クイーン
岩を削り出して作ったらしい牢の中、檻の向こうで燃える火にかざすようにして、アキラは自らの細く華奢な手を見つめていた。
――夢ではない……な。
全てが現実だとすると、父と門下生たちがカードにされたのも現実で、彼らも今この世界のどこかにいるということになる。
『お願い、アキラ……みんなを、助けて……!』
筐体の中に入る直前に見た、プリンセスの姿……あれも幻ではないのだ。そして、先程ベッドで眠っていたプリンセスも……。
全てにおいて理解できないが、ここは『プリンセス・キングダム』の中の世界らしい。つまり自分は今、自分が本来いるべきでない世界に来てしまっているのだ。
――俺は一体どうなるんだ? 向こうへ帰ることはできるのか? いや待て。俺一人で帰ってどうする。みんなも一緒じゃないと。でも、みんなはどこにいるんだ? カードにされてしまったみんなは……。
いや、待て。落ち着け。こういう時こそ、落ち着いて自分に言い聞かせろ。
「……大丈夫、なんとかなる」
そう、なんとかなる。アキラは母の口癖を噛み締めるように囁き、自らの手を――母が自身の分身として作ったマイキャラクターの手を見下ろす。
と、ガチャン、と重い錠が外される音が岩の牢獄に響いた。
続いて、数名の足音と、それに混じってハイヒールらしきカツカツという足音がこちらへと近づいてくる。
その足音の主たち――五人の人間は、アキラの檻の前で足を止める。
深紅を基調としながら、白いフリルが至るところに施された、丈の長いふんわりとしたドレス。ラメが施された白いハイヒール。頭の上には、宝石をちりばめたティアラ。
クイーン最上位コーデの『セクシークイーン・ハートフルメロディーコーデ』。
それを身につけているのは、タレ気味の目をした、柔らかい印象の女性だった。
髪はふくよかな胸に届くほど長く、後ろ髪の一部は後頭部で一つに結われている。髪の毛のピンク色と、瞳の琥珀色は、暗がりの中でも明るく輝いているように見える。
だが、今はその優しげな顔立ちが緊張で強張ったように険しくなっている。
クイーンは唇の前に立てた右手の人差し指にフッと息を吹きかけて、そこに小さな火を生じさせると、それを軽く左右へ振る。
と、そこから飛んだ火が宙に留まり、クイーンや護衛の女性兵士の顔、そしてアキラの顔を光で照らし出した。
「わたくしはこの国――プリンセス・キングダムにおいてクイーンの役職を担っております、カンナと申しますわ」
カンナは穏やかな口調で、しかし表情は険しいまま言う。
「お持ちになっているそのカード、お見せしてはいただけないでしょうか?」
「これは俺のだ。誰にも渡さない」
「別に奪おうとしているわけではございませんわ」
カンナは傍らの兵士――キュートナイトのコーデを身に纏った兵士を見やり、牢の錠を開かせると、鉄の扉を開けてこちらへ入ってくる。
「この通りです。わたくしはただ、そのカードを見せていただきたいだけですわ」
どうやら確かに、奪おうとしているわけではないらしい。なんとなくそう感じて、アキラは二枚のカードをカンナに手渡す。
「まあ、本当に……!」
カードを見下ろしたカンナは愕然としたように目を見開き、先程までとはどこか違う、緊張よりも敵意のこもったような目でこちらを睨んだ。
「やはり、あなたは『神人しんじん』ですのね……!」
新人? なんの? アキラが首を捻ると、クイーンが後ろへ下がり、それを待ち受けていたように兵士が扉を閉め、錠を閉じ直した。
「あっ! おい! 俺のカード!」
「一つ、お訊かせくださいまし。あなたはここへ何をしにいらっしゃったのですか?」
「何をって……父と門下生を取り戻すためだ。そうだ。あなたは何か知って――」
「それだけですの?」
「……どういう意味ですか?」
「本当は、わたくしたちからプリンセスを奪うおつもりなのでしょう?」
「なんだって……? 意味が解らない」
「しらばっくれても無駄ですわよ。――もう充分ですわ。この方を刑場へお連れしなさい。わたくしが直々に手を下しますわ」
「え? いえ、しかし、クイーン・カンナ……今、この方は神人様であると……」
「いいから連れて行きなさい!」
「は、はい!」
戸惑った様子で兵女性士たちは再び檻を開き、どこかオロオロしながらアキラを牢から引きずり出す。
「ちょ、ちょっと待て。『刑場』って、どういうことだ?」
尋ねても、兵士たちは戸惑った様子で口を噤む。先をカツカツと歩いて行くカンナの後を、兵士たちもアキラと同様、引きずられるようについていく。
ほとんどが空である牢の前をしばし歩いて、やがて長い階段を上った。そして、アキラの前後にいた二人の兵士が先ヘと走って、両開きの鉄扉を押し開いた。
眩い光の先にあったのは、城の壁と、城の周囲を守る高い壁で囲まれた広場だった。
地面は乾いた砂で、広場の少し奥のほうには六本の木の柱が陰鬱に立っている。
アキラはそのうちの一本に、縄が手首に食い込むような力で縛りつけられた。
「待ってくれ! どうして……俺が何をした! い、いや、確かに、その……あの子にキスはしちゃったけど、あれはあくまで事故で……!」
「例え神人であろうと、絶対にこれは――クイーンのハートは奪わせませんわ」
どこから生じたのか、突然、真っ赤な火炎がクイーンの掌で燃え上がる。その顔には、狂気じみた笑み。
「ククッ……どうせ殺すなら、可能な限り苦痛を与えて殺すのがよろしいですわね。そうすれば、二度と神人も寄りつかないでしょうから」
――殺される……。
背筋が凍るほどの恐怖。アキラは藻掻くことも忘れて硬直する。
が、ふと、なぜかクイーンの視線がこちらから逸れた。と思うと、背後から柱に軽い衝撃が走り、腕を拘束していた縄がはらりと落ちる。
「クルミ? あなた、何を……?」
背後を見ると、そこには先程の黒衣の少女――アキラが口づけをしてしまった少女が、ナイフを片手にどこからともなく現れていた。
それからは、あっという間だった。
クルミはアキラの手を取って壁のほうへと駆け出すと、四十センチほども背が高いアキラを軽々とお姫様抱っこして、まるで翼でも生えているように高い壁を一気に跳び越えた。
クイーンと兵士たちは、ただポカンと口を開けてこちらを見上げていた……。
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