勇者と失格の烙印を押された者


 その日は朝から慌ただしいという言葉こそが当てはまるに相応しい始まりだった。

 イシーダが勤める宿屋も道具屋も商いを生業にしている者達以外も、裏隣りの娘夫婦と同居を始めた少し癖の強い強硬老人さえ空が白みがかったばかりのまだ薄暗い庭で、興奮に浮かされた顔をはっきり見とめる事が出来たくらいに、街全体で今日という日を迎える事に感情を高ぶらせいる。


 人々の願いによって神が遣わされた救世主たる勇者が現れてから、ひと月。

 神の奇跡と名実ともに体現者たる勇者様の悪しき者討伐への御出立である今日という日を。

 

 隣街であるはずのマシエドの誰もが、逃さぬとばかりに陽も昇らぬうちから身支度を整え、家人を起こし水を汲み上げる女達があちらこちらに姿を現している。井戸端会議を始めている強者もいるが内容は今日起こる出来事についてばかり。

 活動し、準備する最大の理由は、出立式の参加などではない。こちらから行く、その必要がないのだ。


 勇者様一行がブランフォードから旅立ち、初めて訪れる街にマシエドが選ばれたのだから。




   

 太陽が上に昇り、満室という喜びの悲鳴より朝食準備や後片付け、客室清掃と猫の手も借りたい悲鳴を上げていたイシーダも漸くこの時間帯には外の賑やかさに、やっと気を向けた。


 勇者フィーバー、パネェ!!! 一体どんだけの興行利益効果を発揮するのか……!

 絶対に顔見世興行を強請る奴が続出する! ……勇者様、ファイト。


 自室の窓から注ぐ目線の先には街のメイン通りが見渡せる。宿屋としては絶対に押えたい立地条件をここの宿は確保している証拠ゆえの景観だ。

 ぼんやりと何を見る訳もなく溢れている行きかう人達を眺めながらイシーダは随分前に響き渡った花火に酷似した音について考えを広げる。

 大音量というわけではない、しかし目視出来ぬほど離れているマシエドにも容易に響いた音。イシーダ本人には遠く感じられる距離ではあったが直線上では近い位置なのかもしれない。


 花火みたいに打ち上がる物だったんなら……真下とかに居た人は耳が御臨終だな。


 あんまりな考えである。他人には吐露できない感想しか浮かばないのは、イシーダの今日という日は他の人々とまったく違う意味を持つ日だからこその考えだからだろう。


 勇者と、同じ異世界に拉致された彼と、初めて現実で会う約束をしているのだ。

 彼の出立二日前から昨夜に亘るまで綿密に組み立てた計画。作戦会議といえる話し合いの半分以上は通常と変わらない雑談で話しが逸れていた事実もあるが。最悪のケース、様々な要因で計画が破綻した場合は勇者な彼がチートでゴリ押しするというお粗末な考えだとしても彼らにとっては計画である。


 暫しの休憩を終え、また仕事に戻ってからのイシーダの流れる時間は早かった。常だったら何かしらぼやきながら手伝いをしているバイスのちょっかいがないのが原因かもしれない。早朝からの繁忙からやっと逃れられたのである、年若いバイスには勇者訪問は一大イベントだ。これを見逃す事が出来ないのも物の道理。

 


 シーツを畳む作業を止め、雇い主のご主人と奥さんに急かされるように宿の玄関口に三人で移動しご主人が扉を大きく開け広げる。途端にイシーダを襲ったのは声。先ほどから室内にいても聞こえてきていた歓声がより大きく自身を突き抜ける。

 

 身体全体に感じるほど盛大に響く喝采が降り注いでいるであろう、まだ遠くにしか見えない人物に顔を向けた。



 顔さえ見えないのにイシーダは視線が絡んだ気がした。







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