(2)
* * *
物心ついた頃から、かれんは近所でも評判の「かわいい女の子」だった。
よく「美少女」とか「お人形さんみたい」と言われたし、「今からこんなにかわいいなんて、将来が本当に楽しみ」と、それこそ何回も繰り返し言われ続けて来た。
両親の元に直々に地元の雑誌の編集者が、「モデルになって」と頼みに来たこともある。
でも、かれんはそんなモデルみたいな話は全て断っていた。
自分の容姿のことは自負してはいたが、いつも「容姿」のことを言われるのがイヤだった。
みんな自分の容姿のことを褒めてくれるけど、容姿ばかり見て自分の「中身」を見ていないのではないかと思っていたのだ。
テレビやネットなどを見ると、容姿の良い人間には絶対に欠点があるように言われている。
みんな自分のことを、
「かわいいけど、性格は悪いんだろう」
とか、
「かわいいけど、頭は良くないんだろう」
と見ているのではないかと思っていたのだ。
どうして、容姿が良いと「性格が悪い」とか「頭が良くない」と思われなくてはいけないのだろうか。
だから、かれんは小さい頃から何でも人一倍努力した。
勉強も頑張ったし、運動も頑張ったし、対人関係とか協調性みたいなものも頑張った。
かれんは元々、性格も悪くなかったし、頭も運動神経も悪くなかった。その上で努力したから成績もトップクラスになったし、体育でもリレーの選手に選ばれたりしたし、男女共に友だちもたくさんできた。
そう、かれんは人一倍努力して、頑張って、「才色兼備」という言葉がピッタリくる女性になったのだ。
なのに……。
かれんはニコニコしながらカーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン(Now & Then)」のレコードを棚に戻している昴に視線を向けた。
こんなに自分は努力してきたのに、こんなにも自分は必死になってやってきたのに、ここにいる昴は、小さい頃から何でも「サクッ」とできてしまうような人間だったのだ。
幼稚園の時、かれんがお
かれんはビックリした。
いつも、「かれんちゃん、かれんちゃん」と自分の後をついて来るあの弱々しい昴のどこに、こんな才能が眠っていたのだろうか……。
かれんは「これは何かの間違いだろう」と思ったが、その後も昴の「神童」ぶりには目を見張るものがあった。
小学校に入学すれば、(特に勉強している気配はないのに)常に成績はトップ。
運動会ではリレーの選手でぶっちぎりの一位。
音楽祭では学年で一人だけ選ばれるソロパートの歌い手に
かれんが習っていたピアノも、横で聴いていただけで同じ旋律を正確に弾きこなす。
などなど……。
挙げればキリがない。
自分があんなに努力してやっと出来たことを、身近な人間が意図もカンタンに「サクッ」とやってのけてしまう。
かれんは昴を見る度に、何とも言えないモヤモヤとした気持ちになった。
しかも、これほど「完璧」に何でもできる人間だと言うのに、昴は自分が「できる人間」だということをちっとも鼻にかけないのだ。
いつでもどこでもマイペースだし、中学校になっても相変わらず「かれんちゃん、かれんちゃん」と自分の後ろをトコトコついて来る。
昴とかれんは高校は別の学校に進学したが、かれんは内心ホッとした。
これで、昴のことを見てモヤモヤすることもなくなるだろう、と。
昴とかれんは別の高校に進学して、以前ほど交流することはなくなった。
それでも、昴はかれんのことを見かけると、昔と同じように「かれんちゃん、かれんちゃん」と自分の後ろをついて来るのだった。
幼稚園の頃と変わらずに自分の後ろをトコトコついてくる昴だが、意外と周りの女の子からはモテモテだった。
かれんにはどうして昴があんなにモテるのか、理解できなかった。
かれんの同級生から「M高の
その度に、かれんはモヤモヤした。
大学は昴は東京の名門の私立大学、かれんは地元の国立大学へ進んだ。
ただ、この大学の進学に関してもかれんはモヤモヤしていた。
かれんは東京の大学に進学したかったが、かれんの兄がうっかり先に東京の私立大学へ行ってしまったため、両親に「地元の国立大学にしてほしい」と言われたのだ。
かれんは家庭の経済的な事情もわかっていたので、両親の希望を承諾した。
昴も年の離れた姉が地方の私立大学へ行ってしまったが、昴の家はかれんの家よりも裕福だったので、昴一人を東京の大学へ行かせるくらいは苦ではなかったのだ。
しかも、もっとモヤモヤすることに、昴は本気を出せばもっとレベルの高い大学へ行けるくらいの頭の良さだと言うのに、そこは努力せずに「サクッ」と少しランクの低い私立大学へと進学を決めたのだ。
自分が努力して手に入れたことを「サクッ」とやってのけ、自分が努力しても手に入れられなかったことを「サクッ」とやってしまう……。
どうして、世の中はこうも不公平なのだろうか。
かれんは東京へ行く準備をしている昴を見ながら、またモヤモヤした。
昴が東京の大学に進学してから、かれんはモヤモヤすることがなくなった。
両親の希望で進学した国立大学は思ったよりも素晴らしく、新しい友だちや尊敬できる先生に出会うこともできた。
相変わらず努力や頑張りの毎日は変わらなかったが、それでも普通の女の子と同じように大学生活を楽しむことが出来た。
でも、昴がいない「モヤモヤ」しない日常は、淋しい気がした。
かれんは大学卒業後、今働いている「株式会社スカイ」に新卒採用で就職した。
無料求人情報誌「ワークニュース」を発行している「株式会社スカイ」は、東京が本社で地元の新潟でも優良企業として有名だった。
かれんは就職した会社でも努力をし、常に成績トップの営業スタッフになった。
一方、昴は……。
元々音楽が好きだった昴は大学時代にバンドを組み、大学を卒業しても定職に就かず、バンド活動をしながらレコード屋と時々の家庭教師でバイトしながら食い繋いでいた。
かれんはある日、動画投稿サイトで昴のバンドのライブ映像を見てビックリした。
ステージの上にいたのは、確かに自分の知っている昴だったが、まったく自分の知らない昴だったのだ。
ステージ上の昴はフラフラしながら歌っていたが、何とも言えないキラキラとした光のようなものを放っていた。
あのステージ上にいる男、少し前までは自分の後ろを「かれんちゃん、かれんちゃん」とついてきていたのに……。
動画投稿サイトの昴の姿を見ても、かれんはもうモヤモヤしなかった。
ただ、何か取り残されたような気持ちになった。
――昴が自分の元や、自分の住んでいる新潟に戻って来ることはないだろう。
かれんはそっと動画投稿サイトのタブを閉じると、もう、昴のことは思い出さないことにしようと心に決めた。
* * *
――だと言うのに、今から一年半ほど前。
あの昴が、いきなり新潟に帰って来たのだ。
母親から、
「昴が帰って来るから、ちょっと引っ越し手伝いなさいよ」
と言われた時、かれんは飛び上がる程ビックリした。
昴は自分の知らない場所でバンド活動をし、二度と新潟には戻って来ないのではなかったのだろうか。
引っ越しの手伝いに行くと、昴は前と変わらずにニコニコしながら「かれんちゃん、かれんちゃん」と自分の後をついて来た。
「どうして新潟に帰って来たの? バンドは?」
荷物を紐解きながらかれんが訊くと、昴はニコニコしながら答えた。
「バンドは辞めたんだ。何となく帰って来ようかと思って」
新潟に帰って来た昴は、しばらくの間、仕事もせずに実家でフラフラと過ごしていた。
「それって、ニートってヤツじゃない?」
とかれんが訊くと、昴は、
「まあ、そういうことになるよね」
とニコニコしながら答えた。
自分は毎日必死になって働いているのに、この男は定職にも就かず毎日フラフラ過ごしているなんて……。
新潟に戻って来た昴は、時々家で音楽雑誌やサイトの記事などは書いているらしかった。
それでもかれんは昴を見るたびに、またあの「モヤモヤ」とした気持ちが込み上げてきた。
ただ、今回ばかりは「モヤモヤ」していたのは、かれんだけではなかった。
昴が新潟に帰ってきてから半年後、昴の両親とかれんの両親が昴に詰め寄ったのだ。
「このまま、仕事もせずにフラフラしているのは許さない」
「将来のことをもっと真剣に考えろ」
両親たちにガミガミ言われた昴は、無表情のまま「わかった」とだけ答えていた。
わかった、と答えた昴は、ある日突然この中古レコード屋の「マーズレコード(Mars Records)」を、かれんの会社の近くに開店させたのだ。
かれんはまたビックリした。
まさか、あの昴が商売を始めるなんて……。
しかも、昔ほどの賑わいのない古町の片隅でレコード店なんて、ちゃんと儲けることができるのだろうか。
かれんは、
「昴に商売なんて絶対ムリ」
「儲けるなんてもっとムリ」
だと思っていたが、事態は思わぬ方向へと進んで行った。
かれんは昴が幼い頃に「神童」と言われていたほど頭が良いことを、うっかり忘れていたのだ。
昴の「マーズレコード」は店舗での売り上げはそれほどではないものの、通販などの売り上げにはものすごいものがあった。
昴は「その辺ね、前に東京でバイトしていた時に、バイト先のレコード店の店長に仕込まれたんだよ」とアッサリ言っていた。
昴の両親とかれんの両親が昴に詰め寄った3ヶ月後、昴はニコニコしながら両親たちに自分の貯金通帳を見せた。
あの時の貯金通帳の残高と両親たちの呆気に取られた表情、そして昴のニコニコした表情を、かれんは一生忘れないだろう……。
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