第6章 外の世界という現実
6‐1.それも現実も、いつもよりは甘くなく
そのあと電車に揺られること一時間。幸いにも何事もなく、都心にある今日の目的地、その最寄り駅に無事に到着した。
昼前のホームには人が溢れ、これから何を食べようか、食べたらどこに行こうか、そんな会話が周りから聞こえてきて、駅は心地の良い騒がしさに包まれていた。
改札を抜け、地下の連絡通路を人の流れに沿ってしばらく進むと、小さい飲食店街が現れた。
「ちょうどいい。どこか寄って昼飯にするか。梨乃は何が食べたい?」
「フレンチトースト!」
「フレンチトースト専門店は、さすがにないかな……」
即答した梨乃の口を尖らせつつも、一ノ瀬はなんだかんだでメニューにフレンチトーストがありそうな店を探した。
飲食店街を端から端まで横断した結果フレンチトースト専門店なんていう洒落た店はなかったが、ファミレスにならありそうだということで、数分列に並んでから奥の家族席に陣取った。
ソファに腰をつける前に梨乃の手はメニューの端末を拾い上げ、研究所で使っている端末と同じ要領でページを見ていく。
「見つけました、フレンチトーストです」
もしフレンチトーストがなかったらなんて心配もしたが、真っ先に見つけて見せてくる梨乃の顔を見れば、安堵のため息すら引っ込んだ。
一ノ瀬たち三人も各々食べたいものを選び、注文し、待つ。
「食べ終わったらどこに行くんですか。あ、もしかしてまた秘密ですか」
「そうだな、秘密だ」
頬を膨らませて怒りを露にする梨乃もまた可愛らしいと思ってしまうのも、実は自分が親バカなんじゃないかと感じる瞬間だ。
そんな娘同然の少女の機嫌を直そうと頭を撫でていると、店員が料理を運んでやってきた。それもロボットではなく人間。彼女は柔らかい表情でテーブルに皿を置いていく。
梨乃を双葉に任せ、一ノ瀬は純粋な好奇心でその店員に尋ねた。
「ここではワーカロイドは使っていないんですか」
「はい、使用しておりません。当店では、お客様へ温かいサービスが売りですので。
機械には温かみがないと私は思います」
店員は悪びれる様子もなく、お辞儀をして厨房の方へと戻っていった。
当然の反応だ。言い方は悪いが、彼女はただのファミレス店員でしかなく、今の人工知能がどうなっているかなんて、事細かに知っているわけがない。ましてや、料理を運んだ席に機械が座っていたなど、思ってもみないだろう。
「機械には温かみがない、か……」
そうつぶやく一ノ瀬の顔が歪んだのを、双葉は見逃してはいなかった。
* * *
水を零す、皿を割るといった定番の問題は起きることなく、一行はファミレスをあとにする。梨乃はご満悦、とは少しずれた真剣な顔で何か考えていた。
「どうした、梨乃」
「さっきのフレンチトースト、何か味が足らなかった。甘さが弱かった?」
どうも、いつも食べている双葉のフレンチトーストと、味が違っていたようだ。特別舌が肥えているようには作っていないが、双葉の料理がいい刺激になったらしい。
「帰ったら双葉に教えてもらえ」
「分かった。お願いします、先生」
「OK、任せといて!」
ここに、双葉料理教室の師弟関係が成立した。
元来た道とは別の方向に地下通路を進んでいく。飲食店街を抜けるとそこから先がメインの商業施設のエリアで、多くのテナントや映画館などが並ぶ、いわゆるショッピングモールだ。
一ノ瀬たちの今日の目的地は、このショッピングモールの最上階にあった。
「ここって……もしかして、水族館?」
「正解。水族館だ」
「——っ!」
梨乃は途端に顔をパッと輝かせ、一人で入口へと駆けていってしまった。
「おいっ、待て、梨乃!」
一ノ瀬たちの心臓はその鳴りを速め、額や背中にはじっとりと汗が噴き出した。一ノ瀬と双葉は梨乃のあとを追い、小松は全員分のチケットを買いに走り出す。
水族館のスタッフに止められた梨乃は頭を下げて謝りながら、目線は一ノ瀬たちが来るのを今か今かと待っていた。
「一人で……、勝手に、行くなって……」
一ノ瀬と双葉も昔に比べれば体力は落ちている。膝に手をつき、肩を上下させながら梨乃を囲った。
切羽詰まった二人を見て自分の失態に気づいたのか、梨乃は一瞬目を見開いてから、ワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。そして小さく、ごめんなさい、とつぶやいた。
小松がチケットを持ってくるのを待ってから、一ノ瀬たちは水族館の中へと足を踏み入れる。
梨乃のことはそこまできつく叱ってはいないが、状況が状況なだけに揃いも揃って沈んだ空気で入館することになったのは、言うまでもない。
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