ミエルメ

とき

第1話

 目の前に広がる世界は明るいようで、どこか暗い印象を受ける曖昧な光景だ。

 その世界が夢の中だと気付くには、今の少年の意識はおぼろげで、目覚めている時より素直な感性をしていた。

 だから目の前を行く影を、ただ純粋に追いかけている。

 心に残る思い出。

 自分の人生を大きく変えたであろうその存在に、少年は無我夢中で手を伸ばし、そして届いた。

 得体のしれない感触に少年の心臓は飛び跳ね、全身に鋭い熱がほとばしる。

 気が付くと、少年、綾瀬あやせ じょうは目を覚まし、見慣れた自室の天井を眺めていた。

 口の中の渇きや、肌に滴る寝汗になんとなく不快感を覚えながら、情は今しがた見ていた夢の事を思い返す。

 夢のような夢。そんな感想を抱くと、情は自分が何故、あの子を追いかけていたのだろうと、感傷的な疑問を抱いた。

 しかし、答えなど出ないと早々に諦めて、情はため息を漏らしながら目を閉じ、静かに眠りに戻った。

 もう夢を見る事はなかった。

 そんな情に視線が集まる。

 天井の隅。壁際。窓の端。電灯の陰。机の上。ベッドの傍ら。棚の隙間。

 部屋のあらゆる場所から、たくさんの視線が無邪気に情へ注がれていた。

 

                   


 朝、ベッドから身体を起こすと、情はまだ夢の中なのだろうかと項垂れていた。

 目を擦り、軽く身体を伸ばすと、改めて自分の部屋を見渡す。

 ハッキリと冴えた情の目には、部屋の所々に漂う多くの眼が映っていた。

 眼、と言い表せるが、人が持つ眼球そのものと言う訳ではない。

 平たい丸い枠の真ん中に軽く描いたような黒目がポツリ。そしてその丸枠の周りには、それぞれ花弁や葉、羽や綿、雪の結晶のような物が飾り付けられた、子どもの落書きみたいな造形をしていた。

 とりあえず数える気が失せる数の眼たちが気ままに漂っている様を眺めながら、懐かしさに浸って情は惚けた顔になる。

だが、すぐに飽きてベッドから抜け出し、自室を出た。

 洗面台で洗った顔を鏡に向けると、そこそこ整っているものの、高2になったばかりにしては少し老け込んだ顔だけが映っていた。眼の姿は一つも見当たらない。

しかし、振り返れば所構わず眼が漂っていた。

 写真でも撮ってみようかとスマホをかざすが、その画面に眼は入らない。何をしているのかと両親に不審がられただけだった。

 一応、害が無いもだと経験と思い込みから勝手に判断し、情はスクールブレザーを着て学校に向かった。

 家の中だけでなく、外でも眼はそこかしこに漂っていた。

 だが、情以外にその存在に気を留める者はいなかった。

 両親同様、眼の事が見えていないのだろうと情は思った。

 登校中にニュースやSNSなどで話題になってないかと調べてみたが、そんな様子はなく、やはり自分にしか眼の事が見えないのだと分かると、情は本格的に自分の頭がおかしくなったのかと不安になってきた。

 眼を初めて見たのはおよそ7年前。

 相当不思議な体験の中で見ていた眼の存在を、情はよく覚えている。

 それに対し未練だとか心残りだとかを抱いていたつもりはないのだが、今になって眼が見えるようになったのは、その体験を思い起こす夢を見たのは、そう言う事なのだろうかと、情は複雑な心境に陥る。

 なんとなく湧きだしたそんな感情を鬱陶しく感じ、これ以上は考えまいと情は思考を振り切って、教室に到着する。

 新たに級友となったクラスメイト達が各所で談笑に興じる中、情は一人、自分の目に入った光景に唖然とした。

 衝動的に窓際まで行くと、情は窓の外に見えるそれを凝視する。

 相変わらず好き放題に漂う眼たち。その先で更に異彩を放つ物体が遠方に浮いていた。

 遠すぎてぼんやりとしか見えないが、距離感と今見えるサイズ感から、情はそれが相当巨大な物体だと見た。

 よく見ると、もっと遠くに似たような物が二つほど見えた。

 遠目からとは言え、眼と違って圧倒的なスケールを感じさせる謎の物体に、情は密かに息を呑む。

 唐突に現れた、これまでの日常に無かった異物。

 特にこれと言って、自身に異常を知覚できない以上、何かが起きているのだと情は考える。

 しかし、それが何なのかを知る術を持たず、また、知りたいと言う意欲もあまり湧かない情は、疲れたような溜め息を吐くと、それ以上は考えようとせず、席に戻って始業を待った。

 周囲を漂う眼に多少気を取られながらも、情は黙々と授業を受け、何事もなく放課後になった。

 学校を後にし、しばらく歩いていると、情はある事に気付いた。

 朝から見えるようになった数多く漂う眼は、そのいくつかが自分に付いて来ている。

 それに気付いて気に掛けてみると、付いて来ている眼のいくつかには、そのうち情に飽きたように離れる個体がいたり、興味を引いて何処からか付いて来るようになった個体が入れ替わりで付いて来ていた。

 煩わしさを感じる訳ではないが、どうにも落ち着かない。そんな気分になりながら、情は目的地に向けて歩いた。

 しばらく歩き続ける道中、教室から見えていた巨大物体の一つが見えてきた。

 観光名所でも見る気分で、情は巨大物体に寄っていく道を選ぶ。

 そうして、まだまだ距離はあるようだが巨大物体のシルエットがハッキリ見える所まで来た。

 それは、端的に言えば西洋風の城だった。ファンタジー物の世界観にありそうな仰々しくも壮麗そうれいな造形で、非常に見応えのある存在感を放っていた。

 そんな物が宙に浮いている非常識な状況は一旦無視し、情は試しにスマホのカメラを城に向けてみた。

 やはり画面には雲の漂う空しか映らず、情の目に見える城や、その周囲をのんびりと漂う眼の姿は映らなかった。小さく息を漏らしながらも、その存在感に気を引かれ、しばしスマホをかざしながら、情は棒立ちになる。

 ふと、城を眺めていた情はスマホ画面の下側に何か映っている事に気付いた。

 すぐさまその影をフレームの中心に入るようスマホを動かし、ズームして鮮明になったそのシルエットを情は凝視する。

 映っていたのは少女だった。

 情と同世代くらいで、小柄な身体に違う学校のセーラー服を纏っている、銀雪のような眩い色合いをした長い髪を可愛らしい桃色のリボンで二つ結びにした少女だ。

 その端正な顔立ちに、情は一瞬気を取られるが、その双眸がきつい眼差しで自身を見ている事に気付いた。

 当然だろう。知らない男がカメラを向けてくれば、警戒するのが普通だ。

 即座にスマホを懐に仕舞い、情は逃げるようにしてその場を去った。

 そんな情の姿を、見えなくなるまで少女の視線は追っていた。


                    


 いらぬ誤解をされていないだろうか?

 そんな不安を覚えながら情は歩いていると、気が付いた頃には目的地に到着していた。

 全体的に古い家が立ち並ぶ閑散とした住宅地。その中で一際古びた屋敷が、情の目的地だ。 

 広い屋根に並ぶくすんだ瓦や所々老朽化による剥がれている木製の壁がくたびれ具合を醸し出している。

 一応の礼儀として、情は呼び鈴を鳴らす。

 すると、中から野太い返事が聞こえ、情は引き戸を開けて屋敷の中に踏み入った。

 玄関から中の廊下まで、おもむきを感じさせる寂れ具合がある。

 そこを通って居間まで向かうと、そこは完全に別世界だった。

 畳敷きの広い部屋には中央にローテーブルが鎮座し、ケーブル類が根のように張り巡らされ、部屋の端々にはアクリル製の棚がいくつも並び、その中には多様のTVゲームのソフトや攻略本が敷き詰められ、ハードやコントローラが揃っている。

そして、50インチの液晶モニタを筆頭に、オンライン用に複数並べたモニタ、レトロゲームを当時の気分で興じる為のブラウン管テレビが重々しくそびえ立っている。

 特定の目的に特化したそのレイアウトは、屋敷の風格と反して近代的かつ、独特であった。そんなゲーム廃人の巣窟の、同時に屋敷の主である老人、さかき とおるが、情を迎えた。

「よお。なんだ今日は、連れがいるのか」

 明らかに眼について言っている榊の言葉に、情は思わず吃驚した。

「……見えてるんですか?」

「ああ、まあ……というかそれだろ?お前が昔したって言う、不思議体験の時にいた奴らは」

 7年前、まだ子供だった情は、自身が体験した不思議な出来事を周りの人間に熱く語っていた。

 しかし、それを信じる者は情の周りには誰一人いなかった。

 そんな中、情の夢物語を真摯に聞いてくれたのが、それまで会った事もなかった赤の他人である榊だった。

 榊は屋敷に情を招くと、趣味で集めているゲームに興じながら、情の話に耳を向けた。

 そうして榊は、情にとって話し相手であり、遊び相手となり、そんな関係がなんだかんだで現在まで続いているのだ。

 そして、そんな経緯で知り合った仲だから、情は眼について榊に相談しようと考えていた。

 見えているのならば話は早いと、情は気を取り直して切り出した。

「この眼みたいなの、何なのか知ってますか?」

「あー、知ってるっちゃ知ってるが……どっから説明するかなー細かい事も多いしな」

 難しい顔になりつつ、榊はコントローラを持ち直し、途中だったゲームのプレイを再開した。

「ゲームの説明はスラスラしてるじゃないですか」

 榊の傍らまで来ると、情は自然な動きで腰を落とし胡坐をかく。

「人間、好きなジャンルだと得意になるだろ」

 ディスプレイから目を離さず、榊が淡々と告げると、情はなんとなく納得しつつ口を尖らせた。

「とりあえず、害がないのは分かるな?こっちから何かしらしても、そいつら別に怒ったりしないから……」

 ゲームに集中し始め、榊の言葉が途切れると、情は榊の言葉から、眼に触れるのかと、近くを漂っていた眼の一つを軽く突いてみた。

 花弁を飾っている個体だが、感触はもちっとしていた。

 そして触られた眼は、くすぐったそうに全身をよじらせ、流れるままに離れていった。

 そんな目の反応に情が唖然としていると、急に固くなった声音で、榊は続けた。

「ただ、もしかしたら変なのがいるかもしれん」

「変なの?」

「ああ、変だと思う奴がいたら、そいつには近づくな、危ないぞ」

 含みのある榊の言葉に、情が訝しげな顔を作って聞き返す。

「危ないって、どういう風にですか?」

「昔みたいな、面白おかしい不思議体験だけじゃ済まないって事だ。ともあれ、まだしばらくは出てこないから、大丈夫だと思うけどな」

 どこか他人事のような言い方から、徐々に緊張感の抜けた語調になり、最終的に 無責任な憶測で締めた榊に、情は呆れて溜め息を零す。

「結局なんなんですか?こいつらは」

「心配するな。その辺りは、今日詳しい奴を呼んでるから、そいつから諸々聞いてくれ。もうしばらくだと思うが……あ!」

 言葉の途中で何かに気付き、榊は慌ててその場を動いた。


                  


 傾き出した日が、かろうじて花弁の残った桜を照らす並木道で、情は少し重いくらいの物量を詰め込んだビニール袋を引っさげ歩いていた。

 眼について詳しい人物を迎えるにあたり、おもてなし用のと、ついでにゲーム中につまむ用の菓子類を榊に要望され、情は近場のドラッグストアで買い込んできたのだ。

 陽の光に明るく彩られて舞い散る桜。それに混じり、いくつもの眼が風になびくように漂っている。

 ぼんやりと眼を眺めていた情は、徐々に緊張感を覚え始めた。

 過去の自分に多大な影響を与え、その人生を大きく変えた謎の存在。それに付随していた眼の正体を突然知る事になり、思う所があるのだ。

 その時の事を引きずっていた訳でも無く、気にしていた訳でも無い。むしろ、夢に出るまでは頭に無かった出来事だ。

 けれど、完全には忘れられなかった出来事。

 あんな体験、当事者となれば忘れる者はいないだろうと情は思い、その時の事を思い返す。

 空を飛ぶのは当たり前だった。

 輝く星に囲まれた空間。騒然たる嵐が吹き荒れる樹海。真っ直ぐな光が降り注ぐ海底。純白の雪が舞う砂漠。見慣れた街を覆う虹色の空。

 未知の光景の中で、情がしていた事は正に自由だった。

 眩い星と星の間を機敏に飛び交い、豪雨と風に心を躍らせて木々を駆け抜ける。

 魅惑的な魚や珊瑚礁に目を奪われながら泳ぎ、柔らかな雪や砂と戯れながら跳ね回る。

 雰囲気の違う住み慣れた街中を、たった二人だけで探検した。

 情をそんな体験に巻き込んだ存在。それは一人の少女だった。 

 そんな少女については、情はおぼろげな記憶しかない。

 同世代であり、比較的端正な顔立ちで、髪はあまり長くなくて、結構騒がしい性格だった。

 それ以外に覚えているのは、特徴的な服装だ。アニメや漫画でしか見た事無いような、どこかふわふわした、女の子っぽ過ぎるような格好。それと、共に巡った幻想的な光景は、全て少女が思い描いたものという事。

 そこまで思い返すと、情はふて腐れたように溜め息を吐き、思考を断ち切った。

 帰る足を速め、そのまま並木道を抜ける。

 すると、情の目の前を眼が横切った。

 当たった所でどうという事はないのだが、突然視界に入った事に情は軽く驚き、足を止めた。

 ふと、情は横切った眼を自分の目で追った。

 眼は他の眼より少し早く漂っている。否、漂っていると言うよりは、自ら動いているように見える。

 他の眼とは変わっている。言ってみれば、変だ。

 だが、情は言うほど変だと感じなかった。

 情は眼にもそれぞれ意思のようなものがあるように感じ、自分に付いて回る眼や気まぐれのように方向を変える眼がある事も知っている。

 情は先程の眼に違和感を覚えなくはないが、ハッキリと変だとは思えなかった。

 なんとなく、情は反対の方向、眼が飛んできた方に視線を移した。

 すぐに分かった。榊の言う変な眼。

 視線の先には、一体の羽飾りの眼が静止して、暗い色の煙を纏い、虚ろな目をして情を睨んでいた。

 今まで見て来た眼とは明らかに異質なその眼に、情は戦慄する。

 榊曰く、これは危険な存在だ。

 即座にこの場から離れようと、情は変な眼に警戒しながら足を動かす。

しかし、状況はすぐに動いた。

 辺りを漂っていた眼や情に付いて来ていた眼たちが一斉に、吸い込まれるように変な眼の元に集まって来た。中にはそれから逃げようと動く眼もあり、先程横切った眼は一足先に逃げていたのだと分かる。

 やがて眼たちは情より一回り大きい集合体となり、情に迫った。

 逃げ出そうとしたが間に合わない。情は眼の集合体に飲み込まれた。

 次の瞬間、情の視界は一変した。

 目の前に広がるのは、先程買い物をしていたドラッグストアの店内だ。

 商品棚が並び、そこには情が見て回っていた菓子類が揃えられている。

 何が起こったのかと、焦燥に駆られるまま情はその場から動いた。

 その場から直進した先には店のレジがあった。

 しかし、先程はいた店員や薬剤師の姿がない。

 素早く辺りを見回すが、他に人の気配はなかった。

 情は店の出入り口を目指した。

 自動ドアが開け放たれ、情はそこから店を出た。

 その先には、先程までいた桜並木があった。

 位置関係的にはあり得ない事だ。それに、まだ残っていた花弁が、完全に散っていた。

 何が起きたのか、情は混乱する頭を整理し、冷静さを保とうと努力する。

 原因は間違いなく、変な眼だ。

 あれが何かしてこうなったと情は考え、次いでその眼はどこへ行ったのかと疑問を抱くと、すぐに答えが出た。

 情の前に、変な眼が何処からともなく舞い降りて来たのだ。

 直後、変な眼は怪しげな光を放つと、バキバキと音を鳴らして結晶を生成した。

 結晶は、枝から枝が伸びるように、変な眼を中心に音を立てて伸び広がり、やがては人型の形を作った。

地に足を着けると結晶は砕け、中から人の形に近い存在が現れる。

 その全長は、日本の成人男性よりやや大きいくらいのサイズ。

 その姿は、全身の肌が木の幹のようで所々に枝が伸び、それでいて無機質な部位が随所に見受けられ、それは剃刀の刃や爪切りのやすり部分のような物だった。

 日用品の比較的殺傷力のありそうなものと、立ち並ぶ桜の木を合わせたような異形いぎょうの存在。

 過去の体験から、眼が姿を自在に変えられる事を知っていたが、当時に見たそれは、もっとファンシーだったりファンタジックだったりファッショナブルだった気がし、こんな生々しそうで武骨そうな造形ではなかったはずだ。

 情がそう思っていると、異形は真っ直ぐ情に迫った。

 明らかな身の危険に情は息を呑むも、跳ねるようにその場から飛び退き、ドラッグストアに逃げ込んだ。

 菓子の入ったビニール袋は一旦出入り口の辺りに放り捨て、情は身軽になった状態で店内を逃げ回り、異形は情を追い回した。

 逃げながら並べられた商品をばら撒き、追跡を妨害しようとするが、異形は意に介さないように突き進む。

 しばしの間、追いかけっこは続いた。

 付かず離れずと言った状態が続くが、危機感から常に全力で動いていた情は、徐々に息が上がってきた。

 隙を見て店の外に逃げ出したいのだが、異形も単純に情を追い回すだけでなく、出入り口へ向かおうと回り込む情の動きを的確に阻んでいた。

 このままでは埒が明かないと、情は商品棚が挟んで生まれる通路の一本に逃げ込んだ。

 追いかけて来る異形をしり目にしながら、情は商品棚に手足を引っ掛け、そのまま棚の上まで登った。背の高いその棚の上を急いで通れば、異形から逃げ切れると考えたのだ。

 しかし、異形は情を見上げると、その場で跳躍し、一跳びで情と同じ棚の上に到達した。

 すぐに捕まえられなかった事から身体能力に差はないものかと思っていた情だが、ここまでが作戦だった。

 情は異形が棚の上に来ると同時に、その脇を抜けるようにして、棚から飛び降りた。

 足に来る衝撃に耐えながら一度転がり、即座に立ち上がって出入り口に向かって駆け出した。

 置いておいた菓子を無視し情はそのまま店外へと脱出した。

 桜並木を突き進み、榊の家まで向かう。

 しかし、今自分がいる場所が、果たして現実の世界なのか?情がそんな疑問に不安を覚えると、そんな考えが無駄であると嗤うように、状況が戻った。

 情に出し抜かれた異形だったが、店の外にでると、先程までとは段違いの速さで情を追いかけ、近付いた所で跳躍し、情の目前に舞い降りた。

 突然目の前に戻って来た異形に驚愕すると、情は進む身体にブレーキをかけると 同時に飛び退こうとし、バランスを崩して尻餅をついた。

 自身が無防備になったと自覚し、全身から一気に血の気が引く。

 何をされるか分からない恐怖の中で、情は何かしなければと倒れたまま身構え、異形の姿を注視する。

 すると、異形は別の何かに気を取られるようにして動きを止めた。

 刹那、情も後ろから温かい風が当たるのを感じた。

 そして次の瞬間、異形に向けて銀色の大きな影が横薙ぎに通り、異形の身体は音を鳴らして火花を散らし、同時に大きく吹っ飛ばされた。

 何が起きたのかと、情は嫌な汗が滴る顔を上げて、倒れたまま後方を仰ぎ見た。

 思いのほか、空は澄んだ青色をしていた。

 夕刻に見えるそれとはやはり違い、異質ではあるのだが、不思議と見ていて嫌な気分にはならない空だった。

 そんな空を背景に、一人の少女が情の背後に佇んでいた。

 情と同年代くらいで、明るい髪を肩の辺りまで伸ばし、愛嬌のある端正な顔が、自信に満ち溢れたような表情になって情を見下ろしていた。

「大丈夫?」

 得意げな声で少女が聞いて来るが、情は答えられない。

 この少女が異形を吹っ飛ばしたのかと、情は湧き上がる疑問に支配され、混乱が止まらないでいた。

 ふと、少女の手元に目を向け、情は目を見開いた。

 その手に持っていたのは、機械的な造形をした巨大な大剣だった。

 少女の腕を余裕で超える大きさで、その質感から、華奢そうな少女どころか、情自身も持つだけで苦労しそうなボリュームを誇っている。

 そんな代物を少女は苦も無く片手で保ち、先程異形を吹っ飛ばしたのもこの大剣だと考えると、情は驚きを隠せない。

 そうしてしばし情と少女は視線を交わし合っていたが、ふいに少女が前を向いた。

 情もその視線を追うと、その先には再び向かって来る異形の姿があった。

「ちょっと待っててね」

 軽快な口調で告げると、少女はその場で跳躍し、情を飛び越えて異形へと向かった。

 その姿に情は一瞬、過去に眼と共に出会った少女の姿を重ねたが、すぐに何か違うと思った。

 目の前を行く少女の全貌は、よく見てみれば思い出の少女とはかけ離れ、現実感のない異様な格好をしていた。

 パッと思い浮かんだのは、子どもの頃に見ていたロボ物のアニメに出たパイロットスーツだ。

 薄紫色と明るいグレーを基調とし、身体全体にフィットしてボディのラインがよく分かる。二の腕や太腿の辺りが露出し、肩や腰、肘に腕、膝と足には、スーツと同色の大剣に似た機械的な造形物が、装甲のように装着されていた。

 昔見た少女の服装はおとぎ話に出てきそうな装いだった気がするが、大剣を含め、いかにも戦うためにデザインされたスーツを見て、情は困惑しつつ、その勇姿に目を奪われる。

 異形に飛び掛かった少女は、その手に持つ大剣を思いのままに振るい、異形を圧倒している。

 そうして何度か斬りつけた後、少女は大剣を頭上に放り投げ、両手で異形の片腕を掴んだ。

「そおおおーりゃっ!」

 気の抜けるような声を上げて、少女は異形を情のいる方向に向けて軽々と投げ飛ばした。

 飛んでくる異形に情は慄き身を縮めるが、異形は情の真上を通り過ぎていった。

 直後、情の後ろで鈍い音がした。

 首を回して振り向くと、情の後ろには投げ飛ばされた異形ともう1体、洗剤のボトルとそれを破り固形化した泡と舗装に使うコンクリートブロックで無理やり人の形を作ったような別の異形が絡み合うようにして倒れていた。

 出て来た方向的に、少女がこの異形も相手にしていたのかと情が思っていると、少女は情の頭上を再び飛び越え、2体の異形に猛攻を加える。

 そして、横薙ぎの一閃で2体の異形をまとめて吹っ飛ばすと、少女は大剣を担ぎ強気な笑みを浮かべた。

「そろそろお終いだよ!」

 高らかに言うと、少女は大剣を前方に向かって真っ直ぐ伸ばした。

 すると、大剣は淡い輝きを放ち始め、少女の周囲にある桜の木や舗装が煌びやかに分解されていった。

 よく見れば、分解された物は眼に変わった。

 幾多にも現れた眼は、興奮した様子で少女の大剣へと集まり、明るい輝きを放つと、その光が大剣、そして少女へと注がれる。

 周辺の大気が震え、力を得た感覚に高揚する少女は、それを顔に表したまま異形たちに向けて駆け出した。

「はあああああああっ!」

 気合と言うより元気のある雄叫びと共に身体を捻り、大きく回転して、その勢いで少女は大剣を一閃。

 2体の異形は同時に横一文字の衝撃を受け、大剣の軌跡から光と火花を放つと、その場に崩れ落ちて爆散した。

 粉々になった異形の身体は光の粒に分解され、それに混じって二つの眼が出てきた。

 中心の黒目は×マークになっていて、ふらふらと漂いながら、どこかへと流れ去って行った。

 脅威がいなくなったと見ると、情はようやくその場から立ち上がる。

 だが、やはり状況が呑みこめず、呆然としたまま少女を見つめていた。

 すると、少女は情の方へ向き直り、自然と目が合った。

 少女は大剣を腕にある装甲に沿わせた。

 ガチャリとメカニカルな音が鳴り、大剣が少女の腕にマウントされる。

 ロボ物のパイロットスーツを彷彿とした情だったが、少女自体がロボみたいに見えた。

 そんな風に情が思っていると、いつの間にか少女は情の目の前まで来ていた。

 少女は不思議そうな目をして情を眺めている。

 一応助けてもらったと認識する情だが、得体のしれない相手はまじまじと自分を見つめている。緊張と不安が胸の内で渦巻く中、情は微かな期待も抱いていた。

 目の前の少女が、昔、眼と共に出会った少女ではないかという期待だ。

 格好こそSFチックな現実離れした姿だが、異形と戦っている少女から溢れていた活気やその語調が、情のおぼろげな記憶の中の印象と重なったのだ。

 もしかしたら、今自分の事を見ているのも、少女にも自分の顔に見覚えがあるからかもしれない。

「あなた、誰ですか?」

 つぶらな瞳を丸くして、少女は小首を傾げながら聞いて来た。

 ただ素朴な疑問を投げているだけのそんな様子に、情は気まずい気持ちになって微かに顔をしかめた。

 次いで、聞かれた事にどう答えようかと言葉に窮する。

如何せん、情は自己紹介に慣れているタイプの人間ではなかった。

「俺は……」

 何とか声を絞り出した時だった。

 少女が何かを察知した様に視線を外した。

 直後、無数の眼が束になり、雪崩のように情と少女に向かって来た。

「あぶないっ!」

 咄嗟に叫ぶと同時に少女は情を突き飛ばし、眼の雪崩から逃そうとした。

だが、眼たちは情に向かってカーブし、そのまま情を呑みこんだ。

 情の視界は無数の眼で埋め尽くされ、数秒の後、情は眼から解放された。

 情が居たのは、先程歩いていた並木道だ。

桜の花弁は残っていた。

「悪いね、取り込み中の所」

 困惑していた所に声を掛けられ、情は肩を震わせながら、声のした方向に目を向けた。

「ただ私も多忙な身なのでね、あまり悠長にはしていられないんだ」

 落ち着いた声音で喋るのは、品のある紺のスーツを着た男だった。

年頃は二十代後半くらいで、どこか澄ました表情をしてスーツのネクタイを緩めている。

「綾瀬、情君だね。榊さんから話は聞いている。これは君が買ってきてくれた物でいいのかな?」

 言って、男は情が買った菓子類の入るビニール袋を掲げて見せた。

 突然現れた男に戸惑うも情は肯定し、男は爽やかな微笑を浮かべると、そのまま歩き出した。

「さて、榊さんの所に戻ろうか。君も色々聞きたいだろう?さっきの事を」

 そう言って、男は真っ直ぐ榊の屋敷の方向へ進み出した。

 さっきの事、眼の事や眼に連れ込まれたあの場所、そしてあの少女の事。

 情はほのかに熱い気持ちを覚え、緊張に身震いしつつも、男に付いて榊の屋敷に向かった。

 沈みかけた太陽と夜の闇の狭間で、空は妖しげな色になっていた。


                   


 羽島はしま かい

 それが男の名前だった。

 榊の屋敷に到着し、榊を交えて自己紹介をされた所、羽島は大手電機メーカーに勤める所謂エリートで、眼については、大学時代に友人の研究を手伝った経緯から、その存在を知っているとの事だった。

 軽く片付けられた居間で、買ってきた菓子類を並べたテーブルを前に、榊を中心に男三人が横並びの形で座っており、モニタに対面して榊の勧めるマイナーなパーティーゲームのロード画面を揃って見ている。

「さて、まずはこの眼についての説明からかな」

 親しげな口調で羽島に声を掛けられ、その視線から、ハッキリと眼が見えているのだと情は察する。

「やっぱり見えてるんですか?こいつら」

「ああ。分かっていると思うが、彼らは常人には見えない。私や榊さんのように措置を受けた人間か、君のような特殊な人間にしか見えないんだ」

 口調は変わらないままだが、言葉の意味に含みを感じ、情は怪訝そうな顔になって警戒する。

「その、措置だとか特殊だってのは……」

「心配しなくてもいい。そう危ない事ではないからね。むしろ君については、正直羨ましいくらいだ。彼らが見える事がね」

「はあ……」

 別に嬉しくない情は、控えめな返事をする。

 そんな情の反応に羽島は肩を竦めながらも、気を取り直して説明を続ける。

「彼らの名称はアイズ。まあ見た通りの呼び方だがね」

 聞いた瞬間にそのまんまかよ、と情が内心で突っ込むと、同時に羽島も苦笑いを浮かべた。

「アイズは、私の友人の研究の副産物のようなものでね。その能力は、人の空想や妄想を具現化させる事が出来る」

 家電の機能を簡単に説明するように語る羽島だが、言っている内容に情は愕然とした。

 過去の体験から、なんとなく納得できた眼、アイズの力だが、いざハッキリと聞くと驚きを隠せなかった。

「理屈は難しいから省くが、言うほど万能でもないよ。色々制限のようなものもあるしね」

 ゲームが始まり三人は各々の手にコントローラを持った。ここから先、連続して行われるミニゲームを進めながらの説明に入る。

「そんなアイズだが、ある時爆発的に増えてね、私たちの管理を離れてしまったんだ」

「やらかして逃がしただけだろ」

 合図の瞬間にボタンを押すゲームで榊が年寄り離れした反応速度を見せると共に、素っ気ない突っ込みを入れ、羽島はまた苦笑いを浮かべた。

「それが起きたのが7年前。これも分かっていると思うが、君が体験したと言う現象は、アイズの力によるものだ。さっきの事も含めてね」

「なんで、俺の所に?」

 ボタンの連打数を競うゲームでこすり連打に力を入れながら情が聞くと、羽島も同様のスタイルで連打しながら答える。

「7年前に関しては恐らく偶然だろう。しかし、今日の事については、7年前に君がアイズと……彼らを操る少女と会った事が、原因だと思われる」

 情に勝利をもぎ取られた所で息継ぎし、羽島が言い終えると、情の脳裏に思い出の少女と、ついさっき自分を助けた少女が浮かんだ。

「便宜上、その子たちの事を私たちはマスターと呼んでいる」

「その子たち?」

 ひたすら回避に専念するゲームで、各々身体を揺らしはじめ、羽島は説明を続ける。

「アイズを操る事の出来る人間は複数人いる。君が見た子もその一人、いや……さっきの子と君が昔会った子が同じ子かは分からないけどね」

 ゲームに勝つと、羽島の言葉は最後の方がどこか含みのあるような言い方になる。

 それを聞いて情はどこか寂しげな表情になりつつ、現状問題に思っている事について問うた。

「昔関わっただけで、なんで今になってコイツ等は俺を襲ったんですか?」

 若干語気の鋭い言葉になり、居間の中を漂うアイズたちの何体かがビクリと震えた。

 そんな情の問いに対し羽島は小さく息を吐くと、淡々とした口調で答える。

「正直な話をすると、何故アイズたちが再び現れ出したのかが、分かっていないんだ。そもそも、彼らは7年前に彼らの世界、君がさっき連れ込まれたオービタルという異空間に閉じ込められたはずだった。それが今、私たちの居る世界に現れ始めた」

「閉じ込めたって、コイツらやっぱり危ないやつらだって事ですか?」

 話が違わないかと、情は榊を一瞥する。

「絶対に安全なものなど、無い」

 何故偉そうに言えるのかと情が思っていると、さりげなくゲームに勝った羽島が話を続けた。

「実際に人を襲う個体も現れた。だがその原因や、君を襲った具体的な理由は、私にも分からない」

 真面目な口調になると羽島はコントローラをテーブルに置き、少し下がって情の方に向き直り、情もそれに習って移動し、姿勢を正した。

「本題に入ろう。私は今日のような事態を以前から予想し、対策を立てていた。そして君には事態解決の手伝いをしてもらおうと考えている」

「対策って、なんでこうなったか分からなかったんじゃ……」

「予感……と言った方が正しいかもしれないね。アイズに関する何かが起きるかもしれないと考えた私は、あらゆる事態にも対応できるよう準備してきた。と言っても、アイズの性質上、カバーする範囲はそれほど広くなかったから、難しい事ではなかった」

 どこか得意げにも見える羽島の顔を見ながら、情は険しい顔つきになって聞き返した。

「俺に手伝えって、言うのは?」

「アイズたちが何故この世界に現れて、何故君を襲うようになったのか。推測出来る事はいくつかあるが、私は、私の友人がこれに関与していると見ている。だが、彼個人の力ではアイズに干渉する事は出来ないハズだ。恐らく、マスターの誰かと接触し、その力を借りていると考えられる」

 回りくどく感じる説明に情が眉を寄せ始めると、羽島はようやく要求を告げた。

「君には、私の友人と通じているマスターを見つけ出して欲しい。その為にまず、君には襲ってくるアイズと戦ってもらう」

「戦う?」

「一応申し訳ないと言っておくが、今後も一部のアイズは、君の事を襲いにくるだろう。さっきみたいにね。そして、その場にはマスターである子たちも現れるだろう」

 一応と付けるのは、自身には直接の非が無いのだと言いたいのか、そんな勘ぐりをしつつ、情は力ない笑みを浮かべて聞き返す。

「あの怪物を相手しながら、俺に囮になれって事ですか?」

「それもあるが、異常をきたしたアイズをそのままにはしておけない。アイズが変異した怪物、そうだな……クリーチャーとでも言おうか。これの撃破も頼みたい」

 異形の名前が思いつきで決まり、羽島は丁寧な口調で要求する。

 それに対し情はしばし絶句し、漂うアイズたちをなんとなく眺めた後、呆れた声で問うた。

「あんな化け物を、どうしろと?」

「もちろん、ちゃんと対抗手段を与えるよ」

 そう言うと、羽島は脇に置いておいた自身のビジネスバッグから、A4ノート程のサイズをしたアタッシュケースを取り出し、それを開けて中を情に見せた。

 その中身に情は驚愕し、目を見開いて、胸の内から熱い衝動を湧かせた。


                     


 日が沈み、辺りがすっかり夜の景色に染まる中で、くすんだ街灯の乏しい光が、佇む情の姿を頼りなく照らしていた。

 情が今居るのは住宅地から少し離れた丘の広場だ。

 羽島からアイズについての話を更に聞き、その要求と、その為の手段を受け取った後、榊の屋敷を後にし、なんとなく訪れた。

 街灯とベンチがあるだけの質素な空間だが、高い丘から見える景色は絶景とは言えなくても中々の見応えはあり、夜の街並みや星空はそれなりに綺麗だ。 

 そして今は、その景色に紛れるようにアイズたちが漂っている。

 榊の屋敷に来る途中に見た城や、その他の巨大物体は、方角的に見えない。

 情は昔よくこの場所に訪れていた。

 ただ単純に、高い所に特別感を抱いていた。

 普段より広く感じる視界、街中とは異なる感触の空気、そしてあまり人が来ない事による静けさが、子ども心をくすぐっていた。

 その頃の心境をなぞると、さらに深く記憶を掘り起し、アイズとの思い出を思い返す。

 この場所で抱いていたものとは比較にならない感動と興奮。それを思い出すと、情は虚しさに顔を俯かせた。

 そんな情を心配そうに、数体のアイズが近寄って来た。

 その姿を情はなんとなく甲斐甲斐しく思っていると、突然アイズたちの様子がおかしくなった。

 何かに怯えたりする個体や慌てた様子を見せる個体が、揃って同じ方向を向いた。

 その視線を追うと、そこには虚ろな目をしたアイズが2体いた。

 2体のアイズから逃げるようにして、他のアイズたちが慌てふためいて動いていたが、その殆どが吸い込まれ、虚ろな目のアイズに集まっていく。

 大きな集合体になるとアイズは情を呑み込み、アイズの世界、オービタルへと連れ込んだ。

 周囲の景色は紫色をした空の下、広場の近くに橋や歩道橋が乱立していた。

 基本的にオービタルは、人間が入ると付近にいたアイズが見たもので構成されると羽島が言っていた。

 丘の広場に来る道中で通った建造物を見て、情は内心で納得する。

 すると、2体の虚ろな目をしたアイズから結晶が伸びた。

 結晶が人の形を作ると、それが一気に砕け、中から異形の存在、クリーチャーが出現した。 

 クリーチャーもオービタル同様、周囲の景色や物と似た造形に、またはそれらを強引に積み上げたような姿になるようで、比較的自然に囲まれている丘だからか、クリーチャーは2体とも草木を人型に束ね、その各所にベンチや街灯と言った人工物が所々に混じっている。

 2体のクリーチャーは真っ直ぐ情に向かった。

 即座に情は身構え、制服の懐に手を伸ばす。

 次の瞬間、2体のクリーチャーは、横から飛んできた別のクリーチャーと激突し、そのまま巻き込まれて丘から落ちた。

 程よい緊張感が連れ去られ、取り残された情は、いたたまれない気持ちを覚えた。

「あれ?アナタは……」

 綺麗な声のする方向を見ると、夕刻、情を助けたマスターと呼ばれる少女がいた。

 どうやら先程飛んできたクリーチャーは、少女が吹っ飛ばしたもののようだ。

「また会ったね、無事でよかった~」

 安堵する少女を相手に、情は慎重に言葉を選んで対応する。

「その……さっきは助かった。おかげでここからも出られたし」

「そっか。アイちゃんズたちが外に出してくれたのかな?」

 そう言って、少女は手に携えた大剣を撫でる。

「ふふ、エライエライ」

 羽島の話によると、アイズを操る事の出来るマスターの力は、全てアイズから構成されているそうだ。手近にいるアイズを、少女はにこやかに褒め称える。

「あ、でもまた来ちゃってるね」

「ああ。なんか、よく狙われるみたいだ、俺」

 素直にうんざりしている様子で情は答え、次いでストレートな問いを少女に投げる。

「アンタは……なんでここに来てるんだ?」

「私?私は、アイちゃんズを助けるためだよ」

「助ける?」

「うん。今落っこちたのね、アイちゃんズ的には良くないモノみたいで、倒さないといけない奴なの。ねぇ~?」

 確認を取るように声を出すと、少女の腕を守る装甲から数体のアイズが飛び出て、肯定を表すように全身を上下させて、即座に装甲に戻っていった。

「ね?」

 小首を傾げて言う少女に、情は重ねて問い掛けた。

「それって、そいつらが言ってるのか?」

「うーん、なんとなく、そんな感じだよねー、みたいな」

「誰か、そいつらについて知ってる人に言われたとかじゃなくて?」

「え?違うけど……」 

 不思議そうな顔を作る少女に、情は少し気まずさを感じ、羽島の要求である、友人との繋がりの確認をここまでで切り上げる事にした。

「そっか。俺はこいつらの事、大人から聞いたからさ」

「へぇー、そーなんだ」

 軽い声で納得を表し、少女はクリーチャーが落ちた崖の方へと歩いていく。

「行くのか?」

「うん。早い所やっつけないとね」

「あのさ……」

 笑顔で返した少女を呼び止めるように、情は強く声を上げた。

 足を止めた少女を見据え、情は秘めた言葉を絞り出そうと胸の辺りに力を込める。

 昔、こういう場所で、男の子と遊んだ事はないか?

「いや、なんでもない」

「……?」

 またも不思議そうな顔になって少女は首を傾げたが、そのまま崖下へと飛び降りていった。

 言いたい事の言えないもどかしさと情けなさに、情は深く溜め息を吐く。

 そして、制服の内ポケットに手を入れると、羽島から授かった対抗手段を取り出した。

 それは、端的に言えば銃のグリップだ。撃鉄と引き金も備わっているが、肝心の弾を発射する砲身が無い。そして、その砲身が取り付けられる部分は、小さな空洞になっている。

 次いで情は、ズボンのポケットから、弾丸に似た形状の物を取り出し、それをグリップの空洞に装填した。

 砲身があれば、構造的に撃鉄を上げて引き金を引けば、装填した弾丸状の物が撃ち放たれそうだ。逆に今はそれがない為、撃鉄が落ちれば暴発するのではないだろうか。

 そんな不安を手に持つ道具の見た目から感じつつ、情はグリップの撃鉄を上げた。

 そして引き金を引くべく指を掛けるが、そこで躊躇うように情の動きは止まった。

 胸の内に重たさを感じ、渋面を浮かべながら、丘の崖まで歩み寄り、そこから下で戦う少女を見下ろした。

 1対3の戦いだが、特に少女は苦戦を強いられている様子はなく、このまま一人でもなんとかなりそうに見え、情は密かに安堵する。

 迷うくらいならば、別に行かなくてもいいような。そんな事を思いながら、情は手に持ったグリップを見据える。

 羽島の要求に対し、受ける義理自体は情には無い。

 だが、事態を解決しなければ、情は異常をきたしたアイズに襲われ続ける。だから情も、事態を解決する為に動けという理屈だ。

 勝手な理屈と思う反面、昔アイズに関わったから、今もこうして割を食っているのだろうかと情は考える。

 あの時、あの少女と会ったから。

 情の心の中で冷たい感情が湧き、それを感じた情は引き金を強く引いた。

 撃鉄が装填した弾を叩き、衝撃音と共に淡い光が瞬時に情を包み込む。

 それと同時に、周囲の地形や建造物が僅かに分解され、そこから現れたアイズが情に吸い寄せられていく。

 驚き、興奮、困惑、愉快、比較的テンションの高そうな反応をしながらアイズたちは情の周囲で飛び回り、明るい輝きを放つと、その光がグリップに注がれていった。

 ほぼ一瞬。アイズたちは乱舞を終えると、そのままグリップの先端に集まっていく。

 すると、アイズたちはグリップの先端で形を変えた。

 それは剣だった。

 眩い銀色の片刃だが、背面部分に筒状の機械的なパーツが一体になり、刀身と共にグリップの先から真っ直ぐに伸びている。

武器を手に、情は全身に活力を感じ、その場から踏み出すと、真っ直ぐに崖から飛び降りた。

 数メートル程の距離を落下し、鈍い音を立てて着地する。

足に掛かった負荷は、階段を3、4段程飛ばして飛び降りたくらいだった。

「ええっ⁉」

 分かりやすく少女が吃驚していると、相手をしていたクリーチャーの一体が情に迫った。

 葉っぱの刺さった街灯になっている腕を棍棒のようにして振り下ろす。

 情はそれを軽やかに避けると、剣を持った右の拳をクリーチャーに叩きつける。

 確かな手応えと共に、クリーチャーは押し返された。

「えっ、あの、どうしたの急に⁉」

 残り2体のクリーチャーを相手しながら、少女が困惑した声を上げる。

「……とりあえず、今は気にしないでくれ。こっちは大丈夫そうだから」

 なおも迫るクリーチャーを相手に、情は応戦しながら少女に答えた。

「そんなっ、気になっちゃうよ!ホントなんなの⁉」

 ヒステリックな口調の割には可愛い声音をしていて、クリーチャーの相手もこなしている。そんな少女を横目に、情は自身が相手をするクリーチャーに拳や蹴りを叩きつける。

 そうして攻撃を繰り返していると、手に持った剣からアイズが1体出て来た。

 何か伝えようとしているアイズが気になり、情は鋭い蹴りをクリーチャーに打ち込んで吹っ飛ばした。

「どうした?」

 情が聞くと、アイズは全身を使って、情の持つ剣を示した。

 ここまでクリーチャーと戦う中で、情は剣を一切使用していない。

剣を構成するアイズは、それが不満なようだ。

「俺、剣なんて使った事ないんだが……」

 渋るように情が言うと、アイズは全身を左右に振ると、心配するな、とでも言いたげに全身を張り、次いでクリーチャーに向けて全身を振ると、剣に戻っていった。

 再び向かって来るクリーチャーに対し、情は剣を構え、それを振るった。

 なるべく切っ先が敵に当たるよう意識したが、剣術に覚えのない情はこれで敵が斬れるとは思えず、よくて鈍器の如く殴れるだけと思った。

 やはり剣の刃はクリーチャーの身体に当たっても、その身体を切り裂く事は無かった。

 切っ先はクリーチャーの身体を滑るようにして通り、その軌跡から火花と共に衝撃が生まれ、クリーチャーの身体を襲った。

 その手応えに情は驚きつつ、続けざまに剣を振るって、それをクリーチャーにぶつける。

 剣はクリーチャーの身体を切り裂く事は無いが、その切っ先からクリーチャーの身体に描かれる刃の軌道は、火花と共に衝撃を生みだし、確実にクリーチャーにダメージを与えていた。

「……今更常識なんて、意味ないって事か」

 自身が如何に奇天烈きてれつな状況にいるかを改めて自覚し、情はクリーチャーに挑む。

 そんな情を、少女は物珍しそうに眺めながら、2体のクリーチャーに止めの一撃を見舞い、まとめて撃破した。

 自身が相手していた分が片付き、情の方を手伝おうかと考えた少女だったが、その様子を見て止める事にした。

 まだ2回しか会っていない相手だが、少女が見る情の顔は、少女がこれまで見た事が無いほど、生き生きとしているようで、止めるのは野暮に思えた。

 しかし、相手であるクリーチャーはもうヨロヨロで、そろそろ止めを刺していい頃間と少女は見る。

 若干気が引けるけど仕方がないと、少女は情に声を掛ける。

「ねぇ!そろそろやっつけた方がいいよ!」

 少女が高らかな声で伝えると、情は耳を貸した後、どこか残念そうな表情になる。

 やっぱり悪かったかなと、少女は密かに思ったが、情は戦いの幕引きに不満がある訳ではない。

 問題があるのは、情が持つ武器の方だった。

 情は武器のグリップを見据え、引き金の後ろ辺りにボタンを確認する。

 実際の銃では、リロード時にマガジンを抜く際に押すであろうボタンを押すと、グリップの底面が飛び出した。

 やはりそこからは、拳銃のマガジンのような形状をした物が出て来た。

 光沢感のあるそれは、微かな輝きを放っており、グリップから突出したまま、途中で引っかかるように止まっている。

 武器の構造上、これを抜く事の出来ない部品と知る情は、突出したその部品を複雑そうな顔になって押し戻した。

 すると、その動作に反応し、剣の刀身に淡い光が走り出す。

 見るからにエネルギーを纏った剣を見て情は小さく息を吐き、それを携えクリーチャーに向けて悠々と歩き出した。

 それに対しクリーチャーは、全身をふらつかせながらも勢いをつけて情に迫っていく。

 そうして両者の距離が縮まり、刃が届く所まで来ると、情は剣を振り上げた。

 一際激しい衝撃音と火花が弾けると共に、クリーチャーは大きく仰け反り、そうしてガラ空きになったボディに、情は止めの横一閃を振るった。

 刃の通った軌跡は光の線となり、そこから生じるエネルギーが、クリーチャーを破壊し、その身体を爆散させた。

 薄い煙の中に焦げ臭さを感じながら、×マークの目をしたアイズが流れていくのを見ると、決着が着いたのだと分かり、情は大きく息を吐いた。

 だが、剣を降ろした所で、妙な気まずさを覚える。

 このまま黙って帰らせてもらえるのだろうか?そんな不安を抱き始めると同時に、その原因が迫って来た。

「ねえねえアナタ本当に何なの⁉何それ⁉どうなってるの⁉」

「あー、えーと……」

 予想以上の食付きに情はたじろぎ、その嵐のような質問をどう捌くかと頭を回す。

 そして、ふっと出た回答を少女に告げる。

「また、今度な」

「ええぇぇぇ~」

「今日は色々あって、疲れてるんだ。どうせその内、また会うと思う」

「……そうなんだ」 

 情の正直な気持ちに、少女は唇を尖らせるが、渋々納得した。

「わかった。それじゃ……」

 別れの言葉を待つも、情は表情を曇らせた。それは遊びの時間の終わりにへそを曲げる子供のようで、未練がましさに溢れていた。

「私、唯莉。本庄ほんじょう 唯莉ゆいりね」

 明るい声で告げられたのが少女の名前だと、情は一瞬遅れて気付く。

「え?」

「アナタは?」

 純真な瞳に見つめられ、それに魅かれるように情は答える。

「綾瀬、情……」

「うん。それじゃあまたね、綾瀬くん」

 そう言って、少女、唯莉は情から離れ、スタスタと歩いた先でアイズの集団に飲み込まれて、オービタルから姿を消した。

 それを見送り、一人残った情は、黄昏たそがれるように空を仰ぎ見た。

 何故自分は、昔少女の名前を聞いていなかったのか。

 けれどよくよく考えてみて、あの時の少女は名前ではなく、それっぽい呼ばれ方をしていたような気がする。

 どちらにせよ、ちゃんと覚えていない自分に問題がある。

 情はそれだけを確かに後悔した。


                    


 全体的に暗い青系の色で揃えられたインテリアは、書斎として使われている部屋を深い海のように飾り、その中で一点だけ、パールホワイトに塗られたデスクだけが、海底にぽつりと転がる真珠のように異彩を放っていた。

 その上で立ち上げられたパソコンの前で、高級そうな椅子に腰掛ける羽島は難しい顔をして画面を睨んでいた。

 不意にデスクに置いておいたスマホが震える。

 画面を見ると、榊からの着信だった。

「はい」

『なんか、虫の知らせでな。情のヤツ、またオービタルに入ったんじゃないか?』

 なんで分かったのかと内心で驚きつつ、羽島は正直に答える。

「ええ。私の頼み通り、クリーチャーも撃破してくれたようです。それにマスターである一人とも、接触したようです」

『ほほう。幸先良いじゃないか』

 電話の先で愉快そうに榊は笑うが、逆に羽島は不愉快そうな顔になる。

『どうした?機嫌悪そうだな』

「以前にも言いましたが、私は彼を巻き込む事は本意ではありません」

『その割には言葉巧みに説得してたじゃないか』

「やってもらうしか無いから、相応のポーズを取ったまでです」

 意地を張るような自身の口調に気付くと、羽島は落ち着こうと静かに息を吐く。

「用件はそれだけですか?」

『そうだな。あとはまあ、俺の遊び相手をよろしく頼むって所だな。それとお前も、あんまり無理するなよ』

「綾瀬くんについては、承知しています。ですが私に関しては、どうぞお気遣いなく」

『そうかい。ま、頑張れよ』

 労いの言葉を受け取ると、羽島は榊との通話を終えた。

 スマホを置き、椅子の背もたれに身体を預けると、デスクの端に置かれたアタッシュケースに視線を注いだ。

 その中には、情に渡したグリップと同じ物が二つ、そして、それが入りそうな窪みが二つ空いていた。

「もう始まったんだ。巻き込む人数が一人二人増えた所で、変わらない」

 まるで自分に言い聞かせるようにして、羽島は一人、低く呟いた。


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