第9話

鏡ならばたぶんすぐに見つかるだろう。車を探せばいいからだ。あるいはカーブミラーなど考えればいくらでも思いつく。しかしそれを探し出す前に、あたいは肉屋さんの肉が陳列しているガラスケースを発見し、あたいはそのケースを覗き込むことにした。「あ、あたい。綺麗……」自分のあまりの美しさにしばし息をするのを忘れてあたいはその場で中腰のまま立ち止まった。「どうしたんだい?そんなに、このお肉が気になるかい?」声を掛けて来たのは、肉屋の店主と思われる初老のおじさんだった。肉屋の名前が入った白い帽子と、白いエプロンを着ている。あたいは、自分の顔に見とれていたとは恥ずかしくて言えなかったので、「ええ、そうなの。そのA5ランクのサシがたくさん入った、そのお肉があたいは気に入ったの」とおじさんの話に合わせて言った。あたいだって空気ぐらい読めるのよ。空気を読むって言うのはそれにしても面白い表現よね。まあでもドレスコードと一緒みたいなもんだから、空気を読んで話を合わせるのは人間が生きて行くうえである程度は必須の条件かもしれないわね。常に自分の意見が通る、通せる権限を持っている人もいるけれど、それが正しい方向を向いている場合もあるけど、そうでない場合も多々あるしね。なんて考えていたら、おじさんが「いくら持っているんだい?」と優しい声音で聞いてきて、どうやらあたいはこの少し土汚れているので、どこかしら貧乏な印象を店主に与えたらしく、たぶんあたいの予想だけれど、肉の一欠けらからグラム売りをしてくれるんだろうな、この展開は……と予想した。「ええ、その心配は大丈夫ですわ。おじさん。あたい金は持っているの」あたいの言葉に店主はどこか疑いの目を向けてきたので、あたいは財布を取り出し、中身を見せることにした。

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