた言葉は、非常に冷たい言葉であった。
しかし、その言葉は、非常に真理を突いていた。
「……だからといって、犠牲を伴うような正義など……私は……!」
『軍法会議にかけられるぞ、アーデルハイト』
「マーズ、君はそこまでしても、何も痛まないというのか。悲しまないというのか。だとすればそいつは相当に頭がイカレタ人間だ。いや、もしかしたら、私たちは人間じゃなくて、最早『怪物』と呼べる存在にいるのかもしれないな……」
アーデルハイトの言葉は、あまりにも難解だったためか、マーズには解らなかった。
『難解だな。そして、難儀だな。解らない。君は学生に扮し続けたせいで頭がおかしくなったんじゃないか?』
「はは、それはそれで面白いね。だが、私はまったくもって正常な思考だ」
アーデルハイトとマーズはそうして談話を終了した。
ここで、平和な会話は終了する。
これからは、『仕事』の始まりだ。
崇人は通路を走っている。しかし、まだアーデルハイトに追いつく気配などなかった。
「こんなに長かったか?」
崇人はそれを疑問に思ったのは、疲れてしまったために小休止をとった時のことだった。
さっきと比べれば、人が全く居ない。
そして、異様と思える通路の長さ。
この不気味にも思える空間に、崇人は違和感を感じていた。
「……なんだ、これは」
「流石は気が付くかしら。まあ、凡人にも気がつくレベルにはしてあるっちゃしてあるのだけれど」
今まで壁だと思っていた空間が、真っ二つに割れた。
そして、そこから、一人の人間が姿を現した。
黒い服を着ているのだが、その服は恐ろしい程に肌を隠していなかった。豊満な胸が殆ど露わになっていたし、黒い鍔の広いとんがり帽子(所謂、一般的な『魔女』が被っているような帽子のことだ)を被っていた。背中も恐らく殆ど見えているのだろうが、黒いマントでそれは見ることができない。
「『|スナーク狩り(スナーク・ハント)』のファルゴットという。まあ、どうにでもなって欲しいっちゃなって欲しいんだけど、なんでも『シリーズ』さんがあんたを欲しがっているんだよねえ」
「シリーズ……アリス・シリーズのことか」
崇人が呟くとファルゴットは小さく微笑む。
「自分の価値を知らない人間ってのは、なんとも愚かだと思うよ、私は。世界広しと雖(いえど)も、自分の価値を知る存在ってのは恐ろしい程に少ないのだけれど」
「スナークってのは、なんだ?」
「質問か。答える義理はないし、あんたはここで私に捕まるんだ」
そう言うと。
ファルゴットは小さく呟く。
「――雷の力を、われに与えよ」
刹那。
ファルゴットの目の前に落雷が起き、それによって地面に亀裂が走った。
地面の亀裂は、深かった。崇人は急いで、亀裂を避ける。
「……『魔法』って奴か」
「そう、魔法さ。この世界にある、学問の一つ。そして、道を切り開く手段の一つでもある」
魔法。
それは崇人の居た世界では存在しなかった学問。
それは、この世界では一般的とされている学問。
それは、かつて崇人の居た世界にもあった学問。
そしてそれは、崇人の目の前でいとも簡単に実行されていた。
「……どうした? 魔法を見ておしっこちびっちまったか?!」
ファルゴットは激昂する。
崇人はその場を動けなかった。
怯えていたわけではない。
かといって、何か行動を立てようとしていたわけでもない。
何も考えられなかっただけだった。
「……、」
崇人はその場にただ立ち尽くすしかなかった。
「そうかい。そうかい。……それがあんたの決意って訳か」
ファルゴットは、勝手に話を進める。
「そうすまし顔でいられるのも、何処までか見ものだね」
そう言って、ファルゴットは右手を天に掲げた。
ポケットから取り出したのは、小さな短冊だった。
その短冊には細かな文字が書かれていた。そして、それを幾重にも重ね、右手に持つ。
「――響け!」
たった、その一言だけだった。
それだけだったのに。
炎が、現れた。
それは、炎で象られた龍だった。
「……これは」
崇人は、それを見て呆然とし尽くすしかなかった。
その様子を見て、ファルゴットはしたり顔で呟く。
「さあ、さっさと死んじゃいなよ。……ああ、でもダメなのか。殺しちゃダメって言ってたしなあ……。うーん、悩みどころではあるね」
そう言うと、ぶつぶつとファルゴットは何か考え事を始めた。
崇人にとっては、チャンスだった。
直ぐに思考を再開させる。先ずは、あの炎の龍をどう対処するか、それが問題だった。
相手は魔法のエキスパート――『魔女』といってもいい存在だ。対して、崇人は魔法に関してはドのつくほどの素人。その差は歴然だ。
どうすれば、炎の龍を行動不能に陥らせることが出来るのか。
それが、崇人にとっての難関だった。
「……まあ、いっか。消し炭にしない程度に甚振れば、問題もないっしょ」
ファルゴットはそう軽い口調で呟くと、右手を崇人の居る方向に向けて伸ばした。
それと同時に、龍は行動を開始した。
龍はゆっくりとこちらに歩を進める。対して、崇人はそれをじっと見つめていた。
怖いから、ではない。
その場を、冷静に見極めるためである。
(一先ずは、あの龍の一撃を見なくちゃ話にならない。……待てよ? とすると、俺はまずあの龍の攻撃を最低一回は避けなきゃいけないってことか?)
崇人は簡単に言っているが、常人にそんなことが出来るわけはない。
そう、常人ならば、の話だが。
「そこで突っ立っちゃって。諦めた? もうちょい頑張ってくれると、なんとなく嬉しいんだけどなぁ……!!」
ファルゴットはそんなことを言うと、小さく溜息をついた。
そして。
「龍よ、その者を、焼き殺せ!!」
その言葉は、崇人にとって若干予想外な言葉だった。
なぜなら、先程自分で『シリーズに捕まえるよう命じられた』などと言っていたためだからだ。
「……おい! 二分前のお前の言葉を思い出してみろよ!」
「ぶっちゃけ目的とか任務とか、そんな堅苦しいこと大嫌いなのよねぇ」
正直、そんなことを言われては元も子もない。
そして、龍が崇人を取り囲んだ。
「――待て」
その声を聞いて、崇人とファルゴットは振り返った。
そこに立っていたのは、エスティだった。
「お仲間かい? まあ、別に子供の一人や二人増えたって消し炭になることには変わりないんだけどね」
ファルゴットは呟くと、エスティの方を見たまま微笑んだ。
しかし。
ザグン!! とファルゴットの右手が容赦なく叩き切られた。
それにはじめ、ファルゴットは吹き飛ばされた右手を見るまで、気付かなかった。
「……な?」
それとともに、龍は統率を失い、その場にただ崩れていく。
「人の腕って、簡単に千切れるのね」
エスティはうんざりしたような声で言った。
エスティの話は続く。
「人間は強いとか言ってるけど、だったら肉食動物に簡単に引きちぎられたりはしない。結局、人間の身体は恐ろしい程に弱い。そのために、人間は技術を発達させたり、魔術やら何やらを行使したりした。だがね、それでも基本的な|肉体(フィジカル)の強さは変わらなかった。
人間ってのはそういう弱い生き物だよ。たとえ、あなたの羽織っているそのマントが魔装兵器の一つだとしても、ね」
崇人にはエスティの言っていることが解らなかった。しかし、ファルゴットが舌打ちをして苦い表情を見せていることを鑑みると、どうやら敵方にとってはよくないことだったらしい。
「……魔装兵器だと、何故わかった?」
ファルゴットは既に叩き切られてしまった、右手があった場所を抑えて言う。その場所からは、血は全く垂れていなかった。
「私が、貴方にそれを言う必要があるとでも?」
エスティは髪をかき上げ、笑う。
彼女の言うとおり、ファルゴットが羽織っていたマントは――魔装兵器『アイギス』だった。アイギスは絶対の強度を誇る『盾』だった。
だが、今アイギスを羽織ったファルゴットは、その盾を使っていたにもかかわらず、腕を叩き切られていた。
その事実を、彼女は一瞬飲み込めなかった。
果たして、どういうことか。
どうして、アイギスを持つファルゴットがいとも簡単に攻撃させられて、傷を負ってしまったのか。
「……まさか、あんた、魔法を使えるというのか!? 起動従士に魔法を使える人間など、聞いたこともない!」
ファルゴットは恐れ戦いた口調で、そう言った。
「だって、私は起動従士じゃなくて、それを目指している人間だからね」
それは戯言に過ぎなかった。
だが、ファルゴットは、彼女がファルゴットに加えた攻撃こそが、魔法でしか証明出来ないと思っていた。だから、それは間違っていないと考えていた。
「……もういい、凡て、凡て! 死んでしまえばいいんだ!」
そう言って、ファルゴットは残された左手で、短冊を幾枚か掲げた。
「遅い」
ザグン!! と今度はファルゴットの左手が叩き切られた。
「うがあああああああああああああああ!!!!」
ファルゴットは、血走った目でエスティを見つめる。エスティは涼しげな顔で、睨み返した。
「……これで終わりかしら?」
エスティはそう呟いた。
ファルゴットは倒れ、そのまま動かなくなった。
「弱いわね。……ったく、いったい何が起きているんだか……」
「それはこっちのセリフだ。エスティ、お前魔法使えるのか?」
「魔法? ……ああ、そうね。一応、ね。父親が魔法学者だったから、それで本を読んで齧ったくらいだけど。本格的に学んだ人には劣ると思うけど、それなりの魔法は使えるよ」
先ほどの攻撃が魔法だとすれば、それは『それなり』に入るのだろうか――崇人はそんなことを考えたが、それは野暮なことだった。
「さて」
エスティは伸びをして、呟く。
「急いで、アーデルハイトを追いかけなくちゃ、ね?」
「ああ、そうだな」
崇人はそう言うと、再び走り出した。エスティもそれを見て、追いかけていった。
崇人たちが離れていって、しばらく経ったとき。
ファルゴットの死体がゆっくりと動き出し――立ち上がった。
小さくため息をつくと、左手と右手があった場所から、新たに腕が生成された。
「……まさかあんな『隠し玉』があるだなんて。私も考えられなかったわ……、少し考えなくちゃね」
そう言うと、ファルゴットも崇人たちの走っていった方向へと駆け出していった。
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