担当はSその2
「ううう……まだ頭がグラグラします」
華恋は一時間もすると目を覚ました。今は多少ふらつきながら、額に手を当てて唸ってる。
「あー……ごめん華恋。ちょっとやりすぎたわ」
「いえ、私は大丈夫です。それよりも師匠は?」
「あそこで死んでるわ」
「し、師匠!」
華恋が紅葉の指差した先でぶっ倒れてる俺を見て、ぎょっと目を見開いた。
「大丈夫ですか、師匠!?」
華恋はソファーから俺の方へ駆け寄ってきた。
「ああ、何とかMにもならず生きてる」
俺は華恋の手を借りて立ち上がり、生の喜びを噛み締めた。全身を鋭い痛みが走るが、それでも生きてるって素晴らしいと思えてしまう。
「――流石は先生。私の鞭を受けてもまだ命があるとは。しかもMに目覚めない……驚嘆に値します」
……声のした方を振り返ると、案の定悪魔がいた。
「……何でまだいるんだよ?」
「一応私は、原稿の進捗確認のために来ましたから。それを先生の口から聞くまでは帰れません」
「いや、さっきの俺の反応で丸分かりだろ」
「いえ、私にはさっぱりですね」
絶対に嘘だ。分かってて訊くとかドSか。……嬉々として他人鞭を振るうような奴が、ドSじゃないわけないよな。
「いいネタがないせいで、何も書けてねえよ」
「何もということは、原稿は真っ白ですか?」
「そうだよ。悪いか?」
こうなったらヤケだ。俺は開き直ることにした。
「いえ、ネタがないのなら仕方がありません」
「……何だって?」
普段の担当なら『そうですか。じゃあ作ってください』とか、こっちの都合はガン無視してメチャクチャなことを言ってくるはずなのに……いったいどういうことだ?
「ですが、何事にもケジメというものは必要です。というわけで、お仕置きとして鞭打ちを――どこに行くんですか? そっちはベランダですよ、先生」
「離せ! このドSが!」
あんなもの、日に何回も受けられるか! 次は本当に死ぬぞ!
肩に乗せられた担当の手を振りほどこうとするが、ガッチリと指が食い込んでるため離れない。
「つうか、お仕置きはさっき一回受けただろ!? 原稿が進んでない件は、あれでチャラじゃないのかよ!」
「あれは拷問なので、原稿に関するお仕置きとは別腹です」
「何だ、そのデザートは別腹みたいなノリは!?」
俺はさっきの拷問でお腹いっぱいなんですが。
「頼むから鞭打ちはやめてくれえ……!」
俺が悲鳴じみた懇願をすると、肩にかかる力が少しだけ緩んだ。
「……そこまで嫌ですか。流石の私もそういう反応をされると――」
少し言いすぎたか? しかし俺は本当に鞭は嫌なので、その辺りも理解してくれると、
「興奮しますね」
「最悪だな!」
何でこんなのが編集者なんだ? こいつの天職は十中八九、SMクラブだろ。
「進んで鞭を受ける下僕もいいですが、先生のように嫌がる人に鞭を打って痛がる顔を見るのは、やはり格別ですね」
「お前に人の心はないのか?」
「失礼な。人の痛がる顔を見て嗜虐心が湧く程度にはあります」
つまり皆無ということか。
「さて。それでは本日二度目の楽しい時間の始まり――と言いたいところですが、その前に訊きたいことがあります」
「な、何だよ……?」
「そこの……華恋さんと言いましたか? 私の空耳でなければ、先生のことを師匠と言ってるように聞こえましたが」
担当が華恋に興味を示した。どうやら華恋の言葉に反応したらしい。
……これは使えるかもしれない。上手いこと担当の気を逸らせば、脱鞭打ちも可能なはずだ!
「そ、そういえば、お前には紹介してなかったな。こいつは――」
「初めまして! 師匠の弟子の華恋です!」
「――を自称してる頭のおかしいJCだ」
「……師匠?」
なぜか華恋がジト目を向けてくる。怖い怖い。
「なるほど、流石は先生ですね。まさか催眠術が使えるようになってるとは」
「…………」
もうツッコミはなしだぞ。いい加減言われ慣れたからな。
「待ってください!」
俺が訂正しなかったためか、華恋が担当に大声をあげた。
「師匠は催眠術なんて使ってません!」
「本当ですか、先生?」
「なあ、それっていちいち確認しなきゃ分からないことなのか?」
「先生なら、何をしててもおかしくありませんから」
何だ、この嬉しくない信頼は。
「しかし催眠術ではないとなると、残る可能性は……洗脳だけですか」
「お前はどうしても、俺をそういうことにしたいのか?」
「誤解です。ただ先生が、JCに好かれてるというこの状況が信じられないだけです」
悲しきかな。俺も思わず担当の言い分に納得してしまった。
「しかし先生の弟子を名乗るということは、彼女もラノベ作家を目指しているんですか?」
「一応そうらしい」
俺のような、という枕詞が付くが。
「あ、そういえば……担当、少しだけ待ってろ」
俺はそれだけ言い残して、リビングを出る。そして数分後には、五百枚にも及ぶ紙束――華恋の作品を持って戻った。
以前弟子入りを断られて帰った時、華恋が忘れて行ったものだ。後日来た際に返そうとしたが「師匠に認められなかったのならいりません。邪魔なら捨ててしまってください」と言って、受け取りを拒否しやがった。
あそこまで面白い作品を捨てるのは忍びない。そんなわけで、今日まで保管していた。
「これを読んでくれ。華恋の作品だ」
「し、師匠、それは……!」
華恋の息を呑む気配が伝わってきた。
「これがですか……また随分な量ですね」
流石のドSも、軽く目を見張る。
「これを一編集者として読んでみてくれ。今この場で」
「これをこの場で、ですか」
担当の顔に微かな動揺が走るが、無理もない。
いきなりこの場で、あのページ数を読めと言ってるのだから。
「絶対に時間を無駄にはさせない。だから読んでくれ」
「先生がそこまで言うとは……分かりました。少し時間をいただきますが、構いませんか?」
「ああ、頼む」
担当はソファーまで移動し座り込むと、華恋の作品を読み始めた。
無言でページを捲る担当。その速度は、この場にいる誰よりも早い。一時間もすると、読み終えてしまった。
腐っても編集者ということか。ドSのくせにやるじゃないか。
「……華恋さん」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれた華恋が、肩をビクつかせる。
「今ウチのレーベルで、第五回ゴロゴロ文庫新人賞というものを開催しているのですが、興味はありませんか? もしあるのでしたら、この作品をぜひ応募してください」
「わ、私の作品を応募……ですか?」
「あなたには才能があります。編集者としては、あまりこういうことは言うべきではないかもしれませんが、天才と言ってもいいレベルです」
担当が華恋を褒めちぎる。華恋の才能を知る者としては、当然の評価だと思う。しかし、俺はあそこまで言われたことはない。
「…………」
まだ作家にもなってないような人間に嫉妬してる自分が嫌になる。しかも、嫉妬の対象が自分を慕ってくれてる人間であることが、自己嫌悪に拍車をかける。
しかしこの状況を招いたのは俺。菊水華恋という天才は、埋もれさせるには惜しい才能だ。それを考えれば俺が劣等感に苦しむ程度、些細な問題だ。
流石に審査で贔屓はできないだろうが、華恋の実力なら十中八九受賞できるはずだ。上手くいけば、大賞も夢じゃない。
編集者に天才とまで言われたのだ。俺が華恋の立場ならすぐさま大賞に応募するだろう。
「お断りします」
しかし、華恋の答えは俺の予想に反したものだった。
「編集者の人にそこまで言っていただけたのは、とても嬉しいです。ですが、その作品を応募することだけできません」
「なぜ――」
「どうしてだ……?」
担当の言葉を遮る形で、俺が重たい声音で訊ねた。
「師匠は以前私が弟子入りをしに来た時に、私に出した弟子入りのための条件を覚えていますか?」
忘れるわけがない。眼前の少女との出会いは、それだけ俺には衝撃的だったのだから。
「俺に面白いと言わせる作品を作る……だったよな」
「はい。そして私は、師匠の弟子にはなれませんでした……」
項垂れる華恋を見ていると、不意に視線を感じたのでそちらを見る。
視線の正体は担当だった。冷たい瞳が「どういうことだ?」とでも言いたげな様子だ。恐らく、華恋を弟子にしなかったことに対する説明を求めているのだろう。
だが答えるわけにはいかない。それは、俺のプライドに関わるから。
「師匠に認めてもらえなかった作品を新人賞に出すなんて真似、私は死んでもしたくありません。出すなら、師匠に認められてからです」
語る華恋の表情に迷いは感じられない。代わりに、華恋の強い覚悟が伝わってくる。
「だからごめんなさい。少なくとも、私はその作品を応募するつもりはありません」
華恋は担当に深々と頭を下げた。
もし俺が華恋の立場なら、一も二もなく担当の指示に従っただろう。だが華恋は、目先のことより自身の信念を貫いた。
……華恋との格の違いを改めて叩き付けられた気分だ。自分の矮小さが嫌になる。
「……そこまで言うのなら仕方ありません。今回は諦めましょう。ですがもし次の機会があるのでしたら、その時はぜひ我がレーベルの方にお願いします」
「はい、もしその時が来たら」
笑顔と共に快諾する華恋。そんな彼女を見てると、何となく――ムカついてきた。
「……おい、華恋」
「何です――あ痛ァ! 何するんですか、師匠!?」
俺のデコピンを受けた額を手で覆いながら、華恋が抗議する。
「お前、担当があそこまで言ってくれたのに断るなんてバカだろ?」
「バカじゃありません!」
華恋が反論するが、知ったことではない。文句を言いたいのはこっちなのだから。
「上手くいけば、ラノベ作家になれたかもしれなかったんだぞ? それを棒に振った奴をバカと呼んで何が悪い」
「私がなりたいのは、ただのラノベ作家じゃありません。師匠のようなラノベ作家です!」
「またそれかよ……」
前にも聞いたことのある言葉。華恋の意志の強さに呆れてしまうが、同時になぜか嬉しくも感じてしまう。
「――話は終わりですか?」
担当の問う声が聞こえたのでそちらを見ると、なぜか鞭を構えた担当が立っていた。
「終わったが、何だその鞭は?」
「何って……鞭ですよ、鞭」
「それは見て分かる。俺が訊きたいのは、何で鞭を片手に俺を捕食者のような目で見てるのかってことだよ!」
嫌な予感しかしない。
「締め切りを破った件に対するお仕置き、まだ済ましてませんよね?」
「OH……」
うやむやにする作戦は失敗に終わったようだ……。
「さあ先生、覚悟してくださいね?」
……誰か助けて!
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