第37話気まずさと面倒臭さと気怠さと


私室のテーブルに置かれたティーカップを口へと運ぶ。


側には木製のトレーを抱え、寝間着用の浴衣を、その華奢な身に纏った夜が待機している。


「お味の程はいかがでしたか?」

「おいしかったぞ」

「そうですか」


夜は控え目に破顔する。


とはいえ、俺はそこまで通ではないため、味の違いは大雑把にしか分からない。


「ところで帝さま」


夜は俺の顔を伺いながら続ける。


「帝さまは、わざわざ学校などに通われずとも良いのではないでしょうか?」

「そういう訳にもいかない。ジョーカーが持ってきた案件だ。そうそう無下にもできん」

「ですが、ジョーカーさんなら笑って許してくれそうですが」

「夜」


俺の唐突の名前での呼び掛けに夜は姿勢を正す。


「ジョーカーを信じるな。あいつはそれを利用する。利用される前提で付き合うべきだ」

「それは、真美さんの世界での一件でしょうか?」

「いや、それよりも前だ。確か、夜がこっちの世界にやって来たのは六年前だったよな?」

「はい。私は邪神への供物として、親から神へと捧げられたはずでした。そして気が付いたら地球におりました」

「そうして、俺に出会ったと」


夜は満面の笑みで頷く。


「ただの疑問なんだが、元の世界に戻ろうとは思わないのか?」

「思いません。私は帝さまのいらっしゃる場所こそが帰る場所ですから」

「好きにしろ」


無粋な質問だったな。


「話を戻すが、ジョーカーとは心理的に壁を作っておけ」

「肝に銘じておきます」

「今後は対策課とも付き合っていかないといけないからな。それに高校には十二の名月に三皇家に名を連ねる者が多い」

「一ついいですか?」


夜が片手を上げる。

まるで、待てを言い渡された忠犬のようだ。


「帝さまの反応を見る限り、出雲家とは何かしらの縁があるように思えたのですが?」

「よく見てるな」

「帝さまをしっかりと観察して助ける。それが仕事ですから」


夜は嬉しそうに微笑む。俺は苦笑で返す。


「縁がある……というよりも、何度か戦っただけだな」

「それは敵としてですか?」

「どちらもだ。俺が聖王協会に所属していた頃は、まだ悪しき妖魔が蔓延っていた。だから、世界を守るために背中を預けた事もあれば、敵として戦った事もある。その相手は生徒会長の実父だがな」

「そうなのですね。その方は強かったのですか?」

「戦闘に関しては俺から見ても化け物だったな。類似した魔術技マジック・スペルを持ってたし、互いに決め手がなくてな。今は長男に家督を譲ってどっかの田舎に引っ込んだと聞いているが、どうせつまらなくなったんだろうな」

「つまらなくなった?」


夜は可愛らしく首を傾げる。


「ああ、第八次妖魔大戦が終わって以降、異能力者の実力が下降の一途を辿っているが改めて実感した。あの男は戦闘狂の側面もあったからな」

「睦月王子ですね」

「まあな。睦月弟は、魔力暴走以前に人として未熟だ。あまり関わりたくないが──」

「あの無礼者が」


夜が低い唸るような口調で悪態を吐く。


「夜、落ち着け。関わりたくない相手に敵愾心を抱いてどうする」

「申し訳ございません」


俺は敢えて謝罪に対しては何も言わず、話を変える。


「学校には慣れそうか?」

「心配には及びません」

「それならいい」

「そう仰る帝さまは学校には慣れそうですか?」

「何とかなるだろ……と言いたい所だが、まずは魔道具レリックについてどうにかしなければ自由気ままな学校生活とは無縁で終わりそうだな」

「帝さまが対策課と取引された件ですか?」


軽く頷く。


「そうだ。魔道具レリックについて解決しろとな。正規異能力保証書なんて引っ張り出してきた。ただの丸投げとも言えるけどな」

「そうですね」


夜は眉間にシワを寄せ、憤りを隠さない。


「落ち着け、あまり感情的になるなよ。思考が鈍る」


夜は萎れた花弁のようなシュンとした様子を見せる。


魔道具レリックに関しては問題ではない。問題は対策課が下手を打たない事だな」


対策課は少数精鋭の部隊として、世界三大異能力組織として名を馳せている。

それは裏を返せば人手が少ないと言える。

厄介な悪意ある何者かが、悪の華をこの国に広げれば撃退できるだろう。だが、それが複数の波として襲いかかれば今回のように誰かに頼る他ない。

魔道具レリックだけでなく、革命家レジスタンスまでとなれば正しい判断だろう。


それにしても、革命家レジスタンスか。

随分と懐かしい名前だな。

あの男は、ロンドンを中心に活動していたはずだが何故日本にやって来た?

ジョーカーに痛手をくらったとは聞いていない。ジョーカーも本気で捕まえるつもりもないだろうし。

あの男は敵として見れば面倒極まりないが、腐敗した名家を処断するには役に立つ。

まあ、聖王協会が余裕を持って対処できるから、そのような事を考えられるのだろう。


「帝さま、よろしいですか?」

「いいぞ」

「異能力者を操る魔道具レリックについては解決の道筋を既に考えておられるのですか?」

「まだ、情報収集の真っ最中だな。何をどうするかはその後の話だ」

「そうですね」


夜の俺を見つめる瞳には、羨望と期待が浮かんでいる。

だが、俺は夜が思っているような人間じゃない。


夜は英雄が好きだ。

英雄が獅子奮迅の眩しい活躍を綴った英雄譚を愛読している。それは、実の親から生け贄にされかけた過去に起因した物だ。弱者を助けてくれる誰か──夜の場合は任務の都合上俺だったが──に憧れる節がある。

だが、英雄なんてろくな奴はいない。


血を浴びた体。

骸の積み上がった戦場。

潤沢で純粋な恐怖と絶望と憤怒と憎悪を一身に受け、無慈悲に殺す。

それが英雄。全てを平和に解決させるのは英雄の役目ではない。

偽善者の仕事だ。


後悔はない。罪悪感もない。いつしか、強烈で情熱的な何かを感じる事もなくなった。

凍った心はただ震えるだけ。


「それにしても、また生徒会長に会わないといけませんね」

「会うのは俺だけだけどな。それと風紀委員長の睦月恒四郎もいるぞ」

「そうでしたね。ですが、私も付いていきます」


意思は固いようで両手で握りこぶしを作っている。


「そうか。それと、真美は隠していたが、夜は魔眼を隠してなかったが、大丈夫だったか?変に絡んでくる奴がいたんじゃないか?」

「確かにいましたね」

「フェーンに聞いたが、入学式の会場で俺が来る前に十三人から告白されたらしいな。そのどれもが有力な家の子息で婚約とはな」

「止めてください。きっと、魔眼保持者が欲しかったのでしょう」

「そうかね」


確かに、魔眼保持者の子供は魔眼保持者になる確率は高いが、夜は大和撫子を完全に体現した美少女。

魔眼だけが理由ではないだろう。


「それに!」

「それに?」

「私の身も心も帝さまに捧げると誓ってますから」

「聞いてねえぞ」

「言ったのは今が初めてですから。どうせなら、今からやりますか?」


夜はチラチラとベットへと視線を向ける。


「帰れ、俺には仕事が山積みなんでな」


俺は机に乗った報告書の山をポンポンと叩く。


「照れなくてもいいのですよ?私も初めてですので」


俺は何も言わず、書類に目を通す。


「帝さま?帝さま、聞いておられますか?」


やはり例の魔道具レリックは、戸畑の先月の行動とワンセットで探った方が全容が分かり易い。

どうやら、魔道具レリックを作り出していた犯罪組織である不可視の幻影ファントムと対策課を真っ向から衝突させたらしい。

そして、不可視の幻影ファントムの止めを自らが刺して逃亡。だが、戸畑の目的は魔道具レリックじゃなかったようで、製造を止めただけで後はノータッチのようだ。

結果を見れば、多くの異能力者を救ったと言えるが、やってる事だけ見れば瘴気を振り撒く疫病神と大差無いな。


今、俺の手元にある情報はこれだけだが、打てる手はある。

一番の問題は、この件をどう解決するのかではなく、どうバレずに解決するかだ。俺が解決させたたった一人の張本人と見られるのは、学校生活のためにも絶対に避けたい。

最もベストなのは、他の誰かが解決したかのように見せる事だ。

次点では、誰かを誘導して解決させる事だが、不可能だろう。これは、俺が操る駒にもあらゆる実力と積極性と行動力が一定以上に必要となる。


「面倒だ。それで夜」

「いかがされました?」

「どうして勝手に俺のベットで寝てんだ?」

「帝さまがお休みになられるのを待っております」


夜は真っ赤に染めた顔の下半分を布団で隠す。


その光景に思わずため息を吐き出す。


「恥ずかしいならするなよ。ほら、仕事を分けてやるから手伝え。椅子なら端のを使っていいぞ」

「分かりました!」


夜は嬉しそうに勢いよく布団から飛び出たが、妙にはだけているためか視線のやり場に困る。


「あっ、そのぉ、これは」

「これは既に読んだから、地下に持っていってくれ」

「……はい」


はだけた浴衣に無反応の俺に抗議するような視線を向けるが、言われた通りに資料を持ち、部屋を出る。

そして俺は鍵を閉める。


「これでようやく静かになったな」


静けさの戻った室内で残った資料を読み進めるが、目ぼしい情報は見当たらない。

そこまで期待していた訳でもないのだが、晴華がここまで集めれないのは珍しい。


革命家レジスタンスが入れ知恵でもしたか?」


現段階ではそれが一番疑わしいが、革命家レジスタンスに関しては対策課の領分だ。

それに、一緒に行動されるよりも、革命家レジスタンス魔道具レリックを管理している連中とは、互いに距離をおいてもらった方がありがたい。


明日の昼休み、生徒会室に呼び出されている。

呼び出したのは、生徒会会長である出雲英玲奈。


憂鬱だ。


俺は出雲英玲奈個人にではないが、出雲家に若干の苦手意識を持っている。自覚したのは今日なのだが、あの男の娘というだけで気が滅入る。


他には、書記に風紀委員長がいるらしい。

全くもって嬉しくない歓迎だ。

その辺の立場にいる人達は、俺が聖王協会の関係者なのは伝えられているのかもしれない。ジョーカーが誰に伝えて、その話がどこまで広まっているのかが分からない。

その事については明日聞いてみるか。それと、魔道具レリックについても。魔道具レリックに関しては、今は俺よりも情報を得ているだろうし。


「それでも行きたくねえな。だって出雲だし」


それでも懐中時計の秒針は進む。






翌朝、教室に到着すればやけに注目されている。


にやけている伊織と平常運転の翔に軽く挨拶を済ませ、席に着く。


「何でこんなに目立ってるんだ?」

「そりゃあ、入学初日でBクラスの名家の人間に喧嘩を吹っ掛けて個人的に美人な生徒会長から呼び出しされれば目立つだろ」

「伊織、お前も来るか?」

「いや、俺は行かない。だって、風紀委員長もいるんだろ?あの人、視線で人を殺せそうだよな」

「確かに、睦月家の人間じゃなければ絶対に職質受けるだろ」


あのレーザービームの如く鋭い視線は、物理的な効果を有していそうだ。


「翔は生徒会室に来るか?」

「遠慮する」

「なら、私が行こうか?」


真美がここぞとばかりに手を上げる。


「真美は居残りだ。伊織達と飯を食っとけ。夜、ついてこい」

「分かりました」


真美はポロっと自分の正体を喋りそうだから論外。フェーンは、腹の探り合いは向いていない。

夜を選んだのはただの消去法だ。一人で行くという選択肢もあるが、そうすれば後日一人ずつ呼び出しをされる可能性も少なからずある。


授業は流れるように進んでいき、あっという間に昼休みがやって来る。


嫌な事が待っていると、それまでが異常に短く感じてしまう。


生徒会室までの決して長くはない道のりを歩く。

後ろには夜が続く。昨晩の閉め出しをまだ根に持っているのか、無言を貫いたままだ。


生徒会室の扉の前に立ち、二度ノックする。


「どうぞ」


中から歓迎の声が聞こえたのを確認し、ドアノブに手を伸ばす。


「失礼します」

「失礼致します」

「いらっしゃい、帝くん。それと……」

「彼女は俺の付き人の暁夜だ」

「暁夜と申します。よろしくお願い致します」

「気楽に話してもらって大丈夫よ」


生徒会室の中は清掃という言葉が合う。

最低限の飾りに最低限の家具に最低限の機器。

そんな部屋の中央には六人が向かい合って座れる大きさの長机が置かれている。


俺の正面には満面の笑みを浮かべた出雲英玲奈。その右手前には腕を組んだ睦月恒四郎。

その正面には一人の小動物を連想させる小柄な少女。


「彼女は書記の稲越優里いなごしゆり。こう見えてもれきっとした三年よ」

「いっ、稲越優里です。ひっ!」


軽く笑顔を向けただけでこの反応。


「まっ、まあ、優里も悪気はないんだし。多目に見てくれると助かるわ」

「そうですね。目付きが悪いのは生まれつきなんで気にしないでいいですよ」


なんとなく敬語を使ってみる。


「いつまでも、扉の前に立ってないで席に座れ」


睦月恒四郎の言葉の促され出雲の正面、しっかりと距離の空いた席に座る。

稲越のホッとしたような表情が地味に精神的なダメージを負わせる。


「あら、お姉さんと見つめ合いたいのね。嬉しいわ」


俺は無言で睦月恒四郎の隣へと座り、バランスを取り夜は稲越の隣に座る。


「昼食は持ってきていないようだな」

「だから話を早く終わらせてくれ」

「心配するな。念のために弁当を準備してある。俺持ちだ」

「昨日の今日で気前がいいな。いい先輩アピールでもやってんのか?」

「抜かせ」


稲越が端のテーブルに置かれた弁当を各人に配る。

どうやら、睦月恒四郎も怖いらしい。


「ねえ帝くん、昨日の今日でって事は、昨日どこかに行ったりしたの?二人で」

「不本意ながらな」


出雲は冗談めかして唇を尖らせる。


「どうせなら私も行きたかったわ」


それだけは遠慮したい。

それに、睦月恒四郎に関しては、面倒事は先に終わらせておきたいと思っただけだ。


「帝くん、今度一緒にお出かけしない?帝くんの話が聞きたいわ」

「遠慮しておきます」


俺の有無を言わせない即答に、睦月恒四郎が飲みかけたお茶を吹き出す。


出雲家云々以前に、この会長様の瞳には俺の正体への興味と警戒が見てとれる。

そもそも、数年前までは聖王協会とは表向きは友好関係を築いているが、その裏では熾烈ないさかいが多発していたし、会長達は知らないだろうが俺も参戦していた。

故に、警戒するのは当然だ。


「それで本題は?ただ弁当を食べるために呼んだ事はないと思うが」

「お前に興味があった……では納得できないか?」

「無理だな」

「本題って程でもないのだけど、単に帝くんとお喋りしたかったのよ」

「なるほど」


そして、俺について探るつもりだったか。


「それに帝くん達はこの学校の伝統については何も知らないでしょ?」

「そうだな。興味がない」


稲越が苦笑いを浮かべ、会長の顔を伺う。

だが、当の会長は何も響いていないのか愉快そうに俺を見る。


「入学生は派閥を作りたがるのよ」

「派閥?」

「そう、派閥」

「派閥って不良漫画かよ」

「そうは言っても、帝くんも既に派閥を作ってるじゃない?」

「伊織と翔の事か?」


会長は頷く。


「そうよ、どのクラスでも既に意識か無意識か派閥が作られてるみたいだけど、今年はFもEも面白い子がいるから楽しみね」

「AとBはどうなんだ?Aは一番優秀なのがいるんだろ?それにBも名家の人間がいれば勝手に人が集まるんじゃないのか?」


会長が睦月恒四郎へ視線を送り、解答を譲る。


「神無月琴音に関しては派閥ではないな。孤高の女帝だ。Bに関しては期待していない。理由は言うまでもない」

「ならばEは?」

「とんでもない奴がいる」

「面白そうだな」


個人的に興味が湧いた。


「そろそろ時間だし、最後にもう一つ質問していいか?」


そして俺は切り出した。

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