1‐3.いちゃつく二人に鉄槌を

 水色の検査着に着替えた梨乃を歯医者にあるような椅子に座らせ、頭にヘルメットのようなものを被せる。

 ワイヤレスで軽量、装着していて疲労感がないのこの器具は、研究所が実験のために既存のHMDヘッドマウントディスプレイを改造した独自のもの。ヘッドマウントディスプレイならぬヘッドマウントデバイスで、特許も取得済みだ。


 それから錠剤を一粒飲ませると、梨乃は動きを止めた。

 この錠剤は検査用の睡眠薬で、これも同じく研究所が開発した、梨乃の体に負担がかからないようにするための梨乃専用のものだ。


『準備できたかー』


 実験室には隅にそれぞれ一つずつの四つのカメラが設置され、さっきの部屋からこの実験室の様子を見ることができる。


 向こうとのやり取りはインカムで行う。

 他に聞こえてはいけないというわけではなく、むしろ外部に漏れないような管理はしているが、耳元でダイレクトにやり取りできた方が効率は良い。


「はい、大丈夫です。お願いします」


『おし、じゃあ始めるぞー』


 ポンッというタッチパネルの音が耳元で聞こえると、現場は急に騒がしくなる。進捗のチェックはもちろん、梨乃の体調管理も徹底しているのだ。


『更新ニ〇パーセントっす』


「梨乃の呼吸、脈拍、ともに正常。問題なし」


「体にも異常なーし。続行でーす」


 この定期更新は今回ですでに十回目。週一回のペースで行われ、研究員たちもようやく緊張がほぐれ勝手が分かるようになってきた。


『更新五〇パーセント。問題なし』


「順調だな」


「梨乃ちゃん、やっぱり可愛いですよねー」


 頭をHMDで隠し、体は検査着に包まれている。その梨乃を見て双葉はまた体をくねらせる。


「気を抜きすぎだ。少しくらい緊張しろ」


「あー、そうですよね」


 明日は雪でも降るのでは、と考えるほど、双葉が珍しく素直だ。


「だって愛しの娘ですもんね。そりゃ大切ですよね、パパ」


 と思いきや、一ノ瀬の腕を指で突っついてからかい始めた。


「だから、からかうなって……」


 昔から双葉に好かれているのは一ノ瀬も気づいている。つまるところ、好きな人にいじわるしたくなる、的なあれなんだろう。


『更新中でも仲がいいなぁ?』


 笑顔のようでありながら普段よりも低い生田の声が、耳音で重く響いた。

 彼女がこの声をしたら、ここからの展開はワンパターンしかない。その前に断っておくのが得策だ。


「いえ、滅相もございません!」


『本当かぁ? トイレ掃除でもしてもらおうと思ったんだがなー』


 我が研究所の罰ゲームは決まってトイレ掃除だ。数が多いだとか、ましてや見るに堪えない汚れ具合だとか、そういう理由で罰ゲームになっているのではない。



 技術が進歩した今、各家庭では掃除を含めワーカロイドがほとんどやってくれる。

 それはこの研究室も例外ではなく、朝昼晩の三食の提供を始め、精密機械がある部屋以外はロボットが掃除をするなど、人件費はかなり削減されていた。

 中でもトイレは、二体で一日二回の掃除をしていて、それを代わりにやるとなれば骨が折れる作業だ。


「先輩のせいですよ」


「いや、俺に非はないだろ。いつ俺から吹っ掛けたよ」


「その言い方、まるで私からちょっかい出してるみたいじゃないですか!」


「実際そうだよ。いつもお前からだろうが」


「そんっ——」


『更新七〇パーセントー。梨乃のバイタル問題なしです』


 二人の口喧嘩、と呼ぶには原因が下らない言い合いを遮るように、小松の進捗報告が耳に刺さる。


『お二人さん、痴話喧嘩するのはいいですけど、せめて更新中は控えてほしいですね』


 小松は滅多に怒らないが、その分逆鱗に触れると厄介だ。藤原や生田のように態度や表情に出てしまうのではなく、静かに淡々とその怒りを吐き出していく。

 普段からクールな性格のせいか、堪忍袋の袋の緒が切れたところで何を考えているか分からない。

 堪忍袋の中にもう一つ袋があって、それを開けないことには、小松の胸の内は聞けないのだ。


 研究所最年少に諭されて、実験室の二人は黙り込んでしまった。

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