(6)

 かれんは昼間のこともあり、今日は仕事帰りに昴の「マーズレコード」の店番をやらないでおこうかとも思った。

 でも、仕事が終わると、かれんの足は真っすぐに「マーズレコード」の方へと向かっていた。

 何だかんだ言いながら、結局、自分は昴に甘いのだ。


 かれんが「マーズレコード」のガラスの引き戸の前に現れたのを見ると、店の奥のテーブルでノートパソコンに向かっていた昴は、慌てて立ち上がって引き戸の方にかけよって来た。

「――かれんちゃん、いらっしゃい! 今日もありがとう。後、昼間はごめんね」

 かれんは昴が昼間のことを素直に謝ってきたのが意外だった。

 このいつでもどこでもマイペースな男も、昼間に仕事中のかれんを引き留めてねたような発言をしたのは「悪い」とは認識しているようだった。

 もしかすると、自分がかなり怒ったからかもしれないが……。


 かれんはいつも通りモヤモヤした気持ちになりながらも、(こういうのも困るな……)と思った。

「別に、もう気にしてないけど」

 かれんが昴から目を逸らしながら言った。

「本当に?」

「本当!」

 かれんが「しつこい!」と思いながら、昴の方を向いてさっきよりも大きな声で言うと、昴は途端に笑顔になった。

「良かった。――じゃあ、今日も家庭教師のバイト、頑張ってくるね。かれんちゃんがちゃんと店番してくれるから、僕も安心して出かけられるよ」

「はいはい」

 昴はニコニコとした笑顔のまま軽く手を振ると、そのまま店を出て、夕闇に紛れて行った。


 一人残されたかれんは「はあ」と大きなため息を吐くと、さっきまで昴が座っていた店の奥のイスに腰を下ろした。

 ――本当に、何なんだろうか、あの男。

 昴に振り回されるのは、小さい頃から毎度のことだ。

 確かにいつも「もう!」という気持ちにはなるが、普段なら別にどうってことはないという感じだ。

 でも、今は違う、とかれんは思った。

 かれんの心の中で、「昴ばっかり、ずるい」という気持ちが込み上げてくるのだ。

 自分だって、昴にポストカードを送って来る「東京時代の子」が気になっているというのに、昴ばっかり「かれんちゃん、最近、あの男の子とよく一緒にいるな、と思って……」とか言い出してずるい。

 しかも、さっきは「昼間はごめんね」と反省して、素直に謝ってきたのだ。

(――昴ばっかり、あんなに素直に何でも自分の言いたいこと言って、ずるい)


 真人と最近一緒にいるのが気になって、仕事中だと言うのに店先に出てきて様子を見に来たり、

 いかにも「ヤキモチ」を焼くような、ねた表情をしてみたり、

 でも、悪いと思ったら「ごめんね」と素直に謝ってきたりして、ずるい。

 昴ばっかり、あんなに素直でずるい。


 かれんは心の中で「ずるい」「昴ばっかり、ずるい」と繰り返し言いながら、また、ため息を吐いた。

 ヤキモチを焼いているのは、それこそ自分なのだ、ということがわかっているからだ。

 かれんは素直に何でも言って来る昴が羨ましいのだ。

 自分だって、あの「東京時代の子」が昴とどういう関係なのか訊きたいが、訊くのが怖いのだ。

 別に、昴に「東京時代の子」がどういう関係の子だったのか訊いても、何もないのかもしれない。

 自分が考えているような関係の子ではないのかもしれない。

 でも、かれんは訊いてしまった「後」のことを考えると、どうしても訊けなかった。

 それに、昴に「かれんちゃんが『東京時代の子』のことを気にしている」と思われるのがイヤなのだ。


(――もう! 何で私はいつも昴にこんなに『モヤモヤ』しなくちゃいけないの!)

 かれんが頭を抱えながらテーブルの上に顔を伏せると、「マーズレコード」の店のガラスの引き戸が「ガラッ」と開いた。

 まさか、もう、昴が帰って来たのだろうか……。

 かれんが慌ててイスから立ち上がると、引き戸から顔を覗かせたのは自分の会社の後輩の塩木真人だった。


「あれ? 塩木君、どうしたの?」

「いやーっ、さっき、ここの店主の顔見たら、ちょっと店に入ってみたくなって……。って言うか、超いっぱいレコードあるんですね! これ、全部あの店主は聴いてるっていうんですか?」

 店に入って来た真人の表情が、まるでおもちゃ屋にでも紛れ込んだ子供のようだったので、かれんは思わず笑顔になった。

「まあ、結構聴きこんでいるとは思うけど、さすがに全部は聴いてないんじゃないかな?」

「でも、ここの店主って超音楽に詳しいんですよね? 後、「謎解き」もするんですよね? ――わあ、この美人誰ですか? 俺、超好みなんですけど」

 真人が棚に飾られていたレコードを一枚指さして言った。

「ああ、あれはケイト・ブッシュ。『天使と小悪魔(The Kick Inside)』」

「あのバナナのは? あの絵、良く見ますよね?」

「あれは『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ(The Velvet Underground & Nico)』だけど」

「って言うか、加賀谷先輩も超詳しいですね」

「昴が、ここの店主がね、昔からずーっと私の横で洋楽の話するから、自然と覚えたの」

「へえ……。でも、加賀谷先輩もすごいじゃないですか。横で聞いてるだけで、横文字の長い名前とか覚えたんですよね? やっぱり、先輩はすごいですよ。営業がすごいだけじゃないんですね」

 真人が感心したような声をあげると、かれんは(そうかな?)と首を傾げた。

 自分は昴の長い長い洋楽の話を聞いて、自然と覚えてしまっただけだ。

 本当にすごいのは、あの膨大な洋楽の知識を持っていて、それを自分にしつこく話して来る昴の方ではないか……。


「――私、そんなにすごくないって。昴がしつこく、しつこーく話して来るだけだけど」

「でも、そのしつこーく話して来るのも、ちゃんと聞いてるんですよね? 名前とか覚えるくらい。どーりで加賀谷先輩って、話すのも上手いですけど、お客さんの話とか聞くのも上手いですよね。話の内容とかもちゃんと覚えているし」

 かれんはまた(そうかな?)と首を傾げた。

「まあ、そう言ってくれてありがとう」

 かれんは真人に褒められてかなりくすぐったい気持ちだったが、ぎこちない笑顔を作ると、一応お礼を言った。


「そうですよ、加賀谷先輩はすごいですよ! ――で、先輩、何かオススメのレコードとかないですか? 俺、あんまり洋楽とか聴いたことないで、初心者でも聴きやすいヤツとか」

「えっ? でも、それだったら、昴の方が……」

「先輩のオススメなのも聴いてみたいんですよ」

「わかった、じゃあ……」

 かれんはレコードをアレコレと選び始めた。

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