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池田蕉陽

第1話 誰か刺激をください。



「し、清水先生」


 終礼が終わり、教室から生徒が三々五々帰っていく中、若杉 璃音りおんに呼ばれた。


 私は「どうしたの?」と教卓の上を整理しながら返す。


「相談があるんです」


「相談?」


 私は手を止め、若杉の顔に視線を移した。どうやら深刻な内容のようで、若杉の顔は雲っている。もう高校二年の二学期なので、進路のことで悩んでいるかもしれない。それともいじめに関するものなのか。


 しかし、若杉は引っ込み思案な性格ではあるものの、クラスでは馴染んでいる方だし、正反対の性格、つまりクラスの中心に位置する松本 七瀬ななせと仲が良かったはずだ。よく二人は私のプライベートなことを聞き出そうとしてくる。私はまともに対応したことはなかったが。


「どういう相談なの?」


 すると若杉は私から目線を逸らし、頬を赤らめる。私はそれで察しがついた。


「れ、恋愛のことで」


 若杉が指をもじもじさせながら、小声でそう言った。普段から声量は低めなので、余計に聞き取りずらかったが、私が察したことと一緒だったおかげで聞き取れた。


 困ったな……。


 私はろくに恋愛経験をしたことがなかった。最後にしたのは確か高校生の頃だ。別れてそれ以降は付き合っていない。教師になって友達から無理矢理合コンに連れてこられたことはあったが、誰とも親しくはならなかった。


 いや、正確には私がそうしようとしなかったのだ。合コンの時、一人の男性からデートに誘われたが、私はそれを拒んだ。その男性が不細工とか、性格が悪いとか、そういう訳ではなかった。むしろ良かった方だ。それなのに何故デートを拒否したのかときかれれば、私はこう答える。


 恋愛に冷めている。


 そうなったきっかけは私にも分からない。いつの間にか恋愛というものに興味が無くなってしまっていたのだ。それも20代という若さでだ。そのおかげで、女子生徒たちからは年齢の割に大人びているという印象を持たれ、同時に何人かは私が恋愛事情を秘密にしていると睨んだ者もいて、様々な意味で人気なのだ。


「恋愛ね……。生憎だけど、恋愛には疎いのよね」


「絶対嘘だ!」


 間髪入れずに、若杉がいつもより大声を出すものだから私は少し驚いてしまった。若杉も私が恋愛事情を隠していると睨む中の1人なのだ。


「ほんとよ。こう見えてあまり恋愛経験はないのよね。だから恋愛相談なら他を当たってもらえる?」


 それで話は終わりだ、という合図に私は教卓の上の荷物を持ったのだが、若杉は諦めてくれなかった。


「またそうやって清水先生誤魔化すんだから。じゃあ聞くだけでもいいんでお願いします」


 若杉が頭を下げる。そこまでされて断るのも罰が悪い。


 私は溜息をつき「仕方ないわね」と、荷物を教卓の上に置いた。


 若杉が満面な笑で「ありがとうございます」と感謝するが、私は少し申し訳なくなった。と言うのも、聞くだけと若杉は言ったが、本当はアドバイスを貰えると期待しているはずだ。若杉からそう言ったので、私は悪くないのは確かだが、それでも期待に応えれないのはなんだか悔しい。他の相談ならなんでも受けて、そうはならないのだけれども。


 それでも相談を受けることになってしまった以上、私なりの意見を述べさせてもらうつもりだ。


「じゃあ言ってごらん」


「はい。え、えーと……実は私好きな人がいるんです」


 それは分かるわよ、と言いかけそうになったが、ギリギリのところで抑止できた。


「それで、誰が好きなの?」


 やはり、誰が好きなのかを他人に告げるのにも勇気がいるようで、もじもじとしている。数秒後、ようやく口を開いた。


「き、桐山くん」


「え、誰って?」


 声が小さすぎて聞き取れなかった。私は大袈裟に耳を傾け、もう一度きく。


「き、桐山くんのことが好きなんです」


 今度はハッキリとした口調で告白した。若杉の顔は林檎りんごのようになっており、両手で握るスカートの裾には深いしわが刻まれている。


「桐山くんね」


 勿論知っている。桐山 純、若杉と同じく私が受け持つ4組の生徒だ。


 私は若杉が桐山のことが好きになるのも納得出来た。桐山は学年で成績トップ、オマケにイギリス人と日本人のハーフで、かっこよくないわけがなかった。学年の何人もの女子が桐山の話をしているのを、何回も耳にしたことがある。


「でも桐山モテモテでしょ?既に付き合ってる女子いるんじゃない?」


 若杉がかぶりを振ってから「それがいないみたいなんです」と安堵の表情を浮かべている。


 私は「へー」と興味無さそうにするも、内心少し意外だった。あれだけ顔が整っていれば、彼女の一人くらいいてもおかしくはない。告白もきっと何回もされているだろう。それなのに彼女がいないということは……。


「桐山、告白も何回もされてるんでしょ?」


「はい」


「じゃあもしかしたら、恋愛にあまり興味がないのかもしれないわね」


「え!?」


 私がそうなので、真っ先にその考えが思い浮かんだ。


 絶望的な顔に段々なりつつあったので、私はフォローを入れる。


「そうとは限らないけどね。好きな人がいるから断ってるのかもしれないし」


「……」


 傷口に塩をかけてしまった。しかし、すぐに次の慰めの言葉が閃いた。


「その好きな子が若杉かも知れないでしょ?」


「ま、まさか!」


 普段からクリクリしている目をこれでもかと言うくらいさらに見開いているので、余程そんなことは有り得ないと思っているのだろう。謙虚で引っ込み思案な若杉だから仕方ない。それでも若杉は、私から見ても、一般的に見ても美少女に入るレベルの顔つきをしている。ボブヘアーが良く似合う女子だ。


「分からないわよ? 若杉は桐山とよく話すの?」


「毎日ちょくちょく話します」


「まあまあ仲がいいって感じね。同性同士なら話は違ってくるけど。だったら十分可能性あると思うわよ? 若杉可愛い顔してるからね。それに実際告白されたことあるでしょ?」


 可愛いと言われ照れているようで、頬が紅潮している。私の問いかけにうんともすんとも言わないということは、つまりそういうことなのだろう。


「まあいいわ。既に仲がいいなら告白するのが1番いいわね。もしかしたらOK貰えるかも知れないでしょ」


「こ、断られたら?」


 今その場面を想像しているようで、既に泣きそうな顔になっている。感傷に浸りやすいタイプだなと思った。


「断れたら次よ次。世界に男が何人いると思ってるの? 35億よ? 案外断られたらスッキリするものよ。それに告白しなかったら、絶対後々後悔するわ。なんであの時告白しなかったんだろうってね」


 思ったことをそのまま口にした。適当に言っている訳では無い。実際に私ならそうすることを言ったまでだ。


 若杉がそんな私の台詞に感化したみたいで、「やっぱり清水先生すごい」と感嘆した。既に若杉の中で私が恋愛経験豊富な大人びている女性と認識されているからそうなったのだろう。他の気色悪いおじさんとか、恋愛経験のない人々に私と同じ台詞を言わせても、なにも心に響かなかったに違いなかった。


「あと、これは恋愛相談とは少し関係ないことだけど」


 私はそう付け足す。


「人に相談するのもいいけど、自分で解決する方法教えてあげる。これは私も使っていることよ」


「え、なんですか?」


 若杉が興味津々そうに目を輝かせる。


「友達から同じ内容の相談されたら、自分がどう答えるのか想像するのよ」


「え? どういうことですか?」


 訝しそうにしながら、若杉が首を傾げる。


「例えば、さっきの恋愛相談ならこう考えてみるの。若杉の場合松本ね。もし松本がある男子を好きにって、そのことで若杉に相談してきたらどうする?」


 若杉が「うーん」と腕を組みながら、その状況を思い浮かべているようだ。そして答えが出たようで、腕を組むのをやめた。


「その男子と喋ったことがないなら、喋りかけてみれば? って言いますかね。仲良しなら、告白したらいいじゃんって言うと思います」


「そうでしょ? 他人からの相談の自分の答えは自分にも案外当てはまってるものよ。人間は無意識に相手の性格を見る時に自分と似たところを見るから、自分にも適応できるの。つまり、今言った若杉さんの告白したらいいじゃんっていうのは自分が今すべきことなのよ。分かった?」


 調子に乗って持論まで語ってしまったが、若杉さんは感極まっているようで、満足気になっている。相談を受ける前は不安だったが、上手くいったようだ。


 これでもし若杉が桐山に振られたら、どうしようかなと考えている内に若杉が「ありがとうございます。その言葉肝に銘じておきます」そして最後に、こう言葉を残し教室を後にした。


「これ、まだ七瀬にも言ってないんです。なので絶対秘密にしていてくださいね」









 翌日、終礼が済むと桐山と桐山の友人である栗松が、雑談しながら教室を後にしようとする姿があった。


「純、帰ろうぜ」


「うん」


 栗松は桐山より背が低い。身長160cmくらいだ。それに苗字に含まれている栗のような輪郭である。しかし、引っ張っているのは栗松の方だ。今も自分より背が高い桐山の肩に手を回している。こういう男子は、私が高校生時代からもモテなかった。


 対して桐山は冷静で、栗色の髪色のせいもあって華やかさが伝わってくる。改めて、桐山がモテるのも納得出来た。


 桐山と栗松が教卓前を横切る際に、二人の後ろに佇む若杉がいた。そして、目が合う。目が合うと、若杉はそのままブンブンと顔を左右に振った。やはり、告白は無理だと伝えているようだ。


 私は大きく鼻から息を吐くと、扉付近から「清水先生さようなら!」と小学生並の元気な挨拶が聞こえてきた。見ると栗松だった。次は隣の桐山が小さく頭を下げて「さようなら」といった。


「さようなら」と私も返す。すると間髪入れずに、今度は「なっちゃん!」と横で呼ばれた。先生である私をあだ名で呼ぶのは、あの子しかいなかった。


「松本、どうしたの?」


 短髪が良く似合う、わんぱく少女。やや焼けた肌は、まさにスポーツ系女子だった。現にソフトボールの主将を務めていたはずだ。


「ちょっと悩み聞いて欲しくって」


 お願いポーズを決め、おまけにウインクもする。やはり、若杉とは全然違う性質を持っている。正反対だからこそ、二人は仲良くなったのだろう。


 そんなことを思っていると同時に、また悩み相談か、と心の中で呟いた。松本の後ろにいる若杉も知らなかったようで首を傾げていた。そんな背後にいる若杉の様子を察したのか、松本は振り返って言った。


「ごめん! 今日はうちがちょっと先生に用事あるから先帰っといて!」


「え、あ、うん。わかった。また明日ね」


「うん! また明日!」


 半ば腑に落ちないといった表情で、私の顔を一瞥いちべつすると「清水先生さようなら」と教室を後にした。


「それで悩みって?」


 教室は、若杉が出て行くと私と松本だけとなった。昨日と同じ状況だ。それに連鎖していくように、嫌な予感もしてきた。


 恋愛相談じゃないわよね?


「高校生が悩むことといったらあれしかないじゃん」


 松本が妙に楽しげに振る舞う。本当に悩んでいるのかと疑わしくなるくらいだ。


 高校生が悩むことといったらあれしかないと言われても、私の中にはいくつもあった。進路、友達関係、勉強のこと、スポーツのこと、昨日は恋愛だった。


「いっぱいあるわよ」


 私が呆れるようにいうと、松本が「チッチッチッ」と人差し指を左右に振った。


「恋しかないじゃん」


 思わず溜息が零れてしまった。嫌な予感が的中してしまった。昨日に続けて恋愛相談、しかも若杉の親友からにもされるなんて、最近は恋愛ブームのようだ。


「なんで溜息がでるの!?」


「あ、いやきの……」


 昨日は若杉から恋愛相談を受けた、と口から出そうだったが、秘密だということをギリギリのタイミングで思い出し、滑りかけた口にストップ標識を置くことが出来た。


「なっちゃんどうしたの?」


「いや、なんでもないわ。それで松本は誰を好きになったの?」


 昨日の若杉と比べて、松本は即答した。しかし、やはり若杉とは反対だなと感じる隙を私に与えなかった。なぜなら、松本から出た男の名前に意表を突かれてしまったからだ。


「桐山くんでーす」


 私はなんと返せばいいのか、非常に戸惑ってしまった。頭の中で様々な文脈が交差しあったが、とりあえず私は「そう」とだけ口にしておいた。


「ちょっと待って、なっちゃん反応薄くない?」


 私の心中が分かるはずもなく、松本が目尻を下げて笑う。


「そんなことないわ。ただ桐山モテるから意外でもなかっただけよ」


「あーやっぱり桐山くんモテるもんね〜。璃音もかっこいいって言ってたし、何人かにも告白されてるっぽいのね〜。全部振ってるみたいなんだけどさ」


 若杉が桐山のことが好きだということをまだ松本に伝えていないのは知っているが、逆も然りだと思った。もし松本がそれを若杉に伝えていたなら、昨日の時点で若杉がそれを私に教えるはずだからだ。


 二人が互いにその事情を知っていたなら、既に関係が穏やかでは無くなっていたのかもしれない。私が過去に見てきたことだが、いくら親友同士といっても、同じ男を好きになればさっきみたいに接することはできない。二人は紙一重で避けているのだ。


 親友同士なのにそれを告げないのは、やはり気恥しさからだろうか。しかし、若杉ならまだしも松本がそれを気にするとも思えない。もしかすると、松本の方は薄々と若杉の気持ちに気づいているのではないか。確証がないから若杉に告げないのであり、今の関係を維持しようとしている。だとしたら案外器用な女の子かもしれない。


「松本は告白しないの?」


「告白したいのは山々なんだけどね? 一つ気がかりなことがあるのよね〜」


 松本は視線を斜め上にしながら、指で髪をくるくる巻いていた。


 私はその仕草を眺めながら、もしや、と思った。


「気がかりって?」


「まだ分かんないんだけど、多分璃音も桐山くんのことが好きっぽいのよね」


 またもや予想的中だ。やはり松本は気づいていたのだ。


「それきいてみたの? 若杉が桐山のことが好きかどうか」


「聞いたんだけど、好きじゃないって。でも、その反応といつもの桐山くんへの接し方見てると、どうも腑に落ちなくてさー。好きじゃないって確証を持てたら桐山くんにアタックするんだけどな」


 今度は片手で頭を抑え、悩ませている。若杉の性格なら、素直に好きと告げなくても納得出来る。


 そして不幸にも、松本の気がかりは的中している。しかし不幸中の幸いと言うべきか、松本はそれに薄々気づいていて、若杉に告げていないことだ。もしそうしていれば、昨日の恋愛相談はもっと複雑になっていたに違いない。


「じゃあもし、若杉が桐山のことが好きって分かったら、松本はどうするつもり?」


「うちは正々堂々戦うつもりだよ。っでどう? 先生的に璃音、桐山くんのこと好きだと思う?」


「うーん……」


 無論、若杉が桐山のことが好きかどうかを考えているのではない。どう答えようかと思考を巡らせているといるのだ。


 昨日の相談のことを言ってしまおうか。言ってしまえば、松本は本当に正々堂々と戦うのだろうか。さっきはお互いの事情を知れば、関係は崩れると思ったが、今は松本だけで、それも確証はまだない。


 そもそもこんな相談をするくらいなので、松本は若杉に嫌悪感を覚えることはないのかもしれないという考えも私の中で出てきた。松本は常におちゃらけているが、中身は器用で親友を傷つけないことを優先に考える優しい女の子なのだ。


「どう思う?」


 松本が答えを促してくる。迷った挙句、私はこう答えた。


「私には分からないわ。ごめんなさいね」


 言ってしまってもいいだろうと一瞬は思ったが、やはり若杉に秘密にしておいてくれと言われた以上、暴露出来なかった。かと言って、好きじゃないと思うと私が答えても、松本がそれを鵜呑うのみにして桐山に告白するのも避けたい事態だった。それこそ二人の関係が崩れてしまうと思ったからだ。


 結果、わからないと言うしかなかった。


「なっちゃんでもわからないか〜!」


 松本が両手で頭を抱え込み、そのまま髪をくしゃくしゃに掻いていた。


「えーじゃあ、璃音にうちが桐山くんのことが好きってこと伝えた方がいいと思う?」


「うーん……それは危険かもしれないわね」


 例えそうして、松本が真実を知ったとしても問題は少ないだろう。しかし、若杉はそうはいかないかもしれない。いや、大抵の方がそうだ。少なからずの嫉妬心、惨めさなどが芽生える。特に若杉の場合、ネガティブ思考で自分に自信を持っていないようなので、絶対に心に問題を抱えてしまう。そこから仲違いになる話も少なくない。


「やっぱりそうだよね。さっきも言った通りうちは正々堂々勝負したいんだけど、璃音は多分そうならないからな〜。うーん……どうしたらいいのかな」


 私的に思う一番の解決は、若杉にも自信を持ってもらい二人で正々堂々闘った結果、二人とも振られることだ。これなら、後々関係が悪化することもない。


 次にいい解決は、片方が振られ、片方が付き合うことになって、振られる側が松本だった場合だ。松本ならメンタルも強いので立ち直りもはやいし、若杉を恨むことはないだろう。最悪なのはその逆で、若杉が嫉妬心から松本を恨むことだ。私の経験上、若杉といった人間のタイプは鬱になりやすかったり、怨恨を抱えたり、最悪なのは自殺のケースだ。自殺が原因で、松本が病むことになったらさらに悪くなる。


「松本はちなみに、若杉との関係か桐山、どっちが大事?」


「それは今は璃音だけど」


 ならもうこうするしかない。松本より先に若杉が桐山に告白してOKを貰う。若杉が振られた場合はまたその時考えよう。


 ベストなのは二人とも振られることなのだが、桐山が松本と付き合うことになる可能性があるのでリスクが高い。なので松本には悪いが、二人の関係を維持したいのなら松本の恋は叶えられないということになる。


「まあ、とりあえず様子を見ましょう。またなんかあったら私に言って」


「はーい。なっちゃんサンキュー! やっぱ頼りになりますわ」


 満面な笑顔の松本をみて、私は本当にそれでいいのかと思い始めた。







 翌日、終礼が済み今日は若杉も松本の用はないようで、仲良く会話しながら教室を出て行った。あの感じたと、多分若杉はまだ桐山に想いを伝えていない。明日あたり、若杉の背中を押してみようかどうかを考えていると、視界にノートが現れた。


「清水先生、昨日提出し忘れた英語のノートです」


 栗松がノートを掲げている。私はそれを受け取った。


「清水先生、明日返してくださいね」


 ノート提出の際に、明日返してくれなんて今まで言われたことがなかったので、訝しかなった。しかし、すぐに勉強するためだと腑に落ちた。テストは近くないが、前回栗松は英語の点数が欠点だったので、今からでも勉強をして挽回しなければと自覚しているのだなと、私は解釈した。


「わかったわ。明日返す」


「ありがとうございます! じゃあ清水先生! さようなら!」


 相変わらず元気な挨拶で、走って教室を後にした。栗松が見えなくなったところで、私はあれ? となった。


 今日は桐山と帰らないのか。


 そう思った束の間「先生」と横から呼ばれた。桐山だ。いつの間にか教室は桐山と私二人だけになっている。


 2日連続あんなことがあれば、当然私は嫌な予感を拭えない。しかも2人だけのシチュエーションだ。絶対あれだと確信した。


 そして、若杉、松本どっちが好きなんだ? もしくは別の女子か? と勝手に考えを巡らせていた。


「どうしたの?」


 一応きく。


「先生に……相談があるんです。こんなこと友達に言ったら馬鹿にされそうなので」


 やはり恋愛沙汰のようだ。確かに栗松なんかに恋愛相談をすれば、茶化されそうだ。


「それで、どういう相談?」


「恋愛なんですが」


 案の定、恋愛相談だった。三日連続だ。生徒がこんなふうに立て続けに恋愛相談なんかしてくるのは初めてだった。そんなに私は恋愛経験豊富だと勘違いされているのか。


「っでどっちが好きなの?」


「え、どっち?」


「間違えたわ。なんでもない」


 いけないいけない。いきなり踏み込みすぎてしまった。私は深呼吸をする。私自身、緊張していることに少し驚いた。


「それで誰が好きなの?」


 私は促すが、なかなか口を割らない。若杉の時と同じだ。若杉と比べて自分に自信を持っていないというわけでもなさそうなのに、私は少し疑問に感じた。


「絶対に笑わないでくださいね?」


「勿論よ」


 おかしな言い回しをするなーと私は思った。


「ぼ、僕は……」


 私は息を飲み込む。



「僕は、栗松のことが好きなんです」



 どれくらい意識が飛んでいただろうか。いや、多分10秒も経っていない。それなのに、何十年もの間、脳が死んでいた感覚に陥っていた。その原因は、桐山からでた好きな人の名前だ。


 な、なんていった?


 何十年前の昔の出来事を思い出すように、記憶を辿る。栗松、確か栗松といった。栗松が好きだと桐山はカミングアウトした。そんな馬鹿な。今私は、世界の誰よりも愕然としていると言いきれる。それほど衝撃的なことなのだ。


 あのイケメンハーフで女子にモテモテの桐山が、栗松のことをそんな目で見ていたなんて誰が信じるだろか。信じたくない。桐山がホモだなんて信じたくない。一番それを信じたくないのは若杉と松本のはずだ。もし二人がこの事実を知るとどんな反応をするだろうか。若杉の場合、ショック死なんてのも考えられそうだ。松本の場合は、驚愕してから爆笑するかもしれない。


 いや、でも待って。


 一瞬最悪だと感じたが、もしかしたら最高かもしれない。一番の解決は若杉と松本が共に振られることだった。今それが実現に近づいているのだ。二人は恋は叶えられないものの、関係は維持される。まさに瓢箪ひょうたんから駒が出てしまった。


「あ、あの先生」


「あ、ごめんなさい。少し驚いちゃって」


「そうですよね。僕が同性愛者なんてさすがに吃驚びっくりですよね」


 桐山がぎこちない笑み浮かべる。


「そ、それで告白しようか迷ってるの?」


 すると、桐山はかぶりを振った。


「違います。想いはまだ心に潜めるつもりです。ただ最近、栗松の様子がおかしいんです」


「様子がおかしい?」


 桐山は首を縦に振る。


「具体的にどんな感じで?」


「そうですね、例えば時々上の空だったり、カップルを見ていいな、なんて言ったり、だからもしかしたら栗松に好きな女子が出来たんじゃないかって」


 桐山はこれまでもかと言うくらいに真剣な眼差しを向けてくる。本当に栗松がそのようなことをしていたなら、それは十中八九恋だろう。私はそのことをいった。


「やっぱりそうですよね……この日を恐れていました。栗松が女子のことを好きになることを」


 また新たな面倒が出てきたものだと、心の中でため息をつく。桐山が同性愛者だという驚きは既に消え、今はただ億劫だった。若杉と松本の問題が解決しそうだと言う二の次にこれだ。勘弁して欲しい。


 みんなして恋愛を楽しんでいる。私はそれが羨ましくもなってきた。


 もう8年くらい恋愛なんかしていない。私が男を好きにならないのは、冷めているのではなく、刺激が足りないからではないだろうかと、昨日ふとお風呂でそんな可能性が生まれた。合コンなんてのは、誰かいい人がいないか探すためを前提にしているので刺激なんて皆無だ。



 誰か刺激をください。



 私は桐山の相談には、栗松も男子だから女子を好きになるのは当然だし、付き合うのも普通。それが嫌なら栗松に好きだと伝えるべき。もし振られた契機で関係がこじれると思ってそれが嫌なら諦めなさい。とそれだけ桐山にいって、帰した。


 はぁぁぁぁぁ、と私はこれ以上にない溜息をついた。


 私は教卓の上の判子を手に取り、栗松から受け取ったノートを点検しようと広げた。


 そこには、こう綴られていた。





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5 池田蕉陽 @haruya5370

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