第一章 入学式の一日編
第2話
[1]
「……して、マーズ・リッペンバー。報告を受けることにしようか」
王の部屋は荘厳とした雰囲気に包まれていた。王の座る椅子の後ろには、林檎を持った女性が象られたステンドグラスが日光を部屋に通して輝いていた。
ヴァリエイブル連合王国は三つの内国家で別れており、その中の一番大きな国家――ヴァリス王国を事実上の主権国としている。国際的立場においてはこのヴァリス王国がヴァリエイブルの代表として立つこととなる。
ヴァリス王国が『政治』の中心とするなら、もう二つの王国、エイテリオ王国とエイブル王国はそれぞれ『貿易』と『経済』の中心地である。エイブル王国は“王国”の形をとっているとはいえ、その首都は高層ビルが軒を連ねており、その内部では国際的な経済大学や株取引のセンターまで設けられている。
そういうところを聞くと至極近代的ではあるが、『株』という概念は崇人が居た世界でも十六世紀から十七世紀にかけての大航海時代から始まったものであって、それ程崇人の居た世界と差異がないようにも思える。
王の言葉を聞いて、マーズは報告を始める。
「報告、というほどのものではないのですが、≪インフィニティ≫が起動出来ました。それが彼です。以後、彼を私の部下として訓練をさせていこうと思います」
「ふむ……。しかしながら、君自身はそれでいいのかね?」
王の言葉にマーズは頷く。
「ええ。彼自身まだこの世界に対する知識が浅いですからね。次いで、彼をリリーファー起動従士訓練学校へ入学させるべきだと考えているのです」
「……彼はこの世界の人間ではない、と?」
「ええ。彼はリリーファーに対する知識も必要でありますし、この世界そのものの知識をも覚えていただけなくては困りますから」
「……ふむ、君が教えるというのは?」
「私が教えてもいいのかもしれませんが、私は一応軍属。そう時間を割いてられませんよ」
王は頷いて、答える。
「――そうだな、私の可愛いマーズちゃんは軍でバリバリ私を助けてくれるために頑張ってくれているんだからねっ!」
――王は、先程とは違う荘厳な雰囲気ではなく顔をほころばせて言った。
「ほんとう、なんであなたは王様なんですかね。そうでなかったら殴ってるよ。リリーファーで反逆しても構わないんだけれどね」
「そういうマーズちゃんもいいんだよ」
「……もういいや。変態な王様はこれまでにしておこう。私はこれで戻りますからね」
「はいはい、また来てねマーズちゃーん!」
「投げキッスするなよ気持ち悪い……」
そんな捨て台詞を残して、マーズは王の間を後にした。
場所は変わり、リリーファー起動従士訓練学校。
リリーファー起動従士訓練学校はヴァリエイブル連合王国の中心に位置しており、年三百人の人間がリリーファー起動従士を目指すために入学する。しかしながら、皇暦七二〇年現在リリーファー起動従士は国内で五十人ほどしか居らず、そのうち第一起動従士と呼ばれる常にリリーファーに乗ることが可能となる起動従士は三十人程しかいない。三百人全てが卒業するとしても約十倍の高い倍率である。
その学校に、今年も入学の季節がやってきた。
「……にしても、まさかまた学校に入ることになるとはな……」
学校の校門を一人の“少年”がくぐり抜けた。
彼はこの世界の知識をほとんど知らない存在で、≪インフィニティ≫を動かした存在――大野崇人だった。
では、なぜこの姿なのか?
それは、すこし前に遡る。
「すこし年齢を退行させる。なに、そんなものじゃない。精々十歳くらいにするくらいだ。そうでもしなくちゃリリーファー起動従士訓練学校には入れまい」
「ちょっと待ってくれ。話が読めない」
マーズと崇人は会話をしていた。
崇人はこの世界に見合う格好を、とのことで黒の体操用ジャージを着ていた。“スーツ”という服はこの世界には存在しないためか、スーツを「なんだか知らないけれど堅苦しいモノ」とのことで捨てられるところだったが、マーズがなんとか捨てずに取っておいた。
「まあ、スーツさえあればあの世界に戻れるだろうしな……」
崇人は≪インフィニティ≫を降りて、マーズから大まかなこの世界の概要について聞かされた。
この世界はクローツという名前で、崇人が今いる国家はヴァリエイブル連合王国であるということ、そしてこの世界の大まかな歴史の流れの説明を受け、崇人はそれを聴きながら相槌をついていた。
「……それで、どうして今俺に話すんだ?」
「だから言っただろう。学校に行くんだ。まったくあんたのことを知っている人が居るとも限らん。寧ろいない方が普通だ。だからあんたを年齢退行させるのはいいんだが、ある程度の知識……そうだな、十歳くらいの人間が持っている知識くらいは持っていってもらわなくてはな」
「十歳とは言うが、俺は今三十五だぞ?」
「いいじゃないか。若々しい時代が再びやってくるのだぞ? 年齢を取った人間には一番のご褒美だと思うがね」
「そういう問題じゃねえよ……」
「解った解った。とりあえずさっさと行ってくれ。私はこれから王と話すことがあるんだ。……えーと、入学式はあと三時間後だからそのつもりで。それじゃ」
そう言ってマーズは去っていった。
「お、おいちょっと待て……!」
崇人の言葉を聞く耳も持たず、マーズは歩いていく。
崇人は仕方ない、と思い息を吸って改めて自らの体を見た。
身体は十歳のそれであって、どちらかというと顔つきも女の子っぽかった。
「まずいな……こんなんでいつもの話し方なんてしたらとんでもないことになりそうだ」
そう言って崇人は咳払いする。
「えーと……、大野崇人……いや、タカト・オーノです。よろしくお願いします」
目の前に鏡があるのが好都合、だと思った崇人はなんども練習を続けていく。年齢がバレてしまっては元も子もない。
「そもそも、どうして俺はこんなことになったんだ……?」
そんなことを考えている暇など、崇人にはなかった。
現時刻九時二十分。
そして、入学式は十二時ちょうどから。
あと三時間を切ったというわけだ。
「……仕方ない。行きますか……」
意外と崇人は順応能力があるようで、しゃなりしゃなりと歩く態度は最早十歳のそれであった。
そして、崇人はリリーファー起動従士訓練学校へと向かった。
話は戻る。
リリーファー起動従士訓練学校では、入学式が始まっていた。
こじんまりとした小さな体育館に入学生一同が集められていた。
壇上に初老の男性が向かい、まず入学生一同から一礼する。次いで、それを返すように初老の男性が礼をした。
「……私はここの校長を務めている、ヒューズ・ウェイバックです。今年もこの学校に三百二十五名の新入生が入学してくれました。この学校を選んだことには、私どもも大変嬉しく思います。是非、この学校で学んだ知識を未来に生かしてください」
それだけを言って、お互いに礼もせず壇上から男性は降りていった。
(普通は終わったあとも礼ってしないか……?)
そう崇人は思ったが、誰もやっていないのならいいのだろうと結論づけた。
「それではこれからクラスごとに別れていただきます」
女性のアナウンスとともにクラス毎に分かれていた列は前側の列から出口へと行進していった。
崇人が入学したのはリリーファー起動従士訓練学校の『起動従士クラス』である。この学校の根幹を為す学科で、この学校でも一番倍率が高い場所として知られる。崇人は勿論入学試験など受けていないのでそこのところはいろいろな理由を付けている。そのあたりはマーズが根回ししたので、彼が知ることもないだろう。
この学校には起動従士クラス以外にも魔術クラスと整備クラスがある。どちらもその名前通りの学問を専門として取り扱っている。
クラスに入ると、崇人は黒板を見た。そこには座席表が記されており、それによると崇人は窓から三列目の一番前であることが解った。
(にしても……学校だなんてどれくらいぶりだろう? まさか異世界に来て学校に通うことになるとは思いもしなかったな……)
崇人はそんなことを考えながら、自分の席に座った。
席は左側の座席とくっつけられており、左隣には既に誰かが座っていた。
艶やかな長い黒髪に透き通った肌、彼女は言うならば『美少女』の部類に入る存在だった。
「あ、あの、よろしく……」
崇人から声をかけると、彼女は笑ってこちらをむいた。
「初めまして。私はエスティ・パロング。あなたは?」
「俺はタカト・オーノ」
「変わった名前ね。よろしく」
そう言ってふたりは握手を交わした。
それと同時に教室の扉が開き、仏頂面の男性が入ってきた。七三分けで顔はゴツゴツとしていた。こういう座学の授業よりも体育の教諭の方が似合うのではないかという第一印象を崇人は抱いていた。
男は教壇に立つと、教科書類を教卓に置いた。
「――私はエイデン・ガーベルグという。専門は流体力学だ。君達は半年間、この『力学基礎』という授業において力学の基礎を学び、リリーファーはどうやって動くのかを理解せねばならない」
そう言って、エイデンは教科書の一つを取り出す。ハードカバーでとても分厚く、教科書というよりか鈍器といった方が正しそうなほどだ。
「これが今回の授業で用いる教科書だ。しかしこれは若干ながら難しいモノがあるので、これを掻い摘んだり、あとは板書に補足を書いたりなどとするのでノートを準備しておくこと」
そう言ってエイデンが黒板に向かうと、学生は一斉にノートを開き、ペンを手にとった。崇人も遅れてそれに従う。
「では、今日の授業に入る。今日はまず力学の初めとなる運動方程式について説明せねばならない――」
こうして、リリーファー起動従士訓練学校起動従士クラスの一日が始まった。
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