希望の光
人ではない? 意味が解らずアキラが眉をひそめると、カンナが続けて言う。
「クルミはプリンセスのハートの中に眠っていた絶望の感情……キッコがハートにつけた割れ目から飛び出し、分離したものなのですわ。つまり……クルミはハートの一部分なのです」
「ハートの一部分……? そ、そんなバカな。だって、クルミはどこからどう見ても普通の女の子で……!」
動揺して思わず声を荒げるが、チナツはただ冷然とアキラを見つめ、
「事実だ。クルミは普通の少女などではない。プリンセスと同じく超越した存在だ。――場所を変えよう。ついてこい」
そう言って、クルミを抱えたまま部屋を出て行き、先程アキラがキッコと共に右折した丁字路を直進、その先にあった階段を上り、とある部屋へと入っていく。
そこは、アキラにも見覚えのある部屋だった。
アキラが空から落ちてきて、クルミとキスをしてしまったベランダがある部屋であり、そしてあの時と変わりなく、プリンセスがベッドで眠り続けている部屋である。
「プリンセス……」
今にも目を覚ましそうな美しい寝顔のプリンセスを、アキラは呆然と見下ろす。
皆は無言でプリンセスを見つめ、しかしその中でチナツだけが粛々と動いて、プリンセスの隣にクルミの身体をそっと横たわらせる。
「アヤネ」
チナツに目を向けられるとアヤネは頷き、プリンセスのワンピースをそっと下ろして、その胸のふくらみを露わにさせる。アキラはハッと目を逸らすが、
「目を背けるな、見ろ」
チナツにそう言われて目を戻すと、アヤネがプリンセスの胸の中央を掌で軽く押し込んだ。すると、両側の胸骨がバカリと開くようにして、胸が開いた。
そこにあったのは、鉄製らしき複雑な機械機構。
だが、その心臓部にはぽっかりと穴が空いている。
「今、あなたが持っているそれは、元々はここにあったものよ」
アヤネは言って、今度はクルミに同じことをする。と、クルミの小さな胸も両開きの扉のように開く。そしてそこにあるのは、プリンセスと同じ機械人形の複雑な機構。
「クルミ……本当に、クルミも……」
信じられない。だが、否定しようのない事実が目の前にある。
アキラは呆然とクルミを見下ろして、プリンセスとは異なる部分があることに気がつく。
その蓋を開いた胸の中央にあるのは、空洞ではない、墨を塗られたように真っ黒なハートだった。しかし、その中心部分にはピンク色の輝きが淡くぼんやりと宿っている。
「そう、これが証拠ですわ」
カンナが言う。
「それに、わたくしたちは皆、クルミが生まれる瞬間を見ています。ナイトがプリンセスのハートに剣を下ろした直後……黒い靄が物凄い勢いで噴き出して、それが急速に集まり、固まって、クルミが現れたのです。そして、その霧に弾き飛ばされたハートのカケラが、わたくしたちの胸に突き刺さった……」
アキラは言葉を失って立ち尽くす。カンナは続ける。
「プリンセスは絶望によって命を蝕まれ、眠られましたわ。そして今度は、クルミにその逆のことが起きようとしているのでしょう」
「逆のこと……?」
「クルミはプリンセスの絶望を集めて生まれた存在……。ですから、その命にとって希望はむしろ毒なのです。城にこもっていたわたくしはよく存じ上げませんけれど……おそらく、クルミはアキラ様との関わりの中で、その胸に希望を宿したのでしょう。それで魂に『毒』が混じり、身体が動かなく……」
「そ、そんな……! じゃあ、私のせいでクルミは――」
「危ぶむことはございませんわ」
カンナはどこか悲しげに微笑する。
「クルミは今、元の姿――希望の存在へと戻ろうとしているのです。やがて近いうちに、クルミの小さなハートは希望に満たされるでしょう。そうすれば、クルミはプリンセスのハートへと還り、ハートは完全な状態を取り戻すのです」
「それって……!」
アキラはポカンとして、それからカッと頭に血が上るのを感じた。
どうにか怒鳴るのを堪えながら、チナツを睨む。
「チナツさんも……初めからそれが目的だったんですね。クルミをこの世界から消し去ろうと……!」
チナツは何も答えない。冷たい眼差しでこちらを見下ろすだけである。
カンナがアキラの言葉を否定した。
「違いますわ、アキラ様。消すのではありません。元の場所――プリンセスの御もとへと帰っていただくのです」
「言い方を変えただけだ! クルミがいなくなることに変わりはないじゃないか!」
「でも、クルミがプリンセスの一部だってことは事実なんだよ」
豪奢なイスに腰を下ろしながら、キッコが言う。
「それに、アキラがこれから大事な仕事をしなきゃいけないっていうことも……もう決まってることなんだ」
「大事な仕事……?」
反芻して、キッコの次の言葉を待つ。しかし、キッコは目を逸らして何も言わない。チナツも、アヤネも、カンナも同じように口を噤む。
やがて、カンナが重く口を開いた。
「ハートの……完全な破壊です」
「完全な破壊……?」
意味が解らない。なぜここまで来て、再びハートを破壊しなければならないのか。プリンセスの復活まであと一歩――と言っても、自分はその一歩に手を貸す気などないが――の所まで来たのに、なぜまた振り出しに戻すようなことをしなければならないのか。
困惑するアキラに、キッコが言う。
「さっき言ったでしょ? プリンセスはボクたちに『ハートを壊して』って、確かにそう言ったんだよ。『そうすれば、世界は生まれ変わるから』って。だから、ボクたちはそれをやらなきゃいけないんだ」
「でも、それはプリンセスの心に絶望が芽生えてしまったからで……今はもう――」
「いいえ、今もまだ、何も解決していないのよ」
と、アヤネ。
「ご体調を崩された頃……プリンセスは何か酷くお悩みの様子だったわ。わたしたちがそのお悩みを聞かせていただこうとしても、堅く口を閉ざされて……何を悩んでいたのか、今でさえわたしたちには解らない……。そんな状況でプリンセスをお目覚めさせても、全てがただ繰り返しになってしまうだけなの……」
「…………」
プリンセスが悩んでいたこと、それは間違いなくゲームのサービス終了――『プリンセス・キングダム』という世界の終了に対してだろう。
確かにそれは、もはや解決しようもないことだった。
例えプリンセスを目覚めさせても、その絶望を取り去ることなど、できはしない。
「……でも、どうして私が」
誰も答える必要のない、解り切った問いだった。
自分が『神人』だから……プリンセスを作った世界の人間だから。
――なるほどな。
沈黙の中、アキラは今さら気づく。
みんながハートを持ち寄ろうとしなかったのは、その先にあるのがプリンセスとの別れであることを知っていたからか。プリンセスの命が完全に絶たれることになると、知っていたからか……。
「アキラ……それでいいのです」
皆、ハッと目をベッドへ向ける。見ると、弱々しく微笑んでいるクルミと目が合う。
「クルミ、聞いてたのか……!」
はい、とクルミは掠れる声で応えて、自らとプリンセスの、大きく蓋を開けている胸を見比べる。
「……どうやら私は、プリンセスの一部でしかなかったようです。でも、いいのです。プリンセスが、ハートを破壊すればこの国は生まれ変わると仰ったのであれば、その通りになるはず……。だから……いいのです」
「何もよくなんてない!」
アキラはクルミの傍らに跪き、その小さな手を握る。
「クルミは……クルミはそれでいいのか!? もし国が蘇ったとしても、そこに自分はいないんだぞ!?」
「はい、構いません」
クルミは柔らかく微笑む。
「未来で皆が……あなたが笑ってくれているなら、私はそれで幸せですから……」
「クルミ……」
視界が、涙で滲んだ。
クルミはアキラの手から手を抜き、その掌をアキラの頬にそっと当てる。
「そんな顔をしないでください。私はあなたの妻なのですから……こう思うのは当然のことです。……でも、一つだけお願いがあります」
「……?」
「どうか、私を忘れないでください……。これからもずっと、あなたの記憶の中に私をいさせてくれるのなら、私はそれだけで……」
「当たり前だ。忘れるはずなんかない。クルミは私の大切な人なんだから……!」
アキラが嗚咽を混じらせながら言うと、クルミは目に涙を浮かべながら微笑んだ。
露わになっているクルミの黒いハート――その中で、ピンク色を帯びた光が急速に大きくなっている。じわりと滲むように、全体が光で満たされ始めている。
「アキラ……お願いします。私のハートを……プリンセスのもとに」
「わたくしからも……どうか、お願い致しますわ」
カンナは声を震わせながら言い、口元を手で隠して顔を伏せる。アヤネはチナツの肩に額を押し当て、キッコは頭を抱えながら俯いている。
自分だけではない。皆も悲しいのだ。誰も責めることなどできない。自分だけが喚いて、皆の心の痛みを、クルミの覚悟を台無しにはできない……。
「……解った」
そう頷くしか、なかった。クルミは微笑んで、
「ありがとう……。愛しています、アキラ……」
クルミはアキラの頬から手を下ろし、その瞼を静かに閉じる。
そのハートは既に、全体が光り輝いている。希望の光に満ちている。
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