8‐3.アンチエンジニア
「はじめまして。本日よりこの研究所に配属されました、セキュリティエンジニアの滝沢と申します」
眼鏡をかけ、黒いスーツにはしわ一つ残さず、いかにもお堅そうな男性は、滝沢と名乗って頭を下げた。手には銀のアタッシュケースを持っている。
藤原と生田も倣って名乗り出る。
「俺はここの所長の——」
「所長の藤原さんと副所長の生田さん、それとここにはいらっしゃらないようですが研究員の小松さん。他二人の一ノ瀬さんと双葉さんは現在依頼のため外出中。把握済みです」
藤原の言葉は遮られ、それを覆い隠すようにして滝沢は言葉をぶつけ返す。
政府からの直々の援助であれば、研究所の基本的な情報や現状を知っていてもおかしくはない。
滝沢はケースを持っていない方の人差し指を立てて、ああ、それと、とすました顔で続けた。
「忘れていました。初号機もありましたね」
その言い方は、三人の癪に触るようなものだった。しかし、ここで言い返したところで無駄な時間になることは、藤原も生田も理解できている。
藤原は怒りを隠しながら、
「よろしくお願いします。では、こちらにどうぞ」
と、滝沢を案内するのだった。
* * *
この研究所は無駄に広く設計されている。五人が寝るのに使っている私室以外にも空き部屋がいくつかあり、その一つにこれから滝沢が住むことになる。部屋を行き来するための社員証も新しく用意され、完全に研究所のメンバーとしてともに生活していくことになった。
とはいえ、第一印象が「お堅いエンジニア」で、しかも「癪に障る物言い」だったせいか、いきなり親しく接するのにも無理があった。特に梨乃は、一向に警戒を解こうとはしない。
「はじめまして、二号機。私は滝沢と申します。よろしくお願いします」
「はじめまして、り、の、です」
初めて顔を合わせるときも、滝沢がお辞儀をして手を差し伸べると、梨乃は露骨に嫌な顔をして手だけは出そうとしなかった。
藤原と滝沢は作業のため、その後監視室にこもり始めた一方で、作業にかかわることのない生田と小松、梨乃の三人は、梨乃の家で昼ごはんを作って食べていた。
「あの人ヤダ」
「何だ、藪から棒に」
食後のティータイムで、三人が静かに紅茶を啜る音だけが聞こえる中、梨乃が突然口を開く。
「だって、私のこと二号機って呼ぶから。なんか、ヤダな」
「梨乃は機械であって機械じゃないから、正直なところ、外部の人にとっては難しい問題なのかもしれない」
「小松さんはあの人のことどう思う?」
「俺もあんまり好きじゃないかな。いけ好かないやつって感じだ」
小松と梨乃の会話は、アンチ滝沢そのものだ。そこにフォローを入れるように、生田は小さく息を吐いた。
「ま、無理に親しくなろうなんて思わなくていいんじゃないか。あいつと私たちではしてる仕事内容が違うんだし、お前たちは今まで通りでいいんだよ」
それでひとまずは納得したのか長めの返事をした二人は、コップに残っていた紅茶に意識を向けた。
* * *
昼も食べずにひたすら作業をしていた藤原と滝沢は、さすがに腹の虫が鳴き出し始めて耐えきれず、食堂へと足を運んだ。
時間も微妙なせいでまだせっせと下準備をしているワーカロイドたちを見ながら、夕飯が完成するのを待ち続ける。
「一ノ瀬と双葉のことは、どのくらい知ってるんだ」
「そうですね。あそこで動いているロボットを開発したメンバーであること、現在受けている依頼はその後継機を開発すること、くらいですか」
現状だけを説明するなら十分すぎる解答だ。聞いた藤原自身も呆れる。
「くらい、か。もうそれで全部なんだけどな……」
「ですがお二人の素性や性格は存じ上げません。顔は写真ですら拝見したことがありませんので」
藤原はその極端な低姿勢に唖然とした。さっきは梨乃のことを初号機などと物呼ばわりしていたが、食堂に来てからは文字通り肩身を狭くしてじっとしている。
この国の首相である石田が何を考えて滝沢を送ってきたのか、藤原は今日もずっと考えているが、それらしい答えはまだ出せていない。
送られてきた滝沢本人も最初は高圧的で、政府はこの研究所を内側から牛耳っていくつもりではと思いもしたが、さっき監視室で色々と説明をしてもただ素直に聞き続けていただけで、中身を作り変えて支配しようという意思は感じられなかった。
だからこそ、藤原はストレートに、遠回りせずに聞いた。
「なぁ滝沢。お前がここに来た本当の目的は何だ。政府は、石田さんは、いったい何が目的だ」
滝沢は質問に動揺することなく、むしろ何を聞いているのかと不思議そうに答えた。
「石田さんも仰っていたでしょう。国民の精神データの増加に伴うデータベースの増築とそのセキュリティ管理ですよ。それ以上でも、それ以下でもない。私はそれ以外の任務は仰せつかっていません」
滝沢は表面だけを頑丈に塗り固め、内側は一切明かさない。藤原へ対する答えにはそんな威圧さえ感じた。
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