(7)

 今日、かれんは営業で担当エリアの万代にずっといる予定だった。

 だったらついでにその後の進展を聞こうと、万代の行政書士の会社に勤めている希恵に「一緒にお昼食べる?」とラインを入れてみた。

 希恵からOKの返事が来たので、かれんは希恵の会社が入っているビル近くの老舗の喫茶店で待ち合わせの約束をしたのだった。


 かれんが約束の喫茶店のドアを開けてみると、やっぱり希恵はもう席に付いていて、メニューを眺めていた。

「――あっ、かれん、この間、ありがとうね」

 希恵が笑顔でかれんに向かって軽く手を上げた。

「ううん、こっちこそ、ありがとう。――で、どう? 手塚さんとその後」

「うん、あのマリンピアの後はそのままお別れしたんだけど、昨日、仕事帰りに手塚さんから連絡が来て、またちょっと会ったんだ」

「えっ? 本当? よかったじゃん」

 希恵が何となく嬉しそうな感じだったので、何か良いことがあったのだろうと思ったが、やっぱり手塚と進展があったのか、とかれんは嬉しくなった。

「うん、かれんたちのおかげだよ、ありがとう」

 希恵が笑顔でお礼を言うのを見ながら、かれんは嬉しいことは嬉しいが複雑な心境だった。


 希恵には昴が「手塚のことを観察する」ということは教えていない。

 希恵のことだから「昴が観察する」と言ったら遠慮するだろうと思ったからだ。

 昴が手塚を観察した結果は後日希恵に改めて教える予定だったが、昴のせいで予定が狂ってしまったな、とかれんは心の中でため息をついた。

(――それにしても、昴もあの占い師さんも、どうして「友達」にこだわるんだろう)

 占い師は「恋愛関係よりも友達としてお付き合いした方が上手く行く」と言っていたし、昴も「占い師さんが言う通り、『友達としてお付き合いした方が上手く行く』と思う」と言っていた。

 あの二人は何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。

 別に「友達」として付き合った方が上手く行くと言うのであれば、恋愛関係になっても良さそうな気もするが……。


「でも、希恵と手塚さん、水族館ですごく良い雰囲気だったね。今度は上手く行くんじゃないの?」

「そうだと良いんだけど……」

 希恵は表情を曇らせると、顔をうつむかせた。

「大丈夫だって! あの占い師さんも、手塚さんを良く観察してみれば、未来が上手く行く方法が見えて来るはずって言ってたじゃない。今度こそ、上手く行くよ」

 かれんは言いながら、でも、手塚を良く観察した昴が「占い師さんが言う通り、『友達としてお付き合いした方が上手く行く』と思う」という結論を出していたことを思い出さずにはいられなかった。

 何だか、「大丈夫だって!」という言葉、今度こそ希恵と手塚の関係が上手く行ってほしいと願っている自分に言い聞かせているみたいだな、とかれんは思った。


「うん。――実は手塚さんに『今度、休みの日にゆっくり会おう』って言われたんだ。この間の水族館の時はなかなか手塚さんのことを観察できなかったけど、次はあの占い師さんの言う通り、ゆっくり観察してみようかと思う。

 で、その時に私の方から手塚さんに『ヨリを戻したい』なんて言ってもいいのかな? でも、言おうと思っても絶対に言えないと思うんだけど」

 希恵がまた顔をうつむかせながら言うと、かれんは首を横に振った。


「そんな……。希恵、手塚さんのことが好きなんでしょ? だったら、ここで素直に自分の気持ちを正直に言わないと、手塚さん、どっかに行っちゃうかもしれないよ。言いにくいとは思うけど、せっかくのチャンスなんだから」

 希恵は顔を上げてかれんの方をマジマジと見つめると、やがて笑顔を見せた。

「かれん、ありがとうね、そんなに親身になってくれて。そうだよね、せっかくのチャンスなんだから、素直にならないとね。ここで素直にならないと、手塚さん、本当にどっかに行っちゃうかもしれないしね」

「そう! 希恵、頑張って、応援してるから」


 かれんは希恵に励ましの言葉を言いながら、自分の心に引っかかるものを感じていた。

 希恵の恋を応援する自分の気持ちは確かだ。

 希恵には今度こそ幸せになってほしい。

 でも、今、希恵に言っている言葉、本当に希恵にだけ言っている言葉なのだろうか。


 ――素直に自分の気持ちを正直に言わないと、手塚さん、どっかに行っちゃうかもしれないよ。


 この言葉、希恵よりもむしろ自分にあてはまる言葉なのではないだろうか。


 ――素直に自分の気持ちを正直に言わないと、、どっかに行っちゃうかもしれないよ。


 かれんは名前の部分だけ変えて、心の中で自分の言った言葉を復唱してみた。

 そして、何とも言えない寒気のような感情が沸き起こって来るのを感じた。




 希恵とのランチと営業を終えて、かれんが万代から会社のある古町へ帰ってきたのは夕方頃だった。

 かれんはほぼ人通りのない古町のアーケードの中を歩きながら、ふと歩みを止めた。

 昴が店主を務める「マーズレコード」が見えてきたからだ。

 多分、昴は「マーズレコード」の店内で、お気に入りの洋楽でも聴きながら、レコードの整理か音楽雑誌の記事でも書いているのだろう。

 かれんは遠回りしてでも「マーズレコード」の前を通らずに会社に行こうかとも思ったが、意を決してそのままスタスタと歩き始めた。


 かれんが「マーズレコード」の前を通った途端、かれんの予想通り、店のガラス戸が「ガラッ」と開いた。

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