一日一膳
はし
手から口 口から手
隣の席の彼は、いつもサンドイッチを食べている。
「飽きないの」
私が聞くと、彼は目を薄めて首を緩く振る。
対する私は、毎朝母さんが愛情込めて作ってくれる手作り弁当だ。
「ブロッコリーあげようか」
言うと手を伸ばしてくるので、好き嫌いが激しいわけではなさそう。
「昼飯いっつもコンビニで買ってんだけど、サンドイッチが一番健康そうに見えるんだよな」
彼は言う。そう思えないこともないが、毎日食べ続けられるものだろうか。もしかしたら単純に選ぶのが面倒なのかもしれない。
「そばとかおいしいよ」
「麺とか嫌なんだ。食感あんま無いから」
彼はサンドイッチを口元に運ぶ。
「あ、もっこあった。ブロッコリーいる?」
「お前それ嫌いなんだろ」
ある日の物理の時間。私の嫌いな理系教科。
「今日は十四日かー。じゃあ十四番の者。この問題の答え黒板に書きなさい」
何度もいうようだけど、嫌いな教科。当てられたところでさっぱりわからない。
私が腰を上げ下げしていると、隣からノートが伸びてきた。
見ると、隣の彼は頬杖を突きながら、窓のほうへ顔を向けていた。
「…ありがと」
私は言って、ノートを受け取った。
「奢れよ」
彼も小さく返した。
「さっきはありがと」
私が言うと、彼は「金」と言って手を差し出す。
「せっかくかっこよかったのにゲスいぞ少年」
「あんな問題も解けない頭のほうがゲスいと思いますがお嬢さん」
彼はケータイをいじりながら言う。かわいくない男だ。
「で、何欲しいの」
「は。まじで奢ってくれんの」
「だってこれで何度目かわかんないし」
理系教科で指名されたのは初めてじゃない。そのたび、彼がさっきのように助け船を出してくれているのだ。
たまには恩を返すのも義理だろう。
「おお、男らしい義理堅さだ」
「うっさい。ジュースでいい?」
私が聞くと、彼はむう、と眉間にしわを寄せた。
「ジュースはいらん」
「そういえばあんたがジュース飲むのみたことないな」
「よく見てんな。きも」
「女子に対する優しさが足りない。ジュースじゃなかったら何よ。お菓子?」
彼は表情を崩さない。そういえば、お菓子を食べているのも見たことがない。
「…ゲーム?」
「ふざけんなばか」
「ジョーダンジョーダン。そうだなあ」
んー。と彼は唸る。このままじゃらちがあきそうにない。
「そうだ」
「なんだよ」
彼が目だけこちらに向ける。相当悩んだのか、眉間に寄ったしわは直っていない。
「明日のお昼買ってあげるよ。あんたいっつもサンドイッチだから、私のおすすめ」
「あー?いいよ。俺サンドイッチ教信者だから」
「その宗教ぶっ壊してやろうじゃない」
「てか、昼飯買うぐらいならまんが買ってくれよ」
「なににしようかしら!」
「聞け」
翌日の昼休み。私は彼にビニール袋を差し出した。
「うお、まじで買ってきた」
「え、もしかして今日もサンドイッチ買ってきちゃったの?」
「いや…」
彼は言いながら袋を受け取る。
手を中につっこみ、中のものを机に置いた。
「月見とろろそばよ!」
「おま、汁どうすんだよ」
「飲め!」
「鬼畜!」
彼は溜息をつきながらそばに箸をつける。四五本とって、口元に運んだ。
「どう、おいしいでしょ!」
私が言うと、彼はゆるゆる首を縦に振った。
「うまいうまい。あんがと」
「何その心のこもってない感じ…」
「コモッテルコモッテル」
彼は言いながら口にそばを運ぶ。
彼の目は真黒で、何を考えているのかわからない。
ただ、彼が喜んではいないということだけわかった。
「そういえば…そば嫌いなんだっけ」
「え、ああ…」
彼が言葉を濁すようにそっぽを向く。
私に気を使って食べていたのかもしれない。
「ごめん忘れてた。明日また違うの買ってくる」
「は?いいよ」
「よくない!これ一応お礼なんだから!今日はとりあえず私のお弁当食べて」
「いいって。食えないわけじゃないから」
話しながら彼はいつの間にかそばを完食していた。早すぎる。
「ええ、もう食べ終わったの!」
「おう。だからもういいって」
「ダメ!明日もサンドイッチ買わないでね!」
「ええー…」
じゃあ、と彼がおもむろに財布を取り出す。
そこから三百円が出された。
「はい」
「なに」
「今日のそば代。今日は俺が買ったことにするから、明日のがお前の奢りな」
私が受け取る前に、彼はそれを私の机に置いた。
そして次の日、私はハンバーグ弁当を買っていったが、彼の反応は薄かった。
そばを食べた時と同じ、真っ黒い瞳だったのだ。
「おいしくない?」
「いんや、おいしいよ」
言う彼の目に光はない。
私は意地になって、その次の日も次の日も彼に違うものを食べさせた。でも彼の反応はいつも同じだ。
「どんなのが好きなの?」
オムライス弁当を食べ終わった彼に尋ねる。
「…ゴリゴリした奴かな」
彼は遠慮気味にそうつぶやいた。
学校帰り、コンビニを覗いて食べ物を漁る。
ゴリゴリとはいったい何だろうか。
探してみたが、それらしいものはない。
当たり前だ。現代人は柔らかいものが好きなのだから。
ならどうすればいいのか。
私の目は右手に持ったお弁当入れに向いた。
「じゃん!」
差し出すと、彼は目を丸くした。
「ついにここまで来たか…!」
彼は私が持ったタッパーにくぎ付けだ。その中には私が早起きして作ったお惣菜の数々が詰まっている。
端からブロッコリー、きんぴらごぼう、キュウリの漬物などなど。名前を上げるとおばあちゃんが作るようなものばかりだった。
「だってゴリゴリしたものとかないんだもん。いいから食べてみて!」
私が言うと、彼はタッパーを受け取り、ふたを開いた。
彼はおかずを一つ箸でつまみ、口に運ぶ。
「…どう?」
彼は口の中のものをかみしめるように咀嚼した。
とたんに、彼の目から涙がこぼれた。
「え…え!」
焦る私と泣く彼に、クラスメイトの目が向く。
「ご、ごめん!そんなにまずかった?は、吐き出して!」
私の料理で泣かれるとは思ってなかった私は焦りと悲しみがごっちゃになっていた。
「うまい」
ティッシュを彼のもとに広げると、彼はそうつぶやいた。
「すげえうまい」
彼は何も吐き出したりせずそのままもくもくと食べ続け、涙を流しながらタッパーを空にした。
「明日も作ってきて。金払うから」
そういって彼は五百円を私に出した。
翌日の朝、私は彼に言われたとおり彼のお弁当を作っている。
彼の様子を思い出す。昨日は混乱してあまりわからなかったが、いつもの黒い瞳に何か光が浮かんだように見えた。涙のせいか。
私はそんな彼を思い出しては口元に笑みを浮かべ、おかず作りに奮闘した。
もっと彼に喜んでほしいと思った。
それから私は毎朝彼にお弁当を作るようになり、彼は私に毎日お金を渡した。
と言っても私のお弁当の残りだったりして気が引けるので、お金は二百円にした。
彼は私のお弁当を食べるとき、とても優しい目をする。
それが嬉しくて、私はお弁当作りに力を入れるようになった。いろいろなおかずを調べては、それをタッパーに詰め込む。
いつのまにかタッパーの一つが彼専用になっていたときは笑ってしまった。
その日も彼にタッパーをわたし、彼が嬉しそうに食べるのを隣で見ていた。
「あ、そういや俺部活で集合かかってんだった。ちょっと行くわ」
彼はお箸をおき、席を立つ。
私はひらひら手を振って彼を見送った。
ちらり、タッパーに目を移す。
今日一番力を入れて作ったアスパラの肉巻きを見る。彼に味のほうを聞くと、笑いながら「うまい」と言ってくれた。
私は嬉しくなって、タレにこだわったやらアスパラは旬なのだとか彼に語った。彼は時々口を挟んでは、おかずを口に運んでいた。
私はアスパラの肉巻きを一つつまんで、口に運んだ。
するとどうだろう、それは恐ろしいくらいに不思議な味がした。しょっぱさとか甘さとか苦さがあって、私は顔を顰める。
朝作った時に味見はしたはずだが、私は思う。これはとてもおいしいと言える代物ではなかった。
凍り付く私のもとに、彼が帰ってきた。へらへら笑いながら私の隣に腰を下ろす。
「昼休みあと十分しかないじゃん。早く食べないとな」
彼はそう言って、箸を持つ。
「ねえ、アスパラの、おいしい…?」
私が聞くと、彼は不思議そうに首を傾げた。
「うまいよ。さっきも言ったじゃん。これが一番おいしい」
そう言うと、彼はニッと無邪気に笑った。
私は黒いものが胸の中でぐるぐる回るのを感じた。
彼はそんな私に気づかずに、またアスパラの肉巻きに箸を伸ばす。
「ん。うまい」
私は耐え切れなくなって立ち上がった。驚く彼を傍目に、教室から飛び出す。
気づいてしまった。彼は、ずっと私に気を使ってくれていたのだ。
喜ぶ私の横で、どれほどつらい思いをしただろう。そう考えると、自分が恥ずかしくってならなかった。
後ろから走ってくる音が聞こえる。振り返ると、さっきまで教室にいた彼が必死な形相で私を追いかけていた。
私は夢中で走る。彼と顔を合わせられないと思った。
「待てって!」
後ろから彼の声がする。と思ったらもう腕を掴まれていた。
「なに!俺なんか悪いことした!」
彼は肩で息をしていて、急いできてくれたことが分かった。
「…何で泣いてんの」
彼が目を丸くする。私は頬をこすった。
「ま、ずいなら、まずいっ、て、言いなさいよ!浮かれて、まい、にちご飯作って…ばかばかしい…」
「は!俺まずいなんて言ってないじゃん!」
「ちが、違うの、ごめん…あんた、は私に、き、つかってくれてたんだよね…」
「使ってねえよ!」
「嘘つき!あんなくそまずいの食べらんないよ!」
私が言うと、彼はサッと顔を青くした。
「お前、食ったのか…」
「…わるい?」
「まずかったのか…」
「この世のものとは思えないぐらい」
自分で言って悲しくなった。溢れそうになった涙を抑えるために唇をギュッと結ぶ。
「ごめん、俺嘘ついた」
彼が弱弱しく言った。私の意思に反して、涙が一粒落ちた。
「…やっぱ嘘ついてたんだ…」
私がつぶやくと、彼は私の腕を離した。
「俺、四人暮らしなんだ」
彼がぼそりと言う。私はスカスカの頭でそれを聞いていた。遠くでチャイムが鳴っているのが聞こえたが、私たちは気にしなかった。
「父さんはそこそこいい会社に勤めてて、母さんは専業主婦やってる。
姉ちゃんは俺と違って頭の出来がよくって、ちっさいころから期待されてた。
夜中まで塾通いで、母さんはそれにいつもついて行って送り迎えしてた。父さんが帰ってくるのは十二時過ぎだった。これが俺の小学校前半」
どうして彼が急に彼の生い立ちについて話し始めたのかさっぱり見当がつかなかったが、私は黙ってそれを聞いた。
「高学年になったころ、姉ちゃんは中学生になった。いいとこの私立中学だ。
それでも両親は満足しなくて、姉ちゃんを勉強させ続けた。
塾の時間は伸びていった。家で姉ちゃんに会うことが少なくなった。それに付きっきりの母さんにも」
彼がこくん、と唾をのんだ。そんなこともわかるくらい、私は彼の一言一句に耳を傾けていた。
「俺が中学生になった時、姉ちゃんが変わった。塾に通うのをやめて、夜中までふらふら遊びまわるようになった。
母さんは泣きながら姉ちゃんを探したり、自分の精神科病院に通うようになった。
父さんはたまに口を出すだけで、家には全然いなかった」
彼の家は相当大変だったようだ。勉強を強いられ続けて溜め続けたストレスを一気に爆発させた姉。それに付きっきりの母。
家庭にかかわろうとしない父。
…彼は?
「そんで今。姉ちゃんは部屋にこもって、母さんは姉ちゃんにずっと話しかけてる。父さんは休日もあんま帰ってこなくなった。家にいても部屋で寝てるだけだから、顔を全然見てない。俺は、
味が分からなくなってしまった。」
ふっと、時が止まったように感じた。でも、彼の息遣いをしっかり感じる。私はゆっくり彼を向いた。
彼はうつむいて、床に微笑んでいた。口の端が震えている。
「何が原因かわからない。小さい頃は確かに味がしたんだ。菓子だって好きだったし、ジュースも飲んでた。でも気づいたら、味がしなくなってたんだ。一人で食べる夕飯が寂しいって、気づいた時にはもう」
だから、彼は続ける。
「お前の弁当をうまいって言ってたのは、嘘だ。俺は味を全く感じない。悪かった」
「じゃ…な、んで…」
「…嬉しかったんだ。俺のために、メシ作ってくれたのが。食ってる俺を嬉しそうに見つめる目が、くすぐったかった。味はしなかったけど、おいしいって思ったんだ」
彼は顔を上げた。その目にもう悲しさはなかった。
「また、作ってくれないか。俺、お前の作った弁当が好きなんだ」
しっかりと目を見つめられる。
彼はきっと、本当においしいと思ってくれてたんだ。
「でも、味がわかんないやつのために作るのなんて嫌だよな…。」
小さくつぶやく彼を、両手でギュッと抱きしめた。
それから、私は五時に起きるようになった。自分のと、加えてもう一つのお弁当を作るために。
朝のキッチンはまだ薄暗く、冷たい空気に包まれている。
でも私の心はあったかくて、頬は自然に上がってしまう。
小さく息をついて、私はフライパンを手に取った。
味を感じない彼のために、少しでもおいしいと思ってもらえるように。
一日一膳 はし @ksn8
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