第11話
それは、マーズが起動従士となって暫く経ったある冬のことであった。
ヴァリエイブル帝国とアースガルド王国との戦争――後の『クルガード独立戦争』にマーズが参戦したときのことだ。クルガードとはヴァリエイブル帝国に面するアースガルド王国の一区画であり、そこは原油がよく採れる場所でもあった。
リリーファー制作の上で、原油――それを精製した石油は重要なものである。
リリーファーの制作方法とは、現時点においても理解出来ている人間が少ない。その人間をかき集めた組織こそリリーファー応用技術研究機構、ラトロである。国有リリーファーの制作はラトロであった民有リリーファーをプロトタイプとして制作したものを元に行われるため、ラトロは謂わば最先端のリリーファー技術を持つ機構である。自ずとラトロには『世界の頭脳』といっても過言ではない人間たちが集められる。自ら志願する者もいれば、無理矢理に連れて行かれる者も居るのだという。
ラトロ曰く、頭脳を集めるのに、手段は選ばない。即ち、それが意味していることとは、世界から頭脳を略奪することを意味していた。
メリア・ヴェンダーもその一人だった。
彼女はとある工業大学に通っており、主席で暮らしていた。彼女自身、この世界は非常につまらないものだと思っていて、日常に何か物足りなさを感じていた。
そこに現れた魔法科学組織『ヴンダー』という存在。
彼女はそこに捕縛された。ヴンダーは「神殺し」の意味を持つ。つまりは、「神を殺して、自らがその位置に付く」という考えの下、集められた科学者(しかしながら半分は『神への反逆のため』と称して無理矢理に連れてきた者たち)である。
神への反逆とは即ち、世界のシステムを変えようということだ。
そのために、今まであったものを、謂わば過去にするシステムが必要だった。
彼らはそれを二十年も悩んでいた。
しかし、それをある一人の少女が変えてしまった。
メリア・ヴェンダーがその正体であった。彼女は後に『ピークス-ループ理論』と位置づけるこれを成立させた。
ピークス-ループ理論。
名前のとおり、ピークとなる値をループさせることで、エネルギーを循環させ、かつエネルギーをその循環により増やしていく理論である。その理論を完成させた人間こそが、メリアだった。
メリア程の人間が、簡単に組織に捕縛されてしまうものなのだろうか?
答えは明確である。アースガルド王国は『天災保護法』を設定しているからだ。
天災保護法とは『天才』ではあるが、その頭脳に精神が追いついておらず、放っておけば世界を破滅にすら導く『天災』を管理・保護する法案のことだ。
天災に認定されるには、『その知識で人を殺した』場合のみである。
つまり、メリアはそれに引っかかってしまった。天災保護法を満たしてしまった。
では、誰を、殺してしまった?
それは――彼女すらも教えられない、そんな昔話の中に閉じ込めてしまったものだ。
メリアの唯一の友人でもあるマーズでもそれは知らない。知る余地もなかった。
そして、彼女が『天災』になったあとはピークス-ループ理論など『ヴンダー』に尽くした。いや、尽くさざるをえなかった。
天災になれば、基本的人権は剥奪され、国のために知識を放出するただのマシーンに成り下がる。マシーンに成り下がって、知識を搾り取られ、そして天災は天災自身が人と感じなくなる。その先に待っているものは……もう、誰にだって解ることだ。
クルガード近郊にあったヴンダー本部はピークス-ループ理論を適用した新型リリーファーの開発に取り組んでいた。スタッフが六十人、そしてそのトップにはメリアが居た。
メリアはこの状況に悩みをとうとう持たなくなった。これが普通で、これが日常だと思っていた。つまらないことを、それ自身を、感じなくなったのだ。
「局長、アウターカタパルトの設置完了しました」
メリアはただスタッフから来る状況報告を理解するだけでよかった。
「――解った。概ね順調であることには変わりないね?」
メリアの言葉にスタッフは頷く。
そう、それでよかった。
それで、それしか、彼女には選択肢はなかった。
「……それで、システムプログラムのコンパイルにおいてエラーが発生したんですが」
「エラー? どういうもの?」
「定義ミスといいますか……」
「ならば、intがcharになっていたのじゃない? それとも打ちミスとか。たくさんあるのだから、ちゃんと探しておきなさい。そんな初歩的なことを聞いてこなくてもいい」
そう言って、メリアはまた自分の殻に閉じこもった。
それで、一生過ごしていくのだ。
この冷たい檻の中で、人権をも奪われた世界で。
彼女は、生きていく。
絶望など、とうに感じなくなった。
誰も、救い出すことなんて出来ない――メリアはそう考えていた。
――あの日が来るまでは。
その日、クルガードは雨だった。雨は機械制作において一番の大敵である。機械と機械の各部品の間に錆びが生じてしまうし、水分によって性能が落ちることもある。だからこそ、メリアはこの日に作業はしないほうがいいと思っていたのだが、基本的人権を奪われた『天災』の彼女にそれを言う権利はなかった。
天災の彼女にはこの計画に対する発言権はない。彼女はただ知識をこの計画に費やすのみだった。
しかしながら、彼女がそれに加担するのは、今日が最後だということは、彼女自身も解らなかった。
「ひとまず、今日は躯体を完成させるところまで行くわよ。クロムプラチナも昨日漸く届いたというし……」
クロムプラチナとはプラチナの硬さとクロムの錆びにくさを兼ね備えた謂わば最強の金属として有名である。プラチナは希塩酸、希硫酸には溶けず王水のみに溶けてしまうが、クロムはむしろその逆で、それらを組み合わせることでどちらにも溶けづらい金属が出来上がるという訳だ。
それを応用して、リリーファーの躯体によく使われている。しかしながら、かの最強のリリーファーと言われる『インフィニティ』はオリハルコンを使っているというが、それを知っているのは数少ないし、知っていても都市伝説のように軽く考えている人が多い。なぜなら、インフィニティはこの当時動かすことが出来る人が居ないから、他国も脅威とは思わなかったからだ。
それでいて、彼女たちは、それに知らずにクロムプラチナで最強と謳っている。真実を知っている人間がいるとするなら、それはひどく滑稽なことだろう。
「ひとまず搬入は?」
「済ませました」
「よろしい。それじゃ、プログラミングは?」
「概ね順調です!」
「概ね? 今日の朝までに終わらせておくように、と言っておいたはずじゃなかったかしら?」
「申し訳ありません……。納期までにはと思っていたのですが……」
メリアはプロジェクトマネージャーの男の言葉を聞いて、ひとつため息をついた。
「仕方ないことです……とりあえず、完成させるしかありません」
メリアはそう言ってパソコンの前に座る。コードを見て、すぐさま指をキーボードに走らせる。そして、ものの数分としないうちに完全にコードを修正し終えた。
「ざっとこんなものです。まったく……仕事が遅いと言ったらありゃしない」
そうぶつくさ言いながらメリアはまた巡回を再開する。ここの指導者でもあるから、そういう巡回してカバーをする役目も担っている。
とはいえ、メリアもそう暇な訳ではない。そういうこともあるからと言うが、実際にそう時間が掛かって結局は納期に間に合うか間に合わないかの瀬戸際を行くこととなり、今回もそうなるだろう――と諦めた感じにため息をついた。
その時だった。
ドン――!! 破裂音とともにメリアたちのいる工場の壁が破壊された。
はじめ、メリアはその状況を飲み込めていなかった。それは、メリアとともに工場にいたスタッフにもいえることだった。
そして、直ぐに、その壁を破壊した存在が姿を現した。
赤いカラーリングのリリーファー。メリアはそれが何か知っていた。
「……あれは、確か『アレス』……!」
彼女も、今ヴァリエイブルとアースガルズとで戦争が起きていることは知っていた。しかし、だからとはいえ、まさかここが狙われるとは思いもしなかったのだ。
ここは、地下五階にある国民用シェルターの直ぐ傍にあるために、爆発にも耐えうるし、地上から見つけられにくいという特性もあった。
しかし今、それは関係の無いこととなった。
アレスが進撃したからだ。そして、作りかけのリリーファーの躯体を無残にも破壊していった。
もし、彼らが職人ならばこれを見て怒りをあらわにするかもしれない。しかしながら彼らは職人ではなく『強制労働者』だ。もはや職人としてのプライドなど持つことを許されていない存在である。むしろ彼らはその躯体を破壊されて、安堵感を覚えたのかもしれない。敵のリリーファーによって破壊されたことで、かつ敵が襲ってきたということで彼らは捕虜として敵国に運ばれることになるからだ。つまり、彼らは無意識にここでの労働よりも敵国での捕虜を選択していた。それは、その思いは、メリアも同じだった。
◇◇◇
戦争が終わり、彼らは改めてヴァリエイブル帝国の国付き職人として任ぜられ、リリーファーを制作するために日夜励んでいる。そして、メリアはその高い技術を買われ、リリーファーシミュレーションセンターの建造に協力することとなった。
そんなある日、マーズがメリアの部屋を訪れたときだった。メリアはパソコンに向かって何かのコード――恐らく、シミュレーションマシンの理論形成だろう――を打ち込んでいた。
マーズはそれを見かねて、彼女の目を隠した。メリアは急にあって対応できず、コードを打ち損じた。
「うわっ!」
「たまには休まないと~……ダメだぞっ!」
「びっくりしたー」
メリアはほっとため息をついた。マーズはそれを見て、にっこりと微笑んで右手にある物を見せつけた。それはヴァリエイブルの首都で有名なドーナツ屋の紙袋であった。
「あ、ドーナツ」
「一緒に食べようと思って」
「ちょっと待って」
メリアは立ち上がって、向かいの机にあるコーヒーメーカーに向かった。
「今、コーヒー入れるからさ」
「いいよお構いなく」
「いやいやーそれじゃ困っちゃうじゃない!」
そう言ってメリアは二つのコーヒーカップを持ってきた。
ドーナツを食べてしばらくすると、マーズが問いかけた。
「……ねえ、メリア。楽しい?」
「楽しいよ、ここは。何せたくさんの設備がある。それに、私の夢を積み込められる」
「夢?」
「私の開発した技術が、世界を平和にするっていう夢。ああ、あくまでも『名目上』じゃないよ? ほんとうに、戦争なんてものをなくすための」
メリアはそう言ってドーナツをほおばる。
「そう言ってるけれど、これは戦争を推進するものなんじゃない? だって、リリーファーの戦闘をシミュレートするやつでしょう?」
「そうだけれど、これはある技術を応用したに過ぎないよ。もともとリリーファー自体が復興開発のために制作されたとも言われているし、このVR技術を元に革新的なことだって出来る。例えば……あたかも現実空間のように振舞うゲームシステムとか、ね」
「まさか、ありえないよ」
「科学に『有り得ない』なんて言葉は存在しないんだよ。いつかは……いや、人間が言っている、思っていることは必ず叶うって決まっているんだ。だから出来ないことじゃない」
マーズはメリアの言っていることがたまに解らなくなる。しかし、彼女と話すこと自体が楽しいのであって、そんなことは特に気にしていなかった。
「あなたが楽しいなら、それでいいの。私はね、たまに思うんだ。『本当にあなたをここに連れてきてよかったのか』って。だって、あっちには家族も居るわけでしょう? なのにあなた一人でここまで連れて来ちゃったりして……」
「マーズ、私は特に気にしていない。寧ろ、ありがとうと言いたいの。だって、こんなに素晴らしいものをやらせてくれるんだもの」
メリアの笑顔は輝いていた。マーズはその笑顔を――胸の奥に仕舞った。彼女はその笑顔を忘れることはしない――と彼女自身に誓った。
「まあ……そんな話があったわけよ」
マーズの話を、歩きながら聞いていた崇人は何も言えなかった。
それを解っていたのかもしれない。そういうふうになることを、寧ろいつも感じているかのように、マーズは言葉を付け足した。
「だからといったって、彼女に哀れみとか必要ないからな? あいつは寧ろ、そういうのが大嫌いなんだ」
「なんかそんな性格してそうだものな」
「誰がそんな性格しているって?」
その声を聞いて崇人が振り返るとそこにはメリアが立っていた。しかし、その姿はなんだかこの前見た時よりも怠そうに見えた。
「どうしたのメリア、調子悪そうだけれど?」
「ああ……王様からプログラムの改良とか頼まれてしまってね……、おかげで徹夜だよ、ああ眠い……」
そう言ってメリアはひとつ欠伸をする。
「眠いのを承知で、ひとつお願いがあるんだけど。この前こいつから逃げたシミュレートをもう一度お願いできないかしら?」
「……もう一度?」
メリアは崇人の顔を見て、訝しげに笑う。
「お願いします」
崇人の目は、どことなく輝いていた。
そして、それを見て、メリアは崇人たちが歩いていた方向に向かって歩き出す。
「付いてきな。やってあげるよ、シミュレート」
その言葉を聞いて、ほっとした崇人はそのままメリアに付いていくのだった。
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