第47話別れ


廃工場を襲撃した翌日、私室のベットに寝転がりながらスマートフォンをいじっていた。


つい先程送られてきたメールを読み直す。

何度読み返してもその文字は変わらない。

俺が読み返しているのは文章ではなく、差出人の名前だ。


"夜須英二やすえいじ"


対策課に所属している裏切り者。


消える事のない文字の羅列。

変わる事のない線の軌跡。


「今更何の用だよ」


休日だからグータラしようと思っていたのに、朝から気分が悪い。


「それに、今晩会えないかって書くのなら、場所くらい指定しろよ」


言ってはみたが、夜須は恐らく近所まで来るのだろう。

時間は二十三時丁度。

それ以外には何も記されてはいない。


部屋にある掛け時計の時間は未だに十時を回っていない。

指定の時間まではまだまだ時間の猶予がある。


スマートフォンを閉じようとが、新たなメールが届いた。

俺の知らない宛先だ。

そのメールを開けばまたもや誘いの内容。神無月琴音からの呼び出しだった。こちらが断らない前提で時間と場所の指定がされてある。

場所は高校の教室で、時間は夜須が指定した時間の二時間後。夜須とは長話するつもりはない為、了承の返事を送る。

神無月からの返信は非常に早かった。

たった一言"ありがとう"と。


メールとはいえ、そんな事を素直に言うような女とは思っていなかったから正直意外だ。

それにしても、今更何の用があるのか気にはなるが、今晩になればこの好奇心からくる疑問も解消される。ここは聞くべきではないだろうな。


俺は今度こそスマートフォンを閉じ、ベットの上でまぶたを閉じた。






近所に駐車されてある黒いワンボックスカーの車窓を二度叩いた。

それに対する返事の言葉はない。代わりに扉が開いただけだ。


俺は車に乗り込み、助手席に座る。


「学校に向かってくれ」

「……分かりました」


呆れながら苦笑を浮かべているのは、二十歳を越えたばかりの黒髪の青年。

華奢な体格から伸びた細腕でハンドルを握り、端正とは言い難いが不細工とも言えない至って在り来たりな顔立ちは、異性の心には深く刻み込まれる事は無いだろうと勝手に思い込む。

座っている為、身長は正確には分からないが、俺の記憶が正しければ170後半だったと思う。


「それにしても、今更俺に連絡を寄越すとはどういう了見だ?謝りに来た訳でもないだろ」

「ええ、あの件とは別件ですよ」


車を走り出させながら、夜須は再び口を開いた。


「今回、私がやって来たのは昨晩の件ですよ。例の魔道具レリックの件について、政府上層部から疑問の声が上がりましてね。その最中さなかでの昨晩の襲撃。こちらは四方八方に振り回され大変ですよ」

「だが、あの魔道具レリックはこれ以上出回る事はない。既に出回った物はどうしようもないけどな。それに、四方八方とは言っても、下部組織に押し付けているだけだろ。全然大変じゃあないと思うんだがな」


夜須は一度間を空け、話を変えた。


「ところで、神月さんは大して動いていなかったとのしらせを受けていましたが、よくやりましたね」

「確かにあまり動いてはいないが、何もしていない訳じゃあなかったさ。最初はしばらく様子を見て、大々的に動き出したら纏めて叩こうと思っていたからな」

「なるほど。つまり今回は、あまり積極的に解決させようと動いてはいなかったと」

「物は言いようだ。偶然、目の前に餌が釣り下がって来たからそれを利用しただけだ。俺はあちらさんも熟考して行動すると思っていたが、無計画で動いていたようだしな。チマチマと相手はどう動いて俺はどうすべきかを考えていたのが馬鹿らしいよ。計画を早めると格好付けたが、いろいろ面倒になって実力行使に移っただけだしな」

「そうですか。つまり、例の魔道具レリックを管理していた組織は荒唐無稽こうとうむけいな者達だったと」

「そう言ってるだろ。何も考えない奴の方が、なまじ賢い奴よりも厄介である事は痛い程分かったよ」


以前、ルナという喫茶店で瀬良と話していたビジネスマン風の男を影に尾行させた。

その男の行く先々の全てを確認し、アジトである廃工場を特定した。だが、相手側の釣りという可能性もある為、影に常時監視させた。


影は俺の使い魔でもあり、魔力を辿ってバレる可能性があるが、普通の影と同化する事で攻撃は出来なくなる。その代わりに感知される事はない。

故に、監視には最適と言える。


そして、ヴァルケンに善神騎士団の本部を爆破させた。

目的は、革命家レジスタンスをこの国に招いたと思われる善神騎士団への制裁を行う為。決して俺が制裁を行うのではない。爆破されれば、おかみからの検査が入る。

もし、後ろめたいを腹の内に抱えていれば表には出てこないが、それなりの制裁が下される。

結果、善神騎士団は名家のどうしようもない連中の受け皿でもあるので解体はされなかったが、事実上の活動停止の処分を受けた。

もし、上手く隠し何も無かったという状況も考えられるので、ビジネスマン風の男からかっぱらった例の魔道具レリックを置いておいた。

最終的に廃工場を強襲して、管理されていた魔道具レリックを全て破壊し、対策課へと連絡を入れた。


強襲は短時間では終わったが、敢えて魔力操作で変質させた魔力を垂れ流し続けたので幾つかの名家が気が付きいた事だろう。

だが、俺は対策課でくすねた──借りた、対策課の黒い制服を着用していた。

第三者から見たら、顔をよく判別出来ないけれど、対策課の制服を着た誰かがいるとしか思わない。

結果として、今頃十二の名月、ならびに三皇家は対策課が廃工場で例の魔道具レリックを扱っていた組織を壊滅させたとしているだろう。

いろいろと疑問点は残るだろうが、対策課の誰かが最終的な解決へと導いた事には変わりない。


互いに口を閉ざし、静まり返った車内で俺は何も言わずに夜須の言葉を待つ。


「今回の件であなたのやった事は、私の知っている物だけでも窃盗罪、詐欺罪、殺人に器物破損、重罪ですよ」

「それを見越した上でのこの証書だろ」


俺は懐から一枚の書類を取り出し、見せびらかせるようにヒラヒラと揺らす。


夜須は驚いたように瞳を開き、同時に車の速度が一瞬だけ加速する。


「正規異能力保証書……ですか。長官がわざわざそんな物を短期間に複数出すとは」

「複数?それにしても夜須、お前は俺がこの証書を持っている事を聞かされていないのか?」

「今の発言は忘れてください」

「分かった……と言いたいが難しいな。善処しよう」

「そうでしょうね。善処してください」


実際に、人間の頭脳はそう単純に作られていない。

頭の片隅にでも記憶しておこう。


「まあ、私はあなたが実行犯であると言質を頂ければいいだけでしたので、この辺でいいでしょう」

折角せっかく呼び出しといてこれだけかよ」


車は学校から徒歩十数分程度離れた路上に停止した。

場所としては最適だ。俺にとっても夜須にとっても神無月にとっても。

変に勘ぐられる事は無いだろう。


車から降りる為にドアに手を伸ばしたと同時に夜須が最後とばかりに口を開いた。


「神月さん、今年からあなたは再びブラックナンバー入りになったようですよ」

「嬉しいねぇ。わざわざ、対策課の為に働いたってのに早速さっそく要注意人物になるとはね」


ブラックナンバーとは、対策課が管理する人工知能が月に一度定める驚異となりうる要注意人物の名簿だ。

国家にとってではなく、対策課にとっての要注意人物であるため、聖王協会に所属していた頃は筆頭格だったと聞いた事がある。

真実の程は定かではないが。


「わざわざご忠告どうも」


それだけを言い残し、車を降りた。


学校へと到着したが、常勤の警備員は一切見当たらない。

気配も感じない。

たった一つの近付いて来る者を除いて。


「本当に来たのですね」


制服を着込み、見慣れた姿の美しい少女。


「呼んだのはそっちだったと思うんだがな、神無月」

「そうでしたね」


神無月は、何が面白かったのかクスクスと笑う。


「ここで立ち話もなんですし、校舎に入りませんか?」

「構わない」


俺は五メートル程度の距離をおき、神無月に着いて行く。

見慣れた校舎を見慣れた廊下のはずなのだが、時間が違うだけで印象もガラリと変わる。


不意に神無月は立ち止まる。


「ここの教室にしましょうか」

「俺の教室か」

「そのようですね。ですが、何かを狙っている訳ではありません。ただの偶然です」


神無月は扉を開き、中に入った。

夜間、または休日に教室に入る場合は認証が必要だったはずだが、神無月はどうやってかは知らないが手回し、もしくは自分でどうにかやったのだろう。


「月が綺麗ですね」


神無月は空を見ながら言った。


その言葉は、遠回しな告白の意味を持つと聞いた事があるが、この場合は言葉通りの意味だろう。

とても告白をするような状況でも雰囲気でもない。

少しばかり重苦しい。


俺は教室に入り、扉に背を預けながら神無月の次の言葉を待った。


「月は何故なぜ美しいか分かりますか?」

「さあな。いつも高みの見物してるような宇宙を彷徨さまよう星屑を美しいとは思えんね」

「月は星屑ではなく衛星ですよ」


堪えきれなくなったのか、手を口元に当て体を震わせる。

漏れる笑い声に、何が面白かったのか分からないまま、笑いが収まるのを見ていた。


「すみません。そんな返答をされるとは思ってなかったものですから」


仕草の一つ一つから、令嬢の気品を感じられる。

そう言えば、伊織の双子の姉だったな。どこでこうも差がついたのか。


「それで、答えは何なんだ?何故なぜ月が美しいのか。月は自分の力だけでは輝けないだの、満ち欠けがあるからとか学問的な理由ではないだろ?」

「ええ、帝さんは何でもお見通しなのですね」

「買い被り過ぎだ。現に、なぞなぞの答えが分からないからな」


神無月は最後列の一番奥──俺の席に座った。


「月が何故なぜ美しいか──それは決して手に入らないからです。どれだけその目に焼き付けようとも手に入れる事は出来ません」


神無月の顔が真剣な物となった。

インターネットで月の権利書が買えますよと、冗談でも言える雰囲気ではない。


「1903年、ライト兄弟により人類は地との訣別けつべつの権利を獲得しました。その僅か66年後、アポロ11号は月に降り立ちました。そして、人類は可能性を広げました」


月を見上げていたままの神無月は俺の瞳を真っ直ぐに射ぬく。


「それでも人類は月を私物化出来てはいません。口ではどうとも言えますが、人類が月での生身での生存は不可能です。人類の叡智を駆使すれば可能かもしれません。ですが、それは今現在ではない。人類には決して越える事の出来ない不可能の領域が存在します。人は光の速さで飛べません。人は雷の速さで走れません。人は音の速さで歩けません。どれもが不可能。そして、その理不尽な現実は数多あまたの面に存在します」


一度口をつぐんだ神無月の瞳は、力強く感じていた意志がもろく思えた。


「どうした?話だけなら聞くぞ」

「……私は人と違うところがあります」

「それで?」


何かの決心がぶれている神無月に、強気な口調で話を促す。

自分でもずるいと思う。


「私は……私はこのままでは長くありません」


瞳から煌めく一筋の滴が落ちた。


化け物と呼ばれた人間にしては美しかった。

魔女と呼ばれた少女にしてははかなかった。


「私は……死にたく……ありません」


俺は何も言わずに、泣きじゃくる神無月の言葉をただ聞いていた。

心の内で、話の流れを予期しながら黙って聞いた。


「だから、私は革命家レジスタンスの元へ行きます」

「そうか」

「神月さんも私と来てくれませんか?」


涙に濡れる美少女からの誘い。

薄暗い月明かりに照らされた女神のような少女。

俺がの男子であれば、迷う事も無く了承の返事を口にしたかもしれない。もしかしたら、見とれて何も言えなかったかもな。けれど、現実はいつだって非情だ。


何故なぜだろうな。

何故なぜ俺は、自分の心に正直になった時、心の中には何の感情も浮かばないのだろう。心という器の中にひたされた様々な感情を混ぜた液体は、小波さざなみ一つ起きやしない。

本当の化け物は俺の方だった。


「神無月、お前が何を抱えているのかは知らない。だからこそ、俺を信じろなんて無責任な事を言うつもりも無い。だから、今から話すのは独り言だ。適当に聞き流してくれ」


俺は近くの机に腰を下ろした。


「誰しも人間生きてりゃ、どうしようもない事の一つや二つある。結構前、何年前だったか覚えていないが俺が知り合いから聞いた話だ。一人のとんでもなくつえぇ女がいたらしくてな、誰からも魔女と言われてた。長い長い悠久に思える時間の中でらしさを知った。その女は最後に笑ったらしい。誰よりも人間らしかったよ。お前はお前のしたいようにやればいい。俺には引き留める権利はえよ。正解なんてどこにでも散らばってるように見えてどこにも無いんだよ。だからこそ、やりたいようにやれ。俺だけは否定しねえからさ」


神無月はどこか照れたようにモジモジとしながら、俺から視線を逸らした。


少し、臭かったかな。いや、かなり臭かった。

自分でも自覚がある。


「……ありがとう」

「どうも」


神無月は立ち上がった。

そして、ゆっくりと俺の方へと歩いて来た。

単純に、教室から出ようとしているのかもしれないが。


神無月は俺の前で立ち止まり、前触れも無く抱き付いてきた。

俺は反射的に離そうと神無月の肩に手を添えたが、不意に手が止まった。

神無月が泣いていた。さっきとは違い、堪えるのではなく心に溜まった重荷を吐き出すように。


女性関係に慣れた気の利く男であれば、頭を撫でたり、背中をさすったりしてやるのかな。

こういった場合、どうしたらいいのか聖王協会では教わらなかったぞ。チクショー。


俺は手持ちぶさたな両腕をどうしたらいいのかが分からず、抱き締める事にした。

俺は神無月と違い座ったままである為、神無月の全体重を上半身だけで支えなければならない。華奢な体は折れてしまいそうな程に細く、不安がるように震えている。赤い髪からは花のような香りが鼻をくすぐる。


俺が抱き締めたと同時に、一瞬だけ神無月の体が強ばるように硬直し、その直後には俺に抱き付く神無月の腕は力を強めた。

いつものAクラスを率いるカリスマに満ちた女帝の姿はそこには無い。ここにあるのは幼子のように泣きじゃくる女の子。


俺は神無月が泣き止むまで抱き締め続けた。


泣き止んだ神無月の顔はとても晴れ晴れとしていた。

だが、どこか危うさを感じる。一人にさせるのは不味いと俺の勘が大音量で警報を鳴らす。

俺はすかさず口を開いたが、先に言葉を発したのは神無月。


「神月さん、私と革命家レジスタンスのところに行きませんか?」

「すまないが、それは無理な相談だ」

「そう……ですね」


神無月の顔には、失望、申し訳なさ、悲嘆、罪悪感がありありと浮かんでいた。

きっと神無月はとんでもない何かを背負っている事は分かった。それでも俺は着いて行く事はどうしても出来ない。


何故なぜなら、俺は──俺達は革命家レジスタンス達を許さないから。


「それではさようなら。いずれ、また会う時まで」

「ああ、風邪には気をつけろよ」


神無月は意を決したように天を見つめ、俺の肩を掴みながらキスをした。

何度もむさぼるような口付け。

一瞬、現状を理解出来ずに遠退とおのく意識を覚醒させ、神無月を離した。


神無月は頬を紅潮させながら、色っぽく笑う。


「いい思い出になります。最後に女の子らしく恋が出来たのですから」

「悪い男に引っ掛からないように言われなかったのか?」

「神月さんは今まで私が見た中で、最も素敵な方ですよ。化け物と呼ばれた私を女の子にしてくれてありがとうございました」


それだけを言い、神無月は教室から出て行った。


どうせ明日は学校はない。

そう思いながら、モヤモヤと胸をくすぶる何かを考える。


「全く分からん」


歩きながら三十分は考えたらはずだが、何も浮かばない。

イラついた心を落ち着かせようとするが、その度に神無月の泣き顔が頭をよぎる。

あの顔が、どこかで見た物と似ていた。


「ったく、何だってんだよ!どいつもこいつも!」


近くにある机を手で払う。

払われた机は、周囲の椅子と机を巻き込みながら黒板に突き刺さった。


「はぁ、何やってんだよ俺。情緒不安定か?」


魔眼の力を少しだけ解放した。

両目に鈍い赤が灯る。

教室内は、巻き戻し映像を目の当たりにしているかのように、突き刺さった机が元の位置まで戻り、黒板は無傷だ。巻き込まれた机と椅子もあるべき場所に帰っていた。


気分転換に、歩いて帰るか。

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