9-2.社長の想い

 言い争いになった翌日、一ノ瀬は社長室で開発環境について問い詰めていた。


「社長、俺たちをあの部屋に閉じ込める理由は何なんですか」


「いやぁ、それが私にも分からなくて」


「分からない? それはいったいどういうことです?」


 山岸社長は唸る。

 山岸が言うには、一ノ瀬と双葉がテクノに臨時で来ている間は、二人を今のような扱いにしてほしいという依頼が来ていたらしい。

 山岸も一企業を取り仕切る立場にいる。これだけの情報ならすぐに「はい分かりました」と聞き入れることはしない。

 だがその依頼の紙には、政府から届いたとされる印のようなものが押されていたらしい。一ノ瀬と双葉がテクノから研究所に異動になるときに、石田首相の捺印があったようなものと似ている。


「紙媒体、というのも引っかかりますね」


 一ノ瀬が武井に協力を依頼したのも、もっと遡れば研究所の公のやり取りもほぼ全てがデータで送られてきた。紙で送られてきたものといえば、今回のワーカロイドオフィスの企画書くらいだろう。


「ワーカロイドの企画書も、データじゃなくて紙で送ってくれっていう指示があったからね。だから君たちには紙で見てもらったんだよ」


 あらゆる情報を電子的なデータとして扱うことが世界中で一般化され、紙自体が淘汰されているこの時代に、紙媒体は扱いや処理が逆に難しくなり、それが最高機密情報だという認識が広がりつつあった。

 つまりテクノ宛ての文書が最高機密であり、しかも一ノ瀬と双葉を標的とした極秘の計画だったのである。


「そんな大事なこと、言っちゃっていいんですか」


 一ノ瀬は山岸の危機管理能力を疑ってしまった。だがその意に反して山岸は、


「君たち二人には世話になったんだから、そんなこと関係ない。会社を代表した感謝だと思ってくれればいい」


 と、心底申し訳なさそうに頭を下げる。


 その行動そのものが決意の表れであり、上から、もとい政府からの処罰を受ける覚悟は出来ているという意思がこもっている。


「本当はもっと早くに打ち明けるつもりだった……。何のきっかけもなしにこちらから言うことに、私自身の覚悟のなさがあったんだよ。でも、二人が言い争いをしていたおかげ、というのが正しい言い方かどうかは分からないが、きっかけにはなったんだよ」


 そして社長は、続けて引き出しから何十枚もの束になった紙を一ノ瀬に手渡した。


「社長……これは……?」


「君たちが探していたものはこれだろう?」


 中をぺらぺらとめくるとそこには、一ノ瀬と双葉が今回テクノにやってきたもう一つの理由、一連の計画の目的がまとめられていた。


「これを、どうして……」


 これらが嘘偽りのない事実であれば喜んで、ありがたくちょうだいする。

 だが先ほどから、山岸社長からの情報開示の量が過ぎている。もしかしたら裏があるのではという微塵の疑いが、まだ一ノ瀬の中には残っていた。


「計画の目的に関する正式なデータは、すべて向こうが持っている。私たちのように提携する企業や団体には、それこそ口頭でしか伝えられていない。だが、実は穴があったんだ」


 山岸はニヤリと口角を上げる。


「たしかに正式なデータはない。しかし、こちらで記録を取ることを禁止されていたわけじゃない。政府とのやり取りを、隠れて別に記録しておくことは容易にできた。それが今渡した紙の束の正体だ」


 山岸は得意げにそう説明すると、一仕事終えたように椅子に座り直してコーヒーを飲み干す。


 なるほど、と、一ノ瀬は一人納得する。


 山岸は政府に従順に、ただ言われた通りの提携を結んだわけではなかった。

 昔からこのテクノで働く社員には親身になって接していた。当然、一ノ瀬と双葉がワーカロイドホームの開発に専念していたときもそうだった。

 そして二人が研究所に異動したあとも、ずっと、二人のことを頭の片隅に置いてくれていたのだ。


 普通なら漏らしてはいけない情報までも教えてくれ、こうまでされては疑いの念を抱く方が失礼というものだろう。


「社長……、ありがとうございます。この恩は必ず返します」


「いやいや、そんなに大したことはしてないさ。むしろこちらからの感謝だとさっきから言っているだろうに」


 一ノ瀬は深々と頭を下げ、床を見つめる。山岸の表情は見えないが、声からは、少々呆れながらもその中に優しさが見えた。

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