みんな、だいたいで生きている
Karappo
第1話 普通ってなんだろう
著者:何の変哲も無い創始者
たぶん、私は普通の人だ。
けれど普通とは、どういう定義でもって説明したらいいだろう。結構答えにくい問いだと思う。
しかし私なりの答えの記念すべき一つ目が、今日の日に起こった驚くべき出会いによって生まれた。
そう、普通というのは、出会い頭に人に頭突きを繰り出さないということだ。
それだけじゃない。きっとまだ沢山ある。誰か、誰でもいい。じっくりゆっくり見つめてみれば、思っている以上に多くの発見があるに違いない。いつもは隠れて見えない部分に潜む、想像もつかないような何かが。
そうした「普通じゃないこと」の観測を積み重ねることによって、普通とは何かという問いに答えを出したい。そして私が普通の側とそうでない側の、どちらに属する人間かを見極めてみたい。
……そんなことに意味も意図もないんだけど、仮説を立ててあれこれ考えるのが私の趣味なのだ。
事の発端は今から遡ること六時間前の、まだ明るく騒がしい街中にあった。
「あの、どうしてですか……」
私は相手の顔を見れずにそう言った。
目を合わせられない理由の一つには、今しがた倒れた人が心配なこともあったが、ただ純粋に私の正面に立つ人物と、極力関わり合いになりたくないと思っていたからだった。
「この人、あなたにしつこく付きまとってました。だから倒しました」
頭突きで。普通の人間なら、話も聞かず真っ先に起こす行動ではない。
会心の一撃を食らった男は、何とか自力で立ち上がると、顔に恐怖の一点のみを浮かべてここから走り去ろうとしていた。しかし脳が揺れ足が縺れるのか、三度ほど頭からアスファルトに倒れ込んだ。倒けつ転びつ、それでも必死に逃げる様を見るに、不憫という以外の感想が見当たらなかった。男の姿は次第に群衆に紛れ失せていく。
「おけが、ないですか?」
わたしが呆然としている理由などつゆ知らぬ風情で、その元凶たる相手が私の肩に手を添えてくる。
怪我はない。それどころか、あの男性は私に危害を加えようとはしていなかった。ただ、たまたま通りがかった私に道を聞いてきただけだったのだ。どこどこに行きたいが道がわからない、と。予定の時間が近く焦っていた様子だったが、だからといってストーカーの類に間違うとは……。
しかしその時の私は、白状すると現実逃避しかかっていたので、まるでお姫様にでもなったみたい、などと馬鹿なことを考えてしまった。この長い(*1)人生で、やり方はどうあれ、身を呈して私を守ってくれようとした人なんて初めてだったから。そう、これはきっと乙女の本能なのだ。私は悪くない。
……相手が男の人だったら、確かに恋に落ちていたかもしれない。よくある恋愛ドラマのシーンに共感できる日が来ようとは。普段そういうものに興味の無い私だが、ああ、こういうことだったのか、と納得してしまうほどの力が、このシチュエーションにはあるのだと感じた。
「あの人には道を聞かれただけで、そういうのじゃなかったと思うんですけど……」
とは言え、私にまで暴力を振るってこないという保証があるわけではないので。相手をなるべく刺激しないように、言葉を選び返事をした。
それを言うために勇気を振り絞って、ここではじめてまともに相手の姿を見た。
燃えるような赤髪、そして同じく赤い目。言葉には独特のイントネーションがあったので、それらを総合して考えるに、外国の人で間違いなさそうだ。
「危ないにおいがしたので、これでいいです。わたしの国では日常ちゃはんじ、ですけど」
赤髪の女性はにっこりと笑う。危ないにおい、という言い方が心に引っかかった、のだが。……あれ、なんだかこの人意外といい人そう、という思いがそれを掻き消してしまった。
黙っていると気が強そうで、怒っているようにも見える顔立ちだが、表情次第でここまで印象が変わるとは驚きだった。
少し言葉を交わす間にも、彼女は絶えずスマホをいじっていた。おそらく辞書として使っているようである。
「それはですね、さはんじ、って言うんです」
「おお、そうなのですか。むずかしいですね。そしてさっそく、借りを返してくれました。つまり友達ですね」
「ええ、ちょっとむずかし……え?」
赤髪の女性は、先ほどよりもにっこりと笑った。
その後、何故そうしたのかはよく分からないが、私達は名刺を交換した。
(名刺を持っていたとは驚きだった。失礼かな)
帰宅して真っ先にしたことは、勿論もらった名刺をじっくりと確認することだった。紙面には、おそらくドイツ語だと思うが、彼女の名前らしき文字列が確認できた。しかし読めない。あとでルームメイトに聞いてみようと思う。
どうやら剣術指南を仕事としているようで、得られた住所を調べると確かに道場が開かれている。流派? と言うのかは知らないが、ドイツ流剣術というものをやっているらしい。
「へー、すごいなあ。剣術だって」
近くにあったペンを取った。それを剣に見立てて、騎士になった気分で振り回す。普段はそんな柄ではないけれど、知り合った人が特殊な仕事をしていたら何となくイメージで真似したくなるというのは、決して私だけに見られる傾向ではないだろう。たぶん。
「お姉ちゃん、何やってんの」
「ひっ」
突然声を掛けられたので、変な反応をしてしまった。
作ったような優しさのこもる顔が、扉からこちらを覗いている。ルームメイトの璃子(りこ)だ。手には剥きかけの人参。料理の最中だったらしい。
「お姉ちゃんは身体弱いんだから、あんまり暴れちゃだめだよ。料理はまだかかるから、先にお風呂入ってて」
「わ、わかった。ありがとう璃子」
璃子は、困ったような表情をしながら台所に戻っていった。
恥ずかしいところを見られてしまった。こういう時に優しくされると一層辛いものだけれど、あの子の場合はわざとじゃないと分かってるから、強く言えないんだよなあ。
璃子と私が知り合ったのは、まず親同士が仲良しだったからだ。璃子とはつまり家族ぐるみの付き合いであり、その縁でルームシェア生活までするようになった。
歳は少し(*2)離れているが、私よりしっかりしていると思う。とても世話好きで、その反面甘えんぼうでもあるということも知っている程度には、付き合いは長い(*3)ことが自慢だ。その上どうやら頭もいいらしい。テストの成績を見せてくれないから、本当かは分からないけれど。
私はお風呂の準備をしつつ、つけっぱなしのテレビを何となく眺めていた。
ニュースでは近頃巷を騒がせていた殺人事件の犯人が、ようやく逮捕されたことを報じている。
犯人はどうやら道端で突然倒れて救急車を呼ばれ、病院に搬送されたのちに、医者に殺人犯であると気づかれ通報された、とのことらしい。なんとも忙しい話だ。
キャスターが淡々とした声色で事の顛末を語っている。安っぽい再現CGから現場の映像に切り替わる。おや、その病院と言えばこの近所ではないか。そこは以前友人の付き添いで行ったことがある場所だった。
そして、その犯人の顔写真が画面の大きく映し出された。
「あ……」
これまで呑気に見ていた私の喉から声が漏れる。その犯人の写真は、昼に道を聞いてきた、あの男に瓜二つ。
……というわけでは全然なかった。
内心、もしや? なんて思っていたけれど、そのような偶然はそうそうあるわけではない。
けれでもなんだか拍子抜けして、ちょっと笑った。
こういうのも人生だ。普通とそうじゃないことがありふれている。
さて、璃子に怒られる前にお風呂に行こう。今日はここでおしまい。
次は誰に書いてもらおうかな。
(*1):言葉の綾であり、そこまで長くはない。
(*2):この場合における「少し」という情報は言葉通りの意味で、それ故とても重要なことである。
(*3):単に親密さの度合いを表しており、「深く濃い」というニュアンスで使用されているだけである。
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