8‐5.小さな承認欲求
梨乃の妹の性格が優しくおとなしい子と決まった。そこからの開発スピードは速かった。
藤原、生田、小松の三人は監視室と開発室を行ったり来たりして半引きこもりのようになり、臨時でやってきたセキュリティエンジニアの滝沢も作業部屋から一切出てこなくなった。
その間、梨乃は研究所全体の掃除を覚え、その手捌きもワーカロイドたちに勝るとも劣らないまでに上達していた。
他には開発中の三人と、不本意だが滝沢に飲み物や食べ物を運ぶというサポートをしている。
しかしそれだけだとやっぱり暇にはなる。梨乃はついに食堂の厨房でワーカロイドたちの仕事を観察し始めた。
「あ、今日の献立はカレーだ」
カレーは一ノ瀬と双葉が作ってくれて食べたことはあっても、自分で作ったことはない。インストールしたワーカロイドのテストデータは掃除だけだし、そもそも料理自体したことがないのだ。
「作れるようになってたら驚くかな」
作ってみたいという好奇心と、喜んでもらいたいという承認欲求が、梨乃を急かして行動へと駆り立てる。
野菜や肉の切り方、炒め方、煮込み方、ご飯の炊き方など、カレーの全工程を覚えていく。煮込んでいる最中も後片付けをする様子を厨房の外から見て、やり方をその目に焼き付けた。
その日はワーカロイドたちが作ったカレーを持っていくだけで終わり、あとは食堂で一人だけで食べた。
自分の部屋に戻って考える。
「足らないものはタダで発注できるんだっけ。開発室でやるのかな」
料理をしたい欲求が高まり、梨乃はどうしたものかと計画を練った。別に悪さをするわけでもないが、バレたら少し困るし、サプライズにならない。
「明日の朝は普通に朝ごはんを届けて、そのときにこっそり発注する? 一ノ瀬さんと双葉さんはどうやって材料を頼んでるんだろ」
かなり長くこの研究所にいるが、まだ分からないことばかりだ。
夜が更けて日付が変わったころ、梨乃はいつかのあの日のように研究所を徘徊した。しかし今回はちゃんとした意識と理由があっての徘徊だ。
滝沢の作業部屋と開発室はまだ明かりが付き、夜通しで作業をしていた。
「大変だなぁ……。私はまだ食べ物を届けることくらいしかできないし」
手伝えないのは当然と分かっていても、やっぱり手伝えないことへの悔しさがOSやメモリの中に渦巻く。
それを堪えてまで、今は料理を覚えたかった。
監視室にたどり着き扉を開くと、暗闇の中でモニタだけが眩しく光っていた。ほんの数分前まで、誰かがここに来ていたのだろう。
「画面のロックもされてない。すごい忙しいんだろうな……」
なんとも不用心だ。だが梨乃にとってこれはむしろ好都合である。
もしかしたらこの中に発注書か何かのデータが入っているかもしれない。ロックされていたらパスワードが分からずに開けることもできなかった。
「あ、あった」
探す手間もかからずにすぐに目当てのものは見つかった。というより、さっきまで来ていた誰かは発注が目的だったらしい。ちょうどそのデータが開きっぱなしで、数か月前さかのぼって何を頼んだのかが見ることができた。
梨乃が見てもいいのか分からないような、本当に開発目的で発注されているものもあれば、梨乃のために買ったパソコンや携帯端末、中にはまったく関係のないものまで発注されている。
何百という注文項目の中に、ときどき食材の名前が目に留まる。一ノ瀬と双葉はわざわざ頼んで料理をしていたのだ。
頼んでいるスパンは約一ヶ月。費用は研究所が負担しないとあって、一月ごとにまとめて大量に注文している。
「大丈夫なんだ。じゃあ……」
普段からパソコンを使っている梨乃にとって、お手本があるデータ入力などおちゃのこさいさい。誰か来ても面倒なので、あまり時間をかけずに入力していく。
作ろうと考えているのはもちろんカレーで、材料もちゃんと記憶している。ジャガイモやニンジン、玉ねぎや鶏肉に、大切なカレーのルー。他にも調べて必要そうなものを少し多めに発注しておく。
「これでよし、と。いつ届くんだろう……」
同じデータの中には発注した日付とそれが届いた日付も書かれていて、どれも次の日の即日配達されていた。
ただ、どうやってそれを受け取るかが問題だった。
「明日また考えよう」
時間を取らないためにも、今はいったん保留にした。
バレないためには来たときの状態に戻すのが基本だが、つけっぱなしはさすがに危険すぎたため、念のためウィンドウを全て閉じて電源も落とす。
注文履歴から見えた研究所の日常は、今はまだデータにはあまり反映されていないが、少しずつ変わり始めている。
一ノ瀬と双葉が欲しいと思ったものがなくなり、滝沢が欲しいと思ったものが加わって、今後はさらに妹の欲しいものが追加される。
監視室をあとにして部屋に戻った梨乃は、複雑な心境の中眠りについた。
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